第19話:人を惹くことの意味を知りました。

 宣伝活動というものは難しい。この世界では前世のようにSNSは存在しない。あらゆる年齢・性別・身分の人が所属するネットワークは存在せず、多くの人は自分の住んでいる村・街・その周辺の人とのみ交流して生きている。

 そのような世界に、漫画という新しいものを広めることが本当にできるのだろうか。私は、内心そのような不安を抱えていた。だからこそ、このような話を聞いた時はほっと胸を撫でおろした。


「宣伝の効果は上々と……よかった……」


 父からの手紙を読みながら私はぼそりと呟いた。学園の中庭で一人、私は空を見上げる。時々、私は一人になりたくなる。バッドエンドへの不安はあるものの、今の生活や人間関係への不満は無い。そのはずなのに、偶に無償にこうして静かに空を見上げたくなることがあった。


「ゲルダさん。何してるの」


「ひゃっ!」


いつの間にか、エンデが私の隣にいた。


「ちょ、ちょっと手紙を読んでいましたの……。え、エンデさんはどちらに?」


「どちらにって、モモやリデルさんを手伝いに行くところ。ゲルダさんこそ、どうしてこんなところに? 一人、珍しいね。イメージと違うっていうか……」


「それは、えっと……私も手紙くらいは一人で静かに読みたくなったりしますのよ。あっ、お父様から連絡が来たのですけどね、宣伝漫画の評判は上々だそうですわよ!」


 私は手紙の文面をエンデに見せてみた。今の宣伝活動の進捗は、第2から第4までの地区に宣伝漫画を設置し、残りは第1地区のみという状態だ。父によると、特に第2・第3地区での評判が良いようだ。特に若者は、文字と絵を組み合わせた物語表現をすんなりと受け入れてくれたそうだ。

 人々の間で話題になっているだけではなく、宣伝の漫画を真似て自分なりに「漫画のようなもの」を描いている人もいるらしい。

 つい、笑顔が溢れた。「書の精に自分たちが創った漫画を読んでもらい、多様な愛について学習してもらう」という目的の為に前進できたからというだけではない。単純に、多くの人が私たちみんなで創った作品に興味を持ってくれたことが嬉しかった。


「へえ、よかった。モモやリデルさんにも伝えなきゃ」


「そうですわね。今日は私も原稿を手伝いますわ!」


「ありがと。やっぱり、二冊作るのは大変。だから助かる。俺はモモたちのところに行くけど、ゲルダさんは?」


「私もそのつもりだったんですけど……授業は終わってるはずなのに、ハンスがなかなか来ませんのよ。どうしたのかしら」


 エンデは「ありゃ」と声をあげた。あの真面目な執事は長時間主人の娘を待たせるような人ではない。


「じゃ、ハンスを捜してから、みんなのとこに行こう」


私は深く頷き、エンデと共に校舎の中へと入っていった。

 ハンスはすぐに見つかった。私たちの教室から一番近い階段を下ったところで、見知らぬ女子と話していた。ハンスは壁を背にした状態で、女子生徒は何やら熱の籠もった瞳でハンスに話しかけている。

 私はすぐにピンときた。おそらく、またハンスがモテている。この学園に入学してから、ハンスは毎日のようにこうして見知らぬ女子生徒にきらきらした目で話しかけられていた。


「はぁ、モテモテですわねえ」


さすが、乙女ゲームの攻略対象だ。すると、エンデが眉間に皺を寄せた。


「俺がハンスの立場なら、鬱陶しいだけだけど。いつもそう。顔も知らない女子がうじゃうじゃ寄ってくる。俺、婚約者がいるのにさ……」


 ……相変わらずモモとの仲がよろしいようで何よりだ。私は異性から好意を寄せられたことが一度も無かったため、少しハンスが羨ましかった。

 その時、ハンスと目が合った。ハンスは私たちがいることに気づくと、女子生徒に何か謝った後、私たちのところまで走ってきた。


「ゲルダ様、お待たせしてしまい申し訳ございません」


「かまいませんわ。というか、むしろ私たちがお邪魔してしまったようですわね」


「いえ、お気になさらないでください。むしろ助かったというか……いえ、ひとまず行きましょうか」


 ハンスはそういって足早にその場を離れる。私とエンデは首を傾げながら後を追った。

 女子生徒の姿が見えなくなった後、私はハンスに声をかけた。


「あの子と何かありましたの?」


「いえ、その……『今度、家に来ませんか』とお誘いを受けまして。多くの方々にご迷惑がかかりますからとお断りしたのですが、なかなか引き下がっていただけなくて……」


「多くの方々って、うちのこと? 別に私、あなたがプライベートでどこに行こうと気にしませんわよ?」


 すると、エンデが眉間に皺を寄せながら言った。


「……ゲルダさん、それは駄目だ。この学校、殆どが良家の子息・息女。多分、あの女子に婚約者がいるんじゃないの」


 ハンスは少し困った表情で頷く。たしかに、婚約者のいる息女が明らかに恋愛感情込みでハンスを家に呼んだとなっては、浮気だと思われ、揉め事の引き金になるだろう。

 エンデは低い声で呟いた。


「嫌な奴。人のこと、アクセサリーか何かだと思ってる」


「エンデさんも女子に人気がありますけど、そういうことってありませんでしたの?」


「無い。遠巻きにキャーキャー言ってるけど、それで終わり。そんな馬鹿なこと、誰もしてこない。……多分俺の場合、婚約者がモモだからだ」


 なんてったって、モモはこの世界の第一王女だ。いくらエンデが乙女ゲームの攻略対象として相応しい顔面を持っていたとしても、王家を敵に回すようなモブキャラは一人も存在しないようだった。

