化かし合い

第32話 権力と無知ほど怖いものはない

 学院のみんなは今日も切磋琢磨していることだろう。そしてボクは、今日も昨日も一昨日も――馬車に揺られていた。


 シシリアとの部屋デートから三日後、ボクは特別実地訓練という名目で街を離れた。どうも近頃、平穏という響きが縁遠くなっている気がしてならない。

 人の不安をよそに気持ち良さそうに眠っているギンタを眺めていたら、こうなった経緯いきさつが思い出されてきた。




「父が申すには、領地の先に拡がるナダルの森が、ここ数年で不穏な様相を呈するようになったらしいのです。我がルーデンベルグ家は妖精や魔獣の生息地であるその森を古来より監視し、溢れ出る魔獣から国を護る防波堤としての役割を担ってきました」


 ボクの部屋で手紙の内容についてギンタに語るシシリア。その瞳はどことなく憂いを帯びているようにも見える。


「不穏というのは、以前よりも森から出てくる魔獣が明らかに増えた事が一つ。もう一つは、妖精たちが人間に対して明確な敵意を示している、という事です」


「妖精の方は明白だろ。原因は妖精狩りだ」


 冷めた表情のギンタが、少しだけ棘のある口調で口を挟んだ。


「妖精は物を隠したりといった悪戯程度の事はするが、それ程悪質な存在ではない。むしろ、恩義を売れば何倍にもして返してくる連中だ。妖精を助けた見返りに莫大な財宝や超常的な力を授かった、というたぐいの伝承があるだろ?」


 ボクとシシリアが相槌を打つのを見てギンタが続ける。


「但し、妖精に悪意を持って接すれば、それもまた何倍にもなって返ってくる。その手の話も、お伽噺や伝承として目や耳にしてきた筈だ。子供を躾けるのに打ってつけみたいだからな。 

 あの不細工な巨人になった妖精……あれは妖精の中でも特殊な部類だが、妖精の守護者と呼ばれる者だ。他の妖精に危害を加えようとする者には容赦なく襲い掛かる」


「守護者か――つまり、ギンタみたいな感じだね」


 ボクの言葉に、膝の上のギンタが首を捻って横目で見上げてきた。何か言いたげな、どちらかと言えば不服そうな眼差しで。

 間違ってるかな? いつも守ってくれて、特に容赦のないところなんてギンタっぽいと思ったんだけど。

 結局、ギンタは短く嘆息しただけで、正面のシシリアへと視線を戻した。


「妖精は天使の眷属だ。天使が堕天するように妖精は堕ちると妖魔と化す。その状態であれば、人間が魂を代償にして契約を結ぶ事も可能だ。末路は見た通りだがな」


「それらしき者を見たと書き記したところ、その件についても手紙で触れられていました。近年、闇オークションなるもので妖精が高値で取り引きされていると。ビヨルドが孤児院の子供を奴隷として売買していたのも、その闇オークションです」


 憤りを帯びた声音でシシリアはそう言った。


「天使の眷属に手を出すか――人間の欲望は尽きぬとは言え、おごりが過ぎるな」


 言い放たれたギンタの言葉にボクらは押し黙る事しか出来ない。

 長く感じられた沈黙を破って、沈痛な面持ちでシシリアが口を開いた。


「返す言葉もございません。闇オークションについては以前から調査を進めていたそうなのですが、開催時期も場所も毎回異なり、思うように尻尾を掴めないとの事です。それと妖精狩りの方に関しても、金等級のパーティーに調査を依頼していたのですが……連絡が途絶えたと記されていました」


 シシリアはそこまで話すと瞳を閉じ、迷いを追い出すように短く息を吐き出した。

 再び開けられた瞳が、真っすぐにギンタの瞳と交わる。


「ギンタさん、父であるルーデンベルグ辺境伯からの伝言をお伝えします。【娘の窮地を救って頂いたお礼もなしに厚かましいのは重々承知の上で、ナダルの森の調査をお願いしたい。インファントドラゴンを圧倒するような手練れなら是非に】と。もちろん、相応の報酬をお支払いします」


 しばらく考え込む様子をみせていたギンタが、ボクの膝から飛び降りると振り向いた。


「仮にオレ様が行くとしてだ、ナズナも連れていく事になるのだが?」


「ボクは良いけど? でも意外だね、なんでオレ様がって即答で断るかと思ったよ。何か気になる事でもあるの?」


「……ある訳ないだろ。ちっ、そんな事よりもだ。簡単に言ってくれるが、金等級のパーティーが消息を絶ったんだろ? そこんとこ、本当に理解しているのか?」


 不自然な間を空けたギンタが、露骨に呆れ顔を作って見せた。何かあるのは確定として、ボクの事を心配してくれているのは素直に嬉しい。

 だからボクは「きみが護ってくれるでしょ? 頼りにしてるよ、守護者さん!」と笑顔で返した。


「お前な……やれやれ、勘違いしてくれるなよ? 貴様がどうなろうとオレ様の知った事ではない。これまでは偶々たまたま、気に食わない奴がいたから消し飛ばしてやっただけだ。どうせまた捕まって、オレ様の足を引っ張るつもりだろ」


