剣の在り処

「槍、稽古つけてやろうか?」

「いい。ストラチェスの方が面白いし」

 断られ、肩を落とす父の悲哀たるや――

『父上! 槍おしえて!』

 四歳くらいの頃は可愛かったなぁと、今の息子を見て黄昏ているのはクロード・L・リウィウスである。いつからだろうか、あんなに楽しそうだったのに父親である己との稽古を避け、槍を握らなくなったのは。

 この前、五歳の時にプレゼントした槍が埃を被っている様を見てさめざめと泣いたのは記憶に新しい。それも三年ほど前になってしまうが。

「父さん、王宮の仕事溜まってて、槍術院でも後輩見なきゃいかんから、少し遅くなる。なるべく早く帰ってくるようにするから――」

「いいよ。別に。いつも通りでしょ」

「……すまん」

 ぎくしゃくした親子関係。これもまたいつからなのか、どうにも思い出せない。きっかけなどなかった気もする。親になってみてクロードが思うのは、不器用だと思っていた『あの親子』も存外普通なのかもしれない、ということである。

 本当に難しいモノなのだ、親子関係とは。

「そ、そうだ。母さんな、今度こっちに寄るらしい。それで――」

「母さん来るの!?」

「あ、ああ。手紙にはそう書いていたぞ」

「やった!」

 そして、世の中不公平である。たまにしか会わない方が好かれるのだ。

(あの栗毛、引き千切ってやる)

 憎たらしい、と今のクロードはどす黒い感情に支配されていた。


     ○


「ありがとうございます、父さま」

「ああ、上手くなったな。さすが虎の子だ、筋が良い」

「龍の子でもありますから」

「うへへ」

 気持ち悪い笑みを浮かべるのは稽古を終えたばかりのクロードであった。

 入れ替わりの激しい三貴士の中で、唯一不動であるネーデルクスの精神的支柱、黒狼がローレンシアを去った今、天獅子と並び武の頂点に立つ男であるが――

 家族にはめっぽう弱い。そして押しに弱く女性関係も複雑極まる。

 槍以外ダメ男だと女性陣には結構ボロクソに言われている。

「最近どうだ?」

「母さまが父さまを倒せとうるさくて堪りません」

「……あんにゃろう」

「今の父さまが負けたらそれこそ一大事だというのに」

「それがネーデルクスの槍士なら、何の問題もねえさ」

 槍のネーデルクス、四年に一度のオリュンピアで好成績を残す一方、栄冠までの道のりは険しい。後進の育成に力を注ぐも、上位の壁は厳し過ぎたのだ。外からやってきたオルフェに頼りっきりだったのが現状である。

 まあ、ようやく次からあの世代が年齢制限にかかってくれるようになったのと、カリスの子供たちがモノになってきたため、次こそはと皆意気込んでいる。

 若き彼らの模範であり、目指すべき背としてクロードらは勝ち続けねばならない。オリュンピアならずとも対外試合というのは昨今の武における一つのトレンドとなっている。その中でクロードは天獅子以外、誰にも負けていない。

 そしてその天獅子とも五分の戦績を誇る。

「なら、俺でも良いかな?」

「レインか。良いぜ、やれるもんなら、なァ」

 現三貴士同士、この場全員が息を呑む。

「今日は調子が良いんだ。勝たせてもらうよ」

「ハッ、生憎調子はいつも通りだ。いつも通り、俺が勝つ」

 他国の武人であれば垂涎ものの光景であるが、槍術院では珍しいことではない。出産を経て調子を落としていた虎も無事、音を統べる盲目の槍士より席を奪還し、ガハハと笑っていたところを蛇にかすめ取られ今に至る。

 日々、時間があればここで研鑽し、隙あらば席を奪い取る。流動的過ぎて王であるクンラートが頭を抱えるほど下二席は安定しない。

 しかし、一席は不動。

「悪いな、今日も俺の勝ちだ」

「……全く、ちょっと手が付けられないなぁ」

 神の槍を修め、シャウハウゼン育成計画における最高傑作であるレインでさえ届かない。怪我は癒え、僅かに残っていた後遺症とも折り合いがついた。あの時よりは彼もずっと強くなっている。だが、龍は桁違いに強さを増した。

