ナナシ 神様の規約本 その8

 商店街の服屋に行き、着替えを買うが、どんなものがいいのか、注文を聞いていなかった。首の傷も隠せそうな、長い袖の服を買い、ついでに男物の下着まで買う。気を利かせたつもりである。犯行現場に戻ろうとして、この間に、死体のようなもの、の方が逃げている事を失念していたと気付く。そうだったら相当間抜けだな、と思いつつ戻って来てみれば、ちゃんと律義に待っている。服を手渡す。

「ありがとう。ちょっと、着替えるから、むこう向いててくれるかナ?」

 と、同性に言われても、むしろ変な意識を感じざるを得ないが、他人の生傷を見て、いい気分もしないので、目は背ける。着替えが終わると、「いいお店を知ってる」という、歩く死体、の案内で近くの牛丼屋に入った。ここからようやく消えた記憶に関する本題である。

「何か頼む?奢るヨ。」

「いや、いい。」

「じゃあ、私は豚丼、並盛で。」

「…本気で飯を食いに来たわけじゃないよな。」

「もちろん。できるだけ、説明するヨ。…君の名前はなんていうのかナ?」

「ナナシ、だ。」

「へー。じゃあ、私の事は、ネネコ、って呼んでもらおうかナ。」

「オカマ?」

「どうだろ、あながち間違いでもないけども。ネカマっていう方が近いヨ。」

 ネネコ、が何か能力を使っている事は察したが、本題ではないので追及しない。

「まずは、カルマ付き、というのを説明すると、早い話、超能力者みたいなものだヨ。私の事を見れば、疑いようも無いんじゃないかナ。」

「そうだな。」

「私の仕事は他のカルマ付きの存在や動向を探る事で、今は、人の記憶を消す能力者、を追っているんだ。その適任者が、というか、記憶を維持できたのが、私しかいなかったから、一人で追ってる。私が記憶を維持できた理由は、私にもよく分からないヨ。私は常に能力を使っている訳だから、そのあたりが関係してるのかナ。今日、あの場所で逆にそいつに見つかって、暴れられてとどめを刺される寸前の所に、君達が通りかかったんだ。その時点でこの体は動かなかったから、私は黙って見てるしかなかった。あいつは君達にも襲い掛かったけど、君の知り合いのお兄さんが君と女の子を守るように戦って、なんか恥ずかしい事も叫んでたナ、不思議な説得力があったけども。それを聞いた相手がひるんで逃げだしたのを、君達も追っていった。そこからは見てないけど、多分、適当な所で記憶を消去されたんじゃないかナ。」

「通りすがりの一般人、じゃなかったのか。」

「それは君のために言ったんだヨ。でも、今はもうお願いを思いついたから、正直に答えただけ。」

「お願い…?」

「…実を言うと、ずっと一人で心細かったんだヨ。そもそもあいつの存在を記憶できる人さえいなくて、色々と不安だったんだ。君さえよければ、私に協力してくれないかナ。」

「俺は違和感を覚えていただけだぞ。協力できる事なんてねーだろ。」

「あのお兄さんも一緒に協力してくれないかナー、なんて。」

「ああ、そういう事か。」

 見た覚え、がないけれど、サンタが、常人ではない事、はすでに疑えない事実ではある。戦闘能力が高くても、大して驚くべき事ではない。

「ちなみに、あの人の名前は?」

「サンタ、だ。」

「サンタさん?また、妙な名前だネ。あいつ程じゃないけども。」

「あいつっていうのは、さっき話した、記憶を消す能力者の事だよな。」

「出会う度に名乗るんだけど、私しか覚えてないんだよネ。呼びづらいから、あいつって呼んでる。君にも名乗ってたヨ。覚えてないかナ。」

「全く。」

「十二月二十五日(じゅうにがつにじゅうごにち)。」

「はい?」

「あいつの名前、らしいヨ。ちょっと信じられないよネ。」

「…世の中には、そんな名前の人もいるんだろう。」

 そのような名前で、カルマ能力者であるなら、おそらく噂に聞く、フリークス、というやつだろうか。それなら、ネネコが血塗れであった事に多少は合点が行く。フリークスの疑いがあるサンタと、まともにやりあった、というのも辻褄が合う。それを踏まえても、ネネコの証言はどこまで信用できるのか、協力の要請を受ける価値があるのかを考えなければならない。

