現人神対英雄Ⅴ
とても長く、極めて濃密な、だからこそ短く感じる時が進む。
シャウハウゼンは攻めても強い。受けを崩す際の技は無数にあり、槍が触れたそばから剣が跳ね飛ばされかけること幾たびか。ウェルキンは極限の集中力を維持し、それでいて泥くさく逃げ回る。受け、流し、退く。
後退が前提のせめぎ合い。
そうでもしなければ肉体の限界と集中の限界を超えた状態で届かなかった時点で敗北は確定していただろう。善戦した、その結果だけが残る。
背後の守るべき者たち全てを失って。
「……閣下を相手に、何処まで粘る」
素人目線であれば苦戦しながらも何とか堪えている構図であろう。それなりの使い手であれば退け腰なのが透け、失望しているかもしれない。だが、練達の武人である彼らの味方は称賛であり、畏怖である。
この長時間、シャウハウゼンを相手に逃げ回ることの難しさを彼らは嫌でも知る。槍が触れたなら、それこそあの男は何でも出来てしまうのだ。呆然と槍を絡め取られ、空を掴む手を眺めたことなど何度もある。
剣を手放さず、素人の眼は騙しながら、何とか生き延びる。
しかも――
「……む」
「おォう!」
右手での斬撃、それを受けたシャウハウゼンの眼が僅かに細くなった。
その理由は次の瞬間、空と成った右手で判明する。あるはずの衝撃がなく、宙に浮かぶ剣を逆の手、左手で掴み剣を振り抜く時間差攻撃。
「ユニーク」
シャウハウゼンはそれを体をそらし、かわす。これで死に体、とならぬのが武神たる所以。むしろ体を大きく崩し、槍の石突を地面に滑らせながらぐるりと回ることで、倒れるはずのところから逆に攻勢へと立て直す。
ウェルキンもそんなことで今更驚かない。当然、この男なら立て直すだろうと考え動いている。ここから放てるのは払い。突くスペースはない。ならば、さらに距離を潰し、槍の間合いを殺す。零距離は、長柄の弱点である。
「なら、こうするまでだ」
「ッ⁉」
シャウハウゼンは距離を詰められた瞬間、折角立て直した体勢を崩し、身体を大きくそらした。そうすることで生まれたスペース。零だった場所に、一が生まれた。そうなってしまえば、武神の槍は何でも出来る。
剣を迎撃、軌道をそらすような優しいタッチで、必殺の一撃を殺す。そのままの勢いで槍を地面に叩きつけ、その衝撃を利用し体勢を立て直しつつ、ぐるりと体を旋回させ、後ろ回し蹴りを放つ。
ウェルキンはそれを、
「ぐ、が」
甘んじて受けた。血を吐きながらも距離を得る。
「良い判断だ」
「……どうも」
シャウハウゼンの称賛を、ウェルキンは血を吐き捨てながら受ける。誰の眼にも今の攻防、ただシャウハウゼンがさらに優位を固めた程度にしか映らない。そもそもネーデルクスの勇士たちをして、彼らの攻防の全容を把握するのは不可能に近かった。あの勢いで手放した剣が、何故ああも柔らかく宙に浮いたのか。振り抜く際に左右を入れ替えるなどと言う曲芸に対し、シャウハウゼンが読んでいたかのように捌き切ったのも理外のこと。かろうじてウェルキンが其処から槍の間合いを潰そうとしたこと、それを体を寝かせてさせなかったシャウハウゼン、という構図はわかった。
ただ、それだけ。
「……あの、男」
キュクレインは身震いする。確かに今の攻防、当然のように最後はシャウハウゼンに軍配が上がった。それでもウェルキンが少し、ほんの少しだけ追い詰めたことも事実なのだ。その上で、きちんと見えている。
(あの蹴りを受けたのはわざとだ。あれを無理にかわすとシャウハウゼン様が詰め切っていた。その危機を察知して、あえて受けたのだ。何という生き汚さか……それに、あの初手の剣を手放した時の手の内、あの柔らかさは、閣下の)
自分がどれだけ研鑽を積み、観察を続け、ようやく至った神の槍の神髄。手の内を柔らかく使う、全ての武器における基礎基本であるが、それを極めたのが神の槍である。赤子の手に触れるかのような柔らかさ、それで強く突き、払うのだ。
それが出来ねば、空中で持ち替える際の柔らかさは生まれない。ウェルキンは凄まじい早さでシャウハウゼンを学習している。
もちろん、それで埋まるほど神は安くないと信じているが――
「ふぅ、ふぅ」
