五章 大吉は 凶に還ると 言うけれど 人が還るは 気抜けた躯(むくろ)

 五章 大吉は 凶に還ると 言うけれど 人が還るは 気抜けた躯(むくろ)   その1

 翌日、再び俺達はドリーム高校の治安維持委員会室を訪れた。


「……なあ、何で弥流先生までいるんだ?」


 なぜか俺達より先に弥流先生が着いていた。

 美甘と久遠先輩を見やったが、二人も知らなかったらしく驚いた顔をしていた。


「教え子の晴れ舞台がどうしても見たくって」


 邪念のないただ純粋な笑顔は、それゆえに異質に見えることもある。


「物好きだな。まあ、別にいいけど」

「……灯字ちゃん、もう少し羞恥心とか諸々を身に着けた方がいいと思いますよ?」

「それぐらいある。腑抜けた文字を書いた時は、恥ずかしさのあまり死にたくなる」

「そういうことじゃないですけど……」


 室内を見回すと、部屋の一角に昨日はなかったレールカーテンが設置されていた。そこからひょっこりとマインが顔を出す。当然、今日は歌舞伎顔ではない。いつも通り左目を隠すように黒い眼帯をつけている。


「来たか、灯の字よ」

「ああ。……まさか俺のためだけに、その更衣室を用意したのか?」

「うむ。我が暗黒魔法により魔界より転移させ……」

「意味の分からないことを言わないでください。ただ運んできただけですよね」

「むっ……まあ、そうであるが。アマミーは相変わらず瘴気が読めんな」

「アマミーじゃなくて美甘です。あと瘴気なんて読めないどころか吸えもしませんよ」


 よく見れば下部に小さなタイヤがあった。まあ冷静に考えれば、普通の進学校は一晩でそういう工事はできないだろう。可能なのはせいぜい博女ぐらいか。


「まもるとクジャクはどうしたんだ?」

「治安維持委員会や生徒会の活動をしている。文化祭の最中で忙しいからな。我は今は休息の時間ということで、ここにいるのだ」

「そうか。忙しいのに、わざわざすまないな」

「気にするでない。我もこういうのは嫌いでないのでな」


 マインがカーテンレールを開くと、そこには博愛女学園の制服はもちろん、各種化粧道具やスプレー、毛を処理する道具まで全てそろっていた。


「髪は元から長いうえに質もよさそうだ。そのままでよかろう」

「……制服なんてどこに手を入れたんだ?」

「まあ、あるツテでな」


 ニヤッと意味ありげに笑うマイン。あまり深くは訊かない方がよさそうだ。


「じゃあ、頼めるか?」

「うむ、この魔王の黒魔法でそなたを乙女に転生させてやろう!」

「……あ、着替えは自分でやるから。ひとまず出ててくれ」


 当然の顔で入ってこようとしたマインの背中を押し出し、カーテンを閉める。


「なぜだ!? なぜ結界を張る!?」

「当たり前でしょう……」


 賑やかな会話を背に聞き、俺は着替え始めた。


「完成だ。姿見を見てみるがいい」


 言われてキャスタータイプの全身ミラーの方を向いた。


「……はて?」


 目を疑った。

 呆気に取られている俺の肩を叩き、マインが言った。


「どうだ、新しい己の姿は」

「このうら若き乙女は、本当に俺なのか……?」

「何を言っておる。正真正銘、灯の字だ」


 俺と合わせて口を動かしているミラーの中の人物。そいつは黒く艶やかなロングヘアの大和撫子の美少女だった。博愛女学園の着物ワンピースもよく似合っている。どこからどう見ても男には見えない。


