第五五段 浦上の丘(四章終段)

生家が失われて噛みしめたのは私が本当の根無し草になったという実感であった。

今住んでいるアパートも巣であることに変わりはないが、家というものの大きさは代え難い。

容積の大きさもさるものながら、その形而上の大きさがやはり違う。

大黒柱の失われた家の脆いように、私もまた弱くなるのか。


それを私に許さなかったのは浦上の丘である。

この地もまた観光の柱という人柱としてその姿を変えた。

原爆資料館でさえ独特の恐怖を煽る在り方から歴史としての原子野を伝える存在に変化している。

受け継ぐ、という単純な目的のためであればその惨禍を年表にしてしまうことも辞さないのであろう。

ただ、近くは山王神社の片足鳥居の思いは果たしてそれで叶うのであろうか。


 片足を 失くした友と 語りおり 歪曲湾曲 二度と勿れと


高校卒業前に長崎八十八か所を回った際に詠んだこの一首は、山王観音堂の在り方に寄せておきながら、その実は私の思いである。

だからこそ、丈高く詠んだ。

そして、その頃の私は今の私に敢然と問いかける。

その影を私は浦上の丘に見た。

若いなぁ、実に若いなぁ、と流すこともできる幼稚な嘶きを、しかし、私の芯に当たる長崎としての在り方を。


幼少の頃に見たケロイドの残る老婆も、無数の水膨れによって苦しんだ老婆も私の心に宿る。

ただ、それ以上に今の長崎は草木の繁茂を許している。

水の豊かな流れを許している。

人々の笑顔の往来を許している。

その豊かさを奪う炎を許さぬ気持ちだけは、変わらずにこの地に残っている。

平和祈念像も爆心地碑もこの地が数十年にわたって草木を生まぬとされた人災を示し、草木によって守られている。

その姿を思う度、私の根はやはり長崎にあるのだど実感させられるのだ。


 守れ守れ 守れよ守れ 守り給え 緑の覆う 浦上の丘

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