明らかに疲弊しているのはウェルキンの方である。今のように死に繋がらない攻撃を何度も身体で喰らい、その上で何とか身体能力を駆使し、死から逃げ続けている。対するシャウハウゼンは仕掛けこそするも無駄な動きはない。当然、互いの消耗は比にならぬほどの差が生まれている、はずなのだ。
「…………」
じわりと滲む汗に、シャウハウゼンは笑みを浮かべる。今の攻防もそうだが、どんどんこちらの技術を飲み込み、引き出しは繋ぎが巧みになっている。その上で型に囚われぬ奔放さもあり、それに応じるのもまた一苦労。
(獣相手とは、違うな)
野性相手は本能に縛られた隙がある。シャウハウゼンの眼から見れば無数に見えてしまう。一対一であれば間違える要素はない。獣相手はシャウハウゼンにとって作業のようなもの。一手でも間違えたなら死ぬが、そもそも間違える要素がない。
だから極めて消耗少なく、長く戦うことも可能。
そもそもシャウハウゼン自身もまた神狩りのために各国を回った経験を持ち、体力にも自信がある。かつてよりも落ちたが、一昼夜程度で枯れ果てるほど落ちぶれてもいない。ただしそれは獣相手の話。
英知を携えた、理合いを持つ獣相手は別であろう。
(思ったよりも疲れている。そしてそれ以上に、時の流れが早い、か)
月の位置を確認し、シャウハウゼンは苦笑する。本当に飲み込みの早い男である。恐ろしいほどの吸収力と素直さ。良いモノは良いと認め、すぐさま取り込めるのは一種の才能であろう。それはまあ、武技へのこだわりの薄さにも起因しているのだろうが。戦いに関しての欲はある。それは剣から伝わってきた。
闘いと戦い、形はたぶん、己とは違う。
それでも――
「今更だが、一応聞いておこう。ネーデルクスに来る気はないか、ウェルキンゲトリクス。今ならば私の槍持ちをさせてやるぞ」
「ない」
「即答か。聖ローレンスを残すわけにはいかないが、民を生かすことは私の裁量でも可能だぞ。それでも勝ち目の薄い戦いを続けるか?」
「お前たちの世界で生きられなかった者たちがここに集まっている。彼らはお前たちの手を握り立てない。ならば、彼女はその条件を呑まん。俺もまた、同じ」
「……彼女、か」
シャウハウゼンはウェルキンの背後に立つ聖ローレンスの象徴を見つめる。美しい女性である。不思議な引力が、魅力があるのは認めよう。
「……虚像だな。力無き偶像に何の意味がある?」
だが、今の世にも、これから先の世にも、力無き偶像が立つ場所など存在しない。野心を持つ者に利用されるのがオチだろう。
力を持つ偶像なれば、天を掴むに足るかもしれないが。
「そのために俺がいる」
「ふは、それで君の人生を消費すると? 自らの中にある欲求を抑え、この閉じられた世界に身を置く、と?」
自らの中にある欲求、でウェルキンは無反応であったが、聖女は顔を曇らせた。彼女はわかっているのだ。ウェルキン自身すら理解していない、欲求の在り処を。シャウハウゼンが見抜いたそれを、彼女も知っていた。
知っていて――
「笑うか?」
「笑うとも。人材の無駄遣いだ」
シャウハウゼンは憎む。彼にその選択をさせた者を。彼女ではない。ここにいる聖ローレンスの民でもない。始まりは、己なのだ。
あの時、己に彼らを招く余裕があれば、少なくともこうして敵にはならなかった。手と手を取り合うことも出来たかもしれない。弟子として槍を教え、国の柱として己に足りぬものを持った存在へと――
(……悔いであり、未練、か。愚かなことだ)
そんな明日は、無い。あの日、あの時、この場所で消したのだ。
そんな可能性を。
「続けようか」
「ああ」
因果応報、それをシャウハウゼンは想い、槍を振るう。
○
思い浮かべるは槍を握ったばかりの頃。虎にわけもわからず転がされ、相手が名人だというのに悔しくて、力いっぱい槍の柄を握っていたら――
『阿呆が。そんなに強く握っては槍が死ぬ。赤子の手を握るようにな、優しく抱くのだ。わかるか?』
『わかりませぬ。私は、赤子を見たことがありませんので』
『そうか。ならついて来い』
がしっと掴まれて、おんぶでも抱っこでもなく担がれた自分は彼の屋敷、その奥で眠る赤子の前まで連れてこられた。
『俺の子だ。存分に握り、神髄を知れ』
