2章「竜薙華伝」その3

 それから、そんな奇妙な隠遁生活は数日続いた。華伝は飲み物や食べ物ばかりでなく、家の奥で見つけたという毛布も持ってきてくれた。それに包まれ、炭焼き窯の中にいれば、彼女は晩秋の夜でも寒い思いをせずに済んだ。また、時折お湯を持ってきて、体を拭いてくれた。肌を晒すのは恥ずかしかったが。


 だが、あるとき、彼は手足にたくさんのあざを作って来た。道着姿だった。話を聞くと、最近は大人の門下生たちに剣術の稽古をつけてもらっているのだという。その最中にできたあざらしい。


 ルカはさすがにやりすぎなのではないかと思った。彼はまだ子供だ。しかも、さらに詳しく聞くと、一度に複数の大人と相手をさせられているらしい。


「それは本当に稽古なのか。ただ、お前を痛めつけたいだけではないのか?」

「その人達も好きでやってるわけじゃないんです。お父さんが、僕にそうしろって命令したみたいで」

「お前の父が? なぜだ?」

「お父さんは、たぶん僕が邪魔なんです」

「養子だからか? 瘴鬼だからか?」

「両方、あると思います。でも、一番の理由じゃない。僕には左紋っていう弟がいるんです。お父さんの本当の子供です。それで、お父さんは左紋を家の跡取りにしたいみたいなんです。でも、おじい様は僕の方がいいって考えてるみたいで、それで、お父さんはおじい様と喧嘩してて……」

「バカな話だ!」


 ルカはむかむかせずにはいられなかった。そんな大人達の事情で虐げられる華伝がかわいそうだと思った。


「お前の父は、本当に人なのか。自分の息子をなんだと考えている。そんな人でなしは、お前の瘴鬼の力で食い殺してしまえ」


 怒りでかっとなり、つい過激なことを口走ってしまう彼女だったが、「それはできません」と華伝はきっぱり言った。


「なぜだ。お前の父はそんなに手錬なのか」

「いえ、僕のお父さんはそんなに……。でも、やっちゃいけないです。瘴鬼の力を使うのは。お母さんと、約束したから」

「約束?」

「お母さんはよく僕に言ってました。僕は半分鬼だけど、半分は人間だから、人間として生きていけるって。だから、瘴鬼の力は絶対に使わないようにしなさいって。ただの人間として幸せになりなさいって……」


 と、そこで、彼ははっとしたように「あ」と声を出し、頭を抱えた。


「そういえば、僕、最初にここに来るまでに瘴鬼の力使っちゃった……」

「あ」


 ルカもはっとした。


「だ、大丈夫だ! あのとき、お前は私の母の瞳術を受けていたのだからな。だから、自分の意思で約束を破ったことにはならん。ならんのだぞ!」


 おろおろしながら、必死にフォローするしかないルカだった。


「よいか。お前はその力で私を助けたのだ。よいことをしたのだ。それなのに、人として幸せになる権利がはく奪されるわけなかろう。そんな理不尽はないだろう。お前の母だってきっと見逃してくれるはずだ」

