4.もしかして私喧嘩売られてますか

 とある日の体育の授業、その日は体力測定を行っていた。

 それにしてもこう毎年毎年、身体能力を測定して何になるのか。私の結果なんて分かりきっているだろうに。


「……す、すごいです! 有栖川さん! 去年よりもタイム縮まってますよ!」


 五十メートル走を走り終えた直後、私のタイムを測定していたと思われる全体的におっとりとした黒髪ロングの大和撫子的クラスメイト、安藤あんどう千花ちかに声を掛けられた。


「そうでもないよ。安藤さんもちょっと普段から運動すればタイムなんてすぐに縮まるよ?」

「そうなんですか? ……でも運動するのは少し苦手で、みんな私が動くとすごく見てくるんです。やっぱり私って何かおかしいんですかね?」


 本気で悩んでいる安藤を尻目に私の視線は彼女の大きな胸へと向けられていた。

 そりゃ、こんな大きな胸を持っていたら見られるでしょうよ。

 この女、私よりも胸が大きいからって私のことを下に見ているのだろうか。


「うーんどうかな?」


 若干苛立ったので私は彼女の胸に触ることにした。

 別にこれは決して彼女にあやかろうとかそういうパワースポット的な力に期待しているわけではない。それにしても大きすぎる。一体どうやったらこんなものになるんだ、このやろう。


「ふぇっ!? いきなり何するんですか!?」

「ごめんね、立派な胸だなって思ってつい」

「り、立派とか言うのは止めてください!」

「え? 何か言ったかな?」

「……ちょ、そこはダメ、ダメです!」


 しかしこの女、いい声で鳴く。もっと彼女の鳴き声を聞いていたいところだが、彼女の声のせいで近くで別の体力測定をしていた男子達も含め、だいぶ注目されてしまっている。

 流石にこれ以上は私が彼女を苛めているように見られかねないか。


「……ごめんね、ちょっとやり過ぎちゃったかも」

「本当ですよ、酷いです。だったら私も仕返ししてやります」

「ちょ、安藤さん。ちょっと待って!」


 だが安藤の仕返しはそう長くは続かなかった。私の胸に触れた瞬間、彼女は何かを察したようにすぐ手を離す。


「……えーと今回はこれくらいで許してあげます」

「う、うん……」


 明らかに何かに気づいて、それを気遣っての言葉。この女、絶対に私の胸を触ってから『あれ? 思ったよりもない?』とか思っただろ。やっぱり私のことを下に見ていたか。


 それだけでも大分屈辱的だったのだが、極めつけに彼女からはエールの言葉が送られてくる。


「大丈夫です、有栖川さん。希望はまだあります!」

「……あ、ありがとう。安藤さん」

「どうしたんですか? 顔色が悪いですよ?」


 私は顔がひきつりそうになるのを抑えるのに必死だった。

 ここを抑えられなければ完璧美少女としての私は失格だ。そう何度も自分に言い聞かせて湧き上がる怒りを鎮める。

 そうしてやっとの思いで怒りを抑え込んだ私は必ず彼女を越える胸を手に入れることを固く今はまだ小さな自分の胸に誓った。



◆ ◆ ◆



 放課後、一人家に帰ろうと学校前の一本道を歩いているとスッと隣に誰かが並ぶのが横目に見えた。


「何かな? 私この後ちょっと用事があるんだけど」

「怒ってるのか?」

「どうしてそう思ったの?」

「それは怖い顔をしてたから」


 隣からの指摘にようやく桜田の方へと顔を向けると彼は苦笑いを浮かべる。どうやら私は相当怖い顔をしていたらしい。


「その反応、本当に私怖い顔してたんだね。指摘してくれてありがとう。でももう行って良いかな、さっきも言ったけど私この後用事があるんだよね。あと怒ってないよ」


 無理やり笑顔を浮かべたのだが桜田には通じなかったらしく、彼はやや不満げに私を見る。


「確かに怒ってはないかもしれないけど、何かを気にしてはいる。何か俺に出来ることがあったら何でも言って欲しい。俺と有栖川は友達だろ?」


 何が友達だ。私の弱みを握っておきながら友達面をするなんて図々しい。


「あのね、私は本当に用事があって忙しいんだよ。特別な用事がないなら今日はもう良いかな」

「用事ならある。俺は有栖川がさっきから言ってる用事がどんな用事なのかが知りたい」

「どんな用事って……別に桜田君には関係ないことだよ」

「本当にか?」


 何だかしつこい。それに顔が近い。本当に桜田には関係ないのだが、このままずっと粘着されても困る。


「分かったよ。教えるから少し離れて、近いよ」

「ああ、分かった」


 それにしてもどうやって伝えようか。私はただ買い物がしたかっただけなのだ。

 まぁそのまま伝えればいいか。


「……で何の用事なんだ?」

「買い物だよ、ただの買い物」

「有栖川はもしかして一人暮らしでもしているのか?」

「まぁそんな感じかな。あっ……これクラスメイトには言わないでね。家とか特定されたら面倒だから」

「分かった、でも俺も有栖川のクラスメイトだけど良いのか」

「良いわけはないけど仕方ないでしょ」


 そう、すぐに私が一人暮らしだということを言い当てられたのだから仕方ない。

 それにどうやらこの男は私のことを友達だと思ってくれているようなので私に嫌われるような真似はしないだろう。


「そうか、すまない」

「だからこんなところで謝らないでってば」

「でも周りに人はいない」

「だったら良いよ」

「なら良かった」


 この男と話していると普段の放課後よりも余計に疲れている気がするのはきっと気のせいではないのだろう。

 それにしてもこの男は一体どこまで付いてくる気なのだろうか。学校前の一本道は既に終わっているんだが。


「あの、桜田君の家ってこっちの方なの?」


 いつまでも私に付いてくる桜田に対して率直に家の場所を尋ねれば、桜田は進む方向とは反対側を指差した。


「いや、俺の家はあっちの方だ」

「だったらなんで私に付いて来てるの? こっちは桜田君の家と反対方向だけど」

「それは有栖川の買い物を手伝うために」


 この男は一体何を言っているのか。一言も頼んでないのにどうしたらそんな考えになる。


「私、買い物を手伝ってくれなんて一言も頼んでないけど」

「でも大変そうだから、それに一人暮らしだろ」


 どうやら善意で手伝おうとしてくれたらしいが普通友達でもそこまではしてくれない。

 だから助かるというよりは、どうしてここまでしてくれるのだろうという疑問の方が強かった。

 しかし、この男に聞いても納得する答えは返ってこないだろう。だとしたら利用しなくてどうする。


「そこまで手伝いたいって言うんだったら手伝ってもらっても良いかな?」

「ああ、任せてくれ」


 私はこの男を買い物に連れていくことにした。

 彼が何かを企んでいるというなら私はその企みを利用して買い物を手伝ってもらうだけ。至って単純な話だった。

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