21.私は童謡を歌いたい

 カラオケ店の受付カウンターで受付を済ませた私達はそのとき店員に指定されたカラオケの個室にいた。

 部屋の壁紙は暗い茶色で統一されており、入ってすぐ正面に一台のモニターと二台のスピーカー、そして部屋の中央にあたるスペースには大きなテーブルとその両サイドにそれぞれ三人ずつかけられるソファーが鎮座している。

 そんな初めて見る部屋にウキウキとする二人とは対称的に私はため息を吐いてしまうほどブルーな気分、というよりは頭が痛いというか、体がフワフワするというか。とにかく体調が悪いのは確実だった。


「私どうしてカラオケなんかに来たんだろ……」


 やっぱりこんな体調で無理して来るべきじゃなかったかとは思うものの、ここまで来て私のせいで帰ることになってしまうのも気分が悪いし、何より私のプライドがそれを許さない。


「有栖川さん、大丈夫ですか。少し顔色が悪いですけど」

「ああ、うん。大丈夫だから気にしないで」

「そうですか」

「うん、そうだよ。それより誰が最初に歌う?」


 楓の気を逸らすため咄嗟に誰が初めに歌うか二人に問い掛けると、私と楓が座っているソファからテーブルを挟んで向かい側にいる桜田がやや遠慮気味に手を上げた。


「その、もし誰もいないんだったら俺が歌いたいんだが……」


 ふと助けを求められているような気がしてそのまま桜田を見続けていると、彼は珍しく困ったような表情を浮かべ頬を掻く。


「なに、どうしたの?」

「その、これってどう使えばいいんだ?」


 桜田が持っているのは恐らく曲を入れるための端末機器。一見すると画面をタップして使うように見えるが、詳しくは分からないので楓に助けを求めると、彼女は途端に嬉しそうな表情を浮かべて手を差し出してきた。


「全く仕方ないですね。貸してみて下さい」

「頼む」


 楓も確か今日が初カラオケのはずなのだが、どうやら事前に調べていたらしく迷うことなくスラスラと操作していく。

 全くただのカラオケをどれだけ楽しみにしていたのか。まぁ彼女らしいといったららしいのだが。


「一度しか言わないですからよーく見てて下さい。ここを押せば好きな曲が入れられます。そしてここが……」


 次々と説明していく楓に『ああ』と相槌を打ちながら首を縦に振り続ける桜田。その姿がまるで永遠と首を振り続ける赤べこのようで地味に面白い。

 しばらく心の中で彼のことを赤べことして眺めていると、いつの間にか楓による端末機器の使い方の説明が終わっていた。


「……以上で使い方の説明は終わりです。他に聞きたいことはありますか?」

「いや大丈夫だ。助かった、和泉」

「いえいえ、お安い御用ですよ。有栖川さんも分からないことがあったら私に何でも言ってくださいね」

「ああうん、そうさせてもらうよ。それで桜田君はどんな曲入れるの?」


 ふいに気になって聞いてみれば彼はただ『聞けば分かる』とだけ言い残して先程説明を受けた端末機器を操作していく。聞けば分かるとはこれいかに?

 私の疑問の答えは彼が予約した曲が流れ出したところで明らかになった。

 前奏でいきなり、でぇーんという渋い音が部屋中に鳴り響く。この和を感じる音楽とこぶし表現が大量にありそうな曲調。総合的にみるとこの曲は恐らく演歌と呼ばれる類いのものだった。


「渋いチョイスですね」

「だね」


 よく顔に見合わず○○だねなんていう言葉を耳にするが、桜田に至っては雰囲気も相まって顔に似合いすぎだった。顔だけを見ればプロの演歌歌手である。


「じゃあ次は私が入れますね」

「了解」


 さて私は何を入れようか。といっても私が知ってる曲のレパートリーは少ない。最近の曲なんて知らないし、少し前の知っている曲でも曲の雰囲気しか分からない。だとすれば選曲するのはあれしかないだろう。


「有栖川さん、次お願いします」


 既に曲を入れたらしい楓から端末機器を受け取り、目的の曲を探す。幼い頃から慣れ親しんでいるあの曲。あった、これだ。


「えーとこれで良いの?」


 上手く曲を入れられているか不安になり、楓に確認する。


「そうですね。ちゃんと曲は入ってます。ところで有栖川さんは一体どんな曲を…………?」


 言葉を途中で切った楓を見ると彼女は不思議そうな表情を浮かべていた。


「これって童謡ですよね?」

「そうだけど、何か変?」

「いえ、有栖川さんならもっと最近の曲とかを入れるんじゃないかと思ってたので何だか意外で。でもちょっと可愛いです」

「そう?」


 他の人から見ると私はそんな風に見えているのだろうか。

 以前にも私が自分の容姿について何か言われるのを気にしているとかいうありもしない噂があったし、そう考えるとどうやら私が思っているより有栖川花蓮という人間は美化されているらしい。まぁ悪く見えるならまだしも美化されている分には問題ないので良いのだが。


 ふとここで先程からやけに静かな気がすると視線を楓から桜田のいる方へと移すとそこにはいつもの無表情ではなく若干満足そうな彼とその後ろに大きく八十五点という文字が映し出されたモニターがあった。


「次は誰が歌うんだ?」

「はい、私です」


 ほう、思った以上に高点数を出してくるじゃないか。桜田のくせになんとも腹立たしい限りだ。

 とはいってもまぁ私はきっと九十点越えだろうから今だけは桜田に良い気分でいさせてやろう。

 後で目にもの言わせてやるから覚悟しておけよと彼に睨みを利かせてから、私は再びモニターの方へと視線を移動させる。


「有栖川さん、聞いて下さい。私の気持ちを全てこの曲に込めます」


 楓の言葉の後に流れ始める音楽はとてもゆったりとしていて聞いているだけで心地良い。なるほどバラードかとそう思ったところで楓はマイクを口元に近づけ、若干緊張しながらも綺麗な声を紡ぎ始めた。



 彼女が歌い始めて少し経った頃、私のもとに料理のメニュー表を持った桜田が近づいてくる。


「有栖川は何か頼むか?」

「え、私? ああ、食べ物の話ね。適当で良いよ、適当で」

「そうか、ならポテトでも頼んでおくか」


 そう一言だけ言い残して桜田が席を立った瞬間、少し気恥ずかしそうに歌っていた楓の顔が突然青ざめた。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 そして青ざめたまま楓は歌うのを中断して桜田を呼び止める。


「料理を頼むのは一度全員が歌い終わってからにしませんか?」


 ほとんど懇願に近い楓の提案に桜田はハッと何かに気づいたのか再びソファーへと座り込んだ。


「そうだな、すまない。俺としたことが自分から店員を招き入れるところだった」

「分かってくれたんだったらいいんです。慎重に行きましょう」


 二人は何かで通じ合っているのかお互い頷き合う。

 ただ料理を頼むだけだよねとは思ったものの、受付に行く前に楓が話していた風の噂のことを考えれば、これは正しい判断なのかもしれない。


「それより歌わなくていいの?」

「はっ! そうでした!」


 歌うことをすっかり忘れていたのか楓は私の言葉を聞くと慌ててマイクを口元に近づけ、再び歌い始めた。

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