葉桜の君に——白い花弁をつなぎとめよ

蜜柑桜

Magia I

「はい、そこまで。それじゃみんな、お互いに変化メタモルフォーゼさせたものを見せ合って」


 手を叩く高い音が鳴り、たちまち私の耳をざわめきが支配した。歓喜の笑いや感嘆の溜息、呆れて囃し立てる声が方々から耳へ飛び込んで、精神の内奥で紡いでいた術式を阻害する。

 閉じていた目を開けたら、漆黒の髪をした男性の姿が視界に入ってしまった。授業担任で私の担当官アドヴァイザーの葉太だ。

 操られるようにその姿を追っていた私の視線は、左右の机の上を見ながら近づいてくる彼の目と合ってしまった。

 ああもう、髪の色とほとんど同じ、あの漆黒の目に捕まったら、逃げられない。急いで視線を資材マーテリアへ落としたのに、耳元で彼の声がする。


「どう、できた?」

「……葉太、これ、あっという間に戻っちゃった……」

「こら、今は『秋田先生』」

 

 仕方なく答えたらコツン、と頭に硬いものがぶつけられて、反射的に顔を上げてしまう。すると艶やかな楓の杖を片手に、葉太が私の掌を覗き込んでいた。

 私の手の中には、十ほどの桜の花がふわりと乗っているだけだ。


「……『秋田先生』、雪兎にしようと思ったのだけれど、幻影が見えただけでした……」

「……桜子は本当に変化魔法メタモルフォーゼが苦手だな」


 耳のすぐ上で葉太の呆れた呟きが聞こえる。


「雪兎は冬のモノだろ。春の桜なんて、わざわざ保存資材選んできて……変化魔法メタモルフォーゼには相性が大事だよ。むしろ対象に近いものを選んだ方がいい」


 するとすぐに部屋の隅の方からから、「葉太せんせーい、変化させた梟が戻らなーい」という声が上がり、葉太は「まあ次だ」と、ぽんっと私の肩を杖で叩いて、頭上の梟に慌てる一団の方へ向かって行った。

 

 ——へたくそなんて、わかってるわよ……


 葉太の深緑のローブの背中をひと睨みして、私は掌の中の白い塊をぎゅっと掴み、思い切り宙へ放り出した。


 頭上に舞ったそれらが、一つ、二つと私の真紅のローブの膝に模様を作る。雪のように白い、ひとひら。

 ——雪がやがて溶けて消えるように、いずれは散るんだわ……


 私は膝の上の一つをそっと摘み上げて、離した。

 花弁はくるくる回りながら、ただひたすらに下へ落ちていった。


 ***


 魔法界では日照時間が少ない。午後四時だというのにもう空は薄い紫色に変わり始め、室内では蝋燭が琥珀色の玻璃越しにぼんやりとした光の環を壁に描く。


 三つ並べられた机の上では、土色をした手捻りの小さな壺の中でこぽこぽと泡が音を立てている。ローブ姿の学生たちが各々、手で包み込んだ壺の中を息を詰めて見守っている。


「あっ」


 机の間を歩いていた私の耳に小さな驚きの声が聞こえたのと、少し先の座席から眩い光が拡散したのが同時だった。

 それを合図にあちこちの席から次々に光が発散し、机の上に、天井に、壁に線を引いていく。その色は白金、銀、翡翠色、碧、様々だ。


「一番はウェネ、二番はカトル、成績『優』、と。どう、他もほぼみんな、光を出せたかな」


 手元の学生簿で光の灯った子の名前に印を付け、部屋の中を見回したら、一番端の机の隅にまだ光を発していない壺があった。壺を手で包むのは緑色のローブと黒髪ので、私はすぐに部屋の反対へ首を巡らそうとした——でも、遅かった。


「……桜子、これは選んだ資材マーテリアがまずいのか」


 顔を上げた彼は、訴えるような眼で私を見て言った。


「……今は『春川先生』」


 目が合ってしまったら、教師という立場上、無視することはできない。仕方なく葉太の壺の中を覗き込むと、水面にはほんのり色づいた桜の花が浮かんでいて、発芽するはずの光のすら生まれていない。


「葉太はどうしても光の魔法が苦手なのね……ここでは身を守るのに光と治癒魔法は会得しないと」

「わかっているけども」


 葉太は再び壺の中を見つめた。もう授業も終わりの時間だ。私は部屋の中央へ向きを変え、杖を天井へ向けて一振りする。杖先から光線を発し、それを天井から吊り下げられた幾つもの蝋燭にぶつけると、たちまちのうちにそれら全てに火が灯った。


「じゃあ今日の授業はおしまい。みんな、光を『閉じて』壺を棚にしまってね」


 ***


 授業が終わり、備品の確認と戸締りをして教室を出ると、もう廊下はすっかり夜闇に包まれていた。窓辺には木々が並んでいるせいで、足元も暗い。私はわずかな隙間から入った月明かりを杖の先にすくい上げ、それで目の前を照らしながら廊を進んだ。

 校舎から出ると、風がそよいでローブを揺らした。楽しそうな彼ら風たちの声。日も落ちたのに空気の中に殺気立った鋭さはない。冬将軍の元気がなくなってきたからだ。私の脇を抜けていった彼ら風たちに軽く目配せして、私はエメラルドに光る小道に足を踏み出した。


 校舎を含む一帯には、研究棟、図書館、実験植物園、魔法競技場など、広い敷地内に魔法学園の関連施設がいくつも建っている。

 小道が昼の陽光を吸収して発光するおかげで、外なら夜でも道を失うことはない。私は杖の光を消して歩き出した。私達学生が暮らす寮は、本校舎の前に広がる池を渡り、園庭を抜けた先にある古城だ。

 道は池の水面上を真っ直ぐに伸び、踏むと足の裏の水が軽く揺れる。浮遊感を楽しみながら池を渡り切れば、そこから道は園庭の中に入る。


 春には草花が芽吹き小動物が遊ぶ園庭だが、今はまだひっそりと静かだ。遮る木の葉もなく、顔を上げれば紺碧の空にちらちらと色を変えて輝く無数の星が目に飛び込んでくる。


 目をつむって深呼吸した私は、ふと、人の気配を感じた。いく先の右手の方、まだ蕾もつけない桜の木の下に、深緑のローブを纏ったシルエットが幹に寄り掛かり、雄々しく伸びた枝を見上げていた。

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