第5話 さなたんの本質


 狭く、まだ何も置かれていない殺風景な部屋の床の上で、早苗はごろんと横になる。借りた部屋は1DKでお世辞にも綺麗とは言えなかったが、鍵などはしっかりとついており、女性の独り暮らしには十分だった。




 東京に行く、と宣言した早苗を祖母は止めなかった。どうして行くのかも訊かなかった。ただし、条件を設けた。――三十歳になって成果をあげられなかったら帰ってくること。早苗の誕生日は6月。その日は11月中旬であり、一刻も早く東京に行きたかったが、仕事の引き継ぎがあった上に良い部屋がなかなか見つからなかったこともあって1月6日、現在に至る。




 勿論、それまでの間に何もしなかったわけではない。




「独り暮らし始めましたーっと。」




 早苗は何も置かれていない部屋を背景に決め顔を作ってスマホで何枚も自分の顔を撮影していく。スマホの画面に映らないところで肌が綺麗に見える白い円形の照明を置き、角度も一番早苗が美しく映る斜め上から。




 撮影し終えると、すぐに何枚か吟味し、加工を施していく。背景のガラス窓で場所が特定されないようにぼやかすのも数秒でできてしまう。




 初めは抵抗のあった自撮りだが、挑戦してみるとだいぶ難しかった。何せ自分でスマホを持ちながら顔や体を見せるように撮影するのだ。それも綺麗に見えるようさり気なく目を開いたり、自然な笑みを作らなければいけない。違和感の無い撮影ができるまで何日もかかり、そこから自身の顔を綺麗に見せる加工技術を身に着けるまで1ヶ月以上かかった。




 早苗はそれでも自撮り画像を四人に何度も確認してもらってからSNSに投稿していた。彼ら曰く、特に投稿するのにおいて、写真の綺麗さだけではなく、そこに添える言葉も大事だという。少しでもコメントが攻撃的であったり、政治に物申すみたいな投稿をしてはファンの夢を壊してしまう。アイドルは偶像であり、人々の苦しい現実を忘れさせ、夢や希望を見せる存在でなければならない。それでいて『さなたん』というアイドルの個性で目立っていく必要がある。ドジでも天然でも良いから、何か一つキャラ属性を早めに確立していかなければいけない。




「大人の色気を出していこうと思うの。」




 スマホに写真と付け加えようとしているコメントを送ってから、彼女はいつの間にか『さなたんプロジェクト』とマスクマンが名付けていたグループチャットに呟く。すぐにアオケンからコメントが飛んで来た。




「さなたんにそういうの、期待していないかな。」




 自撮り画像とコメントは四人から合格が出た。








 アイドルであるからには当然、歌や踊りもできる必要がある。6月までの5ヶ月弱、ひたすら練習につきっきりで指導してくれる教室を探し、何とか時間と指導料の折り合いがついたのは渋谷にある教室だった。早苗の独り暮らしのアパートは鶯谷駅にあり、秋葉原駅までJRで3駅程離れていたが、渋谷はさらにその先にあり、アパートからだと30分以上はかかる。が、我儘は言えない。




 渋谷教室では音痴を治すという初心者クラスから芸能界を目指す上級者コースまであったが、早苗はその中間であるコースを選ぶことにした。歌には自信があったものの、本格的に学んだことが無く、基礎から学びたかったが、初心者コースを選ぶと本格的な録音機材のある渋谷スタジオが使えなかった。








 講師は大手音楽機器メーカーの人や有名アーティストをプロデュースしたという人まで様々だった。申し込み時に早苗は身分証明書を提出させられた。その際に21歳ということにしておいてほしい、と頼んだところ、講師には指導の関係上伝えざるを得ないが、外部には決して本来の年齢を出さないことを約束された。








 独り暮らし初日。この日は流石に疲れるであろうということと、やりたいことも多くあったのでレッスンは明日からとした。




 早苗は床に転がり、ほぅ、と息を吐く。床はひんやりと冷たく固い。頭の先には3箱段ボールが積まれている。中にはお気に入りの鞄や服に生活必需品が詰まっている。これでも精査して必要最小限に留めた。




「私のキャラ……。」




 早苗は呟く。起き上がること無く手を伸ばし、近くに置いてあったノートを手に取る。4人のオタク達によって作られたアイドルになるためにやること。アマビエが今日のテーマを読み上げる。




