第10話:地位と財力をフル活用することにしました。


 そして週末。私とリデル、ハンスの三人は馬車に揺られながら実家であるアナスン侯爵邸へと向かった。前世の記憶が戻ってからは、まだ一度も実家に戻ったことがない。少しの不安を抱えながら、私は父に見せる為の計画書の内容を何度も確認した。


「ゲルダ。大丈夫ですよ。私も、ハンスさんもついています」


「ゲルダ様……緊張なさっているのですね。リデルさんの言う通りです。僕たちもおりますし、アナスン侯爵ならきっとわかってくださいます」


 リデルとハンスは私を何度も励ましてくれた。先行きは不透明だが、良い友と執事を持てたことは本当に幸運だった。


 屋敷に到着すると早速数十人のメイドが私たちを出迎えた。ハンスは父を呼びに向かい、私とリデルはその間は客間で待つことになった。


「アナスン侯爵って、ゲルダから見てどんな人ですか? 実は私、まだ会ったことがなくて……」


「んー、普通のヒゲのおじさんよ?」


 その時、客間の扉が開いた。父であるカイウス・アナスンは悠々と部屋に足を踏み入れると、私たちの正面の椅子に座った。


「ごきげんよう、お父様」


「やあゲルダ。学園では元気に過ごせているかね?」


「もちろんですわ。新しいお友達もできましたし、順風満帆ですわよ」


「それはよかった。それで、そちらが新しいお友達かな。名前を伺ってもよいかね?」


 リデルに自己紹介をしてもらおうと思い、私が隣を見たところ、リデルは瞳を輝かせながら父の顔を見つめていた。そういえば、父はハンスやルードヴィヒと比べると高齢の男性だ……リデルの好みに近い男性だったというわけだ。


「あ、あの、私、ゲルダさんの友人で、リデル・キャロラインと申します。アナスン侯爵のような素敵なお方とお会いできて嬉しいです!」


「ああ、君が……噂には聞いているよ。書の精の声が聞こえるというお嬢さんだね」


 まさかそのことが学園内どころか父の耳にまで届いていたとは思わなかった。


「お父様、どこでその話を?」


「そりゃあ、グリム公爵とお会いした時にね。これまで『書の精』の声が聞こえる人は大抵グリム家から生まれるものだったから、きっと驚いたんだろうな」


 グリム公爵はルードヴィヒの父親だ。リデルの「書の精の声が聞こえる」という特性は、学園外の貴族にも影響を与えているようだった。

 その時、ハンスが三人分の紅茶を運んできた。


「そういえば、閣下。今日はゲルダ様から閣下にご提案したいことがあるそうです」


「おお、そうだったな。たしか、『マンガ』なるものを印刷したいと聞いたが」


 ついにこの時が来た。私はリデルが描いた漫画と、二人で作った企画書を取り出した。


「そうですわ。お父様は我が家の領土を治めるだけではなく、出版社も経営なさってますわね。そちらで、リデルの漫画を出版していただきたいの!」


 リデルにはこの日の為に、「鏡の国の女王」の一場面を描いた漫画と、オリジナルの4コマ漫画を描いてもらった。

 父は早速その漫画を手に取って読み始めた。ゴクリ、と私とリデルは息を飲む。父は「鏡の国の女王」の漫画を暫く見つめた後、ポツリと呟いた。


「……短いな」


 しまった……と内心焦ったが、顔には出さない。今日までに用意できた「鏡の国の女王」の漫画は3ページ分だ。この計画を思い立ってから今日までほんの数日しか準備にかけられる時間が無かったため、私もリデルもこれが限界だった。


「短い、と感じられたということは、もっと読んでみたいと僅かでも思っていただけたということですわね?」


 こういう時こそ、今の自分は「悪役令嬢」だと言い聞かせてみる。私は、強欲で、傲慢で、一度決めたことはどんな手を使ってでも必ずやり遂げる。悪役令嬢・ゲルダならば、このようなピンチでも謎の自己肯定心で乗り切るはずだ。

 父はオリジナルの四コマ漫画のほうも手に取った。


「いや、これが宝か否か、まだ判断できんということだ。ああ、こっちの四つの四角で構成されてるものはいいな。一目で話の全貌が掴めるし、新聞の隅にでも載せれそうだ。ちょっとした息抜きになる」


「た、楽しんでいただけたのなら、何よりですわ……」


「しかしだな、たしかに良くも悪くもこれまで世には出ていなかったタイプの書物だ。ゲルダよ、ここの『ゴゴゴゴ』という文字は何を表しているのかね」


「ああ、これは風の音ですわ。音や匂いなど、視覚的に表せないものをこうして擬音語や擬態語で……」


 その後も「台詞が書かれているこの白い丸は何なのか」や「なぜ背景に突然花が咲いたのか」などの質問が出た。


「ふむ……ゲルダがこの『マンガ』のどこに可能性を感じたのかはなんとなくわかった。辺境の人々が意思疎通に使う『絵物語』はこれまでにも存在したが、このように絵の中に言葉を平然と入れ込み、枠の大きさで抑揚を付けるという手法は初めて見た」


