第十六段 早坂

長崎を正覚寺しょうかくじより南に下ると茂木方面と白木方面とに分かれるが、白木方面は更に二つに分かれる。

そのうちの一つが風頭山かざがしら方面であり、もう片方が早坂方面である。


早坂は長崎南方にある路線バスの終着駅の一つであり、例によって高台に位置する。

風頭山と同様に短期大学がその頂上にはそびえており、裏手には長崎有数の団地である三景台が控えている。

また、東の方へと下ってゆくと飯香いかの浦や太田尾の方へと通じ、長崎でもいよいよ秘境の領域へと迫ることとなる。

そうした意味では、早坂は現実と虚構とを隔てる場であり、『地の果て』の一つとして堂々と存在していた。

実際、小学校も高学年の頃に初めて飯香の浦方面へと学校行事で行くことになった際には、昔の人が自然に対して抱いていたであろう畏怖いふを抱かざるを得なかった。

今でこそそれ程の衝撃はなくなったが、それでも、昭和まで受け継がれてきた生活と自然に対する礼節を私に教え説き続けている。


さて、早坂は先に述べた地の果てという役割以外に、私に『遊び』を教えた大切な存在でもある。

幼少期、あまり身体の強くなかった私が、初めて身体を使って遊んだ場所である。

もう記憶も曖昧あいまいな小学校高学年の頃、私は友人の祖父の家へと行くようになり、そこで様々な経験をした。

まず、二輪車に触れた。

成長によって得た常人並みの身体を以って初めて、あの乗り物を御すことができるようになった。

それに、泳げこそしなかったものの、川遊びも楽しんだ。

茂みの中も駆け巡った。

級友たちと白痴はくちとなって騒ぎまわった。

陽光の下にエネルギーを爆発させた。

まるで、そこが自由の地であるかのように、歓喜と共に自然と触れ合ったのである。


 早坂の 丘へ童は 放たれて 女神を想う 和の人となれ


思えば、自然はどこか温かい。その温もりが子を人へと変えるのかも知れない。

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