「龍、強し。父、勝てない」

「……父さん傷ついちゃうなぁ。でもま、今がクロードのピークだ。身体が完成し、技も完熟の域に至った。今のクロードが最強だ。悔しいけど、確信がある」

 娘の頭を撫でつけるは現三貴士ディオン。好敵手の強さを見て苦笑いしか浮かんでこないのだ。今の彼は強過ぎる。下二席はほぼ横並び、少しだけレインが勝るか、それとてその日の調子次第で流動するし、相性もある。

 調子も相性も関係ないのはクロードのみ。ゆえに最強。

 まあ、まだ時ではないと蛇は伏して待つ。旧三大巨星は別の生き物と横に置き、大体は三十代後半から下降線を辿っていく。少し遅くても四十代には明確に落ちてくるだろう。技で負けているとは思わない。今の彼が強過ぎるのは、技と力が最高点で交わっているから。天獅子も同じ。

 ゆえに天獅子は陰り始めているのではないかとディオンは見ている。

 クロードもいずれ、そのバランスが崩れれば――

「まあでも、僕らよりも下からの突き上げの方が、可能性、あるかなぁ」

 ディオンの視線の先、金髪碧眼をらせん状に巻いた青年が旧三貴士であるオルフェと互角に戦っている。クロードの内弟子であり、カリスの子供たちの一人。あの日、龍に焦がれた一人がここまで成長した。

 次のオリュンピア、前回上位の彼とガリアスのオリオンが優勝候補である。

「競争が激しいのは良いことさ」

「私も、まだ諦めてませんから」

 ぬっとディオンの隣に立つのはカリスの子供たち、シャウハウゼンの一人であったリアである。一度だけ身重だと気付いておらず調子を崩していた虎から席を奪取した元三貴士。すぐさま同期のレインに奪われそれ以降日の目を見ていない。

 それでも彼女は諦めない。

「ママの諦め悪いとこ、好き」

「ありがと」

「……ママ? ちゃうやん? 君、ママやないやろ、なぁ」

「「ママは別腹」」

「あかーん!」

 謎理論ママによって浸食された己が娘。果たして諦めない女の魔の手から最愛の娘を蛇は救い出せるのか。余談の余談なので全部割愛する。

 充実のネーデルクス、こと武人の質において他の追随を許さない。

 そんな日々に、ある日突然一つの異質が舞い降りる。


     ○


 隣り合う国であるが、その武人同士が交わることはそうあることではない。

 何よりも、今はともかくかつての好敵手は内側に閉ざしていた。系譜以外に剣を開示することなく、学ぼうにも戦場では無双の如き働きにより、目撃者が少なく研究材料に欠けた。剣のアルカディア、それを一手に担うオスヴァルト家。

 秘密主義というわけではない。門を叩き、覚悟を認められたなら全てを教えてきた。ただ、門を叩く覚悟を持つ者が少なかっただけ。

 剣に生きる覚悟を持つ者、純粋なる剣士集団、オスヴァルトの系譜。

「伯父様、着きました」

「ありがとう」

 その中において至高、オスヴァルトにおいて特別な御名、『剣聖』を継ぐ者。孫ほども年の離れた少女に連れられた老人がそれである。

 二代目剣聖、ギルベルト・フォン・オスヴァルト。

「すまない。これで姪のお菓子でも買ってきてくれないか?」

「承知いたしました、御隠居」

 全盛期の凛とした姿は其処にない。穏やかに微笑み、姪の頭を愛おしげに撫でる姿はただの好々爺であろう。着心地が良いと東方風の衣装の形状を真似た衣装、そこから覗く指は細く、力を失っていた。

