落ちこぼれの少年は最強の亡霊と出会う

逆脚屋

亡霊妃は退屈し、そして出会う

 さて、今宵も良き月夜だ。と、始まる話が何時かの何処かにあった気もする。だが、所詮はそんなものが、この身を満たしてくれる訳もなく、月明かりを浴びる屋敷で一つ欠伸を漏らした。


『ああ、暇じゃ暇じゃ。誰ぞ来ぬものか』


 白い、真っ白な人影が所在なさげに漂いながら、幾つもの青白い人魂を月夜に浮かべ並べていた。

 己と同じく漂い浮かぶ人魂を、指先で弄び息を吹き掛け、弛いピンボールの様にして遊ぶ。

 当たっては解ける様に崩れて消える人魂を見ては、退屈そうに欠伸と溜め息を漏らした。


『姫様』

『なんじゃ?』

『〝客人〟です』


 その言葉に、だらしなく浮かんでいた人影は、飛び起きる様に身を翻す。


『何人じゃ』

『見たところ何時もの修道士の様です』

『なんじゃつまらん。……貴様らで相手せよ』


 そう毒づきながら、白い人影は屋敷の中へと消えていった。


『ああ、つまらぬつまらぬ。なんぞ面白い事はないものか』


 


 


 


 


 


 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃


 


 


 


 


 


 魔王が勇者に討ち倒され早数百年、世界は平和と発展を享受していた。

 魔法による技術革命、夜すら昼に変え、人の住まう大地には沈まぬ太陽があった。

 最早、恐れていた闇は存在しない。世界は我々のものだ。

 そう声高に叫び、人々は安寧を享受する。

 闇は消え去っておらず、ただ押し退けて確かにそこにあるのに。


 帝都、大陸で最も栄える魔法都市の郊外に、その屋敷はあった。何時からそこに建っているのか、その造りから貴族か、それに類するだろう者の所有だった事には間違いないだろう。

