第35話 収束する運命

 魔神ノウスのことは表向きには伏せられている。

 だが、アッシュに対する警戒がされていないわけではないらしく軟禁状態になっていた。

 私とローザはアッシュを守るために一緒に同じ部屋に篭って過ごしているのだが、


「これで『聖杯』は取った!」

「あああああああっ!! また負けたああああ!!」


 ローザとアッシュは盤上遊戯ボードゲームを繰り返し遊んでいる。

 私の家にいる時からアッシュはろくに外出できなかったしローザも出来る限り外に出たくないタイプなのでこの過ごし方が苦にならないようだが、私はそうではない。

 自分で行かないと決めながらもモヤモヤした気持ちを消しきれず、腕立て伏せや腹筋運動をしながら過ごしている。

 労働狂だとローザに笑われたが性分なのだから仕方がない。


「ローザは弱いなぁ。

 飽きちゃったよ」

「クッソオオオオ!

 駒の動かし方教えたのは私なのに!」

「『騎士王』と『英雄王』を落として勝負する?」

「このおっ! 私を舐めるなっ!

『弓士』と『魔術師』を落としてもらうだけで十分よ!」


 ハンデ付けてもらうのはいいんだな。


 二人のやりとりを見て笑っていると突然アッシュが私の方を向いて、


「そうだ。コウが一緒に考えてあげたら?

 二人でかかって来るくらいでちょうどいい」

「コウ! こんなこと言われて引き下がるようなタマじゃないよね!

 二人がかりで大人の恐ろしさを思い知らせてあげるのよ!」


 余裕綽々で煽るアッシュと必死で喚くローザ。

 私は顔を綻ばせて「仕方ないな」と呟きローザの隣に座る。

 談笑し、頭を悩ませ、気持ちを通わせることができる穏やかで優しい時間。


『たどり着きたい目的地があるのならそれより先に向かうつもりで歩みを進めなければならない』


 昔、サンドラとの教えてもらった修行の心構えの一つだ。

 これは修行に限らず普遍的なものの考え方だと思う。


 店持ちの商人になりたいなら商会主を目指す。

 騎士になりたいのなら騎士団長を目指す。

 幸せになりたいのなら他人に幸せを分け与えられるような人を目指す。


 私の場合は、英雄だなんて途方もない夢を追ったおかげでこんな穏やかで優しい時間を持つことができた。 

 ローザは不幸な結婚から逃れることができた。

 アッシュも地下から救い出されこうやって人と一緒に暮らせている。

 私が戦ってきたことはちゃんとした成果を上げている。

 もう十分だ、って満足しきってしまいそうなほど。


「ねえ、コウ」


 アッシュが私に声をかけてきた。


「なんだ?」

「俺さ、コウやローザに会えてよかったって思ってる。

 あの家に連れ帰ってもらってからすごく幸せだったんだ。

 ふかふかの布団、温かいご飯、ひとりじゃなくて誰かがいてくれること。

 俺は知らなかったんだ。

 二人に出会うまで自分がどれだけ不幸で辛い思いをしているのかさえ。

 もし、今あの地下牢に戻されたら数日もしないうちに死にたくなると思う」


 笑みを浮かべながらも落ち着いた声音。

 普段の子どもっぽく人懐っこいアッシュとは打って変わって急に大人びたように見える。


「これからローザやコウはどうするの?」

「どうって……別に何も変わらないわよ。

 魔獣を狩ってお金稼いで日々を楽しく過ごすだけ。

 そうでしょ? コウ」

「お前がいうとその日暮らしの蛮族みたいな感じがだが……

 まあ、そういうことだな。

 今回の討伐が終わった後も私はここで騎士をやっていく」


 私たちの答えを聞いてアッシュは少しむくれた顔で駒を動かす。


「そうはならないでしょう。

 あの二人がそうはさせないと思う」

「ユキとヨシュアのことか?