 相貌に刻まれたしわは彼が老人であることを嫌でも示す。

「さぁて、預けていたモノ、返してもらうとしよう」

「伯父様、それは大事なものなのですか?」

「いいや、大したものではないよ。ただ、久方ぶりに友と会うなら、嗚呼、手土産の一つは必要であろう? ただ、それだけのことだ」

 少女にとって伯父とは年齢通り、祖父のようなものであった。大好きで、いつもくっついているが、たまに思うのだ。

 彼の眼が別の何かを見つめているのではないか、と。

 とても遠くで、すぐ近くの何かを。


     ○


「……正気、ですか?」

「かつて、不覚を取った。だから、取り返しに来た。それだけであろう?」

 槍術院に現れた老人、彼の発言にその場が凍り付いた。

 ネーデルクス最強、いや、ローレンシア最強を前にして、彼は「勝負したい」と言ったのだ。こういう時世、世界中から最強の座を求め挑戦者は来る。大抵は未達者、他の者が追い返すし、達している者は釣り合った舞台というのがある。

 彼は間違いなく達している者、否、達してい『た』者である。

 外套を脱いだ彼の姿は、かつてを知る者であれば眼を覆いたくなるほど細く、弱くなっていた。覇気はなく、穏やかな気配だけが揺蕩う。

 あの鋭い剣気は何処にもない。

「かつての貴方なら喜んで挑戦を受けました。でも、今の貴方では無理だ。勝負は見え透いている。俺は、尊敬する剣聖を、こんな形で――」

「逃げるか? クロード・L・リウィウス」

 その挑発に血気盛んな若者が立ち上がるも、他の三貴士らがそれを止める。

 しかし、彼らもまた同じ気持ちであった。

「安い挑発ですね、貴方らしくない」

「安いか高いか、勝負の後にこそわかる。安心しろ、俺は強い。それが分からぬのは、貴様が未熟だからだ、若造」

 穏やかな気配のまま、強い言葉を投げつけるギルベルト。

 その静けさにオルフェは顔を歪める。

「クロード殿。気を付けた方が良い。ここに至ってからここまで、彼の心音は刹那のズレもなく時を刻んでいます。この私でさえ聞き逃しそうなほど、静謐に」

「それが強さと何の関係がある? まずは私がやる。頂点は安売りせん」

 オルフェの懸念を一蹴し、シルヴィが立ち上がる。

 ギルベルトはやはり穏やかな雰囲気のまま頷く――

「それに、先ほどから道場の外にいる御方、何者ですか?」

 オルフェのみが気付いた違和感。凪のような心音、常に自然体であり、緊張感の欠片もない音は、強者のそれ。それなのに雰囲気は、皆無。

「御者を頼んでおる。この前手合わせした、心残りの一つ、であった」

「心残り?」

「もう一つは今、目の前におる」

 ギルベルトの視界にシルヴィは入っていない。最初から、クロード以外は見ていない。そのクロードにさえ敵意はないのだ。

「クロード」

 道場の外から、龍に向けて声が発せられる。

「……天、獅子?」

 クロードが好敵手の声を聞き間違えるはずもない。

「勝負を受けろ。これから先の俺たちにこそ必要なものが分かる。そして、俺たちの傲慢も、な。まだまだ道半ば、それを知る唯一の機会だ」

 それは間違いなく天獅子、ユリシーズ・オブ・レオンヴァーンのモノで。

 その彼が――

「貌、見せろ」

「見せられん。卿には、見られたくない」

 この振舞い。つまるところ、ここに来る前に負けたのだ。

「勝ったのか、今の、天獅子に」

 その事実が、シルヴィの足を止める。龍と獅子の戦い、その隔絶した決闘を彼女たちは何度も見ている。悔しいが自分たちでは届かぬ山巓。

 頂点だったはずなのだ、この二人こそが。

「はて、どうであったかな? 近頃、物忘れが激しくてな」

「ハッハ、上等だこの爺。受けて立つぜ、俺が最強だァ!」

 迸るほどの烈気が龍から放たれていた。威圧というには生易し過ぎる。間違いなく彼は、彼らは今、かつて狼が立っていたところに立っているのだ。

 それを感じつつ、やはり老人は穏やかなまま。

 オルフェは戦慄する。これだけの嵐を前にして、未だ心音に揺らぎ無し。


     ○


 勝負は秘密裏に成立した。

 その場に居合わせた者たちとその縁者のみ。と言っても槍術院の縁者となるとそれなりの数になる。何故か聞きつけたクンラートやマールテン、カリスも子供たちに支えられ観戦に来ていた。一体いくつなんだ、この爺。