 だが、決して好んで近付きたい、ましてやそこを買い取り住みたいなどとは、口が裂けても言えぬ。居るとすればそれは狂人の類いだろう。そんな言い知れぬ気配に満ちていた。

 しかし、その屋敷にも客人は存在する。

 神父、修道士、呪い師、祓い屋、おおよそ一般的とは言えない者達が訪れ、這う這うの体で屋敷から逃げ去っていく。

 無論、屋敷に赴き、二度と帰らぬ者達も居た。だが、それでも屋敷に赴く者達は絶えなかった。


『つまらぬ』


 欠伸を一つ、薄く僅かに透けた女が廊下に倒れ伏す人に、実に落胆した目を向ける。屋敷をさ迷っていたのか、偶然出会し、人影を見ただけで倒れた。


『妾に挑むのだから、当然と思っておったが、触れるはおろか近付く事すら出来ぬとは……』


 その半透明の体に、足は無かった。豪奢なドレスのスカートが、まるで意思を持つかの様にはためき、影も音も無く、倒れ伏す人間へと近付く。


『まだ生きとるの。……適当に放り出しておけ』

『畏まりました』


 嗚呼、つまらない。


 この屋敷に住み着き早数百年、始めは骨のある者達が来たが、何時しか腑抜けしか居なくなってしまった。

 嘗ての日々は良かった。例え、凡百の兵士だとしても、己に刃を向け、強い意思で向かってきた。英雄と称される者となれば、己の身に傷をつける者さえ居た。

 だが、今はどうだ。


 力も無ければ意思すら強くない。屋敷を眺める月夜に見える品のない極光、自ら闇を恐れる事をしなくなった人間は、闇に対抗する事すら止めてしまった。


 嗚呼、酷く退屈だ。無為な日々、この身となって幾星霜、これ程までに退屈した日々は無かった。これも全て、あの魔王のバカが勇者に敗れたせいだ。

 刺激も無ければ、温もりなぞ感じた事も無い。唯一感じた温もりは、己を産んだ母親に抱かれたあの儚き日々のみ。

 今となっては、温もりなぞ感じる事は無く、命ある者に触れる事すら出来ない。

 亡霊とはそういうものだ。


『そうじゃ。ちと、屋敷を出てみるか』


 己が屋敷から離れれば、もしかするともしかするかもしれない。

 闇に抗う事を止めた現代で、己の住み処に挑む愚か者が居るのだ。もしかすると、嘗ての時代の英雄の誰かがまだ生きていて、己の存在を明かしたのかもしれない。

 もしそうならば、きっと居る筈だ。


 この身が追い求め恋い焦がれる存在、己に触れる事の出来る者が、居る筈だ。


『姫様、御出掛けで御座いますか』

『うむ、ちと散策じゃ。留守は任せたぞ』

『畏まりました。では、お楽しみを』


 扉をすり抜け、鬱蒼と生え茂る木々を抜ければ、打ち捨てられた獣の死骸から、透けた狸が起き上がり、地面からは蟲が這い出る。


『妾は暇じゃ。芸をするなら飼うてやらん事もないぞ?』


 言えば、透けた蜘蛛が糸を編んで何かを象った。どうやら、屋敷か何かの様だ。

 辛うじてそうだと解る粗末な造りだが、相手は蟲だ。矮小な存在で、これを象れるなら飼う価値はあるだろう。


 懐から黒壇の判子を取り出し、蜘蛛の透けた腹に何やら奇怪な紋様の判を押す。


『妾の印じゃ。励むがよい』


 前肢を蠢かし、蜘蛛は屋敷の方角へと這っていく。

 それを見送り、更に屋敷から離れていけば、街道が見えた。

 夜遅くもあり人間は見えない。生きている人間は。


『目障りじゃ』


 最早意思も何も無いのだろう。ただ、こちらに手を伸ばしてくる人を模したモノを、手にした扇子で払う。触れられてどうこうなる訳は無いが、死んでまで意思無くさ迷う様なモノ、見ているだけで不愉快極まりない。

 ボロボロと、砂の城が崩れるのに似て、塊で落ちてはまた崩れる。

 それに視線すら送らず、亡霊の妃は街道が繋がる極光の町を眺める。


『ふん、品の無い町じゃ。月夜を愛でる事すら出来ぬか』


 見下し、夜空を見上げれば、思わず笑みを浮かべてしまう満月があった。

 良い月夜だ。こんな月夜はきっと良い事があるだろう。

 そんな事を考えながら、姫が満月を眺めていた時、街道に一つ動く影があった。

 人間だ。しかも、生きている。


 珍しいと、姫は夜闇に消え、様子を伺えばまだ年若い、子供と言っていいだろう男子が、夜の中を怯えながら歩いていた。

 珍しい事もあるものだ。口の端を吊り上げた姫は、話に聞く亡霊の真似でもしてみるかと、人魂を幾つか漂わせれば、少年は目に見えて怯え、慌て足を縺れさせ道に転んでしまう。

 その様子に、姫は満足気に笑う。


『ヒャヒャヒャ、よいよい!』


 それだけなら、何の害も無い人魂にあれだけ怯えているのだ。己が出ていけば、どれだけだろうか。

 姫は姿を消したまま、少年に近付いていく。

 喜色に口を吊り上げたまま、腰を抜かした少年に背後から近付き、その顔横に手を這わせる。

 どうせ触れられないだろうが、自分の顔を誰のものか分からぬ手がすり抜ければ、きっと面白いものが見られるだろう。


 そう思い、ほくそ笑みながら少年の顔に手を這わせた。


「ひっ……!」

『は……?』


 姫の手が、少年の顔に触れていた。

 少年は恐怖に、姫は驚愕に固まり、互いに動けずにいた。

 少年は両頬から伝わる冷たさに、姫は両手から伝わる温もりに、互いにあり得ない感覚に戸惑い、しかし姫の方が早く復帰し、少年の顔を覗き込んだ。

 顔相に英雄らしさの欠片も無く、男らしさすら欠片も無い。


 その少年が何故この様な場所に居るのか。気にはなるが、そんな事はどうでもいい。重要な事はそれではない。

 触れている。命ある者に触れている。手から伝わる温もりに間違いは無く、確かに己は少年に触れている。


『貴様、何者じゃ?』

「ひ、あ……」


 否、この際そんな事もどうでもいい。やっと、やっと巡り会えたのだ。

 己が触れる事の出来る人間、己が温もりを感じられる人間に、千を越える時を過ごし、漸く出会えた。


 最早姫の頭の中には、一つの答えしか無かった。


『漸く出会えたのう、主様』

「は、え……?」


 呆ける少年を抱き締め、姫は蕩けた顔と声でそう言った。


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