 偉い人らの戯れなんか気にしなくていいんだよ。

 どうせ連中はそのうち偉い家で丁寧に育てられた綺麗な薔薇のようなご令嬢と結ばれるんだ。

 私たちのことも本国に帰れば忘れてしまうさ。

 なあ、ローザ。そういうもんだろ?」

「ええっ!? あ……ああ……うん。

 そういうことが多いとも言えなくないかもしれないわね……」


 ローザの歯切れが悪い。

 アッシュは少し笑ってさらに駒を動かす。


「もし……だけど、立場が変わると俺たちでも対立することがあると思うんだ。

 ソートクたちが良い例だ。

 飢えてもいないのに共食いをしてあのざまだ。

 コウもローザも意志が強いからきっと……」

「どうしたのよ、アッシュ。

 急に大人びた感じになっちゃって。

 私はアッシュにはもうちょっとの間、子供でいてほしいなあ」


 強張った表情のアッシュをなだめるようにローザが抱きついて頭を撫でる。

 綻んでいくアッシュの表情。

 そしていつものように満面の笑みを浮かべる。


「でも、ローザ。俺だっていつまでも可愛がってもらえる子犬じゃいられないんだよ。

 俺だって叶うならもっと二人と一緒にいたかった。

 二人とも俺のお嫁さんにしたいくらい好きだった」

「アッシュ?」

「だから大丈夫。

 どんなことがあっても俺は二人を傷つけたりなんかしない。

 だから安心して――――」


 え?


 アッシュの身体が光に変わっていく。


「アッシュ!?」


 ローザがアッシュの身体を強く抱きしめようとした、が忽然とアッシュの姿が消えたことで空振りになってしまう。


 カラン、とアッシュの持っていた駒が盤上に落ちて転がり硬い音が響いた。

 取り残された私とローザは何がなんだかわからないまま呆然とお互いを見つめあっていた。


「コウ……何が起こっているの?」

「分からない。

 だけど、あの感じ……ユキたちがここに現れた時と似ているような――――」


 ダダダダ! と激しく打ち鳴らすような足音が近づいてきたかと思うと蹴破られるように扉が開け放たれた。


「おい! お前ら!

 あのアッシュとやらに何をした!?」


 血相を変えて現れたのはアグリッパ。

 俺たちを怒鳴りつけると部屋の壁や床を叩き隠していた魔法陣を発動させる。


「えええええっ!?

 こんな魔法陣仕込んで私たちのことをずっと覗き見していたの!?

 この変態! クズ! クソ豚野郎っ!」

「ええい!! バカ女の戯言に付き合ってる余裕なんてないっ!!

 魔術封じの術式が破られたような形跡はない……

 小僧! 状況を説明しろ!!」


 苛立ちと焦りが混じるアグリッパの顔から事態が深刻なものであると悟る。


「おそらくだが、あんたらがここに来た時に使った転移魔術だと思う。

 だがアッシュにそんな芸当は無理だ」

「分かっておる!

 それでも念のためこの部屋にはありとあらゆる対策をぉ……

 どうしてこうなった!?」


 慌てふためくアグリッパ。

 そこにローザが泣きそうな声で呟く。


「連れ去られたんだ……」

「なんだと!?」

「連れ去られたのよっ!

 だってアッシュが私たちの元からいなくなるにしても不自然すぎるタイミングだったでしょ!

 誰かが外から魔術でアッシュを」

「外からっ!? まさか!!」


 アグリッパは部屋中の魔法陣を片っ端から確認する。

 そして肩を震わせて笑う。


「デュフッ……フフフフ……あり得ない……あり得ないだろおおおおお!!

 遠隔の転移魔術!?

 しかも魔術的妨害をすり抜けて、対象だけを、抵抗も許さず!?

 こんなの神話にある召喚魔法じゃないかっ!!」


 アグリッパのように魔術に造詣深い訳ではないが奴の口走っていることが常軌を逸した現象だということは理解できる。


「ねえ! 一人で盛り上がらないでよ!

 何が起こったかじゃなくてアッシュはどうなっちゃったの!?」


 ローザの悲痛な叫びに私は心臓を絞るような思いで答える。


「ノウスの元だ」

「えっ?」

「貴様!? 知っておったのか!?」


 誰もが見誤っていた。

 アッシュを見つけられなければ、隔離しておけば、近づけさせなければ……

 そんなのはあくまで生き物の常識の話であって遥か高位の存在にそんな姑息な手は通用しない。

 自分から向かわなくても、アッシュが向かわなくても問題ない。

 鞄の中から物を摘み出すようにして取り寄せることができるのだから。


「ユキ……!!」


 遠く離れたシャッティングヒルの向こうで戦う幼馴染の名が口からこぼれた。

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