第32話 束の間の恋人

 連休が明け、また学校が始まった。海斗は相変わらず朝練と夕錬が毎日あり、顔を合わせる時間は短い。母さんに何かを悟られる心配は、意外にないかもしれない。

 教室に入ると、わーっと女子が集まってきた。

「ねえねえ、お兄さんと前園さんって、恋人じゃないんだってね?」

「フェイクだったんだってね!」

などと言われた。俺は曖昧に頷いた。この伝わるスピードは何だろう。SNSで回っているのだろうが、俺は情報に疎いようだ。

 聞くところによると、前園さんが、インターハイを前にしてナーバスになり、海斗に相談を持ち掛けていただけで、付き合っているわけではない、と言ったそうなのだ。俺にとってはもう、どうでも良い事だったのだが。

 部活の時、また白石会長が部室に現れた。

「前園の件だが、SNS上に誹謗中傷の書き込みが多数見られたので、実被害はないにしても、手を打った方がいいと思ってね。それで、付き合ってはいないという内容を改めて流したのだ。」

「え?白石さんが、情報を?」

驚いた。すごい影響力、実行力、決断力。

「流石ですね。」

俺は心から感心してそう言った。白石さんは、

「いや、そんな事は・・・。」

と言いながら、本当に照れているようだった。意外に可愛いところもあるみたいだ。俺が微笑んで見ていると、

「し、ら、い、しー。」

出た、海斗。

「キャー、海斗さん、こんにちは!」

萌ちゃん一人にサービスしているみたいになってるよ、まったく。

「こんにちは。おい、白石。また岳斗にちょっかい出しやがって。」

「海斗、白石さんにお礼を言わなきゃだよ。前園さんがひどい目に遭わないように、対処してくれたんだから。」

俺がそう言うと、

「その件なら、もう言ったよ。それとこれとは別!」

と言って、白石さんを睨む。俺は海斗を廊下へ引っ張って行った。

「ちょっと、そんな事したら、バレバレじゃないか。俺たちの事が。」

俺が小声で非難すると、海斗はキョロキョロっと周りを見渡し、なんと俺にチュッと素早くキスをした。

「な、何すんだよ!バカ!」

俺は思わず小声で叫んで、手の甲で唇を押さえた。海斗は俺の頭をナデナデすると、そのまま部活へ戻って行った。ああもう、どこで見られているか分からないのに。


 家に帰ってご飯を食べていると、母さんが、

「岳斗、留守番している間、家事を色々やってくれてありがとね。」

と言ってきた。

「そんな、大した事やってないよ。」

「それと、あの野獣と二人きりにして、ごめんね。」

俺は、食べていたご飯でむせた。

「ごほっ、ごほっ。」

汁物を飲んで、一息ついてから、

「野獣?海斗の事?」

と言ってから、つまり、俺の事を襲うかもしれない、俺の事を狙っているやつっていう意味だと分かり、この話題には触れない方がいいと咄嗟に判断した俺。

「ああ、べつに大丈夫だよ、うん。」

と、適当に話を終わらせた。母さんはにこやかに俺を見守っていた。そうやって、俺の心を読むんだな、母さんは。何でも分かってくれて心強いけど、今はそれが苦しい。

 すると、バタンと音がして、

「岳斗ー!」

と呼ぶ声がした。海斗が帰ってきたのだ。一瞬嬉しいと思ってしまった俺。だが、母さんの手前喜んでいる様子は見せられない。俺はわざとうんざりした態度で、ため息をついた。

「はいはい、今行くよ。まったく。」

と言いながら、玄関へゆっくり歩いて行った。ハラハラするなぁ。


 寝る前になって、海斗がそうっと俺の部屋に入って来た。ドアの開閉の音もさせないようにして、こっそり入ってきて、小声で俺を呼ぶ。俺は驚かなかった。待っていたから。俺たちの束の間の、恋人同士の時間。忙しい海斗の、ほんの少しの時間を俺の為に使ってもらう、贅沢な時間。幸せな瞬間。もっと一緒にいたいけど、勉強もしなければならないし、明日の朝も早い。特に海斗は早起きだから、俺はわがままを言えない。

「じゃ、また明日な。」

海斗はそう言って、自分の部屋へ戻って行った。切ない。胸が苦しい。そして、そんな自分が愛しい。

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