第6話 巻き付いた糸

「行くよっ、ギンタ!」


 やれやれ、気持ち良く微睡まどろんでいたというのに邪魔が入った。

 ショボい魔力量で働かされている、こっちの身にもなって欲しいものだ。

 そんな訳でここでの選択は寝たふりの一択。


「おいて行っちゃうよ、ギンタ」


 ……。


「お昼はローストビーフサンドにしようかなぁ」


 ! ……。


「飯屋【霜降り一番亭】」


 !! ……。


「極厚ローストビーフ」


 !!! ジュルッ。


「眠ってるみたいだし仕方ない、一人で行くかぁ」


 ガチャッ、ギィィ――ギィィ、バタン。

 

 ――行ったか? 

 いつもいつも、ハァハァ……オレ様がローストビーフ如きで、ジュルッ……釣られると思うなよ。

 悪魔の誘惑に耐えきった。今日のオレ様は自由だ!


 体を反らせ、凝り固まった背筋を伸ばす。

 これで心ゆくまで惰眠をむさぼれる――盛大にあくびをしたオレ様の視界に、目を細め、口元に薄っすらと笑みをたたえたガキが。

 出て行ったふりかっ、オレ様をたばかるとはなんと姑息な!


「狸寝入りしてもダメだからね」


 勝ち誇った顔で近づくと、オレ様をいつもの様に抱きかかえた。

 こうして、強制連行という逃れられない現実は今日も繰り返される。

 

 それにしても、こいつの目の悪さはどうしようもないな。

 オレ様は狸じゃない。どこをどう見たら、この愛らしさを狸などと間違えるというのか。

 まったく、不愉快で小癪こしゃくなガキめ。



 ☆



 学院は全寮制となっており、訓練は基本的に五日に一度の休日が設けられている。休日は申請書を提出すれば外出する事も可能であった。

 生徒たちは寮でゆっくりして英気を養ったり、気分転換に街に出かけたりと、思い思いの休日を過ごす。


 ナズナは特別な用事がある時を除いて、休日はほぼ教会に顔を出していた。正しくは教会とそこに付随する、ナズナの育った孤児院に。


 教会と言っても、街の外壁沿いに位置する貧困層の居住区にある、古びた小さな教会の方である。荘厳な佇まいを見せる中心区の教会とは比べるべくもなく、みすぼらしい建物だ。


 見えてきた小さな教会の前に、その場所には不釣り合いと言える立派な馬車が停まっている。

 その脇で、この教会のシスターであり孤児院の院長を務める女性と、身なりの良い初老の男が話をしていた。

 ちょうど話が一段落した所にナズナが声をかけた。


「おはようございます、シスター」


「あぁ、おはよう。おかえり」


「おはようございます、ビヨルドさん。お久しぶりです」


「おはようございます。その制服は……第二学院の制服ですね。はて? こんな可愛いお嬢さんが知り合いにいましたかな?」


「久しぶり過ぎて忘れちゃったんですか? ナズナですよ、今年から本院生になりました」


「……おぉ、おお! あのナズナちゃんかい? 近所のガキ大将をやっつけていた」


「もぉ! それ言わないで下さいよ、恥ずかしい」


「いやぁ、あの頃のきみは群を抜いて印象的だったからね。それにしても、これほど女の子っぽくなっているとは、まさに見違えるとはこの事ですね。しかも、学院の本院生ですか」


「女の子っぽくじゃなくって、れっきとした女の子ですよ! 最初からっ」


 ナズナが頬を膨らませて抗議している男は、どうやら昔からの顔見知りのようだ。

 ビヨルドという男は、さり気なく上から下までナズナを見定めるような視線を這わせた。その視線がナズナのふくよかな双丘まで戻り、そこに抱かれたギンタに留まった。


「その、召喚獣? で良いのかな。ナズナちゃんのだよね?」


「はい、ギンタです」


「見た事がない召喚獣だけど、何て種類なんだい?」


「それが、先生たちもよく分からないみたいなんです。たぶん……変異種じゃないかって」


「ほぉ、変異種……しかも、先生方がご存じないと……それはそれは。大切に育てるんだよ」


「はい! ありがとうございます」


 ナズナに優し気な笑みで二度頷いたビヨルドが、シスターへと向き直った。


「それじゃ、シスター。また来ますよ」


「ありがとうございました、ビヨルド様。道中、お気をつけて」


 馬車の扉に手をかけた所で、ビヨルドが不意に動きを止めた。

 ゆっくりとナズナの方へと振り向く。


「あぁ、そうだ、ナズナちゃん。今度、エスタークの街に遊びに来なさい」


「えっ?」


「私の経営している宿泊施設があるからね。招待状を出しておくから、なんならお友達も連れておいで」


「良いんですか!?」


「あぁ、良いとも。将来有望な本院生さんたちと伝手つてを持っておきたいと、常々考えていたんですよ」


「それが狙いですか、ふふっ」


「そういう事です。私は商売人ですから、これも投資というやつです」


 ビヨルドがぱちりと片目を瞑り、口元に楽し気に笑みをたたえた。


「分かりました。では、友達と相談しておきますね」


「きっと楽しんでもらえると思いますよ。それではまた」


「はい、お気をつけて」


 ビヨルドが乗り込んだ馬車が動きだし、次第にその姿が小さくなっていった。




 馬車の中で天幕を見上げるビヨルド。


「ふっ、はははっ。――あぁ、本当に楽しみだ」


 下卑げびた笑いを浮かべた口から、思わずといった様子で言葉を漏らす。

 何も知らないナズナは、馬車が見えなくなるまで見送っていた。

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