第37話 寄生者 ―"I'd like to meet you."―

 R.A.S>カナタ、聞こえますか


 K.T> な、何、レイ?


 R.A.S>良かった……ボクは君の身体のそばにいます。戻ってきてください、カナタ


 K.T> 戻る必要なんてないよ。僕はここにいなくちゃいけないんだ。僕は汚れてるんだ。僕は……ヒトではないものを、この身体に受け入れていたんだ


 R.A.S>何を言っているんですか、カナタ? いいからこっちに戻ってきてください、君の倒すべき敵が、君の仲間たちを殺しているんですよ


 K.T> その倒すべき敵は、僕にとって本当に倒すべき存在なのか、僕には分からなくなったんだ


 R.A.S>戦えない言い訳にしては下手くそですね


 K.T> 言い訳なんかじゃないよ。僕の正直な気持ちだ 


 ディスプレイ上に表示される自分と少年の問答に、レイは舌打ちしたい気持ちを堪えなければならなかった。

 カナタの言っていることの訳が分からない。【異形】に精神を侵食されておかしくなったのか。そのせいで、彼は【異形】を倒すべきか分からないなどと言うのか。


「くそッ!」


 衝動に任せて拳をモニターに叩きつける。

 対処法が分からない。人の心が【異形】に支配された時の対策など、教科書にも乗っていないのだ。あの『パイモン』だって言葉で揺さぶりをかけてきたとはいえ、直接精神に干渉することなどしなかったのに――。

 

 R.A.S>カナタ、ボクは、君に会いたいんです。君と直接話したいことはいっぱいあるし、一緒に夕御飯を食べたいし、一緒にお風呂だって入りたいし、いつもみたいに寮に帰ってその日の反省会をしたいんです。だから、お願いです、カナタ


 理屈では対処できない問題だと思考を早々に切り上げたレイは、自分の思いの丈をそのまま文にした。

 途中少しきわどいことを書いた気もするが入力したものは取り消せない。汗の滲む手を『アーマメントスーツ』に擦りつけながら、返信を待つ。

 ほどなくして、応答があった。


 K.T> 僕の心は『フラウロス』に乗っ取られてなんかないよ。その上で訊くけど……君は、僕がヒトじゃない可能性があっても、僕を受け入れてくれるの?


 レイは凍りついた。

 先程から何となく察してはいた。文字や文法を知らないはずの『異形』が完全に少年の脳を乗っ取っていたとすれば、整った日本語を使えるはずがないと。

 これはカナタの本当の意思なのだ。月居カナタが精神世界で何かを見て、何かを知って、そして紡ぎ出した言葉。

 

「ボクは……」


 早乙女・アレックス・レイは姉や仲間を奪った【異形】への復讐、加えてその悲劇を生んだ贖罪のために戦い続けてきた人間だ。

 彼の行動原理に従うなら【異形】を肉体に受け入れていた――ヒトに寄生する【異形】の宿主となっていた――カナタは、敵といえる存在なのかもしれない。 

 誰の助けも借りず、誰にも背中を預けることなく、孤独に戦ってきた頃のレイにとっては。


 初めて戦った時の高揚感。強い好敵手と出会えた喜びに、彼は震えた。

 なよなよしていて単なる持久走でもへばるような彼のことが、最初は大嫌いだった。こんな奴が最高司令の息子として将来を約束されているなんて、と怒りさえ抱きもした。 

 だが決闘して、そして共に【異形】と戦闘して、彼への見方は少しずつ変わっていった。

 弱い自分を殺すために一人で訓練する姿に共感したり、空高く羽ばたく銀翼を羨ましく思ったり、時おり発してくる天然な発言にどきりとさせられたり。

 気づけば、常に彼を意識している自分がいた。

 彼が笑ってくれたら嬉しいと思うし、苦しんでいたら助けようと思えるようになった。

 

 その変化を――仲間を見捨てたあの日以来、初めて誰かと絆を結んだことを、なかったものとして片付けたくない。

【異形】への憎しみと罪の意識だけに駆り立てられ、人の温もりを忘れていたあの頃に、後戻りしたくない。

 だから、レイは。


 R.A.S>ボクは、君の全てを受け入れます。たとえ君が【異形】だったとしても、そばにいたい。君はボクに、大切なことを思い出させてくれたから……他の誰かが君を糾弾し、傷つけようとしたなら、ボクは君を全力で守ります


 どんな場所でも構わない。君だけを見つめて、側で眠りたい――。

 照れくさくてそこまでは書かなかったが、それがレイの本心だった。

 

 K.T> 僕は今まで、言いたいことを言えずに過ごしてきた。でも……君になら、言えるかもしれない。僕の過去を、僕の真実を


 R.A.S>で、では……!


