完璧なる戦Ⅱ

「閣下、敵船団はどうやらこちらを包囲し、遠間での打ち合いを所望している模様」

「……そのようだな」

「しからば、包囲完成前に敵布陣を突破、体勢を立て直し戦闘の持ち込むのがよろしいかと。狙いどころとしては――」

「あそこだな」

 ガリアス海軍を指揮する男、元王の左右が一人『銅将』ウジェーヌが指さした方向を見て副将は頭を下げる。

「出しゃばりをお許しください」

「いや、俊英と意見が合致したことは、この老兵の考えを裏付けてくれた。礼を言う。だが、卿も感じるだろう。この敵、そこまで浅くはない」

「……誘いであると?」

「可能性はある。が、それは頭の隅に置いておこう。先手を取られた時点で、今は流れに乗るしかない。ここは海なのだ」

「承知。頭の隅に入れておきます」

「総員、配置につけ! これより敵包囲を突破する!」

 ウジェーヌの合図と共に旗艦であるこの船から一斉に各船へ情報が伝達される。原始的な手旗信号、だからこそ練度と正確さがにじみ出る。

 まるで一つの生き物のように、ガリアス船団が動き始めた。

 それを見てエスタード海軍旗艦に立つピノは微笑んだ。さすが音に聞こえし名将ウジェーヌ。サロモンと意見が割れることの多かったジャン・ポールとはまた別の理由で王の左右から、中央から外された男であるが、

「判断の早さ。鎖の弱い部分を瞬時に見抜く洞察力。これで本来は陸の将だと言うのだから末恐ろしい。ガリアス黎明期、陰の立役者が一人、か」

 その実力は間違いなく本物である。

「だからこそ、この戦いには意味がある」

 ピノは船を滑らせるように舵を切る。この戦いへの確信を胸に秘めて。


     ○


 大砲が誕生する以前、船での戦いは主に三つの方法があった。

 一つは最も原始的かつポピュラーであった体当たり。こちらは主に櫂を用いた船で使用された。船の先端に衝角と呼ばれる突起を設け、敵の側面、背後を取って衝突する。これが船の王道である。この時代の船もその名残は残っており、特に古い船であればあるほど立派で頑丈な衝角を設けているケースが多い。

 まあ、どちらにせよ互いに沈没の恐れが大きい正面衝突は正気の沙汰ではなく、それを船団規模で行った狂人たちは後にも先にも、これより後に遠征を始めるアポロニア率いるアークランドぐらいであった。

 もう一つは船を近づけて相手に乗り込む白兵戦である。これまた原始的な戦術であるが船の大型化に伴いケースは増えてきた。体当たり、もしくは後述の戦法で船の足を止めて乗り込み、相手を打ち倒す。これもまた基本的な流れである。

 敵を倒すだけであれば体当たりでも構わないが、それ以外の目的(主に金品等)がある場合は船を沈めるわけにはいかない。海戦の最終決着は船上での白兵戦、と言うのがお決まりの流れである。

 そして最後の一つ、弓などによる遠間での戦闘。これは主に乗組員や帆などを損傷させるための手段であり、これだけで決着がつくことはほとんどない。近年ではバリスタや投石機を設置した船も色物として生み出されてはいたが、いずれも重量や費用対効果、船足の面から主流となるようなものではなかった。

 とは言え帆が破れたなら船は走れない。勝負を決定づけるものではないが、重要なフェーズでもある。

 この三つ、例外はあれど王道はこれだけ。たったこれだけでしかないのだが、それでも海戦は奥が深い。何しろ、波風によって進める方向が限定され、思うように進むことすら困難な船が主役であるから、である。

