潜り抜けた先も下り坂になっていて(【五番通り】は小高い丘にあった)、ゼニの町を一望することが出来る。


 町の中心には巨大な城――白亜の壁に翡翠色の屋根が段々に重なったような構造をした建築物で、至る部分に金製の装飾が施され、その天辺の屋根部分、いわゆる天守閣には二対の黄金虎おうごんとらが凛々しく吠える恰好かっこうで乗っかっている――オオサカ領の領主を務める男の住まうオオサカ城が天を衝くように居を構えている。


 そのオオサカ城を中心として、蜘蛛の巣状に道が広がっていて、その道々には木製の建築物が軒を連ね、かと思えば別の方角には高層ビルが建ち並び、またある方角には巨大なブロッコリーのような、青々とした森が茂っていたり、おおよそ統一感のない風景が広がっている。


 別にゼニの町だからではなかった。


 昨今の大日本帝国は、逆流する川のように時代を遡り始めており、それは一時代の趨勢すうせいを極めんほどであって、先進技術、古き良き文化、あるいは異国の文化などが混沌と入りまじり、さながら過去と未来が同居しているような違和感を、縫子は覚えている。その違和感をもっとも顕著けんちょに抱いたのは、とあると果たし合いをした時だった。


 刀と銃が交差する世界を見た。


 それが当然であるように、二人は殺しあった。


 結末は言うまでもないことだが、今にして思うと、それは不思議な光景だった。銃と刀では、断然銃の方が有利だ。しかし、それを分かっていながら向かってくる戦士がこの世界にはいて、それってどういうことなのかと考えると、一見すると分からないものだが、つまるところ、だったのではないか、と思えなくもなかった。


 正直なところ、そもそも縫子はそのような世界的な思考をするタイプではなかったから、ふと、ぼうっとしていた時に過っただけだったのだが、それが妙に脳にこびりついて離れなかった。



         *



 縫子は〈ディーヴァ〉という酒場にやってきていた。


 この酒場は【五番通り】と隣接している【四番通り】の、大きな道を一つ外れた路地裏にひっそりと佇む隠れ家的な酒場であって、もちろん昼間はクローズと書かれた看板が入口の扉に掛かっているのだが、この店の主人である我妻健吾がさいけんごは縫子の小さい頃を知っている数少ない友人であって、また縫子がこの町で生きていく上でずいぶんサポートしてくれた恩人でもあったから、こうして昼間でも出入りできるというわけだった。


 特に今日はその我妻健吾に用があったのだ。


 酒場や、いかがわしい店が多く点在する【四番通り】は、夜こそ辺りがネオンの光に溢れていて、それが誘蛾灯のように人を集め、にぎわう繁華街となるのだが、昼間はどこか哀愁すら感じられるような、廃れた気配がある。


 縫子は夜な夜な町のいたるところに立ち寄るものだが、この【四番通り】に居る事が多かった。いわゆる夜の町である此処は、どうにも縫子の肌にあったのだ。得体の知れない甘ったるい匂いが漂っていて、どこか危険な気配と飽くなき欲望が渦巻いている。刺激を求める縫子にとっては、非常に都合がいい場所だ。誰もが性にも奔放で、その退廃的な雰囲気が好きだった。


 縫子は木製の両開きの扉を開け、〈ディーヴァ〉の中に入る。


 からんからんと響く。


 外観もそうだが、〈ディーヴァ〉は何か特徴があるわけでもなく、ごく一般的な酒場としての体裁を持っている。他と違うのは裏通りにあることと、我妻健吾という人物が、この界隈ではそれなりに知られた存在であるということ、それ以外は、出す酒も特に変わり映えはないし、特別に美味いつまみが出る訳でもなかった。


 店内には円形の木製テーブルが七つほど等間隔で並んでおり、それぞれに背もたれのない武骨なチェアが四つずつ、一番奥にはカウンターの席があって、更に奥には従業員用のスペースと、厨房に入る扉がある。空間をオレンジ色のライトが淡く照らしていて、落ち着いた空気が沈み込んでいる。


 開店前だから客はいなかった。店主も居なかったが、恐らくは裏で作業でもしているのだろうと思い、縫子はカウンター席に座って待つことにした。入口には来客を知らせるための呼びベルが、扉が開くと連動して鳴るように取り付けられている。我妻健吾は縫子が今日来ることは知っているし、知れた仲だ、ほどほどに出てくるだろう。


 縫子は懐からラッキー・ストライクを取り出して火をつける。


 普段ならBGMと荒くれ者たちの声が響く店内に、こうも静まり返られると、どうにも落ち着かなかった。カウンターの裏側、つまり従業員用のエリアに回り、その辺にあったウイスキーをグラスに注ぎ、三個ほど氷を落として席に戻る。煙草の火を消すと、グラスをグッと煽った。


 のど越しに熱を感じながら、一気に飲み干した。


 そんなふうにテキトーに時間を過ごしていると、程なく奥から店主が現れる。スキンヘッドの頭に目元に切り傷がある、どこかの三流映画で見たヤクザのような風貌をした、筋骨隆々の男だった。


 我妻健吾は全盛のころに名を馳せた格闘家であり、その実力を界隈の人間が知らない筈もなく、この町では特別怒らせてはいけない男であると、もっぱらの噂であって、なおかつ、ここら一体を仕切っている顔役のような立場でもあるから、酒場の店主としての実力はそこそこにしても、この【四番通り】で筋を通すには、この我妻健吾に挨拶するところから始まるような、そんな暗黙のしきたりのようなものが、もう何年も前から続いていた。本人は非常に嫌がっている。


「おう、ヌーコ。ようやく来たか」

 我妻健吾は少しかすれた、威圧感のある声音で言った。


「早乙女の野郎と少し話してたら遅れちまった」

 縫子も我妻健吾には慣れているから、臆した様子もなく、片手を挙げて返事をした。


「ああ、アイツもご苦労なこったな。テメエとテメエの親の、クソみてえなタッグを相手にしながら働かなけりゃなんねえ。俺だったら二日で辞めてやる。三日坊主になりゃしねえってもんだ」


「んだよ。アイツはいいんだよ、マゾなんだから」


「マゾにも嫌な事はあると思うけどな」


「アイツの話はよそうぜ。マゾがうつっちまう」


 縫子が言うと、我妻健吾は肩を竦めて「なに飲む?」と聞いてきた。適当に頼むとジョッキに波々入ったエールを、カウンターに無造作に置いた。そのあと、縫子が勝手に使っていたグラスは回収してくれた。


 縫子はまた、そのジョッキを一気に飲み干すと、小さく息を吐いた。

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