『……は、はい』
初めて握った赤子の手は何だか不思議であった。弱く、儚く、守らねばと思わされた。ただ、それと共に重ねられたごつごつした手の、雄々しさもまた印象に残っている。強く、節くれ立った手の温かさを、今でも覚えている。
守るべきものと、守られる温かさを、あの日知った。
虎からは多くを学んだ。槍とは何か、国とは何か、何故槍を学ぶのか、何故民を守るのか、貴族とは、王とは、生きるとは、死ぬとは――全て彼から学んだ。
それなのに――
『この俺を愚弄するかァ!』
『ッ⁉』
名人、彼は強く雄々しく、また敵も多かった。その敵に利用され、対立構造を作られた結果、御前試合で槍を合わせることになってしまった。恩人である。勝つわけにはいかない。そう思って臨んだら、すぐさま看破された。
恥ずかしくも力を引き出され、勝ってしまった。呆然と、何か大切なものを失ってしまったのではないか、と思った。槍だけが自分たちを繋げていた。血のつながりがない自分は、槍を介さねば駄目だったのだ。
『俺の負け、だ。三貴士を……頼む』
『……はい』
重責だった。若くして超大国の頂点。別に戦が強いわけではない。少数の戦いならば自分一人で引っ繰り返す力はあるが、広がれば広がるほどに槍が届かぬ己の弱さを知った。超大国だから勝っているだけ。特別なことは何もしていない。
焦った。そして空回りを、した。
特別なことが出来ぬなら、特別を消そうと、思った。国から許可を得て、散々愚行を繰り返した。掘り起こす必要のない伝説まで引っぺがし、消した。その旅が皮肉にも最強の証明と成ったのだから滑稽な話であろう。
そこからはもう、超大国による伝説づくり。一番強い国にいるのだ。普通にやっていれば勝つ。そんな当たり前を繰り返して、『白神』が生まれた。
国から、民から、神を求められた。
何もなかった自分には彼らの求めに応じるしか、術はなかった。気づけば現人神の出来上がり。常勝無敗、超大国の生み出した幻想が己である。
今はまだ良い。強敵であるマクシム、武王は遠く、他の大国は迷走し、小さな国に超大国が負ける道理などなかったから。
だが――
『時代遅れの戦術を振りかざし、何が最新かよ、なあ、サロモン』
『日和るな、どんと構えろ。俺様達を使うと言うのなら』
『何でわしらがネーデルクスの顔を立てんといかんのじゃ。わしらはオストベルグじゃろーが。わしらがわしらの筋通さんで誰が通すんじゃい!』
これから先もそうとは、限らない。いや、そうならぬと感じたから、軽く叩いてやった。それで折れたなら儲けもの。折れぬなら――
『……ふふ』
圧倒的な敗北を刻まれながらも、それでもなお折れぬ心。何故、彼らがネーデルクスに生まれてくれなかったのだ、と何度思ったことか。彼らが自分の山に登ってくれるとは思わないが、だからこそ国家にとってはこの先、役に立つ。
そして極めつけが、眼前の己がまいた種。
○
「……やはり、遠いな」
「諦めるかね?」
「そうしよう」
再度、紅き気配と蒼き気配をまといて、ウェルキンは最後の勝負に出る。学び終わった、と言うところか。舐められたものだ、とシャウハウゼンは笑う。
「これ以上、俺がお前から奪えるものは無い。あとは、全てを賭して届くかどうか、だ。乾坤一擲、俺が、お前の空に手を伸ばす!」
「……そうか」
ウェルキンとシャウハウゼンの違いは武技に対する愛にある。そこが埋められぬ限り、神の全てを模倣することは不可能。ウェルキンは早い段階からそれを理解していた。今の自分が取り込めるものだけを取り込んだのだ。
震脚などの技は模倣出来る気がしない。あんなものを刹那の間でやり取りする戦場で繰り出すこと自体が異常だと、ウェルキンは思う。そうやって多くを切り捨てた。これは出来る。これは出来ない。これは使える。これは使えない。
そして、今に至る。
「ならば、受けて立とう!」
気づけば夜闇は薄れ、黄金の気配が夜明けを告げる。
誰もがそう成って初めて、それほどの時間が経っていたことに驚愕した。長く、濃密で、とても短い夜が、終わる。
いざ、決着の時。
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