「じゃ、じゃあ……出版を認めてくださるの!?」


「その前に、この『マンガ』を出版する際の課題を挙げておこう」


 ギクリ、と私は震え上がる。やはり何もかも順調にはいかない。俯きかけた時、リデルがそっと肩を叩き、「大丈夫」と励ましてくれた。私は再び背筋を伸ばし、父の目を見て頷いた。


「一番大きな課題はこの世界の人々はこの『マンガ』を読んだことがないということだ。先ほど、私が『ゴゴゴゴ』という文字の意味を尋ねたりしたな。あれと同じことをおそらく読者も考えるだろう。すると……まず第一に、肝心の内容になかなか目が行かなくなる可能性がある」


 私は父の言葉を否定できなかった。たしかに先ほど父の質問に答えながら、私は「見てほしいのはそこじゃないのに!」と考えていた。


「そして第二に、人々はよくわからないものには手を出さない。誰だって、慣れないものを読むのは大変なんだ」


 またもや、私は否定できずに黙り込んだ。たしかに、私も読み慣れたマンガや小説は気軽に手に取れるが、専門的な学問書は読んでも意味がわからないので購入しない。


「まあ要するに、この『マンガ』を出版し、成功させるには、良いマンガを描く努力だけではなく、人々に『マンガ』というものを理解させ、興味を持ってもらう努力が必要だというわくけだ。ゲルダよ。お前は宣伝方法については考えてきたのかな?」


 私は眉間に皺を寄せながら企画書を取り出した。


「もちろん、想定済みですわ。リデルのマンガを出版する際には、各地の本屋に無料の試し読みコーナーを設置させていただきたいと思っておりますの。あと、広告も制作して念入りに事前告知をさせていただきますわ。そのうえで、」


「その上で?」


「出版とほぼ同じ時期に、名家のご子息や令嬢をお招きして、お茶会を開こうと思ってますの。その際に、制作した漫画をお配りしようと思っておりますわ。きっと、皆様は始めて漫画を読んだ感想を多くの方に広めてくださると思いますわ。いかがかしら!?」


「ふむ……」


 父はにまにまと笑いながら私の顔を見つめた。私は拳を握りしめて父の返答を待った。


「惜しいな。そして少し力を注ぐ部分がずれている。それでは、『マンガ』に触れるのは、お茶会に招かれた方々とその関係者、そして身近に本屋があり、且つ娯楽として書物を買う余裕がある者だけになる。加えて、彼等が初めて見たマンガの内容に正しく興味を持ち、プラスに評価してくれるかはわからない。お前はそれでいいのか?」


 私は言葉に詰まってしまった。悔しくて唇を噛むが、その先の言葉が出てこなかった。すると、リデルが身を乗り出して父に訴えた。


「待ってください。でしたら、私が多くの方に興味を持ってもらえるような題材で、なるべくわかりやすい漫画を描きます。そしたら、興味を持ってくださる人も増えるはず……」


「いや、題材の問題ではないんだよ。内容の問題ではなく、宣伝と売る場所の問題さ。個人で本を作って身内に配るだけならとやかく言わないんだがね。出版するからには、それなりに売れて注目されないとな」


 やはり父は、強欲で、厳しい。私は悔しくて頭の中で「キイーッ!」と叫んだ。


「失敗をするのは構わん。だが、成功する気が無いのは良くない」


「成功させるつもりはありますわ」


「ならば、宣伝と売り方についてはもう少しブラッシュアップしなさい。そのうえで、出版を許可しよう」


 私は耳を疑った。てっきり、これまでの流れから却下されるものかと思っていた。リデルも目をぱちくりさせながらこちらを見つめていた。


「本当ですの!?」


「本当だ。嘘は言わんさ。いやあ、あのゲルダがここまで本気で計画を立てて協力を求めてくるとは。お前が言ったことは本当だったな、ハンス」


 父は隣に立つハンスに声をかけた。


「ご理解いただけたようで何よりです。ゲルダ様は学園にご入学されてから、ご友人を思いやり、協力して物事を成し遂げられる方へと成長されました。まだ未熟さが残る部分もあるかと思いますが、ここはお二人を応援してさしあげるのがよろしいかと」


「親が甘やかしすぎるのもよくないと思うがね。とはいえ、たしかに……ゲルダが相手の反論を想定した上で物事を提案してきたのは初めてだ。それが友達の作った物を広める為というのもな」


「リデルさんは、ゲルダ様の良きご友人です」


「そのようだな。まあ、本人がこういうやる気を見せたのなら、機会を与えてやるのも親の務めか」


 私はリデルと手を取り合って喜んだ。


「やったぁ、ゲルダ! やりましたね!」


「ええ、やりましたわ! お父様、ありがとうございます! ハンスも、協力してくれたこと、感謝いたしますわ!」


 ようやく、これで計画は一歩前進した。

漫画を出版し、この世界に広め、書の精霊に読んでもらい、多様な愛を知ってもらう……。

 先はまだ長いけれど、様々な人たちと協力して何かを創り上げていく時間がこれほどまでに煌めいているのならば、この世界に転生したことも「悪くない」と思えるかもしれない。

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