世界を救う唄

葛葉幸堂

世界を救う唄─陽─

 壊れ始めた世界。

 狂った理。

 尊い命が消えていく世界。

 その崩落を止める事ができるのは。

 命の巫女が歌う「世界を救う唄」だけだと言う。


 世界の外れ、辺境の村。

 そこは旅人たちで溢れていた。

 村はずれの花咲く丘で、群衆を前に堂々と楽器を奏でる少年と美しい歌声の少女。

 その調べに耳を傾ける旅人たち。

 この村に訪れる旅人たちは皆、その身体から大切なものが抜け落ちてしまった者達だ。

 世界で生きていくための命。

 悲しみ。絶望。恐怖。憤怒。怠惰。嫉妬。傲慢。飽食。

 このままでは、世界は破滅をまぬがれることはない。

 人とは違う感性を持つ少年と少女は、その事を心の奥底から理解していた。

 世界では大陸が海に沈み。森が枯れ。山が崩れ。動植物が死滅していく。

 この世界は人々が思う以上に危機に瀕している。

 二人にできることは、この村に訪れる旅人達を癒すことだけだ。

 どうすればこの世界が再び生命力の溢れる緑の星に戻るのかなど、知る由もなかった。


 世界統一教会の総本部。

 総司祭は教会本部の奥底で、神の時代に書かれた書物を発見する。

 いくら探しても見つからなかったもの。

 それがまるで、世界の危機を救うために突然現れたかのようだった。

 総司祭は叫ぶ。

 直ちにその他の司祭や神官が集められこの聖なる書物の解読が始まった。

 神の時代に人間が犯した罪があるとも知らずに。


 少女は夢を見ていた。それは幼い頃から見続けている、不思議な夢。

 その中で少女はずっと歌い続けているのだ。

 この世界の崩壊を防ぐために。

 この世界を再び生命力豊かな星にするために。

 確かに少女の歌で、世界の崩落を防ぐ事ができる。

 でも足りない。

 少女の歌では、世界にを生命力で満たすことはできても、器に穴が空いていてはまた漏れていく。

 器自体を修復することは少女には不可能なのだ。

 そして朝の光を浴びて、少女は目を覚ます。

 不意に流れる涙。

 そこまでは覚えている。しかし最後の最後に見た場面だけがどうしても思い出せない。

 少女はその思い出せない部分を思い出そうとすると、胸が張り裂けそうになり、悲しみの涙が溢れるのだ。

 歌い続ける少女を光とするならば、思い出せない場面は闇なのだ。

 光と闇は交わる事ができない。

 闇を救うものがいるとするならば、同じ闇だけなのである。


 少年は一人墓地にきていた。

 そこに眠るのは少年の父と母。

 一昨年の山崩れの折に亡くなったのだ。

 薬師の母はもちろん、土砂に埋まってしまった村人や旅人を探すために二人、現地へ駆けつけた。

 不運だったのは、二人の対応が迅速過ぎた事だ。

 山崩れの第二波が街道を襲い、結果二人とも帰らぬ人となった。

 少女は泣き叫びひどく落ち込んだ。だが、少年は休む事をしなかった。

 そして、亡き父と母の代わりに旅人たちを救うため演奏をした。

 その頃の少年の技術は父には及ばぬものの、そこに希望と未来をのせる事に関しては父を上回っていた。

 しばらく塞ぎ込んだ少女も少年の姿を見て立ち上がる。

 母に習った薬師としての技術。母はマメであったため、薬の調合のやり方を事細かに残していた。

 薬師の勉強をしながら、朝と昼には少年の旋律と共に歌を唄う。

 2年。

 2年かけてようやく、自分たちの暮らしが安定してきたのだ。

 もう決して家族を、その温もりを失う事がないよう少年は強く、強く決意する。


 神なる書物。その中から発見されたのは、この世界を運行するために必要な施設の事であった。

 理を司る塔。

 この世界を正常に保つための神が作りし伝説の塔だった。

 その理を保つには、「命の巫女」の唄が必要だという。

 総司祭はすぐに伝令をだす。

 世界を巡り、命の巫女たる資格のある者を連れて来い、と。

 女性神官、世界中の歌姫がこの塔に呼ばれた。

 だが、その中でこの塔に入れた者すらいなかった。

 それから数ヶ月。一人の高官が旅人から聞いた辺境に住む少女の話を総司祭に伝えた。

 総司祭はすぐに辺境の村へ人を派遣する。

 無名のその少女こそが命の巫女なのではないかという期待。