「でも、ルカって人を食べる悪い鬼ですよね?」

「まあ、一応そのようなものだが」

「じゃあ、いいことをしたどころか、ルカを助けた僕も悪いやつってことに――」

「ならんと言ってるだろう! よいか、私は鬼で、お前は瘴鬼なのだぞ。私の方がお前よりずっと偉いのだぞ。だから、私の言うことは正しいのだ!」

「な、なるほど……」


 華伝は彼女の勢いに一瞬びっくりしたようだったが、やがておかしそうに笑った。


「ルカって本当に鬼なのかな。僕、本物の鬼ってすごく怖いものだって思ってたけど、ルカは全然怖くないです。全然鬼らしくないです」

「鬼にもいろいろいるのだ……」


 ルカはとたんにしょんぼりして、膝を抱えてしまった。全然鬼らしくないことは、彼女自身が一番よくわかっていた。


 すると、華伝はそんな彼女の顔をのぞき込み、「ためしに僕に瞳術かけてみてください」と言った。なんだか、わくわくした顔で。


「鬼なら誰でも使えるんでしょう? ルカだって鬼だから当然――」

「まあ、できないこともないが」


 とっさに、見栄を張ってしまうルカだった。本当は瞳術などさっぱり使えなかった。


「ただ、それはいつでもできるものではない。体調の悪い時は失敗するのだ。あと、怪我をしているときなどはな」


 ルカは脚の怪我をこれ見よがしに指差し、「怪我をしている時はな」と、繰り返した。


「じゃあ、脚が治ったら、瞳術が使えるようになるんですね」

「そ、そうなるな……」

「僕知ってます。鬼って人よりずっと強い生き物だから、怪我なんてすぐ治るんでしょう? だから、ルカのこの怪我もすぐによくなるはずですよね」

「と、当然だ」

「わかりました。僕、それまで待ってます」


 華伝はやはり瞳術をかけられるのを楽しみにしているような表情だった。



 だが、何日たっても、彼女の両足の怪我は一向に治る気配がなかった。むしろ、日に日に体調は悪くなっていく一方だった。幼い瘴鬼の少年も、そんな彼女の様子に不安を募らせているようだった。


 そこでルカは思い切って、自分が何の能力もない無力な鬼、残月であることを彼に打ち明けた。本当はみじめで、知られたくない事実だった。


「残月……だったんですか……」


 彼はその言葉の意味を知っていた。そして、ショックを受けているようだった。


「じゃあ、ルカの怪我はもう――」

「治らんだろうな。どのみち、長くはもたない命だ」

「そんな……」


 華伝はたちまち真っ青になった。


「そ、そうだ! 残月の鬼って、確か、瘴鬼の魂生気で元気になるんでしょう。じゃあ、ルカは僕を食べれば――」

「バカを言うな! そんなことをすればお前が死んでしまうではないか!」


 今度はルカが青い顔になる番だった。いきなり何を言うのだろう、この子供は。


「……もうよい。お前はよくやってくれた。私のことは忘れろ」


 ルカは華伝に背を向け、精一杯偉ぶって言った。本当は、この少年と、もっと一緒にいたかった。


 華伝は少しの間何も言わなかったが、やがて、彼女の前から去って行った。今度こそ、彼は戻ってこないだろう。そして、自分はこのまま一人で、弱って死ぬのだろう……。悲しくて、さみしくて、涙が出た。


 だが、華伝は、その翌朝、まだ薄暗い時刻に彼女の元に戻って来た。早朝の彼はいつもそうであるように、そのときも道着姿だった。いつも朝早くから一人で稽古させられているらしく、それを抜け出して彼女のところに来ているのだった。


「なぜまた来た? お前が何をしようと、私はすぐに死ぬのだぞ?」

「いえ、ルカは死にません。僕、ちゃんと持って来たから」

「持ってきた?」

「ルカにあげるぶんの、瘴鬼の魂生気です。僕のとは違う……」


 彼は、炭焼き窯に背を預けてぐったりとしているルカにゆっくりと近づいてきた。何か覚悟を決めたような強いまなざしに見えた。


「瘴鬼の? お前は自分以外の瘴鬼を殺して、それを奪って来たのか?」

「はい。ルカが捕まっていたところには、たくさん瘴鬼になった人達が閉じ込められています。僕、前におじい様に聞いたんです。あの人達は、放っておいてもすぐ死んじゃうって。瘴鬼ってのは危険な化け物だけど、元は人間で、簡単に殺しちゃいけないから、昔から、あそこに閉じ込めてゆっくり死ぬのを待つようにしてるんだって。だから、僕、さっきそこに忍び込んで、一人……殺しました。魂生気を吸いとって」


 彼の目が一瞬赤く光った。


「ルカ、今僕の中にある魂生気を受け取ってください。お願いです」


 その幼い瞳は切実に彼女に生きることを訴えていた。


「……わかった」


 もはや断ることはできなかった。ルカは手を伸ばし、華伝の頭を掴んで抱き寄せた。そして二人は唇を重ねた。唇越しに伝わってくる彼の鼓動と息使いに、ルカは自分の体温が少し上がるのを感じた。母親以外の者に魂生気をもらうのは初めてだった。


 彼にとっても、魂生気の受け渡しなど初めてのことだっただろう。だが、多少ぎこちないながらも、彼は本能的にやり方を心得ているようだった。やがて、彼は魂生気を全て出し終え、彼女から離れた。


