9 「違う。勇者を殺すのだ」

「あぁん? 魔力がどういう風に仕込まれたのか?

 そりゃおめー、人間が酸素や食いもんの栄養をどうやって取り込んでんだってレベルの内容だぜ?」


 あれから更に数日後。それはシオンの魔力を除去するためのヒントを得ようと、ようやく姿を見ることが出来たキールを掴まえた後の返答だった。

 密談の場所はもちろん俺の部屋である。わざわざシオンの居るリビングで話す必要もあるまい。


「酸素だろーが魔力素だろーが生物に対する役割は同義よ。ただそれぞれン世界にあるかねーかってだけの話だろ」


 両腕の根本を竦めるようにしながらも、何やかんや面倒見の良さを垣間見せてくるキールはその後も説明を続けてくる。


「そら要素が異なりゃ体内の作りくれーは違ってくるんだろーが、あたしらが今もなおこうして生きれてるっちゅーことは、実際大差ねーと思うぜ」

「飯さえ食えれば栄養を魔力素ってやつに変換出来るのも変な話だがなぁ」

「いや同じだろ。おめーらが飯食って生命活動を維持しているのと何の違いがあるよ。だから前提として、身体の創りがちげーって言ってんのさ」


 まぁ確かに。その辺りの話をされれば、こちらの概念では説明しようにも難しいだろう。無いものは無いとしか言い様がないんだからな。


「んで、それを加味して魔力をどうやってって話だけどなぁ。うーん」


 そこまで言い、キールは両腕を滑らせ前で組むと何やら難しい表情をして黙りこくった。


「ぶっちゃけどうにもならん。だって魔王様の魔力だぜ?

 ンなもん取り外そうとすりゃー、まずあたしの身体が持たん」

「あいつは簡単そうにセバスチャンの魔力を吸い込んでたけど」

「……おめーは本当に、魔王様を舐めてんなぁ」

「そりゃお前らの世界での魔王とやらを知らんしなぁ」


 一拍置いて呆れたような溜息を吐いたキールに、こちらも鼻を鳴らして応えてみせる。


「おめーがいくら思おうが勝手だけどよー、魔王様はこっちの世界じゃ生物の頂点に君臨する御方だぜ?

 そもそものがちげーんだよ。魔王様の言う少しと、あたしらのそれを同列に語る方が間違ってんだ」


 俺のぞんざいさに若干の苛つきでも覚えたか、ムスッとした面持ちでキールが言う。


「おめーら人間がミジンコならあたしら魔族は犬っころ程度、魔王様は太陽くらい力量に違いがあらぁ。

 プロミネンスばりに迸る魔力を、そんなあたしらがどうやって受け止めんだって話よ」

「えぇ、そんなに差があんの?」

「例えよ例え。それくらいの方が分かり易いだろー?」


 やや極論じみてる気がしなくもないが、当然のようにそこまで言われては中々に反論し辛いものがある。


「……まぁ、お前らじゃシオンの魔力をどうこう出来ないって事は良く分かった」

「わかりゃーよろしい」


 あくまでもシオンにやられたのが癪だという気持ちの問題であって、今の所すこぶる体調が良いのは変わりない。同じ魔族の彼らでも対処し切れないのなら、この話はひとまずここで落ち着かせるのが得策か。

