ナナシ 神様の規約本 その2

 ハチは扉があると、その脇の端末に何か打ち込んでいく。「警備システムを証拠も残さず麻痺させている」らしい。意外な特技だ。

「どうしてそんなことができるのか、聞かないのか?」

「別に、興味ねーし。」

「お前は周りの人間に、面倒なヤツと言われたことはないか?」

「なんでだよ。説明が要らないんだから、楽なもんだろうが。」

 エレベーターに乗ると、改まって話を切り出される。

「このエレベーターは地下に向かっている。組織全体として、カルマの研究には熱心で、疑いのある者を集めている。だが、これも利用、排除、保護と見解は様々で、その都度審議にかけられている。地下は、特に危険なカルマ付きが幽閉されている場所だ。ビビったか?」

「全然。」

「俺はこれから遊撃している警備の面倒を見なければならないから、ついていけない。ハチは建物の構造から、警備の配置まで記憶しているから、黙ってついていけば案内してくれる。案内されたら、そいつにお前がお嬢様にとってどれだけ脅威になるか、説明するだけでいい。いいか、お前がどんな能力を持っていて、それでお嬢様にどういう事が出来るか、はっきりと正直に伝えるだけでいい。注意するべき事は三つ。一つ、念を押しておくが、余計な事は喋るな。二つ、お前がお嬢様に名前を付けられている事は伝えるな。三つ、ハチを絶対に会わせるな。説明が終わるか、危険を感じたら、すぐにまた部屋まで戻れ。」

「了解。」

 細かい事は気にしない。俺としては、このまま機を伺って逃げてしまおうとばかり考えていたが、臆病風に吹かれたようで癪なのと、ハチが話も上の空に、かなり思いつめたような表情をしていて、協力が望めそうにないので、腹を括る事にする。

 エレベーターがつくと、手筈通り二手に分かれる。ハチに案内されるが、しばらくして、立ち止まる。

「あの、少し、話しても、いい、ですか。」

「お前が案内してくれなきゃ、進退谷まるんだから、いちいち断らなくていいぞ。」

 思えば、俺もハチは言う事に従うものと決めつけていたのかもしれない。もっと早く不穏さには気付くべきだった。

「出て、行くんですか。」

「まあ、ここにいても仕方ないからな。」

「一緒に、居たく、ない、ですか。」

「居たくないというか、俺は元々他人の都合に巻き込まれるのが好きじゃねーんだよ。」

「私に、色々、教えてくれた、の、何故、ですか。」

「その方が面白いと思っただけだよ。」

 急にハチの語気が強くなる。

「私は、ミュウちゃんのために、死ぬ、と思って、ました。」

「え?何?」

「でも、今はそれが、できない、です。」

「それはいい事だろ。」

「あなたのせいです。」

「」

「無責任です。」

「俺になんの責任があるって言うんだよ。」

「…ミュウちゃんの事、好き、ですか?」

 …予想に無い言動に少し耐性ができたようだ。人生に経験は重要である。俺は至って冷静ではある。ハチの切羽詰まった表情を見るに、質問には答えないといけない。『いいえ』と答えるのは簡単だ。だが、それは、何かハチとの関係を根底的に引っ繰り返すような、まずい気配がする。かといって、『はい』と答えるのにもかなりの抵抗がある。動揺や思いつきではなく、産まれて初めて自分から「無難に答えよう」と思った。

「あいつの事をよく知ってる訳じゃないから、好きとか嫌いとかはまだ分からない。まあ、最初は気に食わない所もあったけど、一応助けられた貸しがあるし、同じ不便な能力持ち同士、今は仲良くできるんじゃないかな、と思っている。」

 ハチは複雑な表情をして、いまひとつ感情を読み取れない。

「分かりました。」

 相変わらず、語気の強い所があるが、もしかして、怒っているのだろうか。確かめようも無く、足早に案内されていく。

 その後、一言も交わせないまま、ちょうどミュウの部屋にあるような、扉の前までたどり着いた。造りは違っていて、かなり頑丈そうだ。

「中に、います。開けます。」

 他の扉に比べて、時間が掛かったあたり、いくらかは厳重らしい。ハチが扉を開けようとする。

「ちょっと待て。この扉の向こうに誰かいるんだよな?」

「はい。」

「俺が一人で会うから、お前はここで待ってろよ。」

「…心配、です。」

「よせよ。お前に心配なんかされたら、自分が情けなくなってくる。」

「…。」

「いや、俺もこのあたりでやればできるというか、すでに情けない所は見せてるんだけど、とにかく名誉挽回の機会が欲しいんだよ。そのために、今は俺が一人でこの部屋に入らなければならないんだ。だから少し待ってろって。」