 しかし、彼はそこでふと、もう一度唇を寄せてきた。それはほんの一瞬で、彼はすぐに離れてしまったが、彼女はすっかり油断していて、きょとんとしてしまった。


「華伝、どうして――」

「べ、別に理由なんてないです! ただ僕がそうしたいから、しただけです」


 彼は赤くなりながら早口で言うと、ぷいと顔を反らしてしまった。ルカは笑った。彼の好意がとてもうれしかった。


 その日から、彼は食べ物や飲み物のほかに瘴鬼の魂生気も持ってくるようになった。それはほぼ一日おきに彼女に与えられた。毎日だとかえって体に毒だと、ルカは母親に聞いていたからだった。


 そして、そのおかげで彼女の体調は改善し、怪我も治って行った。華伝はその様子に喜んだが、ルカの気持ちは複雑だった。彼はまた、自分のために母親との約束を破り、瘴鬼の力を使っているのだから。


 だが、その想いを口にすると、彼は「いいんです」と言った。


「前にルカが言ったでしょう。ルカを助けるために瘴鬼の力を使うのは、お母さんとの約束を破ったことにはならないって。それに、僕、ちょっと嬉しいんです。僕にしかできないことで、ルカを助けられるから……」


 そう言って、彼は照れ臭そうに笑った。


 それから、彼は自分の机の引き出しの奥から発掘したという一枚の名刺を彼女に見せた。「瑞島弓雅」という男のものだった。なんでも、彼の母親の実弟にあたる人物で、母が生きていたころはたびたび竜薙家に出入りしていたという。そして、そのときに、半ば冗談交じりに「ここでの暮らしがいやになったら、いつでも俺のところに来い」と言われ、名刺を渡されたのだという。


「叔父さんは、鬼に関わる胡散臭い仕事をしているみたいで、竜薙の家に昔から伝わる武器とか古文書とか欲しがってて、お父さんとは仲がよくなかったんです。だから、きょうだいのお母さんが死んだ後は、家に入れなくなっちゃったけど、きっとルカのこと、助けてくれると思います。胡散臭いけど、悪い人じゃなさそうだったから」

「胡散臭いのか」


 ルカは引っ掛かったが、彼の慕っていた母親の実弟なら、もしかしたら信用できるのかもしれないと思った。というか、二人にはそれ以外、何もあてがなかった。ずっとここにとどまっているわけにはいかないのだし。


 だが、彼の口ぶりは、まるで自分をその男に託すように聞こえた。もしかして、もう一緒にいられないのだろうか。たちまち、胸が苦しくなった。


「華伝、わ、私はな……」


 ルカは華伝の小さな手を取り、その瞳をじっと見つめた。言わなくてはならない、一緒に来てほしい、と……。そうは思ったが、緊張してうまく言葉が出てこなかった。断られたらどうしよう。ひたすら顔が熱くなるばかりだった。


 だが、そんな彼女の気持ちは、あまりにも顔に現れすぎていて、目の前の少年に筒抜けのようだった。「心配しないでください」彼はルカの手を握り返しながら言った。


「僕もルカと一緒に行くつもりです。だって、叔父さんが本当にいい人かどうかわからないし、もし悪い人だったら、僕が守ってあげなくちゃいけないし、ルカは残月で、僕が瘴鬼の魂生気を集めてこないとすぐ元気がなくなっちゃうし――」

「本当か!」


 ルカはうれしくなり、華伝を力いっぱい胸に抱き寄せた。「ほ、本当です」彼は彼女の胸の中で息苦しそうに答えた。


「じゃあ、ルカの脚の怪我がよくなって、普通に歩けるようになったら、叔父さんに連絡しましょう。それで、一緒にここを離れましょう」

「ああ」


 二人は固く抱き合い、約束した。



 だが、その翌日の早朝、炭焼き小屋でいつものように一緒に秘密の時間を過ごしていた彼らの元に、四人の男達がやってきた。一人は華伝の父であり竜薙家の当主、竜薙雷伝、そして残る三人は雷伝の側近だった。みな、鬼討伐の時に着る紫色の装束をまとい、腰に鬼封じの武器を帯びていた。特に、雷伝の腰には竜薙家の家宝ともいうべき鬼殺しの刀、「竜薙りゅうなぎの風花の《かざはな》」があった。


「まさか、こんなところに、残月の鬼をかくまっていたとはな、華伝」


 雷伝は、華伝とルカを一瞥するや否や、忌々しそうに顔をゆがめた。年齢は四十そこそこといったところだろうか。がっしりとした大柄な体つきの、強面の男だった。


「お、お父さん、なんでここに……?」

「この場所か? お前の道着に仕込んでおいたんだよ。探知符をな」


 と、雷伝は懐から、一枚の札を出した。それはほのかに光を放ち、点滅していた。


「これは鬼封符術師の使う札の一つでな、二枚で一組になっている。で、その一枚を鬼や瘴鬼に持たせると、もう一枚を持つ人間に、片割れの札を持つ者の方角と、だいたいの距離がわかるってもんだ。どうだ、便利なものだろう?」