「さなたんのイメージカラーやキャラを今日中に固める、か。」




「それが決まらないと歌も衣装も作れないんだって。」




「難しいな。」




 うん、と頷き、自身を脳内で様々な色の衣装に着せ替える。……ピンク、水色、黄色、緑。大人っぽい紫は却下されたし、どうしようかなぁ。




 長年地下ドルの追っかけをしていただけあって、4人組のツテはなかなかのものだった。彼らの繋がりによって作詞家や作曲家、衣装を作る専門家などもすぐに見つかり、イメージカラーやキャラさえ固まれば1ヶ月で全て用意できるとのこと。




 うーん、と頭抱えながら、スマホでアイドルの衣装を検索する。どれもこれも魅力的で全て着てみたい。








 部屋で悩んでいても仕方が無いので秋葉原駅周辺を散策することにした。アトレを目の前にした改札口を出ると、大勢の人が待ち合わせの為に壁や柱にもたれかかっていた。改札口を出て右手には少し広い広場みたいな場所があり、昼間からマジックを披露している男の人がいる。




「どこに行く。」




「とりあえずお昼かな。」




 秋葉原駅でオススメの店を4人にいくつか聞いていて興味があった。その中でも比較的安く済みそうなラーメン屋を目指すことにして、彼女は地図アプリを開いた。








 地下のラーメン屋へと続く階段で人の列に並んで一人でラーメンを啜った後は、近くでビラ配りしていたメイドさんに誘われるようにしてメイド喫茶に入る。




 建物の奥の少し薄暗い場所にあったエレベーターに乗って辿り着いた場所では可愛らしいメイドさんが店のシステムを説明してくれて、数分で席に着くことができた。チェキは2000円らしい。相場は知らないが、結構高い気がする。メイド喫茶と言えば解放された空間のイメージであったが、そこは建物の中で外の光は入らず、代わりにあちらこちらにある照明が店内を照らしていた。ハートや星の形をした風船が壁には貼られていて、狭い店内をメイドさんが笑顔で歩いて給仕している。




「どれにしますかにゃん。」




 早苗のところにオーダーを伺いに来るメイドさんも笑顔で気分が盛り上がる。やっぱり笑顔って人を幸せにする。裏の顔がどうなのかは知らないけど。




 彼女がサービス費込みのジュースを頼もうとした時だった。オーダー入りましたーっという声がして会場内が暗くなる。と、同時にカウンターと真向かいにあるステージに照明が当たる。その真ん中に1人のメイドさんが歩いていった。




 早苗の横にいたメイドさんは早苗からオーダーを聞き出すとカウンターへと消えていく。店内にアニソンが流れて、舞台上のメイドさんが躍り出す。スカートを翻し激しく踊る姿に前方斜め前のオタク達がサイリウムを振り回して応援していた。








 時間いっぱい早苗は楽しんだ後、カフェを後にした。白黒の給仕服で踊り、萌えを提供する姿は可愛らしかった。熱狂的に応援してくれるファン達の姿も羨ましかった。でも早苗には少し違う気がした。




「んー、」




 伸びをして、また歩き出す。まだまだ行きたい場所があった。








 アイドルのグッズが取り揃えてある店の前で早苗は目を輝かせていた。今活躍しているアイドルは勿論、早苗が幼い頃にテレビを通して見たあの輝きが1枚に収められているプロマイドなどもあり、財布からお札が飛んでいきそうになっていた。流石に何枚かで我慢しようと思い、店内を物色していると、その真剣さが珍しかったのか、何名かの男性からじろじろと見られていた。が、気にしない。どれもこれも魅力的で迷っていると、どこかで聞いた声がして早苗は凍りついた。




「――何しているの、おねーさん。」




 見覚えのあるキツイ表情、瞳を敵意で爛々と輝かすまだ幼い顔立ち。いつかのオーディションで出会った少女がそこにいた。








 早苗の口はセメントで固められたように動かなくなった。けれど、脳裏に4人の声がした気がして喉を震わせる。




「ひ、久し振り、だね。」




 何とか出てきた言葉。




「大丈夫か。」




 アマビエの声で気合を入れ直すようにして息を小さく吸って吐く。口が自由になった。




「現実見ましょうよ。」




 せせら笑う少女の声にはどこか悲しみが滲んでいるような気がした。よく見ると、背伸びしたヒールはオーディションに通い続けてすり減ったのか傷だらけだった。




「……ちょっと、お茶でもしない。」




 早苗は気付いたら彼女を誘っていた。








 アイドルのアニメにも出てきた、昔ながらの雰囲気が漂うお茶屋さんで二人は向かい合って座っていた。彼女は前回のオーディションを落ちてから『ひかり』と活動する名前を変えていた。彼女もまだ一つもオーディションに受かっていなかった。