 マルサス一家もぞろぞろとやってくる。

 これまた何人いるんだ、こいつら、と絶句するほどの光景。上の子らが早々に孫を生んだため、家族というより一種の群れと化していた。

 その中にクロードの息子も混じっていたが。

 随分と嫌そうな顔である。

「久しぶりだね、三人揃うの」

「あっちは離れているけど」

「最近、父さまと上手くいってないんだ。槍も随分触ってないみたいだし」

「そう。あまり興味ない」

「父さまのことも?」

「……別に。普通」

 昨日彼女が久方ぶりに父と再会し、遊んでもらったことを知っている虎の子は苦笑する。腹違いの兄妹、競うように刈り取られた龍の貞操により複雑化した彼らであったが、複雑ゆえの悲壮感はない。全員母を尊敬しているし、父も――

「あいつも父さまのこと、好きなんだけどなぁ」

「一緒に暮らしてるのは羨ましい」

「まったくだ」

 虎の子、剣姫の子、どちらも母方の名を名乗る。その名自体は誇りに思っているが、リウィウスを名乗る彼への嫉妬がないわけでもない。

「どっちが勝つと思う?」

「伯父様」

「……そこはそっちなんだ」

「見ていればわかる」

「僕は、父さまだ。今の父さまは、最強だよ」

「賭ける?」

「なら、今日の食事。どっちが父さまと取るか」

「乗った」

 子供たちが見守る中、二人の武人が舞台の上に立つ。

 片方は筋骨隆々。力に満ち溢れそこに技を注ぎ込んだまさに最強。見るからに強さを感じる。圧が桁外れ、離れていても感じるほどそれは強い。

 もう片方は枯れ枝。元々細身ではあったが鍛え抜かれた体ではあった。今は見るも無残な細すぎる状態。とてもではないが、勝負にならない。

 対峙すれば明らか。これではあまりにも――

「マールテン、カリス、どちらが勝つと思う?」

「賭けにならんでしょう」

「でしょうな」

 クンラートも、マールテンも、カリスも、話を聞いた時は耳を疑った。彼らは国の上層部、同盟国であるが敵国になり得る可能性のある隣国のことはある程度知っている。オスヴァルトのトップを譲り隠居した彼は、病に侵されているはず。

 それも、かの家に流れている薬種から察するに――

「負けてくれるなよ、クロード。お前はネーデルクスの象徴なのだ」

 枯れ枝の如き痩身。龍が負ける要素など、皆無。

 誰もがクロードの勝利を疑っていない。天獅子が敗れたことを知る者たち以外は。クロードがあの場で全員に口止めしたのだ。

 それを知れば上層部は勝負を成立させないから。

 ゆえに、あの場に居合わせた者たちだけは表情が重かった。三貴士クラスの上位者が稽古をつけ合う上位クラス、その面々は固唾を飲んで見守る。

「どうせ父上が勝つよ。いつも通り、だ」

 実の息子はつまらなそうに見物していた。父の勝利など腐るほど見てきた。自分にその才が受け継がれていないことも知っている。

 強靭な体、丁寧を蹴散らす獣の強さ。

「クロードは、そう思っていないみたいだぞ」

「え?」

 少年が世話になっているヴァロ家の家長マルサスが顔をしかめていた。

「嫌な静けさだ。オスヴァルトらしくなく、あの男らしい」

 父の仇である男、剣聖ギルベルト。その強さは彼らの世代、嫌というほど味わっている。ヴォルフ抜きでは結局一度として野戦で勝利できなかった。

「どちらにせよ、勝負は長くない。よく、見ていなさい。御父上の戦いを」

 ネーデルクスにとって絶望の象徴。

 舞台の上に立つクロードはゆっくりと構えを取った。最大限の警戒をしている。あの天獅子が嘘か真か、敗れ去ったのだ。ならば、勝負の行方は分からない。それでも信じ難いのだ。今の、あの状態で、どうやって獅子に勝ったのか、が。

