第37話 決断な幼なじみ

「もう一回、ちゅーしてよ」


 冗談で言っているわけではないのはわかった。


「なんでそうなるんだよ。そもそも一回もしたことないし」

「それでもいい。したのかしてないのか、曖昧だからこんなにモヤモヤするんだもん。だったら、したんだって確定したほうが、悩みがなくなって試験にも集中できるもん」

「ちょっと落ち着けよ。言ってることが滅茶苦茶だよ?」

「それでもいい。して」


 キクの決意はかたい。


 こういう展開を、想像したことがないと言えば、嘘になる。そうか、そうなんだな。いつかこんな日が来るんじゃないかと考えたことくらいはあったけど、今日だったか。


 俺は立ち上がり、キクを真っ直ぐ見る。


 聞き間違えないようはっきりと告げた。




「しない」




 キクは予想外だったのだろう、唖然あぜんとした顔をしていた。


 今まで俺は、キクの頼みならほとんどなんだって聞いてきた。内容を確認する前にだってオーケーしてきた。それは、キクは理不尽な頼みなんてしてこないことがわかっていたからだ。


 でも今は違う。


「なんでよ」


 キクの目から涙が一筋流れ、彼女はとっさにそれを拭った。


「天野さんとも倉臼さんともしてるんでしょ! なんでわたしはダメなの!」

「そんなの関係ないだろ。俺はキッちゃんとはしない」


 キクが立ち上がって手を伸ばし、俺の後頭部を掴んでそのまま強引に顔を寄せてくる。

 俺は腕を交差させて、肘をキクの肩にあてるようにして、それをこばむ。しばらくその攻防が続くが、さすがに俺の力がまさり、顔は近づかない。


 再びキクの目から涙が溢れる。


 キクは諦めて手を離し、ベッドに腰を落とした。


「だったら、唇に触らせて。柔らかさを確かめるくらいならいいでしょ?」

「ダメだ」


 俺は即答する。

 キクは俺を睨みつける。


「いいもん、だったら、その辺の適当な男の人とちゅーして確かめるもん。それでもいいの?」

「それでキッちゃんの気が済むなら、それでいい」


 バチンッッ!!


 それは、キクの右手のひらが、俺の左頬を叩いた音だった。


「バカケルのバカ。大嫌い」


 初めて聞く、びた刃のような声が、俺の胸に突き立つ。


「出てってよ」


 俺はなるべく感情を殺して、キクを見ていた。


「出てって! 今すぐ!」


 俺は大きく一ついきき、ゆっくりと歩いた。扉を開けて廊下に出て、なるべくゆっくり、音を立てないように扉を閉める。閉めきる直前、キクの嗚咽が聞こえてきた。


 階段を下り、靴を履き、「お邪魔しました」と挨拶をして玄関を出る。後ろから聞こえたおばさんの「あれ、カケル君もう帰るの?」という声を無視し、自分の部屋を目指して歩く。


 少しの距離だが、なるべく顔を見られないよう、俯きながら歩いた。


 幸い誰にも会わずに部屋まで戻ることができた。そのままベッドに転がる。


 天井を見つめていると、黒猫のレスがやってきた。

 ベッドに上がって俺の腕の横に寄り添い、頬やこめかみに流れる涙を舐めとる。

 それをさせるがままにし、俺はといえば、勉強道具を忘れたな、なんて、どうでもいいことを考えていた。


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