「またって……心配してるのそこなの? それに好きで捕まってる訳じゃないんですけど?」


「まぁまぁ、ルーデンベルグ家からも腕利きの護衛が付きますので。それと、私も同行させて頂きますのでよろしくお願い致します」


 ボクとギンタを仲裁するように割って入ったシシリアが、上品に微笑んで頭を下げた。

 その柔らかな物腰に気勢をそがれたのか、ギンタは溜息混じりに話を戻す。


「まぁいい。言っておくが、オレ様に支払う対価は安くないぞ?」


「それって、もしかしてボクの魂って事?」


「いるかそんなもん」


「そんなもん……」


 一刀両断、見事なまでに容赦ないギンタの即答ぶり。うん、さすがにへこむ。

 打ちひしがれるボクに憐憫れんびんの眼差しを向けたシシリアが、ギンタに向き直って姿勢を正した。


「承知しております。手紙には支度金も含めて前金で金貨二十枚、成果に応じて追加報酬を支払わせて頂く、と書かれております。いかがでしょうか?」


「金貨二十枚!?」……思わず口走ってしまった。何が起こるかわからない魔獣の巣窟、命の対価とはいえ凄い報酬だ。


「二十枚……だと? ふん、オレ様の力も安く見られたもんだな」


「いやいやいやっ、ギンタ、金貨二十枚だよ!?」


「……では、いかほどでしたら?」


 固唾を飲んで窺うシシリアに、ギンタはいつも以上に人の悪そうな目つきでニヤリと笑う。どう見ても、困っている人の足元を見る悪党にしか見えない。


「そうだな――百枚だ。百枚ならその依頼、このオレ様が受けてやろう」


「金貨百枚……ですか。承知いたしま――」


「待ってシシリア! ちょっとギンタっ!」


 さすがに横暴すぎる。ボクは承諾しようとするシシリアの言葉を遮った。


「ローストビーフだ」


「「え?」」


「ローストビーフ百枚だ。オレ様への報酬といったらローストビーフに決まっているだろ。言うまでもないが、霜降り一番亭の極厚ローストビーフだからな」


「「ロースト……ビーフ?」」


 ボクとシシリアは時が止まったかのように、口を半開きにしたまま固まってしまっていた。


「ふん、オレ様をそこらのドラゴンどもと一緒にするな。金貨や財宝集めなんぞに興味はない。なんだ? そんな顔をしても一枚とて負けてやらんぞ」


 鼻先で笑って、何を言っているんだかボクの召喚獣は……。それにしても、ボクの魂はローストビーフにも劣るというのか。

 どんな時も冷静なシシリアが、珍しく困惑した面持ちでこちらを見ている。


「あの……ナズナ?」


「ああ、うん、本人がそう言ってるからそれで。凄いなー、さすがはギンタさんだー」


「……えっと、では承知致しました。支度金とは別にローストビーフを。霜降り一番亭への支払いはルーデンベルグ家で請け合いますので、いつでもご自由にお食べ下さい」


「ほう、そいつは豪勢だ。決まりだな」

 

 にんまりと、心底満足そうな笑みを浮かべるギンタ。対照的にシシリアは、無理して笑みを浮かべているように見える。

 ギンタの笑顔が、シシリアの良心に深刻なダメージを与えているのは明らかだった。


 霜降り一番亭の極厚ローストビーフ。一人前で銅貨六枚、百人前でも銅貨六百枚、つまり銀貨で六十枚。そして金貨一枚は銀貨で百枚。

 ギンタよ、きみこそ、そこんとこ理解しているのか? ボクは喉から出かかる言葉を飲み込んだ。

  

 次の日から怒涛の展開であった。

 学院に着くと、すぐさまルーデンベルグ辺境伯領への派遣が通達された。準備期間は二日。名目は特別実地訓練。

 余りの手際の良さにボクも驚いたけれど、メグとリーバスの二人はもっと驚いていた。


 今回は危険な地へ赴くとわかっているので二人を同行させられない。

 行き先がナダルの森だと聞いたリーバスは、悔し気に顔をしかめていた。自分の力では足手まといになるのがわかっているのだろう。

 メグも悔しがっていたけれど、なぜかシシリアの名前を呪詛のように連呼していたのでそっとしておいた。


 すぐに寮に戻って装備や持ち物を点検し、足りない物を補充しに買い物に出かけたりと旅支度を始めた。

 ギンタは早速、霜降り一番亭の極厚ローストビーフを堪能した。

 慌ただしく準備に追われた二日間を経て、迎えに来てくれたルーデンベルグ家の馬車に乗って今に至っている。

 対面の席には、いつもと違って軽装の女冒険者といった装いのシシリアが。

 ボクの膝の上では召喚獣のギンタが眠っている。

 

 この先に何が待っているのか――神様は知っているのだろうか。

 考えても仕方がないと意識を切り替え、ボクは流れる景色に視線を向けた。

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