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 決意を胸に燃やし、いざ鍛錬へ向かわん、と意気込んで掛布をまくり上げれば、まなじりを吊り上げたレスタにぴしゃりと一喝された。


「今のアーキェルに必要なのは、休んで身体を治すことでしょ? 鍛錬はそれから!」

「別に、身体ならへいきだよ。ぼくが丈夫なことは、レスタが一番知ってるだろ」


 不満を滲ませてじとりと見つめるも、眉を逆立てたレスタは、険しい表情を崩さなかった。


「そんなむくれた顔しても、だめなものはだめ。……早く強くなりたいっていう、アーキェルの気持ちはわかるよ。でも、がむしゃらに行動に移すんじゃなくて、まずはどうやったら強くなれるのかを考えてみたら?」


 反発しようと開きかけた口を、ぐっと引き結ぶ。悔しいけれど、レスタの言葉は、痛いところを突いていたからだ。


(確かに、やみくもに体力をつけるだけじゃ、強くなれないか……。そもそも、身体を鍛える以外に、どんなことをしたらいいんだろう?)


 脳裡を過ぎったのは、為すすべもなく男に足を払われ、大地に叩きつけられる自分の姿。どうすればあの攻撃を避けられたのか、反撃に出ることができたのか、今の自分には見当もつかなかった。


(そうだ。……ぼくは、戦い方を、全く知らないんだ)


 何をすれば、あの盗賊たちのような襲撃者の暴虐から、街の皆を護れるのか。黙り込んだ自分を見て、レスタはそっと息を吐いた。


「……クロムの街で、一番強い人に訊いてみたらいいんじゃない?」


 ぱっと顔を上げると、レスタは苦笑を浮かべていた。同い年のはずなのに、レスタは時折、はっとするほど大人びた表情を見せるようになった。

 ――それはきっと、セナを喪った、あの日から。


「そうだね。……レスタの、言うとおりだ」


 大人しく掛布にくるまって横になった自分を見て、レスタは満足げに微笑んだ。


 ようやく張り詰めていた気が緩んだのか、やがて寝台にもたれるようにして、レスタはすぅすぅと穏やかな寝息を立て始めた。蒼白い瞼の下に色濃く刻まれたくまを、そっと親指でなぞる。

 心配をかけて悪かったな、と胸を痛めながら、静かに身体を起こした。そのはずみに男にやられたみぞおちが鈍く痛み、思わず顔をしかめる。

 ……ばれたら確実に怒られるな、と肝を冷やしつつ、眠るレスタの身体の上にそろりと掛布をかぶせ、息を殺して部屋を抜け出した。


 ――行く先はもちろん、ギルじいさまの家だ。




「おや、アーキェルじゃないか! お前さん、身体は大丈夫なのかい? こっぴどく悪党どもにやられたって聞いてるがね」

「うん、もうだいじょうぶ」


 ギルじいさまは振るっていた金槌を作業台に置いてから、大きな丸眼鏡をくいっと持ち上げた。――いつも柔和に笑んでいる薄青の瞳が覗き、こちらの体調を案じるかのように、きゅっと細められる。


「どうにも、お前さんの〝大丈夫〟は信用ならんからなあ。……それで、今日はどうしたんだい」

「……ぼくに、戦い方を教えてほしくて」


 単刀直入に本題を切り出した途端、ギルじいさまのまなざしがすっと鋭さを帯びた。どうして戦い方を知りたいのか、と静かな声で問われ、凛と背筋を伸ばす。深く息を吐き、抱いた決意を口にした。


「みんなを、護れるようになりたいから」


 その応えに込められた、覚悟のほどを見透かすような視線を、怯むことなくまっすぐに受け止める。ぴりりと肌が痛むような緊張感がにわかに漂う中、ややあってから、ギルじいさまがぽつりと呟いた。


「……強くなるのは、良いことばかりではない。強さは、さらなる戦いを引き寄せる。それでも構わないのか」


 ギルじいさまが何を言わんとしているのか、完全に理解できたわけではなかった。それでも、これから自分が歩もうとしている道は、苦難を極めるものなのだということだけは、はっきりとわかった。


 あるいはギルじいさまが言う通り、自分が強くなることで、新たな戦いを引き寄せてしまうのかもしれない。……それでも。


 ごくりと息を呑み、一生懸命に考えて――今の自分の想いを、ありのままに告げた。


「本当は、誰とも戦いたくない。誰にも、傷ついてほしくなんかない。……だから、相手に怪我をさせないくらい、強くなりたい。自分も相手も護れるくらい、強くなりたいんだ」


