六章 愛なんて なければいいと 思うのに 胸の高鳴り 捨てられませぬ   その2

 目的地に向かう最中、俺はマインに電話をかけた。


「そっちはどうなってる?」

『最悪だ! 冥界の亡者が蘇ったかのような地獄絵図であるぞ!』

「……まあ、確かにどっちも地獄ではあるよな」

『そのような言葉遊びに興じている暇はないのだ! 状況は多勢に無勢、おまけに殺さぬの誓いという制約縛りときた!』

「いや、いつも殺してないし、殺してたろマズいだろ……。それに戦力差のある戦いならお前の好きそうなヘイヘイみたいなヤツがひっくり返してるじゃないか」

『我が敬愛する死神殿を侮辱するでない! だがそうだな、真に魔界の頂に立つ者ならこの程度の逆境、鼻歌混じりに突破せねばならないな』

「その意気だ。こっちも片付いたら合流する」

『フッ、その言葉、一言一句違わず返してやろう』


 電話を切り、胴乱に突っ込む。その間も足を止めることなく走り続ける。


「灯字っちって、相手を調子に乗らせるのはマジ上手いよな。いい意味でも悪い意味でも」

「悪い意味って何だよ?」

「しっぽ巻いてダンス踊ってる時があるってことさ」

「いや、逃げろよ」

「それはこっちのセリフだね」


 わざわざ歩を緩め、俺は言った。


「……なあ、久遠先輩。口より足を動かしてくれないか? どんどん遅れてきてるぞ」

「すまないね。でも背中のベイビーが悪いのさ」


 俺は彼女が背負っているソフトケースを見やって溜息を吐いた。


「……重いなら置いてくればいいだろ」

「ファッキュー。これがウチの武器だって、灯字っちも知ってるだろ?」

「まあそうだが、実際足かせにしかなってないしなあ……」

「ほら、もう角を曲がりゃ今日のライブハウスっしょ。……んっ?」


 ――くぁああくぉっ、ぐぉがっごぎゅごごっ!


