第2話

 僕の悲鳴に驚いて、隣でリコが必死に名前を呼びながら肩を揺らすが、僕は一点を見つめたまま、金縛りにかかったように動く事が出来なかった。

 芳恵さんが、この陰惨いんさんな過去の出来事を僕に見せようとしているのか、それとも埋女うずめとして犠牲になった女性達か、オハラミ様の意志なのかは僕には解らない。ともかくまだ、僕はこの過去の記憶からは開放されないようだ。


 例の男が、赤ん坊の体を持つと子猿の頭上から滝のように滴り落ちる血を注いだ。何と言っているか聞き取れないが、ぶつぶつと呪文を唱えているようだった。やがて血に染まった猿の目がまるで生きているかのように見開かれるとギロリと、此方を睨みつけた。

 その恐ろしい光景に、晴子と呼ばれた新妻が奇声を発して白目を向き、後ろに倒れ込むと並んで立っていた夫が慌てて抱き止めた。


『いま、猿子のご神託が降りました。オハラミ様から晴子様に新しい命が授けられました。元気な男の子がお産まれになりますよ』


 老夫婦は涙を流しながら、何度も僧侶に礼を言って頭を下げていた。先程まで泣き叫んでいた芳恵さんは魂が抜けたように放心状態にある。あんなに残酷な方法で我が子を殺されて正気でいられる人がいるわけが無い。

 暫くして僧侶たちにより、芳恵さんは両腕を引きずられるようにして別の場所に連れて行かれた。


 ここで場面は変わり、座敷牢のような場所で派手な着物を着せられた芳恵さんの後ろ姿が視えた。かごめかごめを歌いながら、何かをあやしているようで、彼女の腕から見え隠れしているのは首の無い赤ん坊だった。


「ああ、あれは……あの時の光景だ」


 僕は、その光景をいたたまれない気持ちでそれを見ていた。僕が霊視して初めて見た芳恵さんは、邪教の生贄にされた我が子を抱きながら、あやしている姿だったのだ。

 正気を失った芳恵さんの髪は乱れ、目の焦点は合わなかったが優しい眼差しで亡骸を抱いていた。この座敷牢に何日間も閉じ込められているせいなのか、傷と汚れで異臭さえも漂ってくるような気がする。

 暫くして、数人の足音が聞こえると、村人達が乱暴に芳恵さんを座敷牢から連れ出した。

 奇声を発して抵抗する彼女を引きずると、今度は本堂から脇に少し逸れた森の中へと連れて行かれた。埋女達から逃げるのに必死だったせいで、僕はそこに祠のようなものがある事に気づかなかったが、こちらも荼枳尼天ダキニテンの小さな仏像を祀ってあるようだった。


『最後の仕上げじゃ。赤子が無事に育つようオハラミ様に、埋女うずめを捧げる』


 小さな祠の前には、人が立ち入らないように四隅に青竹を植え、四方を注連縄しめなわで囲われていた。自然に出来たのか、村人達が作ったのかわからないがぽっかりと穴が開いており、底が見えない程に暗い。

 だが僕には、暗闇の中から無数の女性達か恨めしげに此方を見ているのがわかった。彼女達は、芳恵さんと同じようにこの恐ろしい邪教によって子供を奪われ、殺されてしまった人達だ。


『あの女には子供が出来るだろう。だが、絶対に子孫は繁栄する事はない。あんたらも同じだよ! あんたらを絶対に許さない! 末代まで呪ってやる! この村を根絶やしにしてやる』


 芳恵さんは憎しみに満ちた目で村人達に言い放った。老若男女問わず、儀式に参加した村人達は芳恵さんの言葉に怯んだようだったが、誰もが皆この村で一度は犠牲を出し、またその恩恵を受けていたので、遮るように儀式の準備をした。

 縄で輪を作ると、芳恵さんの首にそれがかけられた。彼女の背後に周り僧侶が縄を掴んで引っ張ると、芳恵さんの足は地面から離れて暫く痙攣したかと思うと息絶えた。

 周りの人々が、手を合わせぶつぶつと何やら唱えながら、彼女の遺体から縄は外されると、勢い良く深い穴の中へと放り込まれた。


 それから、この村に男児が生まれても二十歳になる前になんらかの理由で死に、女児が生まれても子供が出来ない、または婿が早死するようになる。村の人々に子供が生まれなければオハラミ様に、贄を出す事が出来ずただ仏像の前で手を合わせる事しか出来なかった。

 そして彼女達の儀式を率先した、僧侶達が原因不明の流行病で次々と命を落とした。

 さらに、時代の流れと共にダムが建設され、林業が廃れると、村人達は泣く泣く次々と村を後にした。彼等は村から離れれば、たたりから逃れられると甘く考えていたようだ。

 だが、人の霊よりも神仏の障りは恐ろしく土地を離れても逃れる事は出来ない。


 荼枳尼天ダキニテンの夜叉としての側面を信仰していた彼等が信仰を止めれば、不幸が訪れる。散り散りになった村人達は、年数をかけて不幸になっていった。

 一家離散、孤独死、事故死、他殺、自殺……こうして、あの儀式に参加した全ての村人と、その子孫達は根絶やしにされた。


 歴代の贄となった悲しみと憎しみを抱いて眠りについた埋女うずめ達は芳恵さんの、激しい怒りに目覚めた。そしてそれが原因となって贄が途絶え、その不信心からオハラミ様の怒りを買い、村人達をその命を絶たれてしまったのだ。

 彼らの魂は死んだ後も、あの廃村に囚われ続けていたのだろう。

 

「タケルくん、しっかりして! 御札が剥がれそうなの!」


 僕はリコに激しく揺さぶられ、大きな声で呼びかけられてようやく意識を取り戻した。

 

「リコ、全部視えたよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る