 呼吸すら憚られるような、重い沈黙がシンと降り積もり――やがてギルじいさまが、にやりと口の端を上げた。


「まったくもって、救いようがない甘ちゃんだな! ……だが、実にお前さんらしいよ」


 武骨な手で頭をわしわしと撫でられ、真意を図りかねて目を丸くした自分を見て、ギルじいさまは苦笑混じりに続けた。


「強くなれるかは、これからのお前さん次第さ。……ただ、自分がなぜ強くなりたいのかだけは、忘れんようにな」


 束の間薄青の瞳を過ぎったかげりの理由を、苦さの滲んだ笑みの意味を、その時の自分は、知るよしもなかった。

 ――元々は領城の剣士であったというギルじいさまが、なぜこの街に逃れてきたのか、ということも。




 最初は、目を鍛えることから始めた。相手が次にどんな動作を仕掛けてくるか、何を狙っているのかを察知して、その裏をかくのだ、と。――言葉だけ聞けば簡単に思えたが、これが実に難しかった。


 動きの型を習うべく、ギルじいさまに朝から晩まで転ばされ、身体には常にあざや擦り傷が絶えなかった。それでも月日を重ねるうちに、いつしか打撲の痕は少なくなり、やがて生傷を負うことはほとんどなくなった。


 雨が降ろうと、雪に凍えようと、雷鳴が鳴り響こうと、一日も休まず鍛錬を続けた。努力を重ねるうちに、自分が目指す道は、どれほど果てしないものなのかということを、改めて嫌と言うほど思い知った。そのあまりの遠さに打ちひしがれた時も、それでも一歩ずつ進むしかない、と歯を食いしばり、ひたすらに前を向いて鍛錬に励んだ。


 師もなく修行と勉学に打ち込むレスタの存在も、大いなる助けになっていた。家事の手伝いをこなしながらも、空いた時間を全て医術と魔法の習得につぎ込むその姿には、何度心を奮い立たされたかわからない。


 黒鋼石を狙う夜盗に、手酷くやられた日もあった。山賊の襲撃に全く歯が立たず、打ちのめされて地面に這いつくばった日もあった。


 それでも、立てた誓いを投げ出そうとは思わなかった。――レスタが信じてくれた自分を、己が諦めるわけにはいかない、と何度でも顔を上げ、立ち上がった。




 懸命にもがくうちに、いつしか数年の時が過ぎた、とある日のこと。

 顔に刻まれたしわが一層深くなったギルじいさまに呼ばれ、一振りの剣を手渡された。おそるおそる黒い鞘から刀身を引き抜いてみると、夜空を映しとったような色彩の刃が現れ、知らず驚嘆の声が零れる。


「これ、……黒鋼石の?」

「ああ、そうさ。わしの最高傑作だよ」


 誇らしげな笑みを浮かべたギルじいさまの目を、まじまじと見つめる。すさまじい硬度を持つ黒鋼石を、これほど精緻に加工したものは、未だかつて目にしたことがなかった。それどころか――。


「……もしかして、白剣と全く同じ形をしてる?」

「ご明察!」


 にんまりと片頬を上げ、よくぞ気付いてくれた、とギルじいさまは相好を崩した。


「お前さんも、ちっとばかし珍しい代物を、普段から敵に見せたくはなかろう? まあ、切れ味は白いほうに劣るかもしれんが、硬度ならお墨付きさ」


 その言葉に秘められた思いやりに、はっと胸を衝かれる。……いったいこの剣を作り上げるまでに、どれほどの歳月を要したのだろうか。

 ずしりと重い新たな相棒を、震える両手で捧げ持ち、深く、頭を下げた。


「――ありがとう、ギルじいさま」


 なに、大したことじゃあないさ、とひらひら手を振るギルじいさまは、嬉し気に眼鏡の奥の薄青の瞳を細めた。




 初めて盗賊たちが悪態を吐きながら去って行った時、自分の胸に真っ先に込み上げたのは、どうしようもない後味の悪さだった。

 相手の胴を打ち据えた瞬間に抱いた、生理的な嫌悪感。掌にへばりついた、鈍い衝撃と感触。苦悶に歪む相手の顔が、目を閉じても瞼の裏から離れない。

 唇をぐっと噛み締め、ひりつくような罪悪感にどうにか耐えようとしていると、不意に後方から馴染みのある声が飛んできた。


「ようやく敵を追い払ったというのに、浮かない顔じゃあないか」

「……おれは、まだまだ弱いんだな、と思って」


 自分はまだ、相手を傷つけないだけの強さを持ち合わせていない。――同時に、街の皆を護るということは、すなわち相手を打ち負かすことなのだ、という当たり前の事実に、今更ながら思い至って。