 エンデは険しい表情でハンスを問い詰めた。


「ハンス。今みたいなの、ここに来てから何回あった」


「……大丈夫ですよ。全部しっかりお断りしてますから」


「多分、ハンスが庶民の出身だからつけ込んでる。ちゃんとゲルダさんや侯爵に報告して注意してもらったほうがいい」


 「庶民の出身だから」──その言葉を聞いて、私はリデルがいじめられていた時のことを思い出した。つまり、ハンスのこの状況は、リデルの時と同じというわけだ。

 だが、リデルの時とは悪意と好意が逆転している。ハンスは顔良し、性格良し、魔法の才能もあり、成績も優秀だ。傍から見ていると庶民というより王子様のように見える。そんな完璧超人を前にしたご息女たちが唯一ハンスにマウントを取れる要素が「身分」なのだろう。

 ようやく私も理解できてきた。どうやら、ハンスもリデルと同様にこの学園で苦労しているようだ。私が唇を噛んで黙り込んでいると、ハンスがにこりと微笑んだ。


「あんまり酷い場合は、昔からアナスン侯爵に相談していますから大丈夫ですよ。アナスン家の名前に傷が付くようなことは絶対にさせません」


「……今、『昔から』って言った? ここに入学する前から?」


 ハンスが「あっ」と口を抑える。どうやら図星だったようだ。私の隣で、エンデが益々険しい表情をしていた。


「ちなみに……同性から嫌がらせとか、受けてない? それだけ出来がいいと、きっと妬む人もいる」


「あ。それは大丈夫ですよ、エンデさん。僕、こう見えてゲルダ様をお護りする為に戦闘訓練も受けたんです。結果的に身を護る助けにもなっています。特に訓練を受けていない人間相手なら怪我をすることはありませんよ」


 ハンスが少し得意げな顔をする一方で、エンデは益々頭を抱えていた。


「……怪我をしなければいいって話じゃない。『受けてない』ってはっきり否定しないの、引っかかるんだけど」


 私もエンデにつられて溜息をついた。前世でこの乙女ゲームをしていた時は気づかなかったが、人を惹くということは良いことばかりではないらしい。


「ハンス。今度から異性・同性関係なく、あなたの意にそぐわないようなことを強要する方が現れたら、すぐ私かお父様に報告なさい。場合によっては、あなたが直接抗議するよりもそのほうが穏便に済ませられることもあるでしょう」


「あ……はい、かしこまいりました。すみません、ご心配をおかけして」


「ご自分の心配をなさい。人が良すぎるのも考えものですわよ」


 エンデが私の後ろで深く頷いていた。最近気づいたことだが、エンデはマイペースに振る舞っているようで、気配りができる人だ。偶然だが、ハンスにこのような友人ができてよかった……私はそう思った。


「調子に乗る奴がいたら、アナスン侯爵の力でもなんでも、積極的に借りるべき。侯爵、ハンスのことがすごくお気に入りみたいだし」


私は首を傾げた。


「それはたしかにそうだと思いますけど……エンデさん。ハンスがお父様のお気に入りだって、よくわかりましたわね?」


「すぐわかる。そもそも、普通は主人と執事が同じ学校に同じ立場で通ったりしない。それに……第四地区に出かけた時にハンスが持っていた銃。あんなに小さくて持ち運びしやすい上に、魔法と組み合わせて使える銃、見たことない。たぶん、最新兵器。そんなの、普通は執事に持たせたりしない」


「……たしかに」


 ハンスがこの学園に通うために、父がかなりの援助をしていることは間違いない。ハンスは昔からアナスン家に仕えているので、息子のように可愛がっているのだろう。だが一方で、その息子のように可愛がっている執事に最新兵器を持たせるというのはいかがなものか。そういえば、幼い頃に第四地区に鍛錬に連れていかれたとも言っていた。


「はぁ……ハンス。もしもお父様が無茶を言い出したら、これからはそれも報告しますのよ」


「はい……? 承知いたしました」


「よくわかりませんけど、あっちこっちからクソ重い期待をかけられるのって大変ですわね……」


「あはは。大丈夫ですよ、慣れましたから」


 ハンスはいつもどおり、穏やかに微笑むだけだった。寮の階段を昇りながら、私はふと考える。元のゲームでのハンスは、ここまで多方向から重い期待をかけられているキャラクターだっただろうか。たしかに「学園の女子から人気がある」という設定はあったが、同様の設定は他の攻略対象にもあった。ハンスだけが特別に人気があるというわけではなかったし、その人気故にハンスが困っているという設定も無かった。

 そういえば、前世の記憶が戻ってから初めてルードヴィヒと話した時も、ルードヴィヒの性格や振る舞いに少し違和感を覚えた。もしかして、この世界は私が前世でプレイした乙女ゲームとは、一部の設定が違っている?

 そう考えた時、リデルの寮の部屋の扉が見えた。


「ま……追々考えるとしましょうか。今はリデルたちを手伝うのが先決……」


 そう言いながらリデルの部屋の扉を開いた瞬間──私たちの目に入ったものは、床に倒れ込んだまま動かないリデルとモモの姿だった。


「ちょ、ちょっとリデル!? どうしましたの。一体、なんでこんなことに!?」


 私はリデルの傍に駆け寄り、身体を揺さぶって声をかける。すると、薄い唇から微かに声が聞こえた。


「おふとん……むり。ヒロイン補正でも、布団には勝てない……」


「……はい?」


 リデルの傍には、柔らかい布団と、枕と、真っ白な原稿があった。

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