 触れただけで殺してしまいそうな、殺人的な身体能力の差。

 あの時より自分は上がり、彼はあの時より遥かに落ちた。おそらくは加齢だけではない。病か、何か理由があってあそこまで老け込んだのだろう。

 ならば、やはりありえない。

「良いんですね。龍は、加減、出来ねえですよ」

 己が負けることなど、ありえない。充実している。これ以上なく、今こそが頂点。狼と同じ景色を、獅子と共に見ている。見えている。

 今の己なら、守りたいモノ全てを守ることが出来る。

 驕りではなく、これは事実なのだ。

「構わんよ」

「では、お言葉に甘えて」

 威風堂々、クロードは跳躍した。破格の身体能力が、全身のバネが可能とする気配なき跳躍。ふわりと浮くような、まるで魔法のような光景。

 それを見てもギルベルトは眉一つ動かさない。

 いや、そもそも見てすらいない。

「おい、いつになったら構えんだ?」

「構えておるよ」

 それは、構えと呼ぶにはあまりにも力無きものであった。剣をつまむように持つ、持っているだけの力感のないモノ。あれでは受けることどころか接触した時点ではじけ飛ぶだろう。こんなもの、構えとは呼ばない。

 龍が天頂より舞い降りる。その牙、殺す気にて穿つ。

 それをギルベルト、姿勢を半身にすることでかわす。足さばきだけの回避、足元が見え辛い衣装、この程度はクロードも想定済み。

 ここから繋げるのが龍なのだ。

 横薙ぎ、宙にて制御するは膂力。力と技の融合こそ龍の真骨頂。

 それがギルベルトに直撃する。受けることなく、胴を薙ぐ。フル装備の屈強な男でさえ打ち砕くその一撃は、クロードの手に何の感触も残さなかった。

 まるで、空を切るが如し感触。

「一手は許す。だが、二手はない」

 その勢いを利用し回転するギルベルトは、そのままクロードのこめかみを蹴り抜く。自身の力を返された形、クロードが吹き飛ぶ。

 誰もが、茫然とそれを見ていた。

 一番、驚愕し、その光景に震えている息子は首を振る。

 こんなこと、ありえない、と。

「は、はは、クソが。自分にぶん殴られた気分だ」

 クロードの眼に宿るは蒼き光。かつて見た、到達者たちの背中。未だ届かぬ遠き背中の先、シャウハウゼンは笑う。ほらな、といたずらっぽく。

 ようやく見えた。ギルベルトの背中。

 それはシャウハウゼンよりも先――

 無機質なる白き剣。傷一つなく、無垢なるそれは敵意も殺意もなくただそこに在る。確固たる個、強固なる己、それは振るわれるのを待っている。

 静かに、黙して、剣はそこに在った。

「怪物め。悪いが、俺はそこまでいけねえぜ。守るべきモノがある。槍よりも、大事なもんが沢山できた。俺よりも、な」

 次の接触で終わる。一手目で終わらなかったのは慈悲。

「それを守るために、俺は勝つッ!」

 龍もまたあの日から研鑽を積んだ。カリスによって繋げられた神の槍、それを龍に取り込んだ龍神ノ型。実戦で用いるのは初のことであったが。

 今を逃して使うべき時は、無い。

「羨ましいことだ。それに、別に俺に成れと言いに来たわけではない。ただ先があると伝えたかっただけ。蒼も紅も、最後は行き止まり。人は人だ。世界を覗き見ようが、獣と化そうが、それは変わらぬ。己は此処にいる」