「まるで別人だ」

「ふむ。では、別の者にも見てもらうとするか」


 マインがカーテンを開いたので、俺は美甘達の方を見やった。


「えっ、嘘……?」

「灯字……っち?」


 二人も俺と同じように、目を真ん丸にしている。


「わぁ、かっわいい~!」


 弥流先生だけはテンション爆上がりだった。フラッシュが眩しい。


「……頼むから教師なら、肖像権は守ってくれ」

「あっ、ごめんね、つい」


 大人しく撮影をやめてスマホを仕舞ってくれた。まあ、すでに十枚以上撮られていたような気がするけど。


「グハハハ、どうだ我の暗黒魔法変身術は!」

「別に暗黒でも魔法でもないと思うが……」

「しかしその姿、顔見知りであったとしても灯の字だとは見抜けまい」

「まあ、確かにそうだな」


 俺は改めて姿見を見やる。やはり書生姿の自分とは別人だとしか思えない。固い楷書体を柔和な篆書体に書き換えたかのようだ。

 マインは美甘にしたり顔で言った。


「この出来ならば女子高に潜入しても、男だと露見することはなかろう?」

「でも……。雰囲気はともかく、声とか佇まいでバレるかもしれないじゃないですか」

「だそうだが、灯の字よ。お嬢様学校に馴染むような振る舞いはできるか?」


 俺は水香を思い浮かべ、所作やしゃべり方を変えてみることにした。

 彼女はいつも物腰柔らかで悠然としていて、上品な話し方をしていた。それを意識すればいいのだろうか。

 考えている間に体の力加減が変わっていき、脚は内股になり、二の腕が腰に吸い付くように引きつけられた。


「これでよろしゅうございますか?」


 途端、美甘の顎が外れたかのように口が開いた。アニメなら目玉が飛び出していたかもしれない。


「美甘さま、そのようなお顔をされては、せっかくの可愛さが台無しですわ」

「……えええええええええええぇッ!?」


 室内中に美甘の声が響き渡った。外の喧騒を一人で掻き消せそうな声量だ。

 見ると久遠先輩も目を皿のようにしている。


「いかがなさいましたか、久遠さま。わたくしの顔に、何かついてらっしゃいますか?」

「……え、いや、別に……。チョーきれいだと、思うけど」

「ふふ、お褒めに預かり光栄ですわ。久遠さまこそ、まるで一輪の花のように可憐でお美しいですわ」

「あ、そ、その……かたじけのうございます」


 彼女は珍しく真っ赤になって俯き、なおもちらちらと俺の方へ視線を向けてきた。


「きゃ~っ、照れる久遠さん可愛い~!」


 久遠先輩を思い切りハグる弥流先生。今日はやけに肉食獣っぽいな。


「うむうむ。容姿はもとより、所作も声音も語り口も完璧である。これならいつでも博愛女学園に入学できるぞ」

「ありがとう存じます」

 と言った途端、すかさず美甘からツッコミが飛んできた。


「存じないでください! 灯字ちゃん男の子ですよね!?」

「で、でも、男女差別はマジよくないから……」

「何言ってるんですか久遠ちゃん先輩!?」

 と賑々しいやり取りが繰り広げられる中、愉快な音楽が流れ出した。それはマインから聞こえていた。彼女は着物の袖に手を突っ込み、スマホを取り出して電話に出た。


「我は世界マイン。世界を手中に収める魔王である」


 第一声から察するに、通話先の相手はドリーム高校の治安維持委員だろうか。


「……車の用意ができたか。分かった、今からそっちに赴こう」


 一言二言交わしただけで通話は終わった。


「誰からだ?」

「我が同士、まもるからだ。灯の字を送迎する準備ができたようだぞ」

「送迎って、俺を博愛女学園まで送ってくれるのか?」

「……その格好で灯字ちゃんが外を歩くのはわたし、絶対反対です」

「な、ナンパされちゃうかもしれないし……」


 客観視した結果、俺も久遠先輩の言葉を笑い飛ばすことはできなかった。


「ありがたいが、そこまで世話になっていいのか?」

「構わん。あの作品の謝礼だと思ってくれればいい。そのおかげで今日はすでに、先日の三倍の訪問者が聖祭に召喚されたのだからな」

「休日だからじゃないか?」

「否。去年はせいぜい二倍程度だった。それを一・五倍も増やせたのはそなたの作品の魔力あってこそだろう」

「……いや、違うだろ」


 俺はマインの肩に手を置き、微笑みかけて言った。


「生徒会室で語ったマインの意気込みを俺はよく覚えてる。あの熱気が文化祭に魂の火を宿したからこそ、今年は今まで以上の盛り上がりを見せたんだ」

「そ、そんなことは……」


 視線を彷徨わせる彼女に、俺は顔を近づけて言った。


「自信を持っていい。マインは歴代の誰よりも熱い魂を持った文化祭委員長だ」


 その言葉にマインは頬を持ち上げ、大きく頷いた。


「……最高の賛辞、ありがたく頂戴した!」

「ああ。まだ文化祭は続いてる、これからも頑張れよ」

「うむ。感謝するぞ、灯の字」


 そのはちきれんばかりの笑みに、俺の胸は焚火に手をかざしたかのような温もりを感じたのだった。

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