「なあ、お前は俺じゃなくて、サンタに何か依頼したいんだろう。」

「そういう事になるかナ。」

「じゃあ、直接サンタと交渉する方がいい。俺からあいつに何か頼むのは、少し公平じゃないんだ。」

「どういう事かナ。」

「お互いに疑いようのない関係、だからだな。」

「…あ。」

 ネネコは何かに納得する。

「あー、それじゃあ、サンタさんにはまた会わせてくれるのかナ。」

「明日、例の路地裏でサンタにも状況を説明してやってくれ。そうしたら、俺からは何も言わずに、あいつに決めさせる。それが一番単純で分かりやすい方法だ。」

「君は、協力してくれないのかナ。」

「もう少し面白そうな事があれば、嫌でも首を突っ込むけどな。今の所、厄介そうだ、と半々だ。」

 ネネコが、仕事、と言ったのも引っ掛かる。思惑があるなら、それに振り回されるのは御免だ。が、臆病だと思われたくもないので、他人任せ、もとい折衷案である。サンタは、ネネコの興味を引く、何か、をしたのだろう。ネネコがそれについて、どれだけ理解をしていて、あるいはそうする事にどんな背景があるのか、などは俺の知る所ではないし、確かめようもない。俺が余計な気を回す必要はない、二人で話し合えばよかろう。

「明日の正午でいいかナ。次はもう少しマシな格好をして行くヨ。」

「構わない。」

 第一印象程、猟奇的な事は起きない、と思いたい。ともかく俺は、面白半分で、詳細不明の生ける屍、に再び会う約束を取り付けた。

 食事をしている間、ネネコは「食べるのに集中したい」と言って黙々と食べるので、会話が弾んだりはしなかった。それを待つのも馬鹿々々しいし、サンタにもさっさと予定ができた事を伝えるべきなので、もう帰る事にする。ネネコが、「また明日ネ」と手を振る。物の食べ方といい、いちいち所作が女性らしい。


 ちょうど日が暮れたころに、秘密基地まで一人で帰ってきた。サンタに出来事を話さなければならない。部屋に向かおうとすると、廊下でミュウが待っていた。俺を視界に捉えると、静かに尋ねる。

「どこへ、行ってたの?」

 目が座っている。不機嫌を隠そうともしていない。別にどこだっていいだろ、とは少し答えられない雰囲気だ。ふと頭に、この建物はどれくらいの衝撃に耐えられるのか、という疑問がよぎってしまう。聞いておけばよかった。

「サンタとハチが先に帰ってきてないのか?」

「…サンタにも聞いたけど、よく覚えていない、って。」

 嘘は言っていない。『記憶にない』とは、サンタにだけ許される逃げ口上だ。

「ハチは、よくもあんな状態のハチを放って置いたわね。」

「そんなに具合が悪かったのか?」

「大丈夫だとは思うけど、でも、程度の問題じゃないでしょう。そういう時、あんたがそばにいなくて、どうするの。」

 どうする、と言われても、何かできる事があったのだろうか。

「大体、お前がハチをついてこさせたんだろ。どんな都合があったか知らないけど、責任の一端はお前にもあるだろ。」

「だって、ことある毎に、ハチってあんたについて行きたそうだったじゃない。」

 ミュウの視点から見るとそうなるのか。俺の予想だと、ハチが俺に気を掛ける理由があるとすれば、間違いなく、お前関連の事なのだが。

「お前が言い出さなければ、ハチはついてくる気がなかったと思うぞ。むしろ、今日はお前と一緒にいたかったのかもしれない。」

 ハチは、自分がここにいるべきではない、というような事を言っていた。

「…そうなの?」

 ミュウが急に弱気になる。

「それに問題に巻き込まれたのも、ほとんど不可抗力だったんだよ。そうそう、ハチの天敵みたいなやつがいるらしいんだ。だから、真相を確かめないと、かえって、ハチがずっと危険な目にあっていた、かもしれなかった。」