「……なッ!?」


 角の向こうからした突然の怪音に、俺達は見えない壁にぶつかったかのように立ち止まった。


「……これ、人の声か?」

「にしちゃ変じゃね? ウチには、そもそも人の声にすら聞こえなかったし」


 そう。何かの声は聞こえる。しかし人声から理性を取り外しガラクタを詰め込んだような、無茶苦茶なものだ。


「まるで鳩のデスメタルじゃん」

「……そう聞くと途端に牧歌的に思えてくるな」

「ちょいちょいっ。ピース・シンボルとか持ち上げられてっけど、意外と鳩もチョーコワなんだって」


 俺達は声を潜め、気配を殺してそっと音のする方を窺った。

 そこでは黒い人型の生き物が群れを成して道路を塞いでいた。背丈は大体小学生低学年ほどか。

 俺達の目を引いたのは、その頭部と腕だった。


「何だあれ……、カラスか?」

「……人型の、カラス……って感じじゃん」


 全身真っ黒で、頭の目といい嘴といい、腕から生えた羽といい、カラスらしき特徴が散見された。

 だが手足に胴体は人間だ。

 そんなカラス人間が百、二百と道にひしめき、意味不明で不気味な叫声を天地を割らんばかりに響かせていた。


「ぶぁぐぁああぁっ、ふぎゅるううぅぶぁっ!」

「ががっ、がががっ、がぎゃああぁがぅっ!」

「こぁああっ、ごがぁああっ、ぐごがっぐごぎゃっ!」


 空を飛ぼうとして地べたを掻き毟る鶏のように手をばたつかせ、何千枚というカードを一遍に叩きつけているかのような羽音を立てている。

 その指先の爪は長く不規則に歪んでいて、日光に翻弄された植物みたいになっている。

 煤けた壁面の廃ビルがヤツ等を囲っているそこは、さながら終焉の世界だった。


「……今日、特撮の撮影やるって回覧板に載ってたか?」

「さあ。そもそも今時、こんなマジモンのホラー・ムービーを街中で撮ったりしないっしょ」

「だろうな。CGとか使うよな……」


 会話することでどうにか竦んだ脚を元に戻す。

 改めて角先を見やり、一つのビルに目を留めて指差した。


「あれが、弥流先生が送ってきた地図に載っていた建物だ」

「すぐ近くじゃん。カラス共がいなきゃ目と鼻の先だってのに、ファック!」

「いや、方法はある」

「カラス共とブレイクダンスか?」

「生憎俺は羽ペン業者じゃない。単なる書道家だ」


 空に手をかざし、解除呪文を唱えた。


「心に灯れ俺の魂。超魂能力祈願之筆!」


 頭上から青い粉状の光と共に巨大な筆が出現、広げた手に収まった。


「超魂能力ねえ……。だけどあんな教養もクソッたれもない連中が、灯字っちの字で改心するとは思えないけど」

「俺だって人語を解さないヤツに、書を見せてやろうとは思わない」


 左ボックスに入ったバッターのように筆を構え、目的のビルを見据える。


「久遠先輩は忘れてるだろうけど、俺の能力はただ宙に文字が書けるだけじゃない」

「そうだっけ?」

「ああ。その真価、今こそ発揮させてもらう!」


 筆を持つ手に力を入れ、外角低めの球を狙うように穂先を下げ、一気に鋭く振りぬく!

 直後、レーザーのごとく俺の膝前辺りから黒い線が放たれ、瞬時に目的のビル最上階にある窓まで達した。

 その一本の線は荒々しい墨の飛沫も伴っており、まさしく筆によって書かれたものだ。


「この筆で引いた線は、あらゆる物質に変化させることもできる。それに穂先が通っていない場所にも、魂が応えてくれるなら書くことができる。つまりこんな感じに、瞬時に直通の道を創ることだって可能なわけだ」


 幅は人が一人通れるぐらいある。これならカラス人間と戦わずとも、目的のビルに辿り着くことができる。


「おおっ、ガチスゲー! ……だが」


 久遠先輩の視線が空から地上へ向けられる。

 俺もすでに気付いていた。

 黒い直線は当然、俺以外の人間にも見える。そして線を引くということは、始発点がモロバレだということで。そこに何者かがいるということを周囲に大々的に暴露しているようなものである。