 雷伝は札を額に当て、華伝に向かってにやりと笑った。「お前みたいな、なりそこないの瘴鬼にはぴったりの道具だ」


「……なんで、お父さんはそんなものを?」

「てめえが、俺の商売を邪魔するからだろうが」

「商売?」

「あそこに収容してた瘴鬼どものことだ。あれは、れっきとした商品なんだよ。取り引き先だって決まっている。だから、きっちり頭数を用意しなきゃなんねえ。それなのに、お前は、それをいくつもダメにしやがった。売り物にならなくしやがった!」


 雷伝の顔には強い怒りがにじんでいた。


「竹林に捨てられていた、干からびた瘴鬼には歯型がついていた。ガキの歯型だ。俺はすぐにピンと来たね。こんなことをするやつは、お前しかいない、とな」

「それで、探知符を僕の道着に?」

「はは! その通りだ! お前は相変わらずお利口さんだな!」


 雷伝はそう叫ぶ否や、華伝とルカのいる小屋のほうにゆっくりと近づいてきた。残る三人も、その後に続いた。


「ま、まだその鬼の娘がくたばってないのはめっけもんか。生きた鬼なら、残月だろうと高く売れるからな。そいつは見た目も悪くねえしな」

「売る? お父さんは、さっきから何を言って……」

「華伝、お前は本当に何も知らねえんだな。お前自身のことといい。今は昔とは違うんだ。人食いの鬼どもは知恵をつけて、角を隠して医者やら軍人やらになりすまして、目立たないように人を食っている。だから、俺達もそいつら同様うまくやっていこうってだけなんだよ。そのための商売だ。つまり、鬼のことをもっと知りたいって連中に、サンプルを提供するお仕事さ」


 雷伝はそう言うと、さらにじりじりと二人に近づいてきた。華伝はとっさに、前に飛びだし、父の前に立ちふさがった。


「だ、だめ! ルカはお父さんには渡さない!」

「おい、そこの瘴鬼のガキを黙らせろ」


 雷伝は、側近の男達に命じた。ただちに、彼らは華伝を殴りつけ、蹴り飛ばし、地面に転がした。「うう……」彼は口から血を流し、うめいた。


「な、何をする! 子供相手に、大人がよってたかって――」


 ルカは叫んだ。


「ただのガキじゃねえよ。今までお情けで生かしておいたのに、人間様に刃向った、恩知らずの失敗作だ。やっと瘴鬼の力も使いやがったしな。もう、あのクソ爺との約束を守る理由もねえ」


 雷伝は男達にめくばせした。たちまち、彼らは腰の武器を抜いて構えた。うずうまってる華伝に向かって。


「華伝様が瘴鬼だったとは、まったく存じませんでしたよ」

「どおりで、いくら打ちこんでもピンピンしているはずだ」

「伝衛門様もなんでこんな化け物を生かしておいたのだろう。酔狂にもほどがある」


 彼らはみな、残忍な笑みを浮かべていた。


「やめろ! そいつは何も悪くない! ただ、私をかばっただけだ!」


 ルカは真っ青になり、あわてて華伝のもとに駆け寄ろうとした――が、雷伝に髪の毛をつかまれ、阻止された。「てめえはおとなしくしてろ!」と平手打ちを浴びて。


「ルカ!」


 とたん、華伝ははっとしたように顔を上げた。そして、雷伝に打たれたルカを見て、目を大きく見開いた。


「……お父さんは、みんなは、僕を殺してルカを奪うつもりなんですか」


 彼はゆっくり立ち上がった。その瞳は赤くギラギラと光っている。


「そうだなァ。やっぱ、そうするしかねえよなあ?」


 三人の側近たちの後ろで、雷伝はいかにも高みの見物という感じでへらへら笑った。


「せめてもの情けだ。苦しまないように、ひと思いに殺してやれ」

「はい!」


 雷伝の命令とともに、男達は一斉に動いた――。



 その後に目にした光景をルカは二度と思いだしたくなかった。それはとても恐ろしいものだった。そう、そのときの華伝は、それまで彼女が見てきた優しい少年ではなかった……。

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