血濡れの白虎Ⅱ

 戦場でのティグレを知らない若き世代は、彼の戦争を見て驚愕していた。現在、主流とされている定跡から逸脱した、身勝手極まる自由。

 何となくこっちが良い。今日は右の気分。左が良い。馬で戦いたくない。あいつら弱いから任せる。強いやつに会いに行く。たまには雑魚も倒したい。

 適当で、よくぞこんなのが国家の柱だったな、と思うほどの奔放さ。

 それでいて――

「よォ、楽しそうだなァ、クソガキどもォ!」

「なっ!? ティグレ・ラ・グディエだと!」

 虎の嗅覚は正解を掴むのだ。破竹の勢いで勝利を重ねていたカンペアドール兄弟、その前に立ちはだかる虎。彼らが生まれる前から頂点だった男である。

 彼らも知っている。

「俺がやる」

「シド!」

 ローレンシアの武人であれば知らぬ方がおかしい伝説の存在。噂通りの馬上嫌い、シド・カンペアドールを目視した瞬間、馬の背から飛び込んできた。

 戦場においてかつての時代でさえありえない動き。

「牙ァ!」

「ぬん!」

 ティグレも背が低い方ではないが、破格の体格であるシドと比較すると小兵の部類。だが、上からの攻撃かつ捻りと全体重を乗せた一撃は、シドのそれと空中にて拮抗する。この時点で若き才人は詰められていた。

 ぐるりと槍と大矛の接地点から体を入れ替え、回転しながらシドの眼前に現れしは野生の虎。凄絶な笑みを浮かべ、そのまま頭突きをしてくる。

 体格で勝る己が馬上から吹き飛ばされる。そんな体験、シドでなくとも初めてであろう。流れで馬の頭蓋を一突き、そのまま地に降りて槍を構える歴戦の猛虎。

「……怪物め」

「ガハハ! その体躯が泣いておるぞ。突き抜けるか技を覚えるか、どちらかに振り切れんか。凡俗と足並みを揃えておってはつまらぬだろうがよ!」

 頭突きをした箇所から出血している老人は哂う。血を巻き込むように髪をかき上げ、整髪料代わりする感覚はもはや人のそれではないだろう。

「参るッ!」

 凡俗の眼には力対力の戦いが映る。才人には力対技、体全体を使って、大地を蹴って、回転を、螺旋を描いて虎は怪物に比肩している。

「なるほど、これが伝説か! 悪くないッ!」

 シドの笑み。力がさらに増す。規格外の片鱗、虎はそれに笑みを深める。

 この熱量、モノが違う。

「イィ力だ、ガキ! この俺を気圧すたァ生意気な!」

 力で及ばぬならば、力を削げばいい。立ち位置、打点、ありとあらゆる機先を征し、虎は怪物のアドバンテージを喰らっていく。

 個の性能は圧倒的にシドであるが、場数と経験が違い過ぎた。

「ジェド!」

「ああ、止めるぞ。こんなところでシドを失えるか!」

 ジェド・カンペアドールとその影であり彼らの親友であるロス家の男。彼らは迷うことなく助太刀に入る。一瞬、シドからふざけるな、という視線が来るもそれを無視。まだティグレのステージは早い。伝説なのだ、この男は。

「ふはっ、久方ぶりの戦場よなァ!」

 騎馬による突貫、ジェドの強さと影である男の援護、それは虎を討ち果たしたかのように見えた。三対一、しかも脂が乗った新鋭三である。

「ガハハハハ!」

 だが、ティグレは彼らの中心で舞う。牙を剥き出しに、舌を出しながら、笑いしのぐ。信じ難い光景であった。エスタードの誰もが息を呑む。若き戦士たちの指針であるエスタードの秘宝が、ああもあっさりと虚仮にされているのでは。

「あと、三手ェ!」「応!」

「ふは、さすがに突出し過ぎたかよ!」

 されど、ジェドとその影には詰みの手順が見えていた。長く、難しい、薄氷のような攻防ではあったが、それでも何とか――

「まったく、父上は戦が粗くて困る。全軍突貫ッ!」

 見えていたのだ。彼らが現れなければ。

 虎の子、グディエ家の門弟らが中心となって結成した部隊である。ティグレ引退後は息子が指揮を執り、ネーデルクスでも随一の突破力を誇る精鋭として名を馳せていた。ティグレは拗ねているが、息子は取り合っていられないと攻め立てる。