 つまり俺とビルの間にいるカラス人間共がこちらの存在に感づくのは、墨汁の入った墨壺倒せば周囲が汚れるってぐらいに自明の理だった。

 しかもカラス人間共の何人かは、もうすでに墨の道に引っ付いてよじ登ろうとしていやがる。もしもここを進めば、ヤツ等に背後から襲われる可能性もある。


「……こりゃ、ドジ踏んじゃったか?」

「おいおい、センターが弱気になっちゃ、メンバーがついてこねーぞ」


 久遠先輩はソフトケースのジッパー音響かせてギターを取り出し、ストラップを肩に引っ下げた。


「灯字っちは先に行きな。ここはウチが引き受ける」

「この人数を一人でか!? そんなの無茶だッ!!」

「無茶、無理、無謀。そういう言葉を聞けば聞くほどチョー燃え上がるのがバンドマンの性なわけよ」

「……先輩」

「行けよ、ナイト。お姫様が待ってんだろ?」


 久遠先輩がピックで差した先には、俺の引いた道が美甘のいるであろうビルまで伸びていた。

 俺は唇をかんでビルを見やった後、声を絞り出すように言った。


「悪いな先輩……ここは任せた」

「ああ。ワンマンライブはウチの十八番だ。バッチリ決めてやるよ」


 筆を肩に担ぎ、わき目を降らず俺は走り出した。自身の書いた黒い一本の線上を。

 背後でワンストローク分の音が鳴り、久遠先輩がステージ上のパフォーマーのごとく、高らかに言った。


「さあさあ、お待ちかねの一曲目だ。派手に行くぜBird-Brained(バード・ブレインド)」


 それからイントロが始まり、解除呪文が唱えられる。


「聴いてくれウチの魂っ、超魂能力ブロウアウェイ・サウンドッ!」


 途端、背後から突風が吹きつけてきた。

 追い風を受け、久遠先輩の力強い歌声に背中を押され、俺は脚を速める。

 窓はもうすぐ目の前だ。それは閉じられているが、壊してくれと言わんばかりに大きくヒビが入っている。

 お望み通り、俺は助走をつけて全速力で突進してやる。


 シャンデリアが床にたたきつけられたような音を響かせ、窓ガラスは砕け散った。無数の破片が陽光を受けてキラキラ輝く。

 勢い余って俺は部屋の中にもんどりを打って転がり込む。

 背中が痛んだが、今いる場所は敵地なのだと己に言い聞かせ、即座に起き上がった。


 薄暗く汚い、廃ビルの一室。

 どこもかしこもコンクリートがむき出しで、所々に芸術性の欠片もないスプレーの落書きが薄っすら残っている。

 空間は広くがらんとしていて、散乱しているゴミ以外にはほとんどものがない。


 そこにはカラス人間こそいなかったが、最大の仇敵の姿はあった。


「待ってたわよ、灯字さん」


 いつもの着物の上に、黒いコートを着た長身の女性。

 弥流先生。

 そして彼女の足元には……。


「美甘ッ!?」


 後ろ手をロープで縛り上げられた美甘が横たわっていた。見たところ大きなケガはしていなさそうだ。

 彼女の元へ駆け寄ろうとした瞬間、その先にある壁にぎょろりとした緑の瞳を見た。

 視線が合った瞬間、急激に頭の中の何かが外へ吸い取られていく感覚があった。それは刻一刻と激しくなり、比例して意識が希薄になっていく。


「くっ……」


 慌てて瞼を閉じ、緑の目の視線から逃れる。何とか自我を失う直前で踏みとどまれたようだった。


「さすが灯字さんね。普通の人間なら、今の一瞬で放心状態になったのだけど。……でも視界が失われた今、あなたは無防備……」


 暗闇の中、空気が動く感覚があった。


 右か……!?


「眠りなさい」


 聞こえた声により確信を抱き、俺は一歩後ろに下がった。すぐさま何かが凄まじい速さで眼前の空を切った。


「なっ……!?」


 弥流先生の驚愕の声がした。薄っすら目を開くと、彼女が注射器のようなものを突きだしていた。おそらくあの中に即効性の睡眠薬やしびれ薬が入っていて、俺の自由を奪うつもりだったのだろう。