 いや、それはすでに確信に近かった。総司祭の中では御神託にも似た閃きだったのだ。


 午後。いつものように、魂が欠けている旅人たちの前で二人は楽器を奏で、唄う。

 絶望に襲われた世界を表すかのような前奏。

 世界の惨状を歌い上げる少女。

 それはまさに今、二人の演奏を聴きに来た旅人たちの心境そのものだった。

 間奏。

 曲がまるで別の物語のように変わる。

 辛くても生き抜き、絶望から這い上がる。険しくも辛い日々。

 しかしそれを乗り越えた先にある大いなる聖の灯火。

 その先にこそ神の後光が差すのだ。

 荘厳な、その御手を差し出す神がその場にいるかの如く、花咲く丘を染め上げる唄。

 旅人は涙を流し、全てのものへ感謝をする。

 産まれ出て、病に侵され、様々な苦難に逢い、成長して、老いて死ぬ。

 生の喜びも、苦しみも、全てを受け入れてこそ神はその御力で人々に永遠の幸せを与えるのだ。

 少女の歌声が心惜しくも終わり、少年の後奏が最後の音を響かせ静かに神の物語は幕を閉じる。

 この世界で生きることを諦めていた者たちに、再び生命の雫を与え、その心には揺らぐことのない大樹が根ざす。

 傷ついた魂は癒され、生命力を満々と湛える。

 それは奇跡そのものだった。

 少年と少女は深くお辞儀をする。

 一拍置いて花咲く丘に万雷の拍手が響き渡る。

 演奏を聴き終えた旅人たちは皆涙を流しながら拍手を送り、生の喜びをその胸に再び自身が戦うべき日常へと帰って行くのだ。

 その中に、なぜか村に残る神官の姿を二人はよく記憶していた。


 夜。

 夕食を終え、居間の暖炉の前で二人は寄り添いながらそれぞれに思い思いの事をする。

 少年は時に楽器の手入れをしたり、基礎練習をしたり、父の残した書物を読み漁り、また少女を優しく抱きしめた。

 少女も同じように、母の残した書物を読み勉強に勤しんでいる。そして、時に少年の胸へと頭を寄せて心を通わせていた。

 血のつながらない家族であるがゆえの愛を二人は育んでいた。

 外はしん、と静まり返り聞こえるのは暖炉で薪が爆ぜる音と、二人がめくる書物の音のみ。

 いつの間にか雪が降っていたようだ。それを踏みしめる足音は、少年と少女の家の前で止まる。

 響くノックの音に、少年は立ち上がり扉を開ける。

 とたんに吹き込む身を切り裂くほどの寒風。すると目の前には教会の神官たちがいた。

 村の神官ではなく、都から来た高官であろう事は服装や佇まいで見て取れた。

 少年は何故そのような神官たちがこのような辺境に住む村人の所へ来たのか、皆目見当もつかぬまま、家へと招き入れた。


 テーブルを挟み向かい合う少年と神官3名。少女は暖かい飲み物を持ち、それを配ってから少年の隣に腰を下ろす。

 しばしの沈黙。

 先に口を開いたのは神官の中でも最も年配で、威厳あふれる高官だった。

 高官は話す。

 世界は未曾有の危機に瀕している。

 よくても20〜30年のうちに世界は滅びる可能性があること。

 それを救う事ができるのは、理を司る塔にて世界を救う唄を歌いあげる事ができる命の巫女だけだということ。

 世界中を探し回り、ほんの小さな噂を頼りにこの村へやってきた。

 つまり彼らは、少女を命の巫女だと呼ぶのだ。

 理を司る塔にて世界を救う唄を歌う。

 それは一介の少女にとっては身に余るほど素晴らしいこと。

 そしてこの世界に平和と安寧をもたらし、この世は少女に永遠の賛美を送りながら幸福に包まれるのだ。

 高官は言う。世界の為に歌い続けて欲しいと。

 高官は確信していた。

 この少女こそ、世界を救う命の巫女なのだと。

 少女は思う。

 高官の口からは少女がどれだけ尊く、その使命が輝かしいものか、美辞麗句に溢れていた。

 しかし。

 少女は永遠にその命が尽きるまで、その塔で歌い続けなければいけないのだ。

 その時少年はどうなるのか。

 自分は少年と共に生きられず、どのような絶望を抱くのか。

 体が震える。少年はその肩を優しく抱いた。

 少年の目には怒りの火が灯っていた。普段怒ることのない少年が見せた、初めての怒り。

 少年は怒り叫ぶ。

 少女が歌えば世界は救われる。

 しかし、少女の幸せはどこにあるのか!

