第46話 対話 ―"Understanding" but the way which opens―

『VRダイブ』室前のエントランスホールにて、腕組みしながら大モニターを見上げるミユキは内心で呟く。


(『魔道書(ゴエティア)』に記されていない新型。でも、あれが二等級以下の【異形】だとは思えないわ。奴らが軒並み地球上の動植物と同程度の大きさであるのに対し、あれのサイズは明らかに異質。全くの新種――電脳世界に対応した【異形】が生み出した、尖兵のようなものなのかしら)


 周囲のどよめきをBGMに、彼女は思考に耽っていた。

『魔道書』を知る者でさえ想定していなかった事態。

 あの巨大な影がどのように産み落とされ、何のためにあそこに出現したのか、誰にも断定できない。


「【異形】が、変化を起こした……? 何らかのきっかけがあって、二等級以下の種が突然変異を起こしたとか? それにしても巨大化し過ぎな気はするけど……」

「きっかけ、ですか? もしやそれは、月居くんだったりするかもしれませんね」


 同級生の糸目の少年、橘(たちばな)ヤイチの言葉にミユキは沈黙を返した。

 何か答えに到達していながらも黙り込んでいる――彼女の様子はヤイチからしたらそう見えた。



 ゆらゆらと巨体を揺らしながら歩き出した『巨影型』の【異形】。

 足音も立てずに地を踏み進むその敵を前に、少年少女は最大限の安全マージンを取って交戦を始めていた。


「まずボクとマナカさんが砲撃で様子見します! 風縫さん、毒島くん、七瀬くんはボクらを守り、敵の反撃があり次第応戦してください! カナタとユイさんは上空から銃撃、及び攪乱を! くれぐれも迂闊に敵に近づかないよう!」


 レイは【太陽砲】の機動シークエンスを開始するのと並行して皆へ指示を飛ばす。

 この機体を操縦して【異形】と戦うのも慣れてきた。今では殆ど意識せずとも、感覚で操作を済ませることが出来ている。

【メタトロン】の灼熱の砲弾とマナカの【イェーガー】の紫紺の『魔力弾』が50メートル先の敵頭部へと撃ち放たれ――そして。

 

「……!?」


 すっ、と黒い影の中を通過して、弾は虚空へ消えていった。漆黒の巨人の歩みは止まることなく、鈍重な足取りながらも着々とレイたちとの距離を縮めていた。

 マナカの隣で薙刀を構えるイオリは、その攻撃の行方を見上げて歯噛みする。 


「なあ、まさか……銃という物理攻撃も、そこに込めた魔力でさえも通らないってことなのか……?」


 彼の驚愕の声に応えたのはマナカだった。


「【メタトロン】レベルでもダメージを与えられたように見えなかったし、そうなんだろうね。だけど、他に攻撃が通らないと決まったわけじゃないよ。七瀬くん、君たちの刃なら」