 ジェドは即座に撤退を指示。潔い決断である。

「……虎を討ち逃したか」

「……三対一で何が」

「シド、戦場だ。勝てばいいのだ、勝てば。勝ち方などどうでもいい」

 最近、どうにも兄弟間で噛み合わなくなってきた。撤退する間もシドは虎に勝てなかった己を恥じ、ジェドは仕留め切れなったことを悔いている。

「父上、昔とは違うのです。単騎突入など無謀、あの兄弟、特に兄の方はサロモンに勝るとも劣らぬ知恵者です。次はありませんよ」

「つまらん。弟の方がよほど面白い。が、世の流れなのだろうなァ」

 ティグレに反省の色はない。やり方を変える気もないのだろう。

 だが、復帰して数戦、虎は虎の戦いで結果を出してきている。怪物にしか出来ない、虎の戦。槍もそうだがこの男の戦いは味方すら寄せ付けない。

「そこの馬ァ、バラしとけ。俺の夕餉とする」

「……伝えておきます」

 討ち果たし、喰らい、また討つ。彼の戦は狩猟と大差ない。結果を出し続けていたから文句を封じていたが、シャウハウゼンの到来によって座を失い、放逐されたのは決して本国だけの問題ではなかった。

 この男もこの男で他者と交わろうとはしなかったのだ。

「……あと、だ。問題があるなら言え。副将ってのはそのためにいる。俺にはテメエらの理屈は分からん。今更学ぶ気はないが、受け入れることは出来る」

 今までは。息子である男は大きく目を見開いた。偉大なる実績と実力、誰も口出しできず、口を挟ませる門戸すら開けていなかった男であったのだ。

「……まずは馬から飛び降りるのを辞めて頂きたい」

「俺ァ、馬が嫌いだ。却下だ却下」

 復帰した虎は何かが違っていた。表向きは天衣無縫、好き勝手やっているままであるが、どこか他者が介在するゆとりを設けている節があった。

 それが何故か、問うてもおそらく虎は語らない。ゆえに息子もまた聞きはしなかった。大事なのはそうなった事実であり過程ではないのだから。


     ○


 近寄り難かった虎、孤高の天才ティグレ・ラ・グディエの周りにはその辺から抓んできたようなクソガキどもが大勢いた。皆、ふてぶてしい面構えである。

 貴族の私生児や三男坊、手のつけられないきかん坊等々、市井で人気が大暴落した虎に教えを乞おうなどという酔狂な人材はそういない。

「おう、クソガキども、俺様を崇め奉れ」

「うるせえクソ爺! 俺ァ、漢一匹ド派手に生きるんだよ!」

「死ね」

 ティグレ、子供を普通に蹴り飛ばす。

 ド派手に吹き飛ぶ子供を、皆が見ていた。いくら何でも手を出すのが早過ぎる、とやんちゃな子供たちが思うほど、この虎、こらえ性など皆無であったのだ。

「今死んだそいつみたいになりたくなかったら死ぬ気で槍を振れ」

「し、死んでねえ!」

「おう、生きてるなら槍を振れ。この俺様が見てやる」

「な、なんて爺だ」

 クソガキどもの考えが一致してしまう異常事態。

「さっさと振れや。喰っちまうぞガキども」

 一斉に槍を振り出すクソガキッズ諸君。

 普段、大人相手にもメンチ切ってるような輩ばかりだが、あいにくこの虎、子供だからといって容赦などしない。ちなみにシャウハウゼン以外にも内弟子はいたが、全員両手両足の指を合わせても足りないほど殺されかけている。

 大体逃げ出す。極少数生き延びた者が大成する。それだけのこと。

「死ぬほど不細工だな、テメエら」

「…………」

 精一杯型を披露した子供たちに向かって辛辣極まる一言が飛ぶ。

「シャウハウゼンの奴が再編纂した四つの型は、全てに意味がある。従来のもんを補い、削ぎ落とし、分かりやすくしたもんだ。馬鹿でも猿でも出来る。が、極めようとするとなかなか奥が深いもんでな。とりあえず、だ。見てろ」

 かつてと同じ方法。己が背を見せて育てるやり方。虎は言葉が苦手で、こうする方が手っ取り早いと思っていた。実際に天才たちはそれだけで解した。

 だが、凡人は彼の槍についてこれなかったのだ。

「……うわぁ」

 ティグレが槍を握り、構えた瞬間から子供たちの視線は釘付けであった。何故、槍を握っただけで老人がこんなにも格好良く映るのだろうか。簡単な型をするだけで槍から炎が舞い、稲妻が奔り、嵐が巻き起こり、清流が滴る。