 ちなみにキールより先にセバスチャンにも確認していたのだが、セバスチャンには「無理です」と一蹴されて終わっていた。


 いずれシオンの気が変わって魔力を回収される、という有りそうで無さそうな微かーな希望を持ちつつ、此度の話はこれで終いとする。

 ……その前に、俺の身体が破裂でも起こさなきゃ良いんだがな。


「そういやお前。元はどっちの姿が正解なんだ?」


 相も変わらず気ままに宙を漂う姿を眺めながら、頭の切り替えを果たした俺は素朴な疑問をキールに投げてみる。


「んー? 今の姿が正解だけど?」

「綿菓子がか?」

「ちゃうわい綿菓子じゃねーつってんだろいい加減しばくぞ」

「いやほら他に例えようがねぇんだよ」

「例えなくてええっちゅーねん!」


 文字通り目を三角にしてツッコミを入れてくるキールである。


「じゃああのハンカチ状態は何なんだよ」

「ありゃ謂わば休眠状態の姿よ。魔力消費を抑える時とか便利なんだぜアレ」

「だから何故ハンカチ?」

「そりゃあが良いからに決まってんだろ」


 なるほど。ますますこいつの生態が掴みきれん。


「あたしにすりゃ何だって良いのさ。

 今回はセバスのポケットん中が丁度良いからそうしてるだけで、別に魔王様の衣服に化けてても構わんのよ」

「何となく犯罪臭がするから止めた方が良いな」

「それでも男かてめー! そこはロマンがあるなーとか言うべき所やろがい!」

「前々から思ってたけどお前の言動おっさん臭いぞ」


 そもそもこいつに性別という概念はあるのだろうか。


「ま、実際そんな事したらセバスに殺されちまいそーだし、やらんけどなー」

「あいつの過保護っぷりは若干引くレベルだからなぁ」

「セバスにも色々あんのよ。その辺はあまりつついてくれるな人間よー」

「へぇ。魔族にもそんな感傷があんのか」


 とはいえ今まで共に暮らしてきた中で、彼らが人並みの感情を持っているのは承知済みだ。むしろそこに関しては人間と大差無く、こうして話をするだけなら違和感すら覚えないほどに。


「おめーはあたしらを惨忍で冷酷無比なナニかだと勘違いしないかね?」

「少なくとも、空想上の世界じゃそのように設定されてるからなお前らは」


 ゲームに然り漫画や小説でも、基本的に魔族は人間にとっての驚異なり得る存在として、その性質を悪性の方へ振られているのが大半だ。


「あたしらから見ればおめーらの方が悪役なんだぜー? 