 筆を床につけ、そこから宙に跳ねさせくるりと一回転させる。

 途端、床からにょっきりと黒い線が生えてきて、それがヘビのごとく弥流先生の足に巻き付いた。


「しっ、しまった!?」


 足を引いて逃れようとしているが、黒い線は丈夫で捕らえた獲物を逃そうとはしない。彼女の動きは完全に封じられた。


「チェックメイトだ、弥流先生」

「くっ……、なぜなの。目を閉じていたはずなのに……」

「ああ、確かに閉じてたな。だが俺はブラインド書道をやったことがあって、暗闇には慣れてるんだ」

「フフッ、まるで武道家ね……」

「お喋りはもう終わりだ。美甘を返してもらおうか」

「ええ、いいわよ」

 と言いつつ、弥流先生は腰を落とした。


 瞬間、その向こうから黒く小さなものが輪郭を捉えることも能わない速さで俺の左胸目掛けて飛んできた。

 咄嗟のことで防ぐこともできず、それは命中したはずだ。

 痛みはなかった。その代わり、胸の中に拭いきれない虚無感が生まれた。


「え……あ……」


 まるで胸中にブラックホールが生まれたかのように、全ての感覚がそこに集約されて消えていく。

 体から力が抜けて、床に膝をついた。


「……残念ね。灯字さんには場数が足りないわ」


 弥流先生は額の汗を拭き、背後に向けて言った。


「……これでいいのよね、美甘さん」


 いつの間にか起き上がっていた美甘は、ロープで手を縛られてなどいなかった。右手で銃をくるくると回し、左手を腰に当て、嘲笑を浮かべ俺のことを見下ろしていた。


「はい。ありがとうございます」


 美甘はピストルを宙に投げて着物をつかみ、カーテンを開くようにばっと取り払った。


 一瞬の内に彼女の格好が、直前とは打って変わった邪悪さが前面に押し出された様相に変わっていた。


 十二単を思わせるような重ね着の、ショート丈の着物。黒と紫のグラデーションで衿元が紅く、至る所に黒いレースがついてる。曝け出されたヘソには、ピンクのハート型を組み合わせた不思議な紋様があった。それは微弱な怪しい光を発しており、眺めていると思考がその色に染まってしまうような気がした。

 アンダーは前がガバリと開いた袴風の紅いミニスカに、肌にぴっちりとフィットしている黒いブルマ。紅いラインの入った黒いオーバーニーソックスが太腿を包み、同色のヒールローファーに小さな足が収まっている。

 頭の後ろから紅いラインの入った黒い二つのリボンと、結われた髪が見える。ツーサイドアップだろう。


 明らかに美甘らしかぬ姿だ。真面目な彼女ならこんな大胆で扇情的な格好をするはずがない。しかし今彼女が浮かべている微笑はその恰好にふさわしい、仄暗く背徳的で色香の漂うものだった。


 落ちてきたピストルをキャッチした美甘はこちらに歩み寄ってくる。ヒールが打ち鳴らされる音が、静かな空間に響き渡る。

 美甘は酔いしれたように顔を紅潮させて、蕩けた瞳で俺の目を覗き込んできた。鼻先に湿った生温かい彼女の息がかかる。


「灯字ちゃんの魂は今、機能停止しているんですよね?」

「ええ。アタシはいつもこの状態の子に催眠術をかけて、アナタ達の言うゾンビ症にしているわ」

「なるほどです。……まあ、別に今はいりませんけど。灯字ちゃんには、全て終わるまでこのまま大人しくしててもらいましょう」


 俺の頬を撫で楽しそうに笑う美甘に、弥流先生は浮かない声で訊いた。


「……本当に、これでよかったの?」

「またその話ですか?」


 美甘はうんざりした様子で溜息を吐いて言った。


「あのですね、何度も説明した通り、これしか方法がないんですよ。むしろ国を直接狙わなかっただけ、まだ穏便に済ませた方ですよ?」

「それはそうだけど……。でも、関係ない人をあんなに巻き込んで……」

「だったら、どうしろっていうんですか?」


 苛立ち混じりの声で、美甘は弥流先生に言い募る。


「暴れまわる犯罪者共を野放しにしておけばよかったんですか? それともわたし達に雑草のように際限なく現れるヤツ等を刈り続けろっていうんですか? 命がけで?」

「……それは……」

「まあ確かに、わたしも悪いとは思いますよ。最初っからこんな委員会、入らなければよかったんです。そうすれば、腐った部分を見ずに済んだ。日本がこんなにも落ちぶれていることに気付かずに済んだんです。……でも」


 美甘の銃把を握る手に、力がこもる。


「知っちゃったら、放っておけないじゃないですか。……どうにかできるなら、したいって思っちゃうじゃないですか」


 苦渋に満ちた表情、ぽつぽつと語られる声から、彼女の悲痛な決意が伝わってくる。


「だから、決めたんです。わたしがこの世界を変えるんだって。誰もが暴力に怯えることなく暮らせる世界にするんだって……」

「美甘さん……。――ッ!?」


 弥流先生はやにわに美甘の体を抱き上げ、後方に跳んだ。直後、彼女達のいた場所に幾本もの黒く細い線が勢いよく飛び出してきて空をつかんだ。


「……よく気付いたな。まるで武道家並みの直感だ」

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