 天才たちは一目で彼の槍、それの虜になってしまう。

「……けっ、速くてなんも見えねえぜ」

 鼻血まみれの少年がぶーたれる。かつてのティグレならこの時点で見切りをつけていた。凡人に槍を教えても意味がない。筋が悪い者は覚えない、と切り捨てる。

 だが、虎はため息をついて再度構えた。

「この俺様が槍を落としてやるんだ、死ぬ気で見てろ」

 今度は、速度を極限まで落とした型を披露する。凡人にも分かるようにゆっくりと、それでいて己が速度域で振るう軌道と遜色なく、振るう。速さで見えていなかった工夫が見える。天才たちにとっても発見は多い。

 何よりも凡人たちにも見えたのだ。天才たちにしか見えなかった景色が。

「どうだクソガキども」

「ド派手にかっけえ!」

「当たり前だ、俺様を誰だと思ってやがる」

 こうして厄介者の寄せ集めは無事、ティグレの弟子として鬼のようなしごきを受ける羽目になる。かつてはほとんど脱落させていただろう虎の穴。しかし、今回脱落者は一人もいなかった。皆、成長し、新たなる黄金時代、戦乱の世最後の黄金時代の立役者と成る。そうなった姿を師が見ることはなかったが。


     ○


「おう、キュクレインよォ」

「何ですか?」

「ここの動きでよ、ぎゅん、とする感じを文章にしてくれ」

「……私は貴方の翻訳者ではないのですが」

「ガハハ、そう硬いこと言うな。どーせシャウハウゼンの奴もやってもらってたんだろう? あいつ、阿呆だからな、あんな本書けるわけがねえ」

「ハァ? 貴方と一緒にしないで頂きたい!」

「んじゃ、あとよろしく! 俺はガキどもシバキに行くわ」

 言いたいことだけ言って去って行くティグレ。キュクレインは青筋を浮かべながら、預けられた本を手に取り、先ほどティグレが披露した動きを図解し、注釈を書き連ねていく。キュクレインは心底、あの虎が嫌いであった。

 似ても似つかぬはずなのに、端々で被るのだ。

『キュクレイン、この動きなんだが、ぐん! という感じでどうだろう?』

『素晴らしいッ! このキュクレイン、感服いたしましたァ!』

『あはは、大したことじゃないのに、照れるなぁ。じゃあいつも通り』

『お任せください。このキュクレイン、愚民でも理解できるように致します』

『いつもすまないな』

『勿体無きお言葉です、我が主!』

 そして、主との思い出が詰まったこの作業自体は好きだったのだ。動きを理解し、他者に伝える能力に関しては彼以上の人材はいなかった。

「……クソ爺が」

 言語化の天才、キュクレイン。自らもシャウハウゼンの槍を受け継ぎ、神の槍を用いる男。誰もが彼を天才と呼ぶ。そんな彼が虎を嫌いな理由はもう一つあった。

 それは、彼があの御方と同じく天才であるということ。凡人では思いつかぬ閃きで彼らは十歩二十歩平気で飛ばしていく。今の動きもそう。

 四つの型を合わせることで神の槍に達する。あの男もとうに気付いていること。そして、合わせる際に今のひと工夫を入れることで難易度が易化することを虎は閃いたのだ。これでまた、凡人でも辿り着ける可能性が高まった。

 まだ、骨格レベルで近しい己のようなタイプでなければ難しいが。

「神よ、何故、私に彼らのような才を与えなかった」

 キュクレインは歯噛みする。あの虎が人を顧みるなどありえない。絶対にありえないことがこの国で起きている。その理由が、主をそばで見てきた男には理解できてしまうのだ。あの日、ウェルキンゲトリクスとの戦いを前に、何故か自らの神は安堵していた。あれほど国家を愛し、背負い、その重圧に耐えてきた神が――

「何故、私ではいけなかったのだ、神よ」

 自分には神と並び立つ権利はない。誰よりも彼が一番それを理解している。そしてその権利を持つ者が、よりにもよってあの老いた虎なのだ。

 最後に神が頼ったのは自分ではなく、あの――

 視界が歪む。口の端に血が、滲む。


     ○


 ティグレが復帰して五年の時が経った。

 齢七十を超え、食事量を維持することも困難になりつつある。つまり、体を維持することも限界に達しつつあった。出来ることはやった。そして、その途上で気づいてしまう。自らが教えていることは次の時代、あまり役に立たぬことを。