 なーにが正義だ勇者だっちゅうねん。こちとら魔王様の元で平穏に暮らしてただけなのによー」

「その魔王が悪さしてるからやっつけに行くんだろ」

「んなもん正当防衛じゃい!」

「……あー、やめやめ。この話はこれ以上しない方が良さそうだ」


 こればかりはおそらく平行線。どっちの言い分が正しいのか、天秤が振れる事はないだろう。人間には人間の、魔族には魔族の正義がある。

 当然双方が争う事になった原因は必ずあるはずなのだが、それが正しいのかすらも蓋を開けてみなければ分からない。

 シオン達の世界は果たして、どちら側が諸悪の根源だったりするんだろうな。


 未だブツブツと不平不満を漏らすキールを軽く叩いて正気に戻し、話を逸らしてしまった事を詫びる。


「わりぃ、俺のダメな癖が出ちまった。喋りやすい奴が相手だと、どうしてもあっちこっちと話題が弾んじまう」

「……まー、あたしも余計な事を喋っちまう癖があるしなー。こっちの人間に言っても仕方ねーわな。いやぁめんごめんご!」


 だから後半のそれがおっさん臭いんだよという言葉は置いておき、会話の流れを再び戻す事にする。


「最近お前、ハンカチになってる時が多い気がするんだが。もしかして魔力が無くなりかけてるとか?」


 当初に比べ、セバスチャンのポケットに収まっている事が多くなっていたキールに、もしやと思っていた事を口にする。


「いや? 別にそんな事ねーけど」

「ないんかいっ」


 即刻否定されて出鼻を挫かれてしまった。


「あたしらも帰らにゃいかんから、魔力を貯めてるのさー」


 かと思えば予想外のことをあっさり言われ、驚きと戸惑いの混じった表情を浮かべてしまった。


「帰るって、宛はあるのか?」

「何とかなー。伊達に永年賢者しとらんぜ」

「なにそれ初耳」


 こんな綿菓子が賢者とは世も末……ではなく。


「……その事は、シオン達あいつらは知っているのか?」


 なぜかそんな事を口走ってしまっていた自分にも驚きを隠せない。

 これじゃあまるで、俺がこいつらに未練でもあるかのようではないか。


「知らねーよ? だってまだ言ってねーもん。

 転移先の軸がはっきりしたら教えるつもりじゃいるけどなー」

「へ、へぇ」


 なるたけ平静を保ったまま答えようにも失敗していたらしく、キールはこちらを見るや否やからからと笑い声を上げる。


「えーーっ、なになに、もしかして寂しかったりー?」

「ばっかお前、そんな訳あるかっ! ようやく居なくなるのかと思って清々してるとこだわ!」

「もー素直じゃねーなぁ。

 分かるぜー。何やかんやでしばらくと、おめーは魔王様と暮らしてきたんだし? 情が移っちまったんだよなー? うんうん分かる分かるぅ」

「うっせぇっ、はよ帰れっ」

「あーあーやだねぇ、これだから素直になれない大人はが悪いったらありゃしねー」


 売り言葉に買い言葉を繋げていく俺に、キールはからかうように周りを飛びながら答えていき、やがて眼前で動きを止める。


「あたしはもう一週間くれー、魔力を貯めるため、軸を固定させるために休眠に入るからよー。

 ちゃあんと魔王様に別れの挨拶くらい済ませときー」


 言うが早いかキールはそう告げながら部屋を後にしていった。対して俺はその背に声も掛けることは出来ず、ただ黙って見送るのみ。


 ……いやいや、突飛な話にも程があるだろう。

 無論、あいつらが帰る事については大が付くほどには賛成である。シオン達はやはり、こちらに居ていい存在なんかじゃないからな。

 このままこちらに居着いてしまっては、何時か絶対どこかでが出る。というかあの魔王の事だ、自らそれをバラしてしまう可能性すら有り得る。俺だって正直、いつまでも隠し通せる自身は無い。

 そうなってしまった場合、忌避の目を受けるのは恐らく間違いないだろう。

 最初は興味だけかも知れん。或いは手品さながらの魔法に感嘆とする輩も居るかも知れん。だが人間とは違う異質な力を持っている以上、最終的に向かれるのは恐怖という感情であるはずだ。自分と全く異なる存在に恐れを抱くのは、人間の本能だから。

 それを受けたとして、開き直ってしまった魔王がどのような暴挙に出るのかも分からん。ましてや俺なんぞがそんな状態になったシオンを止められるか、なんて事は出来やしまい。

