第23話 辺境領、擾乱 中編

 リシャール・ドゥ・クレアの無謀な出奔からの横死は、ジェラール・ドゥ・バリの酷評するところでありながら、他方でこのように記述する同時代の僧侶もいた。『エティエンヌ伝』に曰く、

「高貴な家柄にて忠良の臣、ワリアの領土をまとめあげ、財力も不断ふんだんなこの御仁は、おそらく、アングル領など二の次と考えていただろうこと、想像に難くない。故にエティエンヌ王がワリア征討の請願を無碍にしたとき、仄聞するところでは、自らの戦これありとばかりに多勢を以てワリアを襲おうとしたのであろう。もっとも、ワリア人の待ち伏せに会い武運拙く家来に囲まれる中、孤独に死んだのであったが…」

 ワリア領の財産で潤っていた彼が動くのには、ワリア遠征を渋ったエティエンヌ王にも理由があると、一応の大義名分があったと伝わっていた、というところであろう。この時代の財産とはすなわち領土を基本とするのであるから、その財産を守ろうと逸ったことが裏目に出た、との筆致が匂い立つようである。

 そして、同伝記が記す次の一頁は、このような書き出しから始まる。

「屈従していたワリアの王は幾つもの地域から兵を募り、三方面からリシャールの領土へ侵入した。リシャールの兵のみならず王のアングル勢力までもが分断され、更に、三千に及ぶワリア人の援軍が押し寄せたのである…」


 この年、「王の騎士の見本」たるグロスター伯ロベールは、早々から多事多難に追われる身となった。大陸から届く先王の娘マティルダとその夫アンジュー伯勢力との連合要請を丁重に受け、蜂起の要請は「未だ一考の余地あり」と流しつつ、アングル領内貴族からの反エティエンヌ感情に満ちた密使を応接する。ワリアに接する自領の防衛を図り、更には主たる新王エティエンヌの動向を文字通り「観察」する。これらのことで既に多事であるのに、先日朋友たるウォリングフォード卿ブリアンから「横死した王室家令の後処理」をたる難事を依頼されたのである。

「何と、夏の夜に裸で毒虫に身をさらすが如き愚行ではないか、血迷ったか」

 送られてきたリシャールの死体を見聞し、更に友人ブリアンに事の経緯を聞いて、生真面目を具現化したようなロベールは声を上げてうめいた。

「だろう?故に何度も引き止め諫言差し上げたが、我ら太陽と月が如くに意見が合わず、事態はかように転がってしまった、というわけだ。まったく申し訳がない」

 幾分諧謔の気味をくわえながらブリアンが言う様を見て、骸となった王室家令がこの静かに誇り高き友人に吐いた讒言のほどを思い知り、しかめ面をするロベールである。

「とにかく、遺体は最速でクレア家本領にお届けいたそう。あちらには家令殿が建てた寺院も多い。そのいずれかに埋蔵せねばなるまいて。」

 短く吐息した後そう言って、先王のご落胤は難事の一つをしっかりと処理するのであった。ロベールの型通りだが誠実な行いはまったくもってブリアンの予想の範囲内であったが、これでこそわが友、と彼は得心し安堵する。とかく世の声と言うのは征服や偉業を為した指導者を尊ぶが、そのような修辞を冠さずとも、篤実にて鳴る人間が次代の基礎を担う方が良いこともあるのだ。古のローマ人を見れば幾らでもその例がある―多くの反面教師と共に。

「ロベール、これは予想なのだがな」

 リシャールの仮葬儀をグロスター大聖堂の僧に依頼し滞りなくその儀が済んだ夜、盃を手に久々の誼を確かめながら、ブリアンは友に、独り言を残すように話しかけた。

「おそらくワリアはしばらくアングルに服従しなくなるであろう。ことによっては北部の雄と言われるグウィネドの王が兵力を率いて戦に出る。どこぞで我々に一つ噛みついて武威を示すというところか」

「ふむ、そこまでワリアの兵は統制が取れていると言うのか」

 友の言葉を否定せず率直に疑問をぶつけるロベールに、ブリアンは頷く。

「うむ、それもあるが、グウィネドのオワインと言う王子、彼奴が非常に危険だ」

 ブリアンは過日、今は亡きリシャールに語った仮定の話をロベールにも語った。これまでのゴワー騒乱、キドウェリーの戦、そしてリシャールの横死。全てに奇妙な策動の陰が見受けられる。すべてがアングル勢力に何かしら不利に働き、かつワリアの結束を図る方向へ動いている。

「自然に物事が―我々にとって―悪い方向に向かうことはあるとしても、こうも続いてワリアを利するように進むというのは、どうも向こう側にとって話がうますぎる。つまるところ、ワリアの何者かが裏で糸を引いているだろうと考えるのが筋だ。そしてそのような行動を起こせる立場と才覚を持ち合わせていそうなのは、かのオワインではないか」