「そうか……そう、だよな。初撃が防がれたくらいで動揺してたら、勝てる勝負も勝てない。――早乙女、俺たちに出撃許可を!」

「分かりました、行ってください! 未知の【異形】を、ここでボクらが食い止めるのです!」


 マナカの冷静な言葉に頭を冷やしたイオリは、レイにそう要請した。

 許可を受けて飛び出す黒髪の少年の機体。その後にカオル、カツミも続いていく。


「今回はアタシも刃で戦うよ! フォワードはカツミ、イオリくんはアタシと一緒に援護! いいね!?」

「おうッ!」「了解!」


 カオルの指示でフォーメンションが変更され、先頭に巨大な波状剣を掲げるカツミ機が躍り出る。


「【牙を剥け、孤高の覇王】!」


 カツミは疾駆するとともに闇属性の付与魔法、【|闇の殺戮(ノクスサイズ)】を発動する。

 姉(シオン)譲りの闇属性魔法を扱う彼だが、その得意とするところは姉ともまた違う。毒のエキスパートであるシオンに対し、カツミの魔法は純粋な「パワー」だ。

 自身の戦意、殺意、怒り、憎しみ――そういった激しい感情を力に転換し、通常の何倍もの火力を実現する。


「俺に続けぇッッ!!」


 赤いメッシュの前髪の下、鋭い眼をぎらつかせてカツミは吼えた。

 猛る黒き戦士が敵の足元に肉薄、機体の関節が軋むほどの出力で敵足首へと刃を叩きつける。


「はあああああッ!」「せぇぇえええいッ!」


 裂帛の咆哮を上げるカオルの小太刀、イオリの薙刀が、カツミの斬った箇所に追い打ちをかけた。

 ――が。


「何だっ、手応えが……!?」

「そんな、斬ったはずなのに!」


 結果は先の砲撃や銃撃と変わらなかった。

 剣を振り抜いたままの姿勢で停止し、振り向くカツミは舌打ちする。

 自分たちの攻撃もまるで意に介さないように、『巨影型』は進行し続けていた。人のように脚を動かし、確かに地を踏んでいるはずなのに音も空気の流れも起こさないその巨体に、不良っぽい少年は違和感を覚えた。


「身体は見えるが、そこにない……見た目通り、『影』に過ぎないってことかよ」

「鋭いね、カツミ。なら、アタシらがやるべきは――」

「本体を叩く、だろ?」


 カツミの発見に、カオルもイオリも次の行動を見出していた。

 彼らの会話を通信で聞いていたカナタは、ユイへ呼びかける。


「ぼ、僕たちで敵の本体を、『核』を探すんだ! そ、そこさえ破壊できれば、影も消える!」

「了解。ですが、どこを狙ったら……?」 

  

 おそらく身体のどこを攻撃しても敵にはノーダメージだ。

 一切見当もつかない、と訴えてくるユイにカナタは明確な答えが出せないまま、それでも何か行動を起こすのだと言うしかなかった。


「こ、こういう敵は前例がないけど、と、とにかく倒さなきゃ! な、何か起こってからじゃ遅い!」

「――カナタ、焦らないでください。人員にも魔力にも限りがあります、無駄打ちはなるべく避けなくてはなりません」

「……わ、分かってるよ、レイ。て、敵が積極的に攻めてこないなら、十分に観察する猶予はあるはずだ。ま、まずは冷静に、突破口を探そう」


 逸る心は相棒の忠告に静められる。

 深呼吸して落ち着きを取り戻したカナタは、眼下の敵ののっぺらぼうな顔を見つめた。

 ――この【異形】は何を考えているのだろう。

 ふと、銀髪の少年はそんなことを思った。

『パイモン』や『フラウロス』には表情があった。感情が、思考力があった。

 この新種が上述の二体と同じように知性を有していたとしたら、「戦闘」以外のアプローチ法もあるのではないか。言葉を届かせ、こちらの思いを知ってもらえれば、何か変わるのではないか。

 それが、【異形】との果てなき戦いに終止符を打つ手段なのではないか。

『見えざる者』はカナタと親しくなった。『パイモン』は人類に不利益な形になるとはいえ、戦いを終える一手を提案してきた。きっと、彼らなりに人と融和しようとしているのだ。  

 人にも【異形】にも不利にならない形で、終戦のための折衷案を探す――【異形】の心に触れた自分の使命はそれなのだ、とカナタは思わずにはいられなかった。


「き、君は……君は、心を持っているの!?」


 少年の問いかけ。

 レイやマナカ、イオリたちがその行動に瞠目する中、カナタは言葉での接触を試していく。


「きっ君が心を持つなら、ぼっ、ぼ、僕と話してみないかい!? ぼ、僕らが争わないでいられる道は、きっとあるはずだ!」


 ――カナタさんは何を言っているの!?