 どうあがいても俺はただの人間でしかない。太陽に立ち向かおうものなら、近付くだけで塵も残らず燃え尽きてしまうのがオチだろう。


 仮にあの幻術の世界が現実となってしまったら人類の歴史はきっと、紀元前の状態からやり直す羽目になる。


 ただ、それでも。キールの言う通り、あいつがとんでもない力の持ち主だったとしても。魔王だったとしても。

 シオンと共に過ごしてきたこの二ヶ月弱は決して、俺にとって悪いものでは無かったのだ。箱入り娘への教育だって、これからだったのにな。


「……まだ引っ越ししたばっかなんだぞ……あのバカ……」


 誰にともなく、一人呟くのだった。


******


 それからと言うもの、身体の調子に反して足取りの重たい日々が続く。

 仕事には復帰すれど未だ本調子とは言い切れず、しょうもない事でミスをしてしまったりと、我ながら情けない様子を晒してしまう。

 両頬を引っ叩いて気合を入れ直し、仕事に専念しようとするも上司には見抜かれていたようで、治っていないなら無理はするなと退勤の指示が出てしまった。

 せめてやるべき事はと段取りを済ませた後、各所に頭を下げて早退をする。


「……情けねぇな。まじで」


 そうぼやきながら会社を出た時間は、午後の十二時を過ぎた頃合いであった。

 空は薄暗く、建物の遥か遠い上空には灰色の雲がどこまでも広がっていた。


 予想以上に気持ちの整理が付かず、帰路に着く足がやたらに重い。

 マンションに帰りたくないとすら思えてしまう自分の未練がましさが嫌になりつつも、気分転換さながらにあちこちと寄り道を続けていく。

 それまで考えていた事と今考えている事のさは、何として答えればいいのか。あれほど迷惑を被っていたはずなのにな。

 例えるなら、拾った子犬に愛着が湧いてきた途端、元の飼い主が連れ戻そうとしてきたって塩梅だろうか。

 ……気付けばコンビニで缶ビールを買っていたなどと、センチメンタルにも程がある。


「まぁ、たまには良いか」


 近くで見つけた公園のベンチに座り、普段それほど飲まないお酒の蓋を開けては呷るように飲んでいく。


「……そもそも何でこんな事、俺が考えなきゃならんのだ」


 アルコールが胃に入り込んで間もなく、頭の先から熱が入ったように身体が暖かくなり、結ばれていた口も緩んできた。


「元はと言えば、勝手に居候してた奴が勝手に帰るだけだろ」


 思い返すだけでも馬鹿らしくなってくる。

 『魔王が現れた!』だなんて突拍子のない登場をして来ては、外に出れないと知るや同じアパートに住まわせてやり、世間知らずの言動で日々こちらを困惑させてきた褐色の美女はその実、生まれてまだ三ヶ月ときたもんだ。

 魔王だ女だと、ろくに教育もされていない箱入り娘を、誰が今まで面倒を見てきてやったと思ってやがる。

 ネクタイを引っ剥がし、身体から熱を逃がすようにシャツの首元のボタンを外す。


「人の人生数ヶ月を好き勝手に荒らしといて、帰る目処が着いたからハイサヨナラってか? 冗談じゃねぇぜ」


 冗談はあの幻術だけに留めて欲しいもんだ。

 そういや、あの時の姿が本来の物だったか。すげーよな、白髪で角が生えてて、目から変なオーラまで出してんの。まるでアニメの世界観だぜありゃ。暗色のドレス姿も妙に様になってたし。まぁめっちゃ怖かったけどな。


「ていうか俺ん中に残った魔力はどうするつもりだ? まさかそのまま放置って訳……いやあるな。あいつの場合」


 自然消滅してくれるならまだしも、セバスチャンやキールが除去は無理だと即答するほどの物だ。どれほどの量が入り込んだのかは知らんが、これも当然悩みの一つだと言えよう。

 「身体の中に魔力があります」とか言って、どこぞの病院にでも行って臨床研究に志願してみるか? って笑われて追い返されるわこんなもん。


「さすがにあいつが帰るまでには、何とかしてもらわんとなぁ」


 火照ってきた体躯をベンチに預け、だらしなく足を広げる。

 だいぶ酔ってきたらしい。元々アルコールに強くないのもあるし、思えば、こうして酒を飲むのも久しぶりだったから尚更だな。


「ははっ、こうして踏ん反り返ってるとあいつみてーだ。人の座椅子を占拠して、いっつもこんな感じで座ってんだよなあのバカは」


 目を瞑ればそんな姿が瞼の裏に浮かんできそうだ。ともすれば頭の中で「何をボケッとしておる。余の為に疾く飯を献上するがいい」などと聞こえてくる。

 全く、記憶の中までも可愛げの無い奴だ。


「おい」

「……はいはい、机の上を片したらな。あんまり我侭抜かしてっと、また、没収すんぞー……」


 まどろみ始めた中で聞こえてきたシオンの声にいつもの調子で答えると、ベンチの背に後頭部を乗せたまま、記憶の中に居た彼女の元へ小言を述べに行ったのだった。


 ──はずなのだが。


「おい起きろ貴様」

「ぶふぇっ!」


 突然、左頬に強烈な衝撃と痛みが走り、半ば強制的に目を覚まさせられてしまう。


「いってぇっ!? なにっ、えっ!? 何事!?」

「何事、じゃないわ戯けが。真っ昼間からそんなみっともない姿で何をしておる」


 眼前に現れていたのは、ダークグレーのスウェットにサンダルを着こなしたシオンの姿であった。振り切っていた右手を戻して腕を組んだシオンは、仏頂面でこちらを睨んでいる。