 背後に佇んでいたギルじいさまに向き直り、堪えきれずに自分の弱さを吐露する。するとギルじいさまは、いつか見た覚えのある、苦い微笑みを浮かべた。


「お前さんの目指すところは、夢みたいなものだからな。――だが、お前さんなら辿り着くことができると、わしは信じているよ」


 意志の強さはもう知っているからな、と呟いたギルじいさまは、今度はにんまりといわくありげな笑みを湛えて、くいっと背後を指差した。


 ――血相を変えてこちらに駆けてくる、レスタの姿を。


「それに、お前さんは独りじゃない。そうだろう?」


 ともに肩を並べて戦わん、と追ってきてくれた幼馴染の姿を、ただひたすらに胸を震わせて、見つめた。


 ……そうだ、自分はもう、独りではない。

 たとえ、自分だけでは及ばずとも――頼もしい相棒となら、きっと何だって成し遂げられる。




 独学で魔法士になったレスタとともに、他の街での仕事をぽつぽつと請け負うようになった頃――自分たちは、街にほど近い草原の只中で、生まれて初めて龍と邂逅した。


『――同胞なかまの匂いがする。……わたしの同胞を傷つけたのは、お前たちか?』


 降り注ぐ陽光をはじいてきらめく、豊かな白金の鬣と毛並み。複雑に色を変える、深い黄金の瞳。

 雄々しくもどこか優美な印象を与える四本の脚は、前の二本の方が、やや細く短い。鞭のようにしなる尾は、その心の裡を表しているかのように、高々と持ち上げられていた。


(……これが、竜族)


 異国の歌声のような響きに、鼓膜が、肌が、びりびりと震えた。本能が畏怖せよ、逃げろ、と警告を発している。それでも――目の前の生き物のあまりの神々しさに、視線すら逸らせなかった。


『答えないなら、それでもいい。どのみち人間は滅ぼすまでだ』


 猛々しい眼光に貫かれ、ようやく本能の叫び声が脳まで届いた刹那、思考よりも先に、白剣を振り抜いていた。


『なにっ?!』

「――え?」


 背後のレスタが、驚愕の声を上げる。――おそらく自分と同じく、我が目を疑っているのだろう。


(……魔法が、消えた?)


 滝のごとく押し寄せてきた水流が、まるで白剣に断ち斬られたかのように、目の前で忽然と消え失せたのだ。――だが、それは今、理由を追求すべきことではない。

 いち早く我に返った自分が駆け出し、大地を強く踏み込んだ瞬間、急激に足元が隆起する気配があった。……どうやらレスタも、気を取り直したらしい。


 柱のごとく地面から飛び出した足場を蹴り、その勢いのままに宙へと跳び上がる。敵を噛み裂かんと開かれた赤い洞穴のような口が、鋭い牙が、瞬くうちに視界を覆ってゆく。濃厚な死の気配が、粟立つ肌を撫でるのを感じながら――


 レスタの風魔法の援護がなければ、到底成し得ない躱し方だったろう。紙一重で閉じられたあぎとが空気を切り裂く音を背景に、鼻面の上を一息に駆け抜ける。透きとおるような黄金の双眸が、大きく見開かれ――振りかぶった拳を、眉間に全力で叩きこんだ。


『――――!』

「…………っ!」


 直後、黒鋼石を思い切り殴ったような痛みが、拳から肩まで突き抜けた。


(なんだ、この硬さ……!)


 これは尋常の硬度ではない、と顔をしかめた瞬間、横から伸びてきた尾に身体を絡めとられた。


『ようやく捕らえたぞ、うっとうしい羽虫めが。――貴様、どうやって、私の魔法を消した?』


 締め殺される、と確信したその時、不意に龍の頭がぐらりと左に傾いだ。訝しむ間もなく尾の力が緩んだ隙をつき、大地目掛けて飛び下りる。


(……レスタか!)


