次期皇帝として Ⅳ

 けれどそこで、先ほどまでの悩みがふとよみがえり、彼女の表情がくもる。


「あなたとの関係、お父さまに打ち明けたらどうなるのかしら……?」


「ん?」


 リディアはデニスに、一人ずっと考えていたことを話した。


 皇女である自分と、一兵士に過ぎない彼が結ばれることを、父はどう思うのだろうか、と。二人はどうなってしまうのか、と。


「お父さまが許して下さるのか分からないから、わたし不安で。あなたはどう思う? わたしから打ち明けた方がいいのかしら?」


「う~ん……。陛下の気性きしょうなら、オレ達が黙ってて、後からそれが分かった時の方が、おいかりになるんじゃないかと思うけど」


「つまり、わたしから打ち明けた方がいいということね?」


 リディアの解釈かいしゃくに、デニスは頷く。――ただ、タイミングは考えなければならないかもしれない。


「どちらにしても、城内で二人っきりでこうして人目を忍んで会えるのはこの四阿だけね。しばらくは」


「そうだな」


 デニスは指の動きを止めずに答えた。


 リディアの執務中も、近衛兵であるデニスと二人になることは多い。けれど、侍女や大臣などの目もあるため、恋人同士として振る舞うことは難しいだろう。


「――ねえデニス。スラバットの人って、みんなあなたみたいに情熱的なの? あなたもスラバットの血を引いているのでしょう? お父さまから聞いたわ」


「ああ、確かにオレの母さんがスラバットの出身だけど。どうしてだ?」


 スラバット人の特徴とくちょうは赤髪に茶色の瞳、そして褐色の肌だと、夕食中に父から聞いた。――ちょうど、デニスと同じようだと。


「王子からの手紙も、情熱的な内容だったから。……ちょっと読んでみて?」


 リディアは既に開封済みの手紙をガウンのポケットから取り出し、デニスに差し出す。


「いいのか? オレが読んでも」


 受け取ろうとしたデニスは、少しためらった。いくら恋人とはいえ、他人様ひとさまの手紙を読むのは気が引ける。


「ええ。手紙はレーセル語で書かれているから、あなたにも読めるはずよ」


 本人がそこまで言うのなら……と、デニスは四つ折りにされた便箋びんせんを開く。


「――おー、こりゃスゴいな……」


 最後まで一通り目を通したデニスは、言葉を失った。


「でしょう? 一度も会ったことがないのに、どうしてこんなに情熱的な恋文こいぶみが書けるのかしらね? 肖像しょうぞうすら見たこともないのよ」


 リディアは首を傾げた。父から聞かされた話だけでこの手紙が書けたのなら、カルロスという王子は相当な想像力の持ち主に違いない。


「それは……、アレじゃね? 他の国の貴族とか王族がお前の美しさのうわさを聞きつけて、政略結婚をはかるようなもんだろ?」


「政略結婚なんて……。だって、この縁談は王子が自ら望んだことなのよ? この手紙からは、そんなことをたくらむような人だとは思えないわ」


 リディアは少しムッとした。この手紙からは、彼の情熱的でありながら純粋な恋心しか感じられなかった。そんな打算のようなものは、微塵みじんも感じられなかったのだ。


 リディアは一方的に、この話題を打ち切った。もう、政略結婚のこと自体考えたくないのだ。特に、恋人の前では。


「――ねえ、デニス。スラバットってどんなところなの? あなたは行ったことがあるんでしょう?」


 彼の母親の故郷ならば、彼も何かの機会に一度くらいは赴いたことがあるはずだ。


 ちなみに、リディアは一度も行ったことがない。「隣国」とはいっても、国境には高い山脈がそびえていて、越えるのに苦労するのだ。


「スラバットには、小さい頃から何度か行ったことがあるぜ。そうだな……、オレが覚えてるのは、まず気候がこの国とは全然違う。ちゃんと四季のあるレーセルとは違って、一年中暑くて乾燥してるんだ」


「へえ、そうなの? ――他には?」


「リディアの言う通り、色恋に関しては情熱的な人が多いかな。オレの母さんも元踊り子で、父さんに猛アピールして結ばれたらしいから」


「へ、へえ……。じゃああなたは、お母様に似たのね」


 リディアは感心したようにそう言った。彼の身体的特徴も情熱的なところも、母親譲りだとしか思えない。剣の素質は父親譲りだとしても。


「かもしれないな」


 デニスはリディアに手紙を返し、再び彼女の髪に指を滑らせ始めた。


「――ねえデニス。わたし、政略結婚なんて絶対にイヤなの。相手がどんなにいい人でも。結ばれるなら、愛する人とがいいわ」


「うん……。リディア、好きだ」


「――え?」


 改まって想いを告げられたリディアは面食らう。――何を今更?