 ギルベルトはせき込み、血を吐く。それを拭い、剣聖は最後の戦いに臨む。

 繋げる、それは先駆者の責務。

 あの男はそうした。友もまたそうしたかっただろう。代わりに、成す。

 己を知れ。己を目指し、そして至る。最初の場所に。長き人生の果て、再会した自分はきっと同じなのに、そうではないはず。

 多くの出会いが、経験が、研鑽が、己を彩っているはずだから。

「参ります」

「来なさい」

 ここより先、言葉は不要。時間にして十秒にも満たぬ攻防。

 永遠にも感じられぬ、十秒が始まった。

 観客にはとても緩やかに見える。二人の攻防、攻防と呼ぶにはあまりに特殊、攻めているのは常にクロード。ギルベルトは受けることなく柳の如く揺らめく。

 それだけで攻撃全てが空を切る。

 皆の常識が覆る。力、誰もが信じてきた原初のそれを否定するかのような振舞い。無。初動が無い。音が無い。感触が無い。

 触れているはずなのに、そこにいるはずなのに、気配すら無い。

 無。

 しかし――

「父上ェ!」

 突然、剣が伸びてくる。生きている気配がない。つまりは死。この男は死に近づき、己を顧みて、無に辿り着いた。これもまた正解ではない。

 ギルベルト・フォン・オスヴァルトの到達点なだけ。

 到達者、ギルベルト。対峙する者のみが感じる。無の奥に眠る望み。

「この、嘘吐きがァ」

 クロードは堪えきれず、距離を取った。そこは槍の間合い。そこから磨き抜いた突きを敢行する。かつて、剣聖を打ち破った技と力の融合。

 咆哮と共に放たれたそれは音の壁をも打ち破り、紅と蒼に彩られ――

「それが見えたなら、何も言うことは、無い」

 ギルベルトを貫いた。だが、やはり手応えはない。貫いたのは衣服のみ。彼の身体は想像よりも細かった。いや、それは言い訳だろう。それも込みで紙一重で彼はかわしたのだ。音も無く、見え辛い足元を利用しての腰を切る動き。

 それだけで必殺をかわす。

 そしてかわされた時にはすでに、クロードが突き切るよりも早く、ギルベルトは腕をしならせ、鞭のように剣を振るう。力は、無い。

 それでもその剣は槍の柄を断ち、クロードの首元へ突き付けられていた。

「勉強に、なりました」

「技に終わりはない。いい時代だ。家族を守りながら、磨け」

「……はい」

「その先で笑えたなら、お前の勝ちだ」

「貴方は笑えましたか?」

「笑えたなら、こう成っていない」

「そう、ですか」

 最強が、負けた。愕然とするネーデルクス。そんな日もある、そういう男なら彼らも笑って受け入れられた。だが、自分たちの最強はそこまで不安定なものではなかったのだ。この国にて輝ける槍士たちを寄せ付けぬ絶対の力。

 それが砕けたのだ。

「剣聖、ギルベルト・フォン・オスヴァルト」

 彼らは忘れかけていた。ネーデルクスにとっての忌み名を。かつて三貴士を討ち取り、蒼き盾と共にネーデルクスを苦しめ続けた男のことを。

 平和が癒しつつあった。その傷跡を。

「……ありえない。父上は、絶対に負けない! 最強なんだ! 負けるわけがないんだ。絶対、絶対、絶対絶対絶対絶対絶対!」

 少年の隣に立つマルサスはかける言葉も見つからない。最強の父、目指すことを諦め、反発しつつも、少年は父を絶対の存在だと思っていた。

 天獅子にだって負けない。絶対に勝つ。それが龍だから。

 それがクロードという父だったはずだから。

「すまん」

 息子に頭を下げる父。それを見て息子は顔を歪めた。

 許せない。父に頭を下げさせた相手を、許さない。

「俺が、あんなやつ、いつか――」

 その貌を見て、マルサスは苦笑する。良し悪しはわからない。それでもこの少年はまた槍を握るだろう。果てなき道の先を目指して。

 途上で果てるか、至るかはわからないが――


     ○


 リントブルム家、今はリウィウスの屋敷であるが、そのバルコニーから庭を見つめて微笑むクロード。その隣には薄情にも観戦すらせずに、アルカディア土産を片手にふらりと現れたあれの母、マリアンネ・L・リウィウスがいた。