「舵そのまま。よろしいですか、閣下」

「私は楽をさせてもらっているな。……存分にやり給え」

「承知!」

 風の状況、波の状況、船が往来するような場所では他の船の進路もまた重要な要素である。そこを上手く支配してこその、船乗りと言えよう。

「へえ、普段荒っぽい操船しねーのに、やる時はやるもんじゃなあ」

 ヴァイク旗艦の一人がガリアス海軍の旗艦を見て褒め称える。小競り合いでは滅多に見られないガリアス海軍の本気、その妙技を見て笑った。

「舵を握っているのは百将十八位『水蓮』のセヴランだ。奴の出身は俺たちと同じルーツ、飛び地であった元オストベルグ領出身だったはず」

 リクハルドもまた苦笑しながら、巧みな操船を見つめる。

「うへえ、そりゃあ大変じゃ。若いのに苦労しとるんですのぉ」

「いくら境遇が似たウジェーヌによって引き上げられたとはいえ、それでもあの若さ、境遇で百将上位、あれぐらいはやるだろうよ」

 海王が見つめる先で、ヴァイク船の船尾をこするように無理やり、ガリアス旗艦が抜けていった。沈没まではしないが、立っていられる状況でもないだろう。しかし、重要なのはこの後、荒れた突破の理由は包囲に連なる後続の船に対する威嚇であった。これぐらいはやる。そう見せることで包囲の後続に圧をかけ、自分たちの後続を極力逃がそうと言う腹積もりであったのだ。その策は見事、的中する。

 敵船からの矢などで航行不能になる船も出てきたが、相当数の船が包囲からの脱出を叶えた。もちろん、そもそも海上で包囲するという行為自体が難しいのだ。陸上のように上手くいくものではない。しかもそれが、急造なればなおさら。

「見事じゃのお。こっちの船とエスタードの船、その連結部分に突っ込んできよったぜ。ありゃあカバーできんじゃろ」

 同じ船団であれば共有された理念がある。戦術がある。水練によって鍛えられた不文律がある。だが、昨日今日でそれらを異なる集団が共有するのは不可能。まあ、その見極めに関しては船の構造が違うため、見ればわかるのだが、重要なのはそうすると決めて、それを貫き通して結果を出したこと。

 後続も思い切った動きが出来る。実際に犠牲をいとわず、結果としては最小限の損耗で包囲を抜け出した。ただし、その思いっきりの良さが、判断の早さ、操船の腕、旗艦と後続に大きな開きがある。そこだけは問題であった。

 ヴァイクならばああいう状況にはならない。

「これで狙い通りか、『烈海』とやら」

 リクハルドは結果を予期し、目を瞑った。

 すぅ、と海上を滑るように孤立したガリアス旗艦に近づいてくる船影。

「面舵一杯!」

「承知ィ!」

 乗るしかなかった波の先に、待ち構えていたのはいつの間にか大回りをしていたエスタード旗艦。総指揮であるウジェーヌ、副将であるセヴランは歯噛みする。

「……こちらの動きについてきます。あの一隻だけですが」

「旗艦直々とはな。随分と好待遇だ。ならば、こちらに引き付けて船団は逃げさせてもらうぞ。わざわざこれだけの御膳立てをしておいて、船一隻では割に合うまい」

「一隻もくれてやる気はありませんよ」

 相手の船の喫水を見て、セヴランは敵方の技量を察する。理想的なトリムコントロール、あれだけの船を上手く波に乗せるのだ。こちらよりも多少船を軽くしているのだろうが、それにしても速度が乗っている。