 どうやら、先に隆起させた土の柱をむりやり捻じ曲げ、龍のこめかみ辺りに叩きつけたらしい――と推測しながら落下していると、地表付近でふわりと何かに包まれる気配があった。馴染みのあるこの感触は、レスタの風魔法に違いない。


「アーキェル、大丈夫?」


 ささやくようなレスタの声は、わずかに震えていた。視線を向けずに頷くと、レスタがほっとしたように息を吐いたのがわかった。


『……アーキェル?』


 苦し気に目を細め、唸るように龍が呟いたその言葉は――なぜか、自分の名の響きに、とてもよく似ていた。


『黒髪の、アーキェル……そうか、〝約束の地クロム〟は、この近辺にあると言われているのだったな』


 龍が全身に漲らせていた戦意が、突然ふっと緩んだ。急激な雰囲気の変化に戸惑いを隠せないまま動きを止めると、不思議な光を双眸に宿した龍は、まるでこちらに語りかけるかのように、何事かを口にした。


『龍は恩を忘れない。――癪に障るが、その名に免じて、見逃してやる』


 ばさ、と黄金の毛並みに包まれた美しい翼を広げ、羽ばたいた――と思った瞬間、龍は軽やかな弧を描いて、遥かな蒼穹へと飛び立っていた。

 周囲の草木が激しくざわめく音を聞きながら、レスタと二人、青い空に溶け込んでゆく金色の影を、いつまでも見上げていた。




 それから、流れるように歳月は過ぎて――けして忘れ得ぬ日が、訪れる。



 細い、喉に絡むような呼吸に掻き消されそうな声を聞き漏らすまいと、必死にレスタの父の口元に耳を寄せる。


「お前が、……おれたちの、息子に、なってくれて……本当に、よかった。……レスタとリズィを、……みんなを、頼むぞ」

「任せて、父、……さん」


 溢れる涙を、堪えることはできなかった。ぼろぼろと頬を伝う涙を拭いながら、どうか安心してくれますように、と無理矢理に両頬と口角を上げた。

 驚くほど熱い指が、自分の手に重なる。レスタの父は、今にも閉じそうな瞼を懸命に持ち上げて、寝台の周りに集まった家族の顔を、慈しむようにゆっくりと見渡した。


 そして、静かに、瞼が降りていくのを――ただ、感謝の言葉だけを捧げながら、見守った。



「……ありがとう、父さん。おれも、あなたの息子になれてよかった」



 身体を中心から引き裂かれるような痛みを、叫び出さずにはいられないほどの哀しみを、そして胸を焦がすほどの、強い、強い、少年の決意のすべてを――



 まばゆい光の奔流のごとく流れ込む想いの強さに、圧倒されながら。



 ――白銀の少女は、知った。




「……リエ?」


 気付けば薄暗い寝室は跡形もなく消え失せ、視界には鮮やかな新緑と、雲一つない蒼穹が広がっていた。

 とても長い間、水の中に潜っていたような心地だった。ぼうっとする意識を覚醒させるように深く息を吐くと、嗅ぎ慣れた草木と土の匂いが、ふわりと肺を満たした。

 けれど、頬をそよそよと撫でる風の涼やかさも、やわらかな大地の感触も、まるで薄い膜を隔てているかのごとく、どこか遠くに感じて。


「――シェリエ!」

「シェリエさま!」


 自分の名を呼ばれたその瞬間、夢から目を覚ましたかのように、急速に状況を思い出した。世界が輪郭を取り戻し、焦った様子で両肩を掴んで顔を近付けてくる若草色の瞳の娘と、忙しなく瞳を瞬かせているシュリカの姿を、ようやく認識する。


「……ねえ、ちょっと、ほんとに大丈夫?」


 少年の相棒たる娘の面差しは、垣間見た記憶の中よりも、ほんの少し大人びているものの――労わりと勇気に満ちたその双眸の輝きは、全く変わっていない。


「……どこだ」

「え?」


 真意を捉えかね、シュリカと同じ早さで瞬きをするレスタ。察しの悪さに若干の苛立ちを覚えながら、ぶっきらぼうに言葉を続けた。


「同胞の遺骸が眠る場所だ。――


 ようやくこちらの意図を悟ったレスタが、呆然と呼吸を止める。若草の瞳にみるみるうちに驚きが浮かび、間もなくその双眸からぽろぽろと涙が零れ落ちた。


「……ありがとう」


 掠れた声で告げられた感謝の言葉に、かすかに胸の中がさざめいた。今まで抱いたことのない不思議な感情に戸惑いつつ、さっさと向かうぞ、と慌てて顔を背けた。

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