第19話【第四章】

【第四章】


 ピッ、ピッ、ピッ、ピッ……。

 細かい電子音がする。心電図の音だ。ここは、俺がかつて一度収容されたこともある、CS本部の医療棟である。

 聞いたところでは、ここは外科手術の設備が充実しているらしい。一般の大病院の二倍近くとか。


 この個室で休んでいるのは、夏鈴である。患者用パジャマを着せられた夏鈴は、カーテンの向こうで静かな寝息を立てている。

 俺はと言えば、カーテンのすぐそばで、件の電子音に耳を澄ませていた。やや弱めに設定されたクーラーの稼働音が低く響いている。


 もし許されるなら、カーテンをそっと開けて、夏鈴に語りかけてやりたかった。

 お前のお陰で、俺は助かったのだと。俺は感謝しているし、羽奈もこの事実を知れば、きっと喜ぶに違いないと。


 それができないのは、医師の『絶対安静』という言葉のためだ。少なくとも、夏鈴が自然に目を覚ますまでは、接触を図るべきではない。


 カーテンの隙間から、点滴のパックが吊るされているのが見える。ぽたり、ぽたりと栄養剤が零れていくのがもどかしい。

『さっさと夏鈴を元気な状態に戻してみせろ』。精神的に昂っていた俺は、自分がいつそう叫び出すか、分からないような状態だった。


《波崎宗一郎一佐が参られました》


 いつかの合成音声がそう告げる。はっとして立ち上がり、振り返ると、ドアが滑って開いていくところだった。波崎と若い男性看護師が立っている。

 きっとある程度の階級の人間は、自由に病室に出入りできるのだろう。


「随分苦労をかけたな、翼くん。部隊を率いる者として、責任を痛感している。申しわけない」

「いっ、いえ……」


 本当だったら、カマキリに対して何故あんな戦いを仕掛けたのか、問い詰めるところだ。そうしなかったのは、波崎自身が相当憔悴しているように見えたからだ。


 波崎は看護師に、『如月三尉をよろしく』とだけ告げて、俺を室外に誘った。

 俺は夏鈴のそばにいたかったが、誰あろう隊長の頼みである。結局、彼に連れられて病室をあとにした。


 廊下を歩いていると、豊かな緑が目に入った。ここは地上三、四階といったところか。


「あの、波崎隊長」

「何だ?」

「この施設って、一体どこにあるんです?」


 すると、その質問が意外だったのか、波崎はふっと大きく息をついた。微かに笑みを浮かべている。


「それを悟られないようにするために、君たちの護送には特殊車両を使ったんだがな」

「特殊って……。ああ、スモークガラスの」

「そうだ」


 外の風景からして、取り敢えず山間部に位置していることだけは分かった。夕闇が空の大半を占めつつある。


「こちらからも一つ質問だ。黒木翼くん、君は戦いや闘争というものをどう思っている?」

「え?」


 そんな唐突に、哲学的なことを尋ねられても困る。そう答えようとしたが、俺の返答はあっさりしたものだった。


「避けて通れるなら、そうしたいものです」

「そうだな」


 波崎は廊下の一角で立ち止まった。自販機がある。硬貨を数枚、滑り込ませながら、波崎は続けて問うてきた。


「如月三尉――夏鈴から、彼女の過去は聞いたか?」

「はい。ご両親を魔獣に殺された、と」


 ふむ、と頷きながら、波崎は顎に手を遣る。ここ数日休んでいないのか、無精髭が目立っていた。


「実はな、夏鈴には弟がいたんだ」


 ああ、そう言えばそんな話もあったな。モグラの魔獣の話をした時には話題に出なかったけれど。


「誤嚥性肺炎で亡くなったんだ。夏鈴が三歳、弟さんが半年の頃に」

「えっ……」

「翼くんも妹さんがいるな。きっと夏鈴は、君と自分の境遇を重ね合わせているんだ。だから君を守ろうと無茶をする。たった一人で魔族の隙を突くとは……」

「でも、俺はそれで助けられたんです!」


 必死に夏鈴の行為を肯定しようとする俺に向かい、波崎は『そうだな』と言って、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「ほれ」

「おっと」


 放り投げられたのは、缶コーヒーだった。この建物ではコーヒーの需要が高いのか?