 普通に歳をとり、愛するものと結ばれて、子を授かり孫に囲まれ、愛しい家族に見守られながらこの世を去る。

 少女が命の巫女になるということは、その普通の幸せすら奪い去るのだ!

 なぜ少女一人が犠牲にならなければならない!

 お前たちは神の名を借りて他の方法を詮索せずに少女だけに運命を託す腑抜けだ!

 少女一人に全ての業を負わせなければ、何も出来ない宗教のどこに神と通じる資格がある!

 世界の為に生け贄を欲する者に、神を名乗らせるな!

 もしこの世界を本当の意味で幸せに導きたいのなら、この少女も幸せにしてみせろ!

 少女のいない世界なんて、自分にはなんの価値もない!

 誰かを助ける為に誰かを犠牲にする世界ならば。

 少年から少女を奪おうとする世界ならば。

 少年は命の限りに叫ぶ。


 ──滅べばいい──


 少年は呪詛を吐く。

 たった一人の少女を助けることもできない神という名の無能者に。

 少年は呪詛を吐く。

 神の使いと名乗り、少女から幸せを奪おうとする悪魔の手先に。

 少年は呪詛を吐く。

 少女がいない世界など少年にとっては、何の意味もないと。

 少年は最後に願う。

 世界が滅びるなら、その最期の時を少女と迎えたいと。

 少女は未だ震えながら、嗚咽を漏らし涙を流す。

 沈黙が場を支配する。

 高官が口を開く。

 私たちが聞きたいのは君の答えではない。

 私たちが答えを聞きたいのは少女の口からだ。

 もちろん我々も、少女だけに頼らずにこの世界を治す方法を模索する。

 高官はそう言ったが、今のところ何の手がかりもない。

 そして少年が語った事は、少女の心を代弁したものだったが一部でしかない。

 その気持ちも怒りも少女は確かに抱いた。

 だがそうなった時この誰よりも優しい少女は、罪悪感をその心に抱えたまま世界の終末を迎えるのだろう、と。

 少女は震える唇から、ようやく言葉を絞り出す。

 ──一晩、考えさせて欲しい。

 高官は、いい返事を期待していると言い去っていく。

 少女は涙を隠すように少年の胸に顔を埋める。

 少年は涙を流さないようにその頭を撫でる。

 もしかしたら少女は命の巫女足り得ないかもしれない。

 しかし、少年もまた人智を超えた感性を持っている。

 この愛する少女は神の寵愛を受け、世界を救うに相応しい歌い手なのだと。

 そして少女は思い出す。自身が見た夢を。

 世界の果てで歌い続ける夢を。

 二人は最期の夜を惜しむように愛し合う。

 いつしか夜は明け、朝日を受けて処女雪が宝石のようにきらめく。

 少年は少女の決心が鈍らぬように寝たフリをする。

 少女は少年の想いを無駄にしないよう家を出る。

 こうして辺境の村から一人の少女がいなくなった。

 皆、少女が居なくなったことに深い悲しみを覚えたが、月日が経つごとにそれも薄れていった。


 しばらくして。

 世界に祝福の歌が流れた。

 それは紛れもなく少女の歌声だった。

 傷ついた世界を癒しの御手にて包み込むような、豊穣の歌。

 傷ついた世界が再び蘇り行く奇跡を起こす、女神の如き清らかな調べ。

 こうして世界は崩壊を免れ、正常にその歯車を回した。

 こうして世界は再生へ一歩踏み出した。

 こうして人々は神に感謝した。

 


 …………。

 ……。

 しかし。

 祝福された世界とは裏腹に、少女の心は壊れていく。

 愛する者を置き去りした悲しみ。

 愛する者と共に生きられない絶望。

 愛するに心配をかけないよう、強くあらねばならぬという重責から。

 そうしなければ、愛する人にはこの心が、伝わってしまうはずだから。


 あの日交わした約束は、今も忘れない。

 でも、あなたの生きる未来に私はいないから。

 だから……。どうか、私のことは忘れて。

 あなたと過ごした日々は忘れない。

 でも、あなたの隣に、私はいられないから。

 あなた住む世界は私が護るから。

 だから、どうか私のことだけは忘れて……。

 あなたは、新しい世界で、新しい人と生き抜いて。

 この素晴らしい世界で、愛しい人を見つけて幸せに暮らして。




 『だけど。

 本当は。

 あなたと生きたかった。

 想いを馳せる、二人の未来に涙が流れるけど。

 この星に生きとし生けるもの、全てに祝福をするため。

 私は歌いつづける。

 私を、犠牲にして』


 この世界の平和は、犠牲の上に成り立っている。

 一人の少女に、全ての罪を被せて。

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