 クロードは栗毛を毟りたくなる衝動を抑えつつ、小突く。

「テメエ、もうこっちに来てたのにシルヴィんとこで世話になってたらしいな」

「いやー、ベアちゃんから最後だからって言われちゃってさ。必要ない情報、与えるのも違うし、黙ってるのもさ、一応、あれよ、妻だから」

「へいへい」

「あれー、もしかして信じてないね。このマリアンネの誠意ってやつ」

「お前のそれはわかり辛いんだよ、いつも」

「それはお互い様でしょ」

 槍を振るう息子の姿。それを下で眺めているのはギルベルトとその姪。つまりは腹違いの妹である。結構心無い罵声が飛んでいる気もする。

「ギルベルトさん、まずいのか?」

「うん。隠居してからすぐ。気づいたらあんなにも細くなっちゃった」

「そうか。どんどん、いなくなるな」

 憧れていた背中。彼らの世代のほとんどが去ってしまった。一線に残っている者などいないし、そもそも彼らにとっての一線は今のローレンシアに存在しない。

「気づけば私たちも追いやられる立場だよ。そろそろ、私も裏方に回ろうかなって。美貌こそギリ維持してるけど、やっぱ若い子の熱量には勝てない」

「でも世界中まわるんだろ?」

「んー、さすがに家族サービスもしなきゃだし、こっちの劇場で出来ることさがそうかなって。仕事があればだけどねー」

「別に仕事なくても食わせてやれるぜ?」

「あ、マリアンネはあれよ、先進的な女性代表だから自分の食い扶持は自分で稼ぐ派なわけ。負い目、感じたくないし。堂々隣に立つのが私の夫婦像」

「あの人っぽくはねえな」

「私、顔以外あんま似てないんだよね。今更だけどさ。天才だし」

「ほんと今更だな」

 自分たちの息子が必死になって槍を振るう姿を見て、彼らは微笑む。大成することなど求めていない。そりゃあ自分の道、真似してくれるのは嬉しいが、それに囚われてまで続けて欲しいとは思っていなかった。

 まあたまにはスキンシップぐらいは、と思うが。

「楽しく生きてくれたら、私的には大成功」

「ああ、そうだな。本当に、そう思う」

「頼りにしてるよー、元最強」

「ハッハ、そもそもそんなもん大して価値はねえよ」

「あれ、負け惜しみ?」

「大事なのは、ここにある。俺は俺の手が届く範囲を守れりゃそれで良いんだ。あの人がそれを背負って去るなら、別にそれはそれでいい。残ったもんの中で一番なら、奪われることはねえからな。それで充分だろ。求め過ぎたら、辛いだけだ」

「だね。分相応分相応」

 二人が最も求めた人、彼がもたらした新たなる時代は、これはこれで大変ではあるが、当たり前のように喪失が横たわっていた世界より少しだけ遠くなった。難しい時代、適応するのも大変だが、大事なのは喪失が遠いこと。

「それでは力が逃げている」

「う、うるさい! お前の指図は受けないぞ」

「はっはっは」

「伯父様の悪口は許さない。弟なんだから大人しくして」

「いや、俺の方が早く生まれたから兄なんじゃ」

「精神的な話」

「え、ええ?」

 大事なのは、この景色。

「守るよ。俺は俺の手が届く場所を」

「うん。一緒にしわくちゃになろうよ。あの人の分も」

「ああ、そのつもりだ」

 寄り添い、支え合い、生きる。自分以外にそう生きて欲しいから、彼はきっと自らを捧げた。そう思うのは傲慢だろうか、それぐらい愛してもらえたと思うのは、ただの錯覚だろうか。答えはわからないけれど、それでも――

 明日はきっと良い日になる。何となく、そう思った。

 何故かは、言葉に出来ないが。


     ○


 ネーデルクスのお墨付き、最強を奪われた証明、出禁を喰らったギルベルトは姪と共にゆらりとアルカディアへ戻り、翌年静かに息を引き取った。

 最強を抱き、彼もまた旅立ったのだ。

 剣が在るべき場所へと。

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