 K.T> うん。ありがとう、僕を信じてくれて。僕を好きになってくれて


 静かに頬を伝う温い涙を、レイはごしごしと拭った。

 カナタが帰ってくる。『フラウロス』が見せる真実の世界から、この現実へと――。



 祭壇のように張り出した舞台の上に、少女と一機のSAMが佇んでいた。

 左手を胸に当て、右の拳をぐっと握り締める赤みがかった茶髪の少女――瀬那マナカは、雲のない蒼穹を見上げて溜め息を吐く。


「……怖いよ。自分が、自分じゃない何かに変わっていくような……何かと溶け合って、私という個人がいなくなってしまうような……そんな気がする」


 悶々とした何かをずっと、胸の内に抱え続けている。そいつに心を、脳を、身体をかき乱されているのを感じている。

 戦いにはSAMが必要だ。自分という人間はカナタやレイに信頼されていて、共に戦う仲間として認められている――はずだ。

 だから、まだ戦場からは離れられない。たとえ『コア』に意識を侵食されても、マナカは彼らと一緒に戦うことを望む。

 そう、決意したつもりだった。


『あなたはぼく。ぼくは「ワレワレ」』


 知らない誰かの声が聞こえる。それが幻聴なのか確かに知覚した音なのか、マナカには判別すら叶わなかった。


「私の中に、入ってこないで。私はあなたなんかじゃない。私は……私は、瀬那マナカ」


 気を抜くと誰かが何処かへ引きずり込もうとしてくる。だからマナカは、睡眠時を覗いて常に気を張っていなければならなかった。そうすることによって精神が摩耗していくにも拘らず。

 最初の変化は『レジスタンス』の研究所を見学した日の夜だった。

 微睡まどろみの中で見た夢に登場した、彼女の名を呼ぶ誰かの声。

 それが誰かは思い出せないが、何処かで会ったことのある何者かの声だった。

 彼女がその声の主に関する記憶を手繰り寄せようとした、その時――やや気の抜けた少女の声が、思考を中断させた。

 

「ありゃ、先客がいたのね。一年A組の瀬那マナカさん、だっけ」


 ワインレッドに塗り替えられ、通常機よりも厚い装甲を身に纏った【イェーガー】が彼女の真ん前に転移してきた。

 見覚えのない機体を警戒感もあらわに睨み上げるマナカに、やって来たパイロットは言ってくる。


「あたしは二年B組の不破ミユキ。ねえお嬢さん、ちょっち、あたしと話さない?」

「今は、それどころじゃ……」

「取り込み中だったかしら? それってもしや、『同化現象』ってやつ?」


 彼女の『同化現象』について知っているのはマナカ自身とキョウジ、沢咲先生、それからカナタとレイ、雨萓くらいだ。

 彼らが無闇にこのことを他人に言いふらすとは思えない。言いふらすメリットなど皆無だし、彼らは生徒や仲間のプライバシーを尊重してくれる人間だ。


「何の話ですか?」

「んー、違ったぁ? おっかしいなー、確かにそういう匂いがしたんだけどなー」


 間延びした口調で言うミユキは実に胡散臭く、マナカはこのまま別の場所に転移してしまおうかと考えかけた。

 が、そこであることに思い至る。ワインレッドの機体――カナタが数日前に話してくれた決闘の相手とは、このパイロットなのではないかと。


「あの……不破ミユキさん。あなたはカナタくんと戦ったんですよね? 彼とは、どういう関係なんですか?」

「そうよ。私たちの関係を一言で表すなら……んー、そうね、『契約者』かしら」


『契約者』。自分がカナタと結んだ理想のための契りを、この人も結んだというのか。

 何のために。何故カナタなのだ。カナタのそばにいられるのは自分だけでいいのに、彼との契約者はマナカだけでいいのに――。

 次々と湧き出る嫉妬心を堪えながら、マナカは問いを絞り出す。


「……それは、どういう契約なんですか」

「あたしね、月居司令のファンなのよ。だから、彼女の情報が欲しくてカナタくんに接触してる。ついでに言っとくと、この前の決闘は彼の悩みを払拭するための競技スポーツ的なものよ」


 半分は真実で、半分は嘘だった。

 核心を話そうとしないミユキにマナカは若干の苛立ちを覚えるが、先ほどはぐらかした自分が言えた義理ではない。

「そうですか」と抑揚のない口調で返すマナカに、「直接顔を合わせて話しましょうか」とミユキは機体を降りていく。

 マナカの【イェーガー】の足元に腰を下ろした黒髪の少女は、眼鏡越しに彼女を見上げて微笑んでみせた。


「隣、座りなさいな。別に、変なことはしないから」


 少し迷いながらもマナカはミユキの隣に三角座りした。

 視線を前に向け、風に揺れる木々を見つめながらミユキは訊く。


「『同化現象』を起こしたパイロットがどう扱われるか、知ってる?」

「……知ってます」

「へぇ、意外。生徒で知ってる子、殆どいないのに。カナタくんやレイくんだって知らないはずなのに」

「知っている、と答えたのは語弊がありましたね。何となく察しているだけですよ、『レジスタンス』が意思を失ったヒトをどう捉えるかは」


 ぎゅっと固く目を瞑り、吐き捨てるようにマナカは言った。

 死者をなかったこととして扱う『レジスタンス』が心神喪失した者をどう位置づけるかは、容易く想像できる。

 