「これは酒か? なんだ貴様、一缶と飲み終えてないのに潰れておったのか」


 ベンチに置かれていた缶を手に持って鼻に近付けると、その匂いに少し顔をしかめて突き返してくる。


「……弱いんだから仕方ないだろ」


 それを受け取り、四分の一ほど残っていたビールを胃の中に流し入れた。しかし未だに慣れない喉越しは寝ぼけた身体に驚かれてしまったようで、その場で咳き込んでしまう。


「くくっ、格好の悪い奴よのう」

「うっせ……それより、何でお前がこんな所に居んだよ」

「それはこちらの台詞ぞ。貴様こそ職務を放棄して、こんな所で何をしておる」

「誰かさんのせいでまだ体調が優れなくてな。早退させられたんだよ」

「ほう、それは難儀であるな。さっさと治して余の為に働くがよい」


 俺が抱いている感傷なぞ知る由もないであろうシオンは臆面もなく言い放ち、ベンチの空いた方へと着いた。


「ったく、誰のせいでこうなったと」

「余はこの場所が好きでな。昼餉を食った後は良く此処に来るのだ」


 恨みがましく突っ込もうとすれば、シオンは勝手に一人語りを始めた。


「此処は緑が多い。が立ち並ぶ無機質な景色とは違い、不自然ながらも自然に満ちておる」


 辺りを見渡せば、半径五十メートル程度の広さであるこの公園には確かに緑が多く彩られていた。周囲を囲う木々の中には芝が植えられており、その景色の邪魔にならないよう、俺達が座るベンチが端々に点在しているだけの小さな公園だ。

 何の気無しに訪れた場所だったが、こんな所が近くにあったなんて気付かなかった。


「ちょうど今の時間帯は人間がおらんのだ。今日は、要らぬ訪問者が居たようだが」


 横目でこちらを一瞥したシオンは、視線を正面に戻しながら続けた。


「人間どもによる煩わしい喧騒から離れ、余がこの世界で息を吐く事の出来る、数少ない場所とも言えよう」


 そう言って頬を緩めた横顔は、とても魔王とは呼べないような、年相応の面持ちであった。


「……やっぱり、元の世界に帰りたいのか?」


 シオンの表情にどことなく郷愁を感じてしまった俺は、そこで彼女の本心を改めて尋ねてみる。

 するとシオンは緩めていた頬を引き締め、しっかりと頷いて見せた。


「当然であろう。余は魔王である。余には成さねばならない事がある」

「人間を滅ぼすってか?」

「違う。勇者を殺すのだ」


 どの道物騒な話に変わりないが、思惑に若干のズレを感じた俺は淡々と述べるシオンに続く。


「勇者だけか?」

「そうだ。勇者さえ殺してしまえば他の人間など驚異に値せん。

 そして次に勇者となる者が生まれるまでは、我ら魔族にもしばしの安寧が訪れよう」


 ……まるでその勇者一行が言いそうな事を。

 この話は先日キールとしたものと同じもので、つまるところシオンはやはり、どちらかと言えば主人公側の立ち位置に居るのだ。もちろん勇者側もそうだろうが。


「魔王と勇者、そして我らに属する者どもは相反する存在である。どちらか一方が滅びない限り、終わりはない」

「共存って方法はないのか?」

「馬鹿を言え。その結論に至るには余りにも血が流され過ぎている。

 血で血を洗う戦が、何千年続いていると思っておるのだ痴れ者め。無知は罪では無いが、吐く言葉くらいはもっと考えよ」


 ぐぅの音も出なかった。その途方も無い年数を聞けば、自分の意見が如何に短絡的であったか思い知らされる。

 人類でさえ世界を股にかけた戦争を起こしていたのは、せいぜい数十年から百年規模のものでしかないのだ。一部では三百年弱と続いた争いもあるらしいが、それは例外として聞く他ない。


「先祖代々流してきた血と、聞き及んできた憎しみはさらなる憎悪を生み出す。長らく苦しみ、死んでいった者達の事を偲んでやれば、もはや後戻りすら叶わぬ」


 シオンはそこまで語ると、溜息を一つ漏らす。


「余はな、歴代魔王の記憶を連ねて生まれたのだ」

「……は? それってどういう……?」

「文字通りの意味である。

 全く愚かな先代どもよ。奴らは勇者らが育ち、自身に立ち向かってくるまでその座から動こうともせんかった。いずれも負けるとは露ほどに思っておらず、自分さえ最後に立っていれば、魔族の復興すら容易いと考えておったらしい」