「私は別に有名なところか大手のオーディションしか受けていないんでこれが普通ですし、受ける人も大勢いるし、」




 ふん、と不貞腐れたような顔でそっぽを向き、ポニーテールを揺らす。テーブルの上にはお菓子が運ばれるまでの間に飲むように、と白湯の入ったお猪口が2つ置かれている。白湯の上には桜の塩漬けらしきものが浮いていた。




 そっか、と言いながら早苗は一口、白湯を頂くことにする。口の中に温かい湯が沁み渡り、少しして桜の仄かな香りとほんの少しのしょっぱさが舌を喜ばせた。




 ひかりは19歳だった。彼女は大学のアイドルサークルで頑張る傍らでプロになろうとあちらこちらの事務所のオーディションを受けているとのことだった。




「どのアイドルが好きなの。」




 尋ねてみると、彼女は目を輝かせて、白湯を口にすることなく様々なアイドルの名前を口にする。早苗の好きなアイドルの名前もあがり、嬉しくてにこにこと笑う。








「お待たせ致しました。」




 店員の声に二人はハッとした。夢中で話しているうちにスイーツはすぐに用意できたらしい。早苗の前には揚げ饅頭が置かれ、ひかりの前には葛餅が置かれる。




「結構太りそうなお菓子。」




 ひかりが早苗の前の饅頭を見て呟く。




「ここのオススメみたいだったから。」




「だからって……アイドルになるなら食べ物も気にしないと。」




 ぽそり、とひかりの呟いた言葉で、ひかりがいつの間にか早苗をライバルとして認めていることに気付く。ふふふ、と早苗が笑うと、何、と仏頂面で返される。




「葛餅は良いの。」




「葛餅のカロリーは低いもん。」




 だから良いの、と言いつつ、彼女の目は早苗の揚げ饅頭に向いている。早苗は微笑んだ。




「じゃ、半分こ、させて。」




「しょうがないからそうしてあげる。」




 ひかりの声は弾んでいた。








 二人して甘い物に舌鼓を打ちながら、これからについて話していた。




「じゃあ、おねーさんは事務所に入らずに頑張るの。」




 その言葉に嫌味は含まれていなかった。頷くと、彼女はふぅん、と呟き、顔を俯かせる。




「――私は応援してくれるフォロワーさん達のためにもきちんとアイドルになんなきゃいけないんだ。」




 早苗の脳裏にひかりのSNSアカウントのページが鮮明に浮かんだ。ひかりのフォロワー数は10,000を超えていた。彼女の背負うものは大きい。




「大学のアイドルサークルはどうなの。」




「スカウトは来る。……でも、いつもセンターの子に行っちゃう。私のところまで来てくれない。」




 暗い声。必死でもがいているのが嫌でも伝わった。少しの沈黙の後、早苗はおずおずと切り出した。




「あ、あのさ、じゃあ、オーディションに受かるまでの間、アイドルサークルだけじゃなくて、私と一緒に、どう。」




「はぁっ。」




 呆れたようにひかりの声が裏返る。




「何を言っている。」




 今まで黙っていたアマビエの声もしたが、早苗は必死になって言葉を続けた。




「ほ、ほら、さなたんとひかりんって感じでとにかく活動してみれば声かけてもらえるチャンスも増えるかもだし、」




「意味分かんない。――あ、私のフォロワー目当てってこと。悪いけど絶対に嫌。」




 ひかりが苛立ちを見せ、早苗は肩を落とす。頭に二人で歌っている姿をなぜか描いていた。それはあまりにも鮮明で、まるで未来を見ているかのようだった。照明がいくつも照らすステージの上で二人が顔を見合わせ、歌っている……。けれどそれは有り得ないらしい。