 風を見切り、波を支配し、船を自分の手足のように動かす。手練れであろう。

「閣下、先日の質問、私は嘘を申し上げました」

「ほう、嘘か。聞かせてもらおう」

「あの嵐、越えられる者がいるかとの問いに、私は否と答えました。そちらを訂正いたします。動かすべきではないとの意見は変わりませんが――」

 セヴランの微妙な匙加減、舵のコントロールにより、船の速さがにわかに増す。

「私ならば、越えられます」

「よく言った。存分に力を振るえ、百将セヴラン」

「承知!」

 ガリアス海軍威信にかけて、ここで敗れるわけにはいかない。


     ○


 エスタード軍は抜け出したガリアスの船を追っているが、ヴァイクの船は皆すでに二隻の見物に回っていた。遠巻きに見るためだけに船を走らせていた。

「ガリアスもエスタードも、こんなレベル上がっとったんじゃのお」

「おう、うちの若い衆よりよっぽど上手いじゃろ」

「まあ、あの二隻だけが抜けとるだけみたいじゃが。誰もついていけとらんぞ」

 海の民であるヴァイクが興奮するほどのデッドヒート。舵を操る者の力量はほぼ互角なのだろう。実に見事な操船、玄人だからこそ唸る光景であった。

 だからこそ、少し惜しい。

「残念じゃなぁ。船の差で、エスタードじゃ」

 技量は互角、ならば、船の差でエスタードが勝る。

 厳密には船の性能ではなく、積載重量、であるが。

「……申し訳ございません。閣下」

「いや、甲板も見るにあちらは随分人を減らしておるようだ。兵は船底に控えておろうが、それでも卿のせいではない。この局面を見抜けなかった、私のせいだ」

 船の動きを見る限り、それほど大きな差はないだろう。あちらは船の重心を上にすることを嫌い、戦闘員を出来る限り船底に押し込めているはず。

 ここまでついてきた以上、白兵戦を相手が所望しているのは明らか。あの船、おそらくは相当な精鋭が乗り込んでいるはず。こちらもガリアス海軍の旗艦、それなりの人員は乗せているが、それでも質自体陸の軍には劣る。

 ローレンシアの国家はいずれも同じだが、海への関心が低い。昨今は落ち着きを見せつつあるが真央海自体かなり荒れた海であること、ガルニア以外めぼしい島もなく外海はなお荒れていることから、海路自体あまり用いられなかった。

 ゆえにどの国も海軍の価値は低い。そもそも七王国でさえ海に面していない国は海軍がない。その程度の立ち位置、それが海軍というもの。

 彼らが陸の精鋭を用意していた場合、果たして陸に比べ一枚落ちる海軍の人員で太刀打ちできるか否か――

「……一か八か、深く切り返して抜け出してみます」

「総員、所定の配置で待機せよ!」

 セヴランは風を見る。波を見る。機を、窺う。船員は所定の配置につき、現在考え得る限り最も左右上下のバランスが取れた状態となった。あとは、自分の腕を信じて、この船を信じて、やって見せるだけ。

「行くぞ、『烈海』。ついてこられるものなら、やってみろ!」

 船が転覆するのではないかと言うほどの、深い角度の切り返し。船が傾く、セヴランは顔をしかめながら、舵を操る手を止めない。波を、風を、全てを使って微調整せねばすぐさま転覆してしまうだろう。

 それだけの賭け。自分の全てを注いだ切り返し。

「おお⁉」

 ヴァイクも唸るその技――

 リクハルドは賛辞と敬意をもって彼『ら』を見つめていた。

「……怪物、めェ」

「……信じられん」

 これ以上ないほど深い切り返しであった。海の民ヴァイクが素晴らしいと言い切るほどの業。少なくともローレンシアという括りの中では最高峰の操船であろう。

 だからこそ哀しいかな、最後の最後で露になる。

「やあ、こんにちは」

 エスタードとガリアスの、『烈海』と『水蓮』の、僅かであっても確かに存在する差が。目の前の結果として表れてしまった。

 切り返しによって、差を縮め、ぴたりと横付けするエスタード旗艦。

「カタパルト、用意!」

 甲板に現れた船員たちが当て布をして荷物を固定していた、という風に装っていた『モノ』を白日の下にさらす。布の下から出てきたそれは――

「……馬鹿な、あのサイズの、攻城兵器を搭載しているだと」

 セヴランは顔を歪める。それは自らの技量を慰める唯一の差、重量差がなかったのではないかと思わせるほどのものであったのだ。あれを左右に二基ずつ、人間で言えば何人分になろうか。

「どういう、ことだ?」

 それを見てウジェーヌも困惑していた。重量差は間違いなくなったはず。それを見抜けぬほど彼らは愚かではない。だが、現にああいうものが備わっている以上――

「射出!」

 そこから鉄を帯びた何かが撃ち出された。ガリアス旗艦にぶち当たり、破壊しつつそれはがっちりと甲板を掴む。その形は、船乗りであれば誰もが知る錨と同じものであった。そこから伸びるロープもまた見慣れた太いもの。

 意図がわからない。だが――

 がくんと大きく船が揺れ、ぴんと張られたロープを見て、

「……まさか」

 ウジェーヌは信じ難い妄想を浮かべてしまった。ロープを使って敵船に乗り込む方法は珍しくないが、これだけ太い綱にする必要はなく、そもそもマストや高所から垂らして揺らして飛び乗る方法とは使い方が違い過ぎる。

 だが、もし、もしかすると、こうするしかなかったとしたら。あちら側にこちらの足を止める方法がなかったとしたら、あの船には弓兵が存在せず、そもそも軍と呼べるほどの数もいないとしたら――