【異形】をこの場で最も憎むユイにとって、彼の今の台詞は妄言にも等しかった。

 滅ぼすべき悪に彼は歩み寄ろうとしている。これまでの『レジスタンス』の、人類のスタンスとは真逆の方策を取ろうというカナタに、誰もが言葉を失っていた。

 

「き、君たちの中に言葉を扱う個体がいることを、僕は知っている! き、君たちは僕に語りかけてきた! 僕に真実を見せた! き、君たちの感情が僕ら人間に近しいなら、僕らの痛みも、知ることができるはずだ!」


 怖い。痛い。辛い。悲しい。

 人が【異形】に襲われてそういった感情を抱くと知れば、彼らのあり方にも影響が出てくるのではないか。

 彼らが「可哀想」だという感情を知れば、あるいは――。


「ぼ、僕は、君たちに人の苦しみを、辛さを――」


 叫びはそこで途切れた。

『巨影型』の【異形】はカナタに一切興味を示すこともなく、変わらぬ足取りで前進し続けていた。

 対話はできなかった。声は届かなかった。いや、そもそも巨影型には知性などなかったのかもしれない。

 どの道、言葉での干渉は失敗した。結果として変わったのは、仲間たちのカナタへの視線だけ。


「カナタさん、あなた【異形】と対話しようというんですか!? 正気の沙汰じゃない、【異形】が人の痛み想像できるなら、そもそもあんな蹂躙起きなかった!」

「ゆ、ユイさん、僕は……!」

「怪しいと思っていました! 日曜日、あなたと出掛けた時、あなたの様子はおかしかった! 【異形】とあなたに関わりがあるか私に聞かれて、あなた、嘘つきました!」


 悲痛なユイの声にカナタは即座に反駁できない。

 彼女の言うことは事実だ。【異形】の多くは知性を持たず、何の躊躇いもなく人を蹂躙する。彼らにまで人の痛みを理解させるのは不可能に限りなく近いだろう。

 それに――カナタがユイを欺いたのも真実だ。

 罪悪感から言葉に詰まる少年。その沈黙は、首肯と同意義であった。


「ユイさん、少し黙りなさい」

「あなた、この嘘つき庇うんですか!?」

「感情的になりすぎると『コア』とのシンクロがぶれます。不安定な接続では機体が十分なスペックを発揮できないし、予期せぬ不具合を招く可能性がある。カナタのことは別にして、これはあなたの命を保つための警告です」


 抑揚を殺したレイのざらついた声が、ユイの耳を撫でた。

 その感触に身体の温度を下げていく少女は、力なく首を横に振りながら溜め息を漏らす。


「……ごめんなさい。戦闘中に叫ぶことでは、ありませんでした」


 それからカオルは悠然と自分たちの前を通過していく『巨影型』を尻目に、苦虫を噛み潰したような声でレイに訊ねる。


「ねぇレイくん。これ、どうすんの? やれること全部やって力尽きるか、こいつを放置してユキエちゃんたちのとこ行くか。君はどちらが懸命な判断だと思う?」


 まるで彼を試すかのように、カオルは作戦の行方をレイに委ねてきた。

 他の面々もそれは同じだった。【メタトロン】へ向けられる【イェーガー】の両眼のガラス色が、今ばかりは痛い。

 迷えるだけの余裕はない。早乙女・アレックス・レイは【機動天使】のパイロットとして、選ばなければならない。

 確実に成果を拾える道か、確実性がなくともやり遂げねばならない使命か――。


「ボクは、使命を取ります。未知の【異形】に対抗せよという【機動天使】パイロットとしての使命を。カナタ、ユイさん、君たちもボクと共にあの『巨影型』を討つのです。風縫さんやマナカさんたちは、皆の部隊に戻ってください。残念ですが、君たちの力ではあれを討つ戦力に数えられない」


 レイの選択にカナタもユイも異論はなかった。

 だが、マナカたちは食い下がる。


「カナタくんたちがここに残るなら、私も残るよ。私にだってやれることはある。早乙女くん、君は私の『コア』の導きを信じてくれたでしょ? 今度もまた、信じてよ」

「俺たちだってやられっぱなしじゃいられない。俺だって、死んだ家族の分まで【異形】を討ちたいさ」

「同感だぜ。俺の刃を拒みやがったクソ野郎は、ぶっ飛ばさなきゃ気が済まねぇ!」


 胸に手を当てて静かに求めるマナカ、握った拳を震わせるイオリとカツミ。

 コックピットの中の様子は見えないものの、その仕草がレイにはありありと見えてくるようだった。

 皆のリーダーとして彼らの気持ちを無碍にしていいものか、と金髪の少年は迷う。

 そんな彼を導いたのは、白髪赤目の少女だった。


「自分のやりたいようにやんなよ、レイくん。それでたとえミスっても、少なくともアタシは文句言わない。アンタに委ね、従おうとしてるアタシらにも責任はあるからね。――最後に決めるのは自分自身だよ。さぁ、選びな」