「いや、まだちゃんと伝えられてなかったから、さ」


「ああ……」


 そういえば昨夜、シェスタの浜辺でそんなことを言ったかもしれない。けれど、彼の想いはキスだけで充分伝わったから、改めて言葉で伝えてもらわなくてもよかったのに。


「ありがとう、デニス。大好きよ」


 リディアも再び、彼の肩に頭を預けた。


「スラバットの王子が来た時も、かっさらわれないようにオレがちゃんと守ってやるよ。だから安心しろよ」


「ええ。デニス、あなたを信じているわ。だから、わたしのことも信じてね。わたしは絶対、他の男性ひとに心うばわれたりしないから」


「うん、信じるよ」


 そうして二人は見つめ合う。


 昨夜のキスは、テニスからの不意打ちだったけれど。今夜はリディアの方から唇を重ねた。お互いに目を閉じて、昨夜よりも長く濃厚なキスを交わす。


(これが、恋人同士のキスなんだわ……)


 ――と、そこへ……。



「――姫様ー、姫さまぁ! どこにいらっしゃいますかぁ?」



 城内のどこかから、若い女性の声が聞こえてきた。デニスとき合い、キスの余韻よいんに浸っていたリディアは、その声でふと現実に引き戻される。


「あの声、エマだわ。わたしを探してる」


「エマって……、お前に付いてる侍女か?」


 デニスに訊かれ、リディアは頷いた。


 彼の言う通り、エマはリディア付きの侍女で、現在リディアより一つ歳下の十七歳。純粋なレーセル人で、肩までの長さの金髪と顔のそばかすが特徴。そして。


 ジョンとは違う意味で、生真面目でくちやかましい。


 彼女は何というか、心配症なのだ。お忍びで出かけて戻ってくると、リディアは必ずエマに叱られる。昨夜もきっと、彼女は胃に穴があくような思いで過ごしていただろう。


 ――それはともかく。


「ゴメンなさい、デニス。わたし、そろそろ部屋に戻らないと。エマが心配するから」


「ああ。じゃあリディア、おやすみ」


「ええ、おやすみなさい」


 デニスと別れたリディアは急いで城内に戻り、階段を駆け上がった。すると案の定、自室の前では侍女のエマが仁王におう立ちで待っていた。眉を思いっきり跳ね上げて。


「姫様っ! 今までどこにいらっしゃったんですか!? 心配して探し回っていたんですよ!」


「ゴメンなさいね、エマ。眠れなかったものだから、ちょっと中庭を散歩していたの」


 ぷりぷり怒っている侍女に嘘をつくのも忍びなく、リディアは事実のみを伝えた。


(まあ、中庭にいたのは事実だものね)


 ……けれど、「デニスと逢引あいびきしていた」なんて言えるはずもないので。


「中庭を? お一人で、ですか?」


「え、ええ。もちろんよ」


(これで、「今日のお昼前に海賊と剣を交えた」なんて知ったら、きっと彼女、卒倒そっとうしちゃうわね)


 とっさにごまかしてしまうリディアなのだった。ただ仕事熱心で、心配症なだけの彼女エマを欺いたことで、チクリと良心が痛む。


 この先もエマに心配をかけずにデニスとの逢瀬おうせを続けるには、彼女にもその事実を打ち明けておいた方が都合つごうがいいのだが。


(エマは口が軽いからなあ……)


 彼女の口の軽さは、侍女や女官達の中でも一,二位を争う。ウワサ好きの宮廷の女性から、いつ、何の拍子にこの話題が父の耳に入るか分からないので、リディアもおいそれと危険リスクおかすわけにはいかないのだ。


 ちょっとやりにくくはなるが、仕方ない。


「あのー? 姫様、どうかなさいました?」


「いいえ、別に。エマ、わたし、今日は疲れたからもう休むわ。あなたももうがっていいわよ」


 これ以上の詮索せんさくけたいリディアは、自室に戻ると脱いだガウンをエマに預け、彼女の退室を促した。


 なんてことを主がこっそり思っているとは知らない、当のエマはというと。


「あ、はい。おやすみなさいませ」


 忠実にリディアの命令に従い、退室していった。


 一人になったリディアは枕元に置いたランタンの灯りを消し、再びベッドに入った。目を閉じて、そっとしあわせをめる。


(大丈夫。わたしには、デニスがいるもの) 


 ……そう。自分には頼もしい恋人がいる。お互いに信頼し合えて、「守ってやる」と言ってくれた騎士ナイトが。だから、隣国の王子が求愛してきても、心乱されることはない、


 旅の疲れもあってか、リディアはそのまま夢の世界へといざなわれていった――。

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