 ぐっと彼女は拳をテーブルの下で握る。テーブルの下でちらりと見えるひかりのぼろぼろのヒール。




「じゃ、じゃあ、私の方が有名になったら一緒に踊ってくれるの。」




 なぜだか、必死でその光景にしがみついていた。ひかりは怪訝そうな顔をしたが、苛立ちは収まったらしい。と言うより、困惑して怒りを忘れてしまったかのようだった。




「……わ、わかった、けど、じゃあ1ヶ月ね。」




 1ヶ月、と彼女は何度もぎこちなく繰り返した。




「1ヶ月以内に私より有名になったらコラボ、してあげる。」




 1ヶ月でひかりの人気を超えなければいけない。4人のお陰でさなたんのSNSアカウントのフォロワー数は順調に伸び、1000人以上となっていたが、それをたった1ヶ月で10倍以上にしなければいけない。しかも1ヶ月後はちょうど早苗のファーストライブ。それまでに踊りも歌も身に着ける必要もある。これはもう拒絶されたに近い。




「わかった。」




 それでも早苗はしっかりと頷く。気圧されたようにしてひかりは目の前の葛餅を一口摘まむ。アマビエも混乱しているのが伝わった。








 それから二人はまたどちらからともなく、無難なアイドルの話をし始め、連絡交換した後は、キャラや衣装の話で盛り上がりながら店を出た。だいぶ長い間お邪魔していたのか、それともこの店に入る時点で既に遅い時間だったのか、空は夜に向けてだいぶ暗くなり、夕日の色と混じりあって幻想的な色合いとなっていた。




「キャラ設定で悩んでいたけど、キャラって自分のことと言うより、なりたいものなんじゃないの。」




 万世橋の上でひかりは早苗にふと思いついたように言った。え、と早苗が訊き返すと、ひかりは尚も言う。




「私は夜空の星の光みたいになりたいって思った。暗い闇を照らせる力強い光になりたいって。だから今暗くても自分を照らせるようにひかりって名前に変えた。いつか名前に自分が追いつくかもしれないでしょ。」




「それで良いのかな。」




「だってアイドルでしょ。偶像なんだもん。自分で自分に夢を見られないでどうするの。」




 ニカッと彼女は澄んだ笑みを見せた。それは夕日の光もあってか、美しく尊いものに思えた。思わず見惚れてしまった早苗に彼女はくるりと背を向けた。




「じゃあね、さなたんっ。」




 そのまま、彼女はポニーテールを揺らしながら走り去っていく。――さなたん。初めてその名前を呼ばれたことに気付き、早苗はハッとして呼び止めようとするものの、既に彼女の背中は小さくなっている。茜色の光が人々を包み込む。




 もしかしてそれは気まぐれだったのかもしれないし、軽いリップサービスのようなものだったのかもしれない。それでも、さなたん、という彼女の言葉はいつか一緒に舞台に立てますように、という思いが込められている気がして頬が緩んだ。




 夕日の光は身体だけじゃなく、心まで温めていく。




「夕日はいつも優しくて綺麗だよね……。」




 さなえはいつか見た、海の地平線に浮かぶ夕日と重ねていた。それから不意にある言葉を口に出してみる。




「茜色……。」




 多くの人を癒し、包み込む光。その何ものにも代えがたい美しさ。その美しさはどこにいても皆を照らす。




「そうだ、茜色だよっ。」




 思わず、早苗は満面の笑みで繰り返した。――多分、私がアイドルできたところでそんな長くはできない。設定では21歳でも実際は29歳。せいぜい頑張れても体力的に2、3年だろう。要するに早苗はアイドル生命が終わるギリギリの瞬間から走ろうとしている。でもだからこそ、その煌めきはきっと誰よりも美しくなれるはずだから。




 人生は辛い思いをしたり、嫌な目に合ったりする。もう嫌だって逃げ出したくなるかもしれない。けれどそんな人々に穏やかに微笑んで癒し、次に進む力を与える光に。




「私、茜色になる。夕日のような優しさを身にまとって輝きたい。」




 夜になる前のあの美しさを。早苗は夕日に向かって走り出した。




 ――黄色い暖簾の掲げられた居酒屋の奥。酒飲みばかりで誰も見向きもしない小さなテレビでニュースが流れている。女性アナウンサーが前を向いたまま淡々と原稿を読み上げていく。




「中国武漢で発生している肺炎の原因と見られる新型コロナウイルスに感染した患者が日本国内で初めて確認されました。」――

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