 自ら学びに勤しんだブリアンの知性は浅くなく、鈍くもなかった。それを長年に渡って知り及ぶロベールは数回深く頷きながら、ふと思いついたように眉を跳ね上げた。

「となると、貴殿の言うとおりであれば、オワインと言う男は自らの血筋の者を大義の前に、間接的にしろ犠牲にした、ということか」

 然りサイエ、とブリアンは盃を揚げて見せる。

「故に危ない。先王グリュフドと違い、奴には善良さよりも冷酷と狡猾が備わっているような気がするのだ。ともすれば征服王陛下が御身内を誅した事例よりも性質が悪い。自らは手を下さず、相手の弱点を利用し、物事の転がる先を誘導する点でな」

「事実だとすればとんでもない策士ではある…敵に回すと恐ろしい」

 首肯するブリアンだが、盃をテーブルに戻すと、形の良い顎に手を当ててロベールに向き直る。

「敵に回す必要はない。というより、となってもらおう」

「本来の敵?」

 訝しがるロベールに鋭く夜色の視線が投げられた。

「無論、偽王エティエンヌ。わかっているだろう、ロブ」

 あっ、とロベールが息を飲んだ。慌てて周りを見回すが、深夜のこと、幸い酒席には彼らのみである。

「言葉が過ぎるぞ、ブリー」

 かつて少年期に呼び合っていた呼称で、彼らは少年期の騎士道見習いでほぼ同期であった今上アングル王に話題を移した。いや、ブリアンがそう誘導した。

「これより起きるワリア騒擾で、我らは自領を守る形でエティエンヌの差配を見守ればよい。何となればエティエンヌが出兵―するのであればの話だが―するのを誘い出す。ここで奴がワリア征討に成功するかどうかは問題ではない」

 戦を起こすということは経済的な消費である。今のところ潤沢に見えるエティエンヌの財貨をこのワリア問題で使わせ、後にマティルダら公家正統派の蜂起の際までに精々やせ細ってもらえばよいのである。

「今金目当てで奴にかしづく奴らも、旗色が変わればこちら側につくだろう。そうなればロベール、我らはマティルダ殿と先王のお孫を玉座に導けよう」

「しかしエティエンヌ陛下は仮にも王侯貴族と聖界の後ろ盾がある。スコット王との件で支持は落ちているが、そうも簡単に玉座は転覆しないのが常であろう」

 沈痛な面持ちで常識論を語る旧友に微笑みながら、ブリアンはその論陣を遮る。

「その継承に疑義があるというのだ。しかも奴はロベール、非嫡出とはいえ王子である貴殿の立場をも裏切っているのだぞ。本来であれば貴殿こそが―」

 先王陛下の後を継ぐべきであったのだ、と続けようとしたブリアンを、今度はロベールが遮った。固い表情で、そこに動揺はない。

よせアッセ。非嫡出が継承して世が乱れては、最後まで嫡出と王侯の契りとを尊重しようとした先王の遺志に背くことになる。私はそこまでして王になどなりたくはない」

 熱くなりかけたブリアンは、肩を竦めて再び微笑した。それを父への敬愛と呼ぶのだ、と、父との縁が薄いブリアンは半ば呆れ、半ば羨ましく思う。

「ならば我らで小アンリ殿、お孫陛下を玉座へ導くことこそ、先王への弔いとなろうぞ。それに異存はあるまい」

「…今は何とも言えぬ」

 後に「アンジュー家のアンリ」と呼ばれる生まれたばかりの先王の孫がアングル王及びノルマンディー公の玉座に立つには、超えるべき階梯が余りにも多すぎる、とロベールは考える。貴族に人望が薄いマティルダ。ノルマンディーと領土紛争を続けてきたアンジュー家。更にエティエンヌという強大な壁。これらを凌駕して初めて、海峡を跨ぐ強大な領邦国家の主足り得るのだ。その道は決して平らではない。そのような難事を押し付けるとは、余りにも酷ではないのか。

「優しさは貴殿の長所だ、ロベール。だが、その優しさが可能性を奪っているということにも、少しは思いを馳せた方が良い」

 誠実さに傾かなければ王位に手が届いた友にそう忠告するブリアンは、その夜の会談をそう言って締めくくった。もし有事あれば助力し合おうとの契りを交わしながら。


 …ブリアンらが語り合うのとほぼ時を同じくして、グウィネドとアングル領ケレディギオン、すなわち没したリシャールの領土境界地域に集結する人馬の群れがある。その数、数千は下らぬ。払暁、明確になる視界を得て、彼らは列を為してある人物の到来を待った。

 やがて、数人の騎士がその前に歩を進めた。グウィネド王子オワイン、カドワラドル、そしてデハイバース王グリュフドがその数人であった。静まり返る衆目の前で、父王の使う冠を頭に抱いたオワインは、左手に携えた楯を掲げて声を張り上げた。

「カムルの戦士たちよ!よくぞ我らが元に集まってくれた。グウィネド、ポウィス、デハイバースの武威が我が盾に宿る。カムルの正義がこの盾にある!」

 喚声が上がった。緑地の楯には、3羽の鷲が並んで描かれている。それらが三王国を指すのだ、