 この前、カンペアドール兄弟との再戦はティグレの完全敗北であった。否、兄にしてやられたのだ。弟と己を戦わせている間に他の拠点を奪取、孤立したところを包囲して滅ぼす。野生の嗅覚が己の危機こそ回避したが、結果として戦は大敗。己も若輩の大柄なガキを殺し損ねたくらいで、シドとは引き分け。

 いや、下手をすると負けていた。

 最近、エル・シドと名乗り始めた男の変化、伸び盛りの怪物とピークを保つので精一杯の老人、もはや先は見え透いている。

 そうでなくとも戦では惨敗なのだ。思っていた以上に早い、戦の変化。変わりゆく戦場に虎の生きる場所はなくなりつつあった。

「おじいさま!」

「おう、ティルザの鼻たれ。元気か」

「元気です!」

「あとでいいもん見せてやる」

「お菓子ですか!?」

「馬鹿たれ。鼻抓んでやる」

「むがが」

 武王が席を譲り、息子のガイウスが指揮を執るガリアスの主力は武人ではなく策士、サロモンによってあのアクィタニアすら飲まれつつある。あの竜殺しの伝説、よく三人で殺し合った友も今は亡く、かつての勢いはすでに失われていた。

 若造と考えていたマクシムの後継、ストラクレスとベルガーはそのガリアスすら粉砕するほどの強さを示している。局地戦でなら、と虎が息巻くも彼らがそれを選択することもないだろう。単独の強さはともかく、戦場で虎を恐れる者は少ない。

 老いた。そして旧くなった。

「まあ、この前、この俺様をなめ腐ったアルカディアのゼーパルトをぶち殺してやったが、あれもまあ旧い時代の技よな。一騎打ち、懐かしき響きよ」

 エスタードに負けた今が好機、とルーリャを渡ってきたアルカディア軍をボコボコにして追い返したばかりではある。まだ虎の戦が完全に通じなくなったわけではない。まあ、どちらも型落ちだったと言えばそこまでだが。

 一騎打ちが失われたわけではない。戦が拮抗すれば代表が名乗り合って戦うケースもある。だが、最近の負け戦は拮抗する前に嵌め殺されるケースが多かった。

 時代遅れの遺物、ジェドらを相手取るともはや戦では太刀打ちできない。

「もう十分だろう? 俺様にしてはよく我慢した方だぞ。酒の味も忘れてしまったわ、ガハハ。これ以上俺がのさばっても、誰も得をせん」

 シャウハウゼンの墓、遺体の無い形だけのもの。

 その前に老いた虎が座っていた。最後に出来の悪い孫に見せた、己の最終形。その足でここまで一人、終わったことを告げに行く。

「お互い、戦争に足を引っ張られたなァ。テメエも戦争なんて大嫌いだろ? 不純物が多すぎる。一対一で良いんだよ、槍だけで良いんだよなァ」

 彼らは純粋なる武芸者である。求道者でもある。

「テメエは天才だ。俺と互角、ほんのちびっと、上、かもしれん。ちびっとな。だがよ、たぶん次の時代、俺たちは普通に負けてたぜ。おそらく、その辺の連中にも潰されるんじゃねえかな? 馬鹿が、そう怒るなよ。愛国も過ぎると毒だぞ」

 ティグレの眼は蒼く染まっていた。指先も、空色に――

 彼には何かが見えている。無人の墓、その先の何かが。

「約定は此処までだ。俺ァ、好きにさせてもらう」

 妙な間、まるで相手の語る言葉を聞いているかのような。

「ああ、そうかい。馬鹿野郎、強ェのは知ってんだよ。俺が鍛えちまったんだ。責任取れ? それこそ馬鹿野郎だぜ。あんなもん放っといても強くならァ」

 ティグレは微笑む。そして立ち上がった。

「ちょっくら勇者退治に行ってくるわ。なァに、俺ァあのガキには勝ち越してるんだ。あいつのオヤジにもな。負けるかよ、俺ァ、ティグレ・ラ・グディエだ!」

 強く、気高く、孤高。

 虎は群れない。約定という名の枷は今日、外れた。

 虎が野に放たれる。狙うは、無敗の男、勇者の末裔の首である。

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