32.チェキ撮影

 バイト先である妹カフェで私は現在、お客さんから受けた注文の最終確認をしていた。


「兄さん、注文は本当にこれだけで良いの?」

「えーと、それってどういう意味?」

「だって兄さん普段はもっと頼んでくれるよね。もしかしていつもは嫌々頼んでくれてたのかな……。それだったらなんかごめんね」


 ここぞとばかりに悲しそうな表情を浮かべて、そしてそっと微笑む。

 きっと今の私は悲しそうな表情を隠すために笑みを浮かべているように相手から見えているだろう。

 そう、それこそが狙い。今目の前にしているお客さんは兄さんどころか、今初めて会ったばかりの他人だが私にこんな顔をされてはただではいられまい。


「ち、違うよ。僕は元々もう二品頼むつもりだったんだ」

「本当に? ……やっぱり優しい兄さんは優しいね」

「そ、そんなこと言ってもらえるなんて。て、照れるな。それと今回はついでにチェキサービスも付けちゃおうかな」


 ほう、ここでチェキサービスとは思わぬ収入。ここは確実に行こう。


「兄さん、流石にそこまでしなくても良いんだよ。そんな私のことなんて気遣わなくてもね……」

「気なんて遣ってないよ。これは僕が心の底から一緒にチェキを撮りたいと思ったからで。だからその、お願いしてもいいかな」

「兄さん……ありがと。じゃあちょっと待っててね」


 そうして無事好感度を保ちつつ店の裏へと戻るとそこには少々呆れた顔をした桜田がいた。


「有栖川、お前すごいな」

「ん? 私はただ注文忘れがないかなって確認しただけだよ? そしたら勝手に注文が増えてね」


 そうそう、あれよあれよという間に私のバイト料も増えた。


「そうか? 俺にはお客さんを言葉巧みに操って注文を強要したようにしか見えなかったがな」


 なんて人聞きの悪いことを言うのだろう、この男は。


「人聞きが悪いな、桜田君。これはファストフード店でよく見るドリンクと一緒にポテトもいかがですか? って店員さんが言うのと全く同じだよ」

「それの悪質バージョンってことか」


 どうしても桜田は私のことを悪役にしたいらしい。こっちは必死に仕事をしているだけだっていうのに酷すぎる話だ。


「そっか、桜田君は私のやり方が気に入らないって言うんだね。でも考えてみて、私に何か言われても流されなければ良いだけだと思うんだけど」

「別に気に入らないとは言ってないが……。それにあんなの男には対処不可能だろ」


 なるほど、男には対処不可能ね。


「それは伊織兄さんも含まれるのかな?」


 私が試しに先程お客さんを対応した時と同じ健気な妹っぽい口調で桜田に質問を投げ掛けると、彼はうっと突然変な声を上げた。


「どうしたの? 兄さん。体調でも悪いの?」

「……有栖川、お前は本当に性格悪いよな」

「性格悪いって何? そんなこと言うなんて酷いよ、兄さん」

「あのな……」


 桜田は私の顔を見れないのか私から少し視線を外して顔を赤くしている。彼の戸惑う反応見たさに妹っぽい口調をやってみたが、なんというかこれって知り合いの前でやるには少々気恥ずかしい気がする。


「まぁこんな感じだけど。うん、別に普通でしょ?」

「そう思ってるんだったらなんで有栖川もそんなに恥ずかしそうなんだよ」

「仕方ないでしょ。知り合いの前だと意外と恥ずかしいんだから、これ」

「そういうもんか。やられた側も恥ずかしいしタチ悪いな」

「本当、そうだね」

「自分からやっておいてよく言う」

「うるさい」


 これは赤の他人に対して出来る口調だ。

 ふざけてたとしても知り合いの前でやるものじゃないなと思ったところでパタパタと騒がしくこちらに走ってくる音が聞こえてきた。


「た、た、た、大変です。有栖川さん、助けてください!」

「楓? どうしたの、そんなに慌てて」


 やって来たのは慌てた様子の楓、彼女の顔全体に焦燥感が漂っているのを見る限り、余程のことがあったに違いない。

 まさか痴漢でもされたと言うのだろうか?

 よりにもよって頭が弱そうな楓に手を出すなんて言い度胸してるじゃないかと相手を粛清する決意をしたところで彼女は続けて口を開いた。


「こ、こんなにもチェキの依頼をされてしまったんですが……」


 しかし彼女の口から痴漢という言葉は一向に出てこなかった。代わりに出てきたのは十数枚はあるだろう注文伝票、それらにはどれもチェキサービスという注文が書きこまれている。


「へーそんなにチェキ指名してもらったんだ。良かったじゃん」

「は、はい。それはそうなんですけど……」


 何やら言いたそうな楓に視線で話の続きを促すと彼女はやや申し訳なさそうに続きを口にした。


「実はこのチェキの指名は全部有栖川さんと一緒にしてもらったんです」

「それって……」

「すみません! ご迷惑なのは分かっていたんですが、私一人で男の人と一緒にチェキを撮るというのがどうしても耐えられなくて、それで……」

 

 私にもチェキ撮影に参加してもらうようお客さんに頼んだとそういうことか。

 そしてお客さん側も楓の申し出を受けたと。まぁ今のオドオドしている楓を見ていたら何がなんでもその姿をチェキに収めたくなるお客さん側の気持ちも分かるには分かるが、私が彼女のついでなのはどこか納得がいかない。

 しかし、だからといって楓一人でチェキの撮影に行かせるのは不安でしかない。となれば……。


「顔を上げて楓、別に私は怒ってないから」

「本当ですか?」

「うん、私もチェキ指名されたからちょっと後になっちゃうけど、ちゃんと行くから。だからそんなに怯えなくて良いよ」

「あ、有栖川さん……」

「ちょ、ちょっとこんなところで泣かないでよ。もう仕方ないな……。ほらこのハンカチでも使って」

「ありがとうございます」

「はい、じゃあ楓は私が戻るまでちょっとここで待っててね」

「はい、いつまでも待ってます!」


 本当に楓は手のかかる子だと私が苦笑いを浮かべながら桜田の方を見れば、彼も同じように苦笑いを浮かべていた。

 ただ彼が見ていたのは楓ではなく私なのだが。

 ……っておい。

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