第30話 その姿に重ね見たもの

「これは、【幻覚ミラージュ】と【魅了チャーム】か。やれやれ、つくづく悪戯好きな種族だな」


 呆れか、あるいは感心のそれなのか、嘆息したギンタは首の骨をコキリと鳴らすと、体を五人のナズナに委ねるように脱力した。それから微動だにせず目を閉じている。


 そよ風が、ギンタの前髪を揺らした。


 ――と同時にカッと目を開いたギンタが拘束をものともせず、いきなり正面の空間を殴りつけた。見えない壁でも叩きつけたかのように轟音が発生し、そこを起点として突風が吹き抜ける。

 銀髪をなびかせ、怯むことなく正面を睨み付けるギンタの前に、突風に消し飛ばされた五つ子ナズナたちと入れ替わるようにして、拳を打ち下ろした格好の巨人が忽然こつぜんと現れた。


 幻術を看破するだけならまだしも、自分の背丈ほどもある拳を躱すでなく自らの拳で打ち返してきたギンタに、巨人は唖然としている。

 その巨人を見上げるギンタが口角を吊り上げ、獰猛どうもうに笑った。

 巨人の拳から肩にかけて、走るように浮き上がった血管が至るところで破裂し、噴き出した血で右腕が朱に染まる。ぐらついた巨人が、地響きを立てて後ろ手に倒れこんだ。


「何を驚く。堕ちたからといって、本質を見抜く力を失った訳でもあるまい」


 至極当然の結果と言わんばかりのギンタを、じっと見つめた巨人がいびつな左目を見開いた。

 まじまじとギンタを見据えたまま、ゆっくりと体を起こして片膝立ちの体勢となったものの、巨人は立ち上がるでもなく項垂うなだれる。

 数秒してようやく立ち上がったかと思うと、顔を上げた巨人は太々ふてぶてしい笑みを見せ、空へと浮かび上がっていった。

 空中で静止したその体が突如として発火し、青白い炎に包まれる。

 燃えたぎる巨大な火の玉と化した巨人が、雄叫びにも似たうなりを上げて落下を始めた。


「【愚者の火イグニス・ファトゥス】――最後は真っ向勝負で来たか。潔し」 

 そう言ったギンタが迎撃せんと飛翔する。

 勝負は一瞬、正面から突っ込んだギンタの体が【愚者の火イグニス・ファトゥス】を貫くと、蒼白色の火の玉は燃え尽きるように小さくなって消滅した。

 空中で静止したギンタの手のひらには、ボロボロの姿となった妖精が横たわっている。

 

「出直して来い」


 その短い言葉は突き放すようでありながらも、どこか手向けの言葉のようにも感じられるものであった。

 妖精は確かにニコリと笑うと、その体は霞むようにして消えてしまった。


「ぅわぁああ!」

 

 余韻を掻き消されたギンタが、無粋な叫び声の出所を睨む。地面に尻餅をついたビヨルドが、その顔に驚愕の表情を貼り付けていた。

 その視線の先で、白目を剝いて血の涙を溢れさせたアグエロが吐血し、バタリとうつ伏せに倒れふした。

 体中の血が流れ出たかと思わされる程の大量の血が、見る見るうちに血溜まりを広げていく。


「妖魔と魂の契約を結んだ者にとって、当然の末路だ」


「ひっ、来るなっ、や、やめろ、離せ。い、息が……」


 地上へと降り立ったギンタは吐き捨てるようにそう言うと、ビヨルドの服の襟を掴んでナズナの方へと引きずって行く。


監獄プリズン】が消えたナズナの許にメグたちも駆け寄り、窮地を脱した安堵の輪が広がっていた。

 その輪の前にビヨルドが投げ出された。


「ギンタ? 怪我でもした?」


「する訳ないだろ、オレ様が」


「そっか、それなら良いんだけど……」


 ナズナは、ギンタがどことなく浮かない顔をしているように見えたが、触れてはいけないという直感に従い口をつぐんだ。

 そんなナズナの様子を見て、自嘲するように嘆息したギンタが言った。


「服を着ているって事は、本物のようだな」


「なっ、当たり前でしょ! 大体ボクは、あんなっ、はしたないマネぜっったいにっ、しないから! まったく、なんであんなのが出てくるのよ」


 ナズナが声高こわだかに抗議をし始めた隙にビヨルドが逃げ出そうと試みたが、その背中をギンタに踏み付けられてしまった。


「あれはオレ様の記憶の表層を読み取って、願望を具現化しただけのつまらん悪戯だ」


「つまらない? なんてもんじゃないよ! たちの悪い悪戯だよ、本当にもう――え!? 願望を、具現化? 願望って……ギ、ギンタ? キミ、ボクに、ななな、何をさせようと……」


 頬を膨らませ、目を吊り上げていたナズナが一転、目を泳がせる。さっきまでの威勢はどこへやら、しどろもどろになって上目遣いでギンタを窺っている。


「何をさせるもなにも、あれは風呂でオレ様に奉仕している時のお前だろ」


「えっ? お風呂? 奉仕……あっ、あぁぁあああ、わかってた、わかってたから!」


 ナズナの顔が一瞬で真っ赤に茹で上がった。

 風呂でギンタの体を洗ったり、一緒に湯舟に浸かっている時の様子を思い出したようだ。確かに、ナズナそのものであった。


「全部わかってたけど、でも言い方っ、奉仕ってなによっ」


「奉仕は奉仕だろ。そんな事はどうでも良い。それよりこの男はどうするんだ?」


「どうでも良くないんだけど」などと恥ずかしさから意固地になっているナズナを余所よそに、足下で呻くビヨルドを見据えるギンタ。

 その顔に、悪い笑みが浮かんだ。

 