「…分かり、ました。」

『この部屋の中で人を傷つけられない』と、頭の中で考えながら、俺が扉を開く。中に入ると、誰かいるのが目に入り、素早く扉を閉じた。さて、部屋の中はと言えば、学校の教室程の広さだろうか、殺風景で何も置いていない。となると、嫌でも目につくのは左側の壁をじっと見つめて、床に座ったまま微動ともしない少年である。まるで天体を眺めているような表情をしている。金髪碧眼で年齢がよく分からない。言語が通じるのかも、怪しくなってくる。腕の出せない拘束服を着ている。と、こちらがこのように観察しているのに、気に留める様子がない。こいつに一方的に話して、すぐ帰ればいいらしいのだが、それでは少し面白くない。

「おい。」

「…自分が話しかけられたのか、と思う。」

「思う」をとってつけたような、妙な話し方をする。おそらく理由のある事なのだろうが。

「俺に気づいてなかったのか?」

「気づいていた。」

「だったら、なんか反応したらどうだ。」

「余計な事を喋るな、と言われている。」

「誰に?」

「姉貴にも、兄貴にも言われた事がある。」

 取り留めもないやり取りだが、俺が感じている違和感は形容しがたい。ちょうど、自分が何かできなくなった時の感覚を、こいつと話していると常に感じる。

「お前の名前はなんていうんだ。」

「四月一日(しがつついたち)。」

 決定的だった。俺は、やけに長い名前だな、と思ってしまっている。おそらく、この違和感は最初だけで、しばらく経てば、それが普通の事だと思うようになる。

「お前、さっきから何か、能力みたいなのを使ってないか?」

「使っている。」

「どんな能力なんだ?」

「自分の言った事は常に必ず信じてもらえる。けれど、守らなければならない事が二つある。一つ、嘘は吐けない。すなわち、確信のない事を断定する事ができない。二つ、質問には必ず答えなければならない。」

「なるほど。」

 となれば、思ったより扱い易い。どんどんこっちから質問してしまうあたり、ひねくれ者殺しの能力ではあるが。

「俺に敵意とか、害意はあるか?」

「無い。」

 これでひとまず安心できる。

「こんな所に閉じ込められて退屈じゃないのか?」

「退屈ではない、と思う。」

「外に出たいと思わないのか?」

「そうは思わない、と思う。」

「どうして?」

「自分の能力は危険だ、と思う。誰かに迷惑をかけないように、この部屋で大人しくしているべきだ、と思う。」

「聞き分けのいいやつだな。」

 拍子抜けである。身の程をわきまえているやつの、一体何が危険なのか。そして、俺はここで他人の想定を超える名案を思いつく。

「よし、じゃあ俺がここからだしてやるよ。」

「どうして?」

「そうだな、よく知りもしない危険人物を野に放つのが俺の趣味なんだよ。まあ、あとお前はいいヤツそうだしな、勘だけど。」

「意味が分からない、と思う。」

「いや、お前はよく分かってるよ。久々にそういう反応が見れた。」

 特に理由はないのだが、こいつをミュウの部屋に連れて行こうと思った。予想の斜め上というやつだ。そのためにもう少し質問をしておかなければならない。

「ミュウという女の子を知っているか?」

「知っている。」

「どんな風に?」

「ミュウは姉貴の娘だ。」

「あいつの身内なのか、お前。」

「訂正する。姉貴は姉貴分の意で血縁関係のある姉の意味ではない。ミュウは姉貴の娘であり、姉貴が大切に思っている女の子だ。よく話を聞かされたので、名前を知ってはいるが、会った事はない。」

「あいつが不便な能力を持っている事も知ってるんだよな。」

「知っている。」

「あいつに敵意はないのか?」

「無い。」

「ふむ、まあ、身の上話は置いておいて、じゃあ、ハチって女の子も知っているのか。」

「知っている。」

「どんな風に?」

「ハチはミュウが名前を付けた女の子だ。ミュウが一番大切に思っている、と思う。」

「敵意とか、害意は?」

「自分はハチを殺さなければならない。」

 …二の句が、つげない。ここでようやく俺はこいつの危険性に気が付いた。殺意が、疑えない、のは、精神的に、かなりくるものがある。そして、「どうして」という言葉をなんとか飲み込んだ。もしかして、こいつにもっともらしいことを、はっきりと答えられたら、俺はそれを永遠に疑えないんじゃないか。…落ち着け、まずは、この違和感を失くしては駄目だ。

