31.相愛

「よ、良かった?」

 見たことも無いような優しい笑顔で、史郎は頷いた。

「迷惑にしかならないと思ってた。昨日だって、さすがに踏み込みすぎたと後悔していました。そのせいで嫌われたかもしれない、と……」

「そんなことは……」

「うん、今はもうそんなふうに思ってない」

 史郎は立ち上がり、紗良の隣に腰を下ろした。

「ご夫婦のことには立ち入りません。でもそれとは別に、疲れて傷ついているあなたを一人で放り出したり出来ない……。俺の我儘です、ここに居てくれますか?」


 紗良は史郎の言葉を一言漏らさずしっかり聞き取る。それでも、想像をはるかに超える彼の好意に、俄かには現実として受け止めきれない。

 じっと史郎を見つめたまま固まっている紗良を、史郎はそっと抱きしめた。思ったよりも容易く、ぽすっと紗良は史郎の胸に納まる。


「存分に戦ってください。ご主人と……あなたの人生と」


 紗良は、気が付けば涙があふれていた。

 史郎の優しさと、好意に。自分を最大限尊重してくれた彼の言葉に、嬉しすぎて言葉に表すことが出来ず、ただうんうんと頷き返すことしか出来なかった。


◇◆◇


 紗良が落ち着いてきたところを見計らって、史郎が提案してきた。

「ずっと忘れてましたけど……、俺たち夕飯まだでしたよね」

 あっ!と紗良は声を上げて史郎の胸から起き上がった。

「ごめんなさい!何か作ります!」

「え?ああ、そういうことじゃなくて……」

「いえ、作らせてください……。何もかもお世話になりっぱなしじゃ、やっぱり出ていかなきゃいけなくなる」

「いいんですか?」

「はい!とはいっても、あまり期待はしないでくださいね」

 毎日家事はしているから一通りのものを作ることは出来るが、史郎の納得する味かどうかは自信がない。

「そんなこと……、じゃあお願いします。冷蔵庫にあるものは何使っても構いませんんので」

「はい。あ、好き嫌いとか、今食べたいものとかあります?」

「うーん、そうだなぁ……。あ、米食いたいかな」

「分かりました。じゃあそれで」

「ありがとうございます」


 史郎が差し出してくれたエプロンは紗良には少し大きかったが、史郎の匂いが付いていてホッとした。キッチンはきれいに片付けられていたので、すぐ調理に取り掛かれた。

 調理を始めた紗良の背中を見ながら、史郎は紗良の生活スペースを作るために荷物を整理し始めた。


(俺としては同じ部屋でいいんだけどな……)


 しかしいきなり同じベッドで、などと言えば紗良は飛んで逃げていきそうだ。今すぐ使わないスキー道具やキャンプ用品を店の倉庫へ移動させ、来客用の布団を出す。新品のシーツがあったことを思い出し、それも出しておいた。



「お待たせしました」

 テーブルにはナスと豚肉の炒め物、きのこの炊き込みご飯、焼き豆腐、味噌汁が並んでいた。

「うわー……」

「な、なんか変でしょうか?!嫌いなものとかありました?あっ、作りすぎ??」

「え?いえいえ、すごいなー、って」

「食材が色々あったので……」

「こんなにちゃんとしたメシ、久しぶりですよ」

 椅子に座り、いただきます、と手を合わせながら史郎が絶賛する。

「普段は外食ですか?」

「半々ですかね。作るとしてもラーメンとかスパゲッティとか……。栄養偏っちゃって」

 史郎は味噌汁から口を付ける。塩気が利きすぎてなくて旨い。一気に体から緊張感が抜けた。

「うまいーーーー」

「た、ただのお味噌汁なので……」

 史郎が次々褒めてくれるので、紗良は気恥ずかしい。しかし嘘でもお世辞でもないらしく、ものすごい勢いで食べ続ける。

「炊き込みご飯、お代わりあります?」

「もちろん、まだまだあります」

「やった!」


 史郎の豪快な食べっぷりを眺めながら、うっすらと夫の食事風景と重ねる。

(そういえばあの人はお酒ばかり飲んで、家ではあまり食べなかったな)

 それなのに家に帰って食事が出来てないと不機嫌になる。食べないなら必要ないだろうに。


 紗良はつらつらと夫への不満が染み出し始めていることに気づき、軽く頭を振って思考をとめ、自分も食事に手を付けた。


 

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