 呆れるように頭を振るシオンを黙ったまま見やる。

 まるで王道RPGそのものでしかない概要だが、驚いたのはそこじゃない。そんな幾年に及ぶ記憶を、全て保有しているらしき点に対してだった。


「セバスに聞けば、先代どもも過去の記憶を持って生まれ出たという。

 なのにも関わらず、わざわざ同じ道を進もうとするのは何故か? まるで、そう仕組まれているかのようではないか」

「……RPGゲームをクリアするには、基本的に魔王を始めとしたラスボスを倒す事が大方の目的だからな」

「馬鹿馬鹿しい。だとすれば、貴様は余に平和の為に死ねと申すのか」

「……すまん、別にそういう訳じゃないんだ」


 自分の観念からすれば、魔王であるシオンがその世界のラスボスという立ち位置であるのは間違いないだろう。しかしその考えに至るには、こいつらと交流を深め過ぎていた。


「……魔王たる余が居ない今、力のある魔族が他にいくら居ようと勇者の前では歯が立つまい。過去の記憶が証明しているように、魔王は勇者に、勇者は魔王にしか倒せぬのだから。

 ゆえに帰らなければならぬ。余はもはやこれ以上、無意味な戦火を広げたくないのだ」


 そう言われて初めて、当初馬鹿にしていたシオンの物言いに実は意味があったのだと感じた。

 こいつは初っ端から勇者を叩くことで、無駄な争いを抑えようとしていたんじゃないか? 訪れる平和がどちら側のものにせよ、怨嗟の輪廻から少しでも逃れようとしているんじゃないか?

 そこに俺はこいつが魔王として、或いは魔族としてでもない、というただ一人の人間性を垣間見た気がした。


「……なんつーかお前、魔王らしくねーな」

「何をほざく。余は七代目魔王にして歴代最強と謳われる、グラシオンディーヌ=イフィニスであるぞ」

「だからなげーんだって。シオンで良いだろシオンで」

「ふん、余にそのような舐めた口を叩けるのは貴様だけであろうな」


 からかうように言うとシオンは鼻を鳴らし、何時ものふくれっ面で答えてくる。


「興が冷めた。余は戻るが貴様はどうする?」

「そうだな……そういや、まだ昼飯も食べてないし、ちょっくら買い物してから帰るわ」


 ベンチから立ち上がるシオンに問われたタイミングで、炭酸の抜けた胃が空腹を訴えてきたためそう伝える。


「ならば余も行く」

「お前さっき飯食ったって言ってただろ」

「くく、食後のデザートというやつよ」

「炭水化物はデザートの内に入らんぞ……まぁいいや、来たいなら勝手に着いて来いよ」

「ほう、貴様にしては物分りの良い」

「うっせぇ置いてくぞ」

「待て待て。余を差し置いて飯にありつこうなど許さんぞ貴様」

「はいはい」


 ベンチから立ち上がって歩を進めると、自分の足取りが本来のものに戻っていた事に気が付く。

 とっくに酔いの覚めた頭でシオンの口文句を躱しながら公園を出る前に、俺は一度振り返ってその景色を拝む。緑の溢れるその公園は丁度、俺達と入れ替わるように人の姿が見え始めていた。

 

「何をしておる。さっさと行って余に飯を献上せい」

「お前それ奢られる上での台詞じゃないの分かってる?」


 背後から聞こえる待ちかねた様子の言葉に肩を竦めて見せ、俺はその台詞を発した者の元へと向かっていく。

 そうして俺達は近くにあるファミレスで食事を済ませ、必要な物を買い揃えながら帰路へ着く。


 同時に。

 こうして話でもしなければきっと出来なかった事だったろうが──俺はこの時ようやく未練などという、情けなくも女々しい感傷を棄てることが出来たのだった。


 シオンが魔王という壮大な役目に徹せられるよう、俺も俺なりに、自分の役割を果たさなきゃな。

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