「セヴラン、あちらに寄せることは出来るか?」

「……まさか、そんな、馬鹿げている」

 ウジェーヌの問いでセヴランは彼の想像に辿り着く。信じられないと首を振るも、想像は拭えない。あのロープの意図などそれしかないではないか。

「誰か、そのロープを――」

 断ち切れ、そう言おうとした。だが、その前にエスタードは動き出している。ピノの操船できっちり張られたロープの上、そこに足を踏み出す人影を見て、二人は想像が当たったことを理解した。

「ようやく出番だ。待ちくたびれたぞ!」

「おい、何先陣切ってんだよ、テオォ!」

「一番槍は私と決まっている」

「何でもいいだろ、一番槍なんて。チェ様に影響され過ぎなんだよ、ディノは」

「一番槍は戦士の誉れだろうが、デシデリオ。テメエこそ斧使ってんのはチェ様の真似じゃねえのか? アアン?」

「……リスペクトだ」

「ロープの上で世間話とは……こういう連中の真似はしないように、クラビレノ」

「もちろんですよ、セルフィモ様。美しくありませんからね」

「それでいい。戦士は鮮烈に、美しく在らねばな」

 ここは海上である。絶妙な力加減で張っているとはいえ、それでも不安定なことに変わりはない。太い綱であっても足場は狭い。常人ならばゆっくり渡ることすら困難であろう。そこを世間話に興じながら駆け抜ける狂人たちがいるのだ。

「弓で迎撃せよ! こちらに渡らせるな!」

 ロープの太さを見て、すぐには断てぬと判断し命令を飛ばす。突然の出来事であったが、それでもそこはガリアス、対応しようとした者はいた。

 いたのだが――

「ゥラァ!」

 ロープを渡っている最中の男たちの一人、巨大な石斧を担いだ男がそれを放り投げ、弓を番えようとした者をぐちゃりと潰す。常人が扱える得物ではない。

 他の反応が早かった者も、

「ソォラ!」

 手投げ斧に頭をかち割られ、絶命する。

 そうこうしている内に、先頭の一人が船に飛び込んだ。手には槍一本、彼はそれ以外の武器は持たない、使わない。

 刹那、血の花が咲く。

「エスタード軍切り込み隊長、テオだ」

「そんな階級はない」

 次いで降り立った男は何かを振るい、少し離れた兵士たちの頭が抉れ飛ぶ。

「これが美しさだ」

 華麗に振るうはモーニングスター。手に握る棒から伸びる鎖の先にはトゲトゲが備わった鉄球が付けられていた。奇抜な武器だが、破壊力は見た目通り。

「さすがセルフィモ様!」

 彼を慕う若き戦士は笑顔で拍手し、ついでとばかりに鎖鎌を振り回す。これまた奇抜だが危険度は非常に高い武器である。

「どこが美しいんだよ、相変わらずセルフィモ兄はわけわかんねえ」

「まあいいだろ。テメエより強いしな、セルフィモ様は」

「すぐに抜くっつーの。つーか俺より弱いくせにほざくなデシデリオォ」

「ガリアスの前にテメエから殺しとくか、ディノォ」

 奇抜極まる方法で敵船に乗り込んできたエスタード軍は、およそ軍とは思えないほどまとまりがなかった。そこら辺の傭兵の方がよほど武器防具などを揃えているだろう。一見して軍人には見えない。命令を聞くような性質にも見えない。

 だが、

「静粛に」

 そんな突き抜けた個性を持つ彼らがただの一言で押し黙った。

「紳士的に、エレガントに。ここは我らの船ではないし、他国だ。襟を正そう。礼に始まり礼に終わるのが戦士だ。違うかな?」

「違うだろ」

 誰かが突っ込むも、その男は気にしない。

 エスタードの曲者たちが道を開ける。その姿が雄弁に語る。

 この男こそが彼らの将なのである、と。

「我が名はラロ・シド・カンペアドール。『銅将』ウジェーヌ殿、『水蓮』セヴラン殿、両名の首を頂きに参上した。ぶしつけな願いで済まないが――」

 ラロと名乗る男は一礼し、

「死んでくれ」

 ガリアスに剣を向けた。

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