「ヒトとして扱わない。あくまでSAMを動かす電池――自律機動型のSAMとして扱うための、擬似的なパイロットとして壊れるまで使い続ける。……そうなんでしょう?」

「ご名答。でも、『レジスタンス』の方針としてそれを捉えたのなら、多少の減点はしなくちゃいけないわ。『レジスタンス』というより月居司令の考えよ、それは」


 月居カグヤという人間をマナカは信用していない。先日の講義の後、カナタと話しているのを聞いて彼女の中でその不信感は確かなものになった。

 マナカが理想とする人々が笑顔で過ごせる世界を目指すには、人を人として扱おうともしないカグヤが組織のトップに立っていてはいけない。

 卒業して『レジスタンス』に入隊し、内部から組織のあり方を変えていかなくては、希望ある未来への進歩はないのだ。


「でも……月居司令が『心を保って生きている人』が死なずに済むように『同化』したパイロットを戦場へ送り込もうとしている、って聞いたらどう思うかしら? 開発に失敗した無人機の代用品として、心が還らなくなった人の脳や身体を使うことは、果たして間違っていると言える?」

 

 マナカは反駁できなかった。人を守りたいと願う彼女がそれに反論してしまったら、明確なダブルスタンダードになってしまう。

 と、同時に『正常者』と『同化した者』との間に優劣をつけている自分に気づかされて、嫌悪感に苛まれた。


「それでいいの。考え方が少し変わったでしょう。思考に分岐点を作るのはとっても大切なことなのよ。……ま、これはある私の先輩の受け売りなんだけどね」

 

 瀬那マナカは『感情』に行動原理の全てを委ねている。『同化現象』が進む前はそれもある程度抑えられてはいたが、今は違った。

 そんな彼女をミユキは導く。『感情』に支配されても構わない。進みゆく『同化』を受け入れ、共存しながら最も目指すべきものを掴め――彼女はマナカにそう説いた。


「『コア』が話しかけてくる、というケースが同化現象にはあるらしいわ。それを拒絶し続けるのが苦しいなら、思い切って放置してみてもいいかもしれないわね。

 ――いい? 『同化現象』っていうのはね、パイロットの心が弱れば弱るほど進行するものなの。だから、とにかくリラックスしたり、自分の好きなことをしてみたり、楽しいことをしなさい」


『同化現象』との向き合い方。最も欲していたアドバイスを与えられ、マナカの胸に安堵感が広がっていく。

 しかし、ここで幾つかの疑念が生じた。不破ミユキは何故、ここまで自分に言ってくれるのか。彼女はどうして、そこまで詳しいのか。そもそも、彼女は何者なのか。

 マナカがそれらを訊ねると、ミユキはその横顔に儚げな笑みを浮かべた。


「あたしも、同じなのよ。カナタくんには既に言ってあることなんだけど……あたしも、『同化現象』が進行してる人間なの。それも、人工的に『同化』を強いられたモルモット」


 誰にも語ったことのない事実をミユキは明かす。

 月居カグヤが密かに行った『同化』の実験。その被験者となった彼女は自らの心に「それ」を受け入れ、添い遂げることを決めたのだ。

 カグヤが望むならこの身体を犠牲にすることも構わないと、彼女は本気で思っていた。

 それはカグヤと方向性を違え、決裂した今でも変わらない。見据える方向がズレてしまったとしても、注いだ恋情は途絶えはしなかった。

 

「だから、あんたを見つけてすぐに同類がいるって分かった。あんたが『同化』に振り回されているってことも」


 すっくと立ち上がったミユキは、木の葉を運ぶそよ風にポニーテールを揺らしながら青空を仰いだ。


「近い将来、世界の、ヒトのあり方にパラダイムシフトが起こるわ。その時、あたしたちのような『ヒト』と『それ以外』の間にいる存在がどうなるかは分からない。それでも……自分の願いを、やりたいことを、忘れずにやり遂げて。いつか全てを忘れ去ってしまう、その前に」


 差し込む陽光に目を細め、黒髪の少女は掠れた声で呟きをこぼした。

 パラダイムシフト――これまでの常識がひっくり返る、大変革。

 それが一体何を指すのか、マナカには想像もつかなかった。しかし何かが起こるのではないかという予感は、確かにあった。

 

「一つ、聞いていいですか?」

「何?」

「どうして、この場所に来たんですか?」


 最後に、マナカは問いを投げかけた。

 疑念や悩みとは全く別の、ふと浮かび上がった素朴な疑問だった。


「ここがお気に入りだからよ。居て落ち着くところ、あなたにもあるでしょ?」


 カナタくんの隣。言われて、それがすぐに思いついた。 

 自分は『コア』に意識を侵食されかけている。彼の隣にいることが――純粋なヒトである彼の側にいることが、果たして相応しいのか。 

 彼は【機動天使】を駆る将来有望な若者。対する彼女は、いずれ心を失って「電池」になる運命の者。

 釣り合うわけがない。釣り合ってはいけない。

 だが、それでも、彼が好きだという気持ちに嘘がないならば――。


「私、カナタくんたちのところに戻ります」

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