「お前の年齢は?」

「分からない。十八歳、と答える事にしている。」

「好きな食べ物は?」

「果物全般が好きだ。特に林檎が好きだ。」

「苦手な事は?」

「パズルやクイズが苦手だ。勉強もあまり好きではない。」

「好きな異性のタイプは?」

「十二歳以下の女の子が好きだ。」

 だいぶ要領を掴んできた。自分の事は断定できる。他人の事でも、自分の中に確信があれば断定できる。質問の答えは、嘘の回答ができない、のであって、ある程度は曖昧に答える事ができる。ロリコンだ、こいつ…。

「お前は人を殺すのが好きなのか?」

「好きではない。」

「例えば、目の前に無抵抗な女の子がいたら、まず殺そうとするんじゃないのか。」

「そんな事は絶対にしない。」

 言い切られた。同時にこいつには、しっかりと良心があるのではと思いついた。それなのに、他人を殺さなければいけない理由があるとすれば、もしかして、ここで邪悪な考えを注がれているのではないか。こいつの中の真実を捻じ曲げてしまえば、聞く人間は疑う事ができない。洗脳のような能力者を洗脳してしまおうという発想には容易に辿り着ける。なぜなら、こと洗脳に於いて、俺の能力も引けをとらないからだ。『本』のイメージを持つ。こういう条件付けで、使ってみるのは初めてなので、有効かどうかは分からないが。

「『お互いに相手が話した事を信じなければならない。』」

 手応えがある。くらわせた相手が目を見開いて驚いているが、喋らせない。先手必勝だ。

「どんな理由があっても、人を殺す事は悪い事だ。お前には明らかに良心があるし、その手を血で汚すべきではない。あまつさえ、それが弱者のものであってはならないんだ。」

「信じるよ。」

 話の矛盾をついたりしても、とにかく迂闊な事が聞けないのだから、分が悪い。こうしておけば、ハチに会っても大丈夫なはずだ。

「もし今ハチに出会ったら、どうするつもりだ?」

「訂正する。何もしない。」

「何もしない、じゃ困る。できるだけ、にこやかに友好的に接してやって欲しいんだ。ちょっと睨んだだけで怒鳴ってくる女もいるからな。」

「意味が分からない、と思う。」

「ああ、これからお前を外の、って言う程、外、でもないけど、ミュウの部屋に連れて行こうと思っている。」

「どうして?」

「その方が面白そうだと、俺が思うからだ。」

「自分はここを出るべきではない、と思う。」

「お前がそう思っている事は信じるけど、でも逆に言えば、お前がそう思っているだけで、ここにいなきゃいけない理由なんてないんだろ?」

「ここにいるべきだと言われている。」

「じゃあ、俺も言ってやる。お前がこの部屋に閉じ込められている必要はない。」

「信じるよ。」

「よし、決まりだな。こんな辛気臭い場所、さっさと出ようぜ。」

「分かった。」

 この調子だと、どんな命令でも受け付けそうだ。そう考えると、またとんでもなく余計な事をしたのかもしれない。

 部屋の外に出ると、ハチが待っているわけだが、俺の後ろについてきている奴を見て、目を丸くする。

「あの、…ひさし、ぶり、…です。」

「久しぶりだ、と思う。」

「なんだ、顔見知りなのか、お前ら。」

 さっきまでこいつはお前の事を殺そうとしていた、のは言わなくていいか。もうしないだろうし、こいつの前で余計な事は話さないのが無難だ。ハチもそれを把握しているのか、もとからかもしれないが、何か言いたそうにはしているが、押し黙っている。

「ハチ、帰りの案内を頼む。」

「えっと、あの、これは…?」

「こんな所に押し込められてるのは、可哀想だろ。連れていく事にしたんだ。」

「あの、それは…その、あ、あんまり…。」

「大丈夫だって、なあ、何か危害を加えるつもりは無いんだよな?」

「無い。」

「ほら、本人もこう言ってるし、それにこいつ、ミュウの母親の知り合いらしいし、会えばあいつも喜ぶんじゃねーかな。」

「あ…。」

 ハチが凍結してしまう。当然では、ある。俺ももっと適当な事を言って、押し通そうと思ったが、『四月一日』を見て、ふと考え直す。今、いい加減な事を言ってしまえば、何かの拍子に俺もそれを本当の事だと信じてしまうではないか。そう考えると、結構厄介だ。結局、俺もこいつの前では嘘をつけない事になる。

「…分かり、ました。」

 考えを巡らせている内に、勝手にハチの方が折れた。ただ、今日一番の不服な表情をすると、観念したように踵を返した。そのまま早足に先を歩いていく。ハチが怒っている事を、ようやく確信できた。

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