26.看病の鬼③

 私と桜田以外他に誰もいない部屋、日も既に落ち部屋にある蛍光灯の光だけが私達を隔てるようにして存在する丸テーブルの上を照らしている。そしてそのテーブルの中央には一つの小さな土鍋。


「じゃ、じゃあいただきます」

「どうぞ」


 土鍋からマイ茶碗にお粥をよそい、そこからスプーンで自分の口の中へと運ぶ。そして食べながら私は目の前で私のことをじっと見つめてくる男を観察していた。


 しかしながらこの状況、かなり気まずいのでは……。よくよく考えてみれば、ただでさえあまり話をしない桜田と夜、それも密室で二人きりなんて気まずくないわけがない。


「えーと、これ美味しいよ」

「そうか、良かった」

「……」


 何これ、やっぱり話が続かない。

 どうする、こういうときって一体何を話すのが正解なんだろうか。辺りを見渡しても話題になりそうなものは見つからない。

 最終的に話のネタに困った私はふと例のことについて聞いていた。


「そういえばさっきも来てくれたよね」

「さっきって……ああ、朝のことか」

「そう、でもそのときは桜田君はすぐに帰っちゃったけど」

「そ、それは仕方ないだろ。だって……」

「うん、そうだよね。楓からすごい言われたんでしょ?」

「そうだな。めちゃくちゃ説教された」

「それでどう思った?」

「どう思ったって和泉は怒ると普通に怖いなって……」

「違う、そのことじゃなくて……わ、私の見たんでしょ?」


 起きてから引いていた熱が再び体中をめぐっていくのを感じる。


「それは、そうだが……」


 一体私は桜田に何を聞いてるのだろうか。こんなことを聞くなんてまるで私が変態みたいじゃないか。

 しかしそう思って言葉を止めようとしても既に自分の意思では制御が出来ない。


「どうせ私のこと変態だとか、豆乳飲んでるのにまだ小さいのかとか思ってたんでしょ?」

「違う、俺はそんなこと思ったりしてない」

「本当にそう? ……いやごめん、やっぱり何でもない。今の全部忘れて」


 ここでようやく自分の口の制御が効くようになり咄嗟に謝罪すれば、桜田も頬を掻きながら『そうか、分かった』と一言だけ口にする。


 その後訪れる静寂、聞こえてくるのは時計の秒針が進む音のみ。

 一体私はどうしてしまったのだろう。これも熱のせいなのだろうか。そう思って自分の額に手を当てるも特にそれほど熱は感じない。だとしたら何のせいなんだと考えていると、突然桜田が口を開いた。


「俺は本当にそんなこと思ってないからな。今回は俺が完全に悪かったし、それに言うほど小さくもないと思う。それと……」


 続けて桜田は私の肩を掴むと徐々に顔を近付けてくる。


「なっ、なに!?」

「少しだけ動かないでくれ。すぐに済む」


 もしかしてこれってそういうことなの!?

 ちょっと待って、まだ心の準備が……。

 動揺するだけで実際には身動き一つすることが出来ない。私これからどうなっちゃうのと思い切り目を瞑ったところで玄関の方からものすごい勢いでドアが開く音がした。咄嗟に音がした方を見れば……。


「有栖川さん、お加減はどうですか?」


 そこに現れたのは今日も泊まる気なのか色々と荷物を持った楓。初め彼女は満面の笑みだったが、私と桜田を見るなり段々と顔を赤くする。


「さ、桜田!? この状況ってまさか病気でまともに体を動かせない有栖川さんを襲おうとしているんですか!? この、早く離れやがって下さい!」

「い、いや違う。俺はただ……」

「問答無用です。こんな至近距離まで近づくなんてうらやま……不純異性交遊です!」


 急展開について行けず、再び桜田の方へと視線を向けると彼は私からゆっくりと離れる。


「本当に違うんだ、俺はただ有栖川の髪についたゴミを取ろうとしただけで別に何かしようとしていたわけじゃない。有栖川なら分かってくれるよな?」


 髪にゴミ……あ、ああ、そういうことね。うん、分かってたよ。桜田がまさかそんなことをするはずがないということは分かっていた。

 えぇ、最初から分かっていましたとも。だから決して私は桜田相手に狼狽えたりなんてしていない。そう、していないのだ。


「そうだよ、桜田君はただ私の髪についたゴミを取ってくれようとしていただけなんだよ」

「でもだったらどうしてそんなに顔が赤いんですか?」

「それは熱があるからに決まってるでしょ……」


 そうだ、顔が赤いのはきっと私に熱があるからで別に桜田の行動に対してそうなったわけじゃない。

 だから私だけが桜田を意識してしまったみたいでなんだか恥ずかしいとかそんなことは一切思っていないのだ、絶対に。


「確かにそうでしたね、私としたことが抜けていました。桜田、今回は有栖川さんに免じて許してあげますが次はないですからね」

「もしかして今の話聞いてなかったのか?」

「ほら、分かったら桜田はさっさと帰ってください。大丈夫です、安心して下さい。今回のことは私の心の中だけにしまっておきますから」

「やっぱり話聞いてないよな……」


 桜田はため息を吐くと最後に『じゃあ土鍋は明日取りに来るから。ゆっくり食べてくれ』とだけ言い残し、静かに部屋を去っていった。

 なんだか彼が不憫に思えてしまったのは私だけだろうか。


 そんなこんなで桜田が帰ると、何かのスイッチでも入ったかのように楓がフフフと不敵な笑い声をあげる。

 その声がした方を見ると彼女は嬉しさを隠しきれていない様子でわざとらしくポンと手を打っていて、明らか何かを企んでいるように私には見えた。


「そういえば私、今日はお泊まりセットを持ってきたんです。これで万が一有栖川さんに何かあっても私が何とか出来ます。でも私としたことが丁度、そう、本当に偶々パジャマだけを忘れてきてしまったみたいで出来ればその……」


 あーはいはい、パジャマを貸して欲しいってことね。というかお泊まりセットでパジャマを忘れるって逆に何だったら持ってきているのか知りたいが、他にも色々と聞きたくなかったことを聞くことになりそうなので何も聞かないことにする。


「パジャマならそこの押し入れの中に入ってるから好きなの選んで」

「ありがとうございます。それと一つだけ質問なんですが、その中で一番最近着ていたやつを教えてくれませんか?」

「ああ……えーと、一番上のやつかな?」

「なるほど分かりました。だったら一番上のやつをお借りしますね」


 何か意図があるような気がしてならないが決して気にしてはいけない。

 例えパジャマを手にして数秒後に私の視界の端で『合法、合法』と小さく呟きながらそのパジャマに頬擦りを始める楓の欲望にまみれた姿が見えても気にしてはいけないのだ。

 関わらないのが吉、そう判断した私は再び土鍋のお粥へと手を伸ばした。……ウン、オイシイナ。

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