 盲目に全てを委ねてしまうのではない。彼を信じ、彼の選ぶものを信じ、その責任は一緒に負う。

 彼が頭脳ならカオルたちは身体のパーツだ。仲間とはそういう一体なものなのだ、と彼女は思っている。


「……君にはいつも背中を押されてばかりですね、風縫さん」

「カオルでいいよって言ってんのにさ。強情だよね、そういうとこ」

「肩を並べて戦うなら、無駄口は要りませんよ」


 レイの答えにカオルはくすっと笑った。

 相変わらず素直な物言いが出来ない子だ。だが、それでこそ早乙女・アレックス・レイである。


「あの【異形】が何もしないというのはまず有り得ない。現れた以上は何か目的があってのことのはず。奴の狙いさえ分かれば、『影』ではなく『本体』が出てくる瞬間を捉えられる可能性があります」

「また、観察に徹するですか?」


 ユイの問いにレイは首を横に振った。

 不敵に笑みを浮かべる彼は、全機パイロットへこう命じる。


「皆、頭を使いなさい。奴がボクらの気持ちを理解できないとしても、その逆がないとは言い切れない。ボクらで奴の目的を推測するんです。未知の敵に既存の根拠の殆どは通用しない――ならば、『想定』しかありません」


 その手がかりを握っているのはカナタだ。

『パイモン』や『フラウロス』といった新種、『見えざる者』と彼が呼ぶ種など、未知の【異形】と最も多く接触しているのは彼なのだ。

【異形】に対話を持ちかけた彼ならば、何か糸口を見つけられるかもしれない。

 

「無論、その間アタックを諦めるわけではありません。【機動天使】に備えられたあらゆる武器、魔法を用い、敵の攻略ができないか試します。まあどちらかといえば、牽制の意味合いのほうが大きいですがね」


 今は歩いているだけの影が攻勢に転じてくることは、万に一つもないとは言えない。

 威嚇、牽制は引き続き行うと明言した上で、「考えろ」とレイは言い渡す。


「いいですか、これは命令です。敵を考え、知ろうとすることは勝利に繋がる。それは間違っていないでしょう」


 命令だと釘を刺して、カナタ以外の面々からの反感を封じ込める。

【異形】に嫌悪感を抱き、寄り添って考えるのも反吐が出そうだというユイたちの気持ちは、レイも察していた。

 だが、これは転機なのだ。月居カナタが開いた、【異形】への新たなアプローチ。これをもっと広げていき、敵を知られれば、自分たちの戦いにもきっと役立つはず。

 先の見えない戦いを終わらせる希望の一手になる可能性がある――【異形】と対等な目線に立って考えようというこのやり方をレイが受け入れられたのは、ひとえにカナタのせいであった。


 今までの彼だったら、先ほどのユイのように拒絶感を隠しもしなかっただろう。馬鹿げている、と唾棄したはずだ。

 彼は月居カナタの真実を聞いた。カナタが【異形】に触れ、それを体内に五歳から十四歳までの期間宿していたことも知った。

【異形】に拒絶感を示せばカナタの側にいられなくなる気がした。カナタが話す『見えざる者』の話を聞いて、そこまで悪い者ではないのかもしれないと思った自分がいた。


「さあ、行きましょう」


 個人的な好みを選択に持ち込むのは、果たして悪いことだろうか。

 凝り固まった考えをほぐす新しい風を吹き込むことは、果たして間違いだと言えるだろうか。

 この時、レイにもカナタにも何が正解かは分かっていなかった。それは数年が経っても、答えの導けない問題であった。

 ただ――後悔はなかった。閉塞した思考から抜け出せる好機を、聡い少年たちは歓喜をもって受け入れていた。

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