「明日の午前中には、夏鈴は目を覚ます。そうしたら、午後から壇ノ浦二佐――ダン主導で作戦会議だ。お付き合い願えるか?」


 その真剣な隻眼の眼差しに、俺は一瞬後ずさりしそうになった。だが、確認はしておかなければ。


「明日の会議に俺を誘う、ってことは、まだ俺に戦えって言ってるようなもんですよね」


 波崎は黙して答えない。その無機質な目つきに、俺は強い感情が湧き上がってくるのを感じた。


「冗談じゃねえ!」


 全く唐突に、俺は叫んだ。


「波崎隊長、あんたは知ってるんだろ? 俺の妹の羽奈も、魔王の血族なんだって! 俺が戦いに出れば出るほど、敵は対策を練ってくる。いつか、俺も殺されるだろう。そうしたら、今度は羽奈を戦いの道具として、あんたらはその身柄を拘束する。そしてあの魔獣や魔族と戦わせるんだ! ふっざけんじゃねえぞ!」


 勢いよく叫び出し、一気呵成に語ったせいで、俺はゼイゼイと息を切らした。

 しかし、波崎の表情は変わらない。むしろ、俺の憶測を肯定しているようにすら見える。


「あんたらにとって、俺や羽奈は都合のいい捨て駒だよな! 一人で魔獣や魔族を何体も倒せるんだから! だけど、そんなことは『できること』であって、俺たちが『やりたいこと』じゃない! 誰だって死にたくはないし、痛い思いをしたくもないんだ!」


『自分の出自がどうであっても』。俺ははっきりと、そう付け加えた。すると、


「こんな言い草は、私としては誠に不本意だが」


 ふっと目を逸らし、波崎が語り出した。


「では君は、如月夏鈴三尉に力を貸さず、ただ危険な現場に突撃していくのを見て見ぬふりをするのか?」

「ッ!」


 俺は一瞬で、喉仏を潰されたかのような衝撃を受けた。


「波崎さん……あんた、夏鈴を人質に……!」

「飽くまで可能性の問題だ。だがそれは、明日の作戦会議の討議内容にもよるところだ。戦えとは言わないが、自分の考えをまとめるためにも、君には明日の会議には出席してもらいたい。頼む」


 そう言って、波崎は綺麗に腰を四十五度に折った。


「……」


 俺の無言を肯定の意志表示と取ったのか、波崎は『食堂は午後九時に閉まるからな』という頓珍漢な助言を残し、階段を下りて行った。


         ※


 その晩、俺は八時三十分頃に食堂に入った。学食とさして変わらない。強いて言えば、観葉植物がたくさん配されている。ストレス軽減効果でもあるのだろうか。

 

 俺は無難に、カレーライスと味噌汁を頼んだ。閉店間際にも関わらず、調理担当のおばちゃんたちは、笑顔で俺を迎えてくれた。


 カレーをトレイに載せてもらうと、ぎゅるっ、と腹が鳴った。てっきり食欲など失せてしまったと思っていたが、実際はそうでもなかったらしい。

 ひとけの少なくなったテーブルにトレイを置き、一度掌を合わせてからスプーンを取り上げた。


「……美味い」


 思わずそう呟いてしまった。後はもう、思春期男子の食欲の為すがままである。

九時五分前に三杯目をお替りし、代金の計一二〇〇円を支払おうとしたが、『今回ぐらい、お客さんにはサービスするよ!』というおばちゃんの笑顔と共に、財布を引っ込めることとなった。


 その夜、俺用に宛がわれた部屋で、自分が何を考えていたのかは判然としない。

 だが、ある程度まとまったことは言えると思う。


 羽奈の身は、俺が必ず守る。

 夏鈴と共闘し、必ず守る。

 そして、俺以外の人間がもう戦わなくてもいいように、魔獣や魔族をぶっ倒す。


 嫌な思いをするのは、もう俺一人で十分だ。


         ※


 翌日。とある呼びかけで、俺は目を覚ました。


《翼? 起きてるか? 私だ。如月だ》

「夏鈴⁉」


 俺の意識は一瞬で覚醒した。


「お、お前怪我は? 大丈夫なのか?」

《ああ。あなたが戦ってくれたお陰で》

「そう、か」


 やはり俺は、自分が戦う定めにあると考え、腹を括るしかないらしい。

 いつの間にか、俺はベッドわきに立っていた。と言っても、居ても立ってもいられない。ベッドの足元に用意されていた、学校の制服(やや丈が短かったが)に着替え、ドアを開けた。


「夏鈴!」


 ばっと両肩に手を載せようとして、慌てて引っ込める。万が一傷に障るといけないと思ったのだ。

 しかし、そんな心配は無用だった。夏鈴の目には、紛れもない闘志が宿っている。作戦中以外に見られることのない、鋭い力強さが。

 すると、全く意外なことに、僕は自分の目頭が熱くなってくるのを感じた。


「どうしたんだ、翼?」

「……しい」

「ん?」

「お前が無事で嬉しいって言ったんだ、馬鹿」


 涙は女の武器と言うが、男として泣かされる方の身にもなってもらいたい。

 すると、さっと夏鈴は赤面し、


「ばっ、馬鹿! 泣く奴があるか!」


 と言って軽く俺の頭を小突いた。


「大会議室に案内する。ついて来い」


 そう言って、夏鈴は俺の手を引きながら廊下を闊歩していった。

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