1-6 ブイチューバーの魂

「カズ~お寿司ごちそうさま~! うまかった~!」


 紗々ブルームがお腹をさすりながらフローリングの上に寝転がる。


「おい、へそ見えてるぞ」


「サービスだよ、サービス。ちらちらっ」


「こ、こらっ、ブルーム! わたしの体ではしたないことしないでください!」


 紗々は上体をがばっと起こす。

 だが紗々ブルームは不満そうな顔をする。


「ふ~んだ。ママだってボクに体貸すって言ったのに、ママの食べたいものばかりつまんでたじゃないか~」


「……だって、久しぶりのお寿司ですし」


 前髪を垂らし、恥ずかしそうに俯く。

 紗々は表情目まぐるしく、一人二役でブルームと会話をしている。


 いま紗々は自分の体をブルームに貸している。


 どうやら紗々はブイチューバーの活動時に、ブルームの魂に体を貸して配信を行っているらしい。


 リスナーと話す時や、コントはブルームに体を貸し、歌ってみた動画や、ゲームの実況プレーには紗々自身のゲームスキルを。


 そのため元の性格からは考えられないようなハイテンショントークが、紗々の口から飛び出しているらしい。


 ちなみにいま体を貸している理由は、ブルームに三次元の体でお寿司を食べさせてあげるためだ。


「ぷちぷちのイクラ、ふわふわのネギトロ……至福の時間でした」


「よかったな」

 そう言うと紗々は幸せな顔でこくこくと頷いている。


「でも収録以外で体を借りるのはちょっと新鮮だね!」


「そうですね。わたしがブルームになるのは、配信するときくらいですから」


「本当はもっと貸してくれたっていいんだよ~?」


「イヤです、さっきみたいに破廉恥なことをされたくありませんから」


「ごめんなさい、もうしませんからっ!」


 ぱんっと両手を合わせ、自分でどうしようかな~なんて言っている。見てて飽きない。


 だが紗々は急に思い出したように顔を上げ、こちらを向く。


「でも、どうして急にお寿司なんて注文したんですか?」


「だって寿司、好きなんだろ?」


「そうですけど。……なんでそんなこと知ってるんですか」


 膝を擦らせて俺と距離を取り、露骨にイヤそうな顔をする。


「動画で言ってたから。言ってたのはブルームだけど」


「えっ、ブルームの動画、見てくれたんですかっ!」


 途端、ぱっと表情を綻ばせて瞳を輝かせる。


「時間いっぱいあったしな。面白かったよ、歌もかなり上手でびっくりした」


「……あ、ありがとうございます」

 紗々はこれ以上ないくらい顔を赤くして照れている。


 なんだこのかわいい生き物は。


 すると紗々はハッとなにか思い出したように、ポーチの中から財布を取り出した。



「お寿司、おいくらでしたか」


「別にいいよ」


「そういうわけにはいきません、お安いものじゃありませんし」


「俺が勝手に注文しただけ。ほらあれだ、俺からのスペチャだと思え」


「でもっ! ――まあまあ、いいじゃんママ。ここはカズに男を上げさせてやろうじゃんか?」


 ブルームが再び体の主導権を握り、財布をポーチの中に戻していく。


「……むぅ。昨日からわたし、ツギモトさんにしてもらってばかりです」


 紗々が不満そうに唇を尖らせている。


「ていうか勝手に掃除とかしてごめんな。事後だけど冷蔵庫も勝手に開けちまった」


「それは構いません。……段々どんな人かわかってきた気がするので」


 紗々が小さな声でぼそぼそと喋る。


「なにか言ったか?」


「いえ、お礼を言っただけです。ありがとうございます」



 とりあえずこれで少しは信用してもらえただろうか?


 少なくとも得体の知れない不審者ではなくなった……と、思いたい。


 四次からも仕事をもらってしまったし、対象と一定の関係値も必要だ。



「で、紗々に聞きたいことがあるんだ」


 改まって目の前にいる、かわいらしい声優と向き合う。

 ――ここからが、本題だ。


「にこたまブルームの役から、降ろされそうになってるのは本当か」


「……どこで、それを」


「ちょっと、小耳にはさんでな」



 ここでまた依頼の話なんてすると話がこじれてくる。

 いまはその情報を掴んでいることだけ伝えればいいだろう。



「ネットの、ウワサですか」

「いや。もう少し確かなところから」


 紗々は薄桃色の唇を引き結び、答えあぐねている。


 まだ公に出ていない情報だ、俺みたいな部外者に話してしまっていいものか考えているのだろう。


「それを知って、ツギモトさんはどうするんですか」


「阻止したいと思ってる」


「……無理ですよ」


 紗々は悲し気に微笑む。


「わたし、ダメなコなんです。陰キャでコミュ障な白なめくじなんです。だからプロデューサーにも気に入られなくて、他のライバーさんとコラボしたいのになにを言っても空気読まないみたいになっちゃって……」


「俺とは普通に話せるじゃないか」


「それは……あいだにブルームが入ってくれたからだと思います」


 紗々はブルームのことを信用しきっている。

 そのブルームが連れてきたから人だから、安心してくれている。


「本当はわたし、ブルームを任されるには分不相応なんです。ブルームみたいなキャラクターにはもっと明るい、いい演者さんがつくべきなんです」


「それは違う」

 断言する。


「紗々はブルームに体を貸してブイチューバーをしてるんだろ? それが出来るのはパートナーになったお前だけだ。もし新しい演者がついてもブルームとはパートナーになれず、新しい演者はブルームをことになる」


 本来、ブイチューバーとはそういうものだ。


 演者がデフォルメされたキャラクターになりきり、わかりやすい語尾や設定を付加して、リスナーの興味を引く存在になる。


 だがブルームは紗々を通して、をしている。


 すなわち紗々が演者を降ろされるということは、新しい演者はブルームのフリをする別人になってしまうということだ。


「にこたまブルームは、紗々でしかありえない。代わりの人は他にいないんだよ」


「わたしの代わりは、いない……」

 紗々は胸を抑え、苦しそうな表情をする。


「それに紗々だってイヤだろ? 他の人が我が物顔でブルームを名乗ってたりしたら」


 紗々はなにも言わない。


 きっと降板を告げられて以来、自分の心に折り合いをつけてきたんだろう。


 辞める心づもりを少しずつ、積み上げてきたのだろう。



 この提案はある意味、残酷なものだ。


 また頑張りたいと言われても、現場への復帰を確約するわけでもない。


 もし失敗したら紗々の期待はまた地面に叩きつけられる。


 目の前の少女が何度も何度も心の痛みに耐え得るとは限らない。



「お話を、聞かせてください」

 紗々は言葉を振り絞るように、言った。


「わたしだってブルームを辞めたくありません。それにこのまま抗えずに流されてしまったら……わたしはなにも変われない気がするんです」


 そう控えめだけど、自分の意志を表明してくれた。

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