「確かお前、人間が壊れていく様を眺めるのが好きだとか、そんな事を言っていたろ? 喜べ、特等席で拝ませてやる。まずはその汚れきった手を、次に足を、一本ずつ順に切り落とす」


「な!? やめろ、やめてくれっ、がはっ! やめて……くだ……さい」


 ビヨルドの言葉尻を捉えたギンタが反射的に足の圧力を増していた。


「遠慮するな、こいつらにお前がやろうとしていた事じゃないか。治癒魔法ならオレ様が掛けてやる、気を失わない程度にな。絶望とやらがどんなものか、その身で存分に味わってから――死ね」


「ギンタ?」


 顔から笑みを消したギンタが、恐怖と苦痛に喘ぐビヨルドを只々蔑む目つきで見下ろしている。

 まるで別人のように剣呑な雰囲気を放つギンタにナズナも戸惑う中、シシリアが声を掛けた。


「お待ち下さい。やはり法によって裁かれるべきかと。とは言え、違法奴隷の密売は極刑ですから、どのみち死罪は免れませんが」


「うん……そうだね。ボクたちに裁く権利はないよ」


 複雑な表情で同意したナズナを見て、シシリアが固い表情を崩す。

 

「まぁ、今までの罪を全て自白してもらう為にも、多少のお仕置きなら見逃されると思いますよ。それから、ギンタ様に関する情報を制約魔法で秘匿した方がよろしいかと。その力が知れれば我が国だけでなく、他国をも巻き込んだ争奪戦は避けられません。もちろん、私たちも制約魔法で縛って頂いてかまいません」


 シシリアから顔を向けられたメグとライアルが、同意を示すように頷いた。


「みんなありがとう。みんなの事は信用しているから。良いよね? ギンタ」


「どうでもいい、好きにしろ」


「ありがとう。ところでライアル、さっきから様子が変だけどどうかした?」


「いやっ、何も見てぅわぁあああ……何でもない……です」


 ナズナから声を掛けられたライアルは、ねじ切れんばかりの勢いで首を横に振ったかと思うと、不自然に視線を逸らせた。その言動が、何もない筈がないと告げている。

 そのどうにもよそよそしい態度をナズナが不思議がっていると、シシリアが溜息まじりに種を明かした。


「あれですよ、あれ。ナズナの裸姿は、年頃の殿方には刺激が強過ぎたのでしょう。しかも五人ですからね。破壊力は凄まじいものがありましたよ」


「ちょっ、お嬢、なにを!?」


「ラ、イ、ア、ル?」


 体をびくっとさせたライアルが顔を向けると、ナズナがにこにこと笑みを浮かべていた。

 笑顔の筈なのに、胃のものがせり上がってくるような緊張感を強いられるそれに「見た目に騙されるな、女は魔物を飼っている」そんな父親の忠言を思い出すライアル。警戒レベルを最大限に引き上げた。


「待って、ナズナ――さん、いやナズナ様っ。全然見ていませんから! 騎士の誇りに誓って別にやましい事は何もっ、そう、騎士であるこの私が、あの程度で取り乱すような事は断じてございませんっ!」


「ふーん、見てないんだ。それで、あの程度――ね。そうだよね、仮にボクの裸なんかを見た所で見苦しいだけだろうしね」


 俯いてしまったナズナにライアルが慌てて取り繕う。


「いえいえいえっ、決して見苦しいなんて事はなく、むしろ拝謁にあずかり恐悦至極と申しますか、恐縮千万と申しましょうか――あっ。いや、そりゃちょっとは、目が勝手にですね……そこは騎士である以前に男の性というやつでして……えっと、ナズナ……様?」


「よし、消そう。ギンタ、記憶を消す魔法ってあるのかな?」


「消すというか、記憶の深層に封印する魔法ならあるぞ? だがどうせなら、こいつの存在を消した方が手っ取り早くないか?」


 ライアルは顔を引き攣らせ「ご冗談……ですよね?」とギンタを窺い見るも、元から人の悪そうな人相をしている為に判断がつかなかった。

 またしてもナズナは背筋の寒くなる笑みを浮かべており、まだ気を失ったままのリーバスは当てに出来ない。薄情な事には、視線が合ったメグから顔を背けられてしまった。


「お、お嬢っ」


 最後の頼みの綱にすがる思いでにじり寄ったライアルに、シシリアの慈愛に満ちた笑みが向けられた。

 ライアルは心の底から安堵すると同時に、これからもお嬢に付いて行こうと決意を新たにする。


「諦めて下さい、ご愁傷様です」 


 爽やかに告げられた死刑宣告にライアルは愕然とする。

 その傍らで、何やらニヤケ顔で気を失っているリーバスは、ある意味幸せだったと言えるだろう。

 そしてなぜか、ライアル同様に顔を蒼褪めさせたメグが全身を震わせていた。

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