 好機と見て、誤魔化しにかかる。

「じゃあ、もちろんその真相というのには近づけた訳よね。」

「まあな。でも、それもまた明日だ。俺もサンタに話があってだな、早く相談してそれについて対策を考えなければならないんだ。通してくれるか?」

「ん、分かった。」

 サンタに割り当てた部屋、二〇三号室の扉に手をかける。何故か、ミュウが後ろについてくる。

「どうしてついてくる?」

「どうして?何かまずい事でもあるの?」

「そりゃ、無いけど。」

 いつもはゲームの方に夢中なのに、どうも関心を引いてしまったらしい。おそらく、ミュウはハチとの付き合いも余程俺より長いだろうし、あんな状態、と言っていた、ハチが記憶を忘れた状態が、より異常だと感じられたのだろう。

 部屋の中では、サンタが壁を見つめて、呆としている。目を離している間は、もしかしてずっとこうしているのだろうか。

「サンタ、話がある。」

「話とは、カルマ能力を受けて、ナナシが調べに行った後の事ではないか、と思う。」

 察しが良いのか、悪いのかよく分からない返事だ。さて、できればサンタには、自分でネネコの事を判断してもらいたい。俺の主観を交えずに、端的に話す。

「明日は暇か?」

「予定が無いという意味で、暇だ、と思う。」

「明日の昼に会ってもらいたいヤツがいるんだけど、平気か?」

「平気だ。分かった。」

「よし、じゃあ、また明日。」

 部屋から出ようとすると、ミュウに引き留められる。

「真相、はどうなったの?」

「だから、また明日だって。俺がどうこう説明するより、会って話した方が手っ取り早い。」

「じゃあ、私も会いについて行く。」

 …しまった。サンタが目の前にいるのでは、適当な事を言って誤魔化せない。言い出したら、障害は吹き飛ばしてでも進むミュウを、正直に話して、説得する自信はない。

「お前がついてきたら、ハチが心配するんじゃないか。」

「ハチも連れて行くから、平気。」

「それは、ハチはまたパニックを起こすかもしれないんだぞ。」

「私がついてるんだから、平気。あんたとは違うって所を見せてあげる。」

 何故か、やる気に満ちている。こうなったら、ご自由に、としか言えない。

「分かったよ。でも、一応、ハチにも行けるのかを聞いて来いよ。念の為。」

「分かった。」

 ミュウは自分の部屋に戻っていく。二〇五号室は、ミュウとハチの二人部屋のようになっている。

 俺もダイクに一言断っておくことにする。おそらく、明日は一人で置いていく事になるだろうから、何も言わないでおくと、拗ねるかもしれない。二〇六号室に行くと、ダイクがパソコンに向かって何か作業している。あと、ちゃんと服を着ている。

「今日は服を着てるんだな。」

「…ああ、お帰り。当たり前やん。ミュウ様がおるのに裸とか。犯罪だろ、常識的に考えて。」

 いつの間にか、ミュウの事を様付けで呼んでいる。何かあったのだろうか。

「もしかして、あいつずっと不機嫌だったのか。」

「いや、そんな事は無いで。嬉々として、何時間もネットサーフィンしとった。あの子、引き籠りの才能があるわ。血相変えたのは、サンタ達が帰って来てからかな。」

「外で問題があったのは聞いたか。」

「聞いた、というか、ハチちゃんがまた満身創痍で帰って来て、サンタが覚えてない言うてたから、なんかあったんやろうな、と。」

「明日はそれについてもっと調べるつもりなんだが、記憶を消す能力者について、何か聞いた事は無いか?」

「無いなぁ。ていうか、それ、会っても覚えてられへんって事やろ。なんや、そんな厄介なヤツがおるんか。」

「おそらく、だ。俺もよく覚えていないからな。」

「それで、何かされたかもしれんのが、気に食わん訳か。本当に厄介事に関わるのが好きやな。」

「俺だけじゃない。引き籠りの天才も、だ。明日は四人で出掛けるけど、構わないよな。」

「そりゃ、構へんけど。心配や、とか言っても意地になって行くんやろ。あんまり無理はすんなよ。」

 俺の場合、それは、無理して来い、という事になる。

「任せろ。」

「ほんまに分かっとるんかな。…ああ、そうや。」

 ダイクは何か思いつくと、散らかっている部屋のジャンクを漁り始めた。ビデオカメラを見つけると、俺に手渡す。

「これ、役立つんちゃうかな。記憶は消せても、記録までは消せへんかもしれん。一応、持っていったらええ。」

 なるほど、とは思ったが、出会った時に、そんな余裕があるのか怪しいとも思う。念の為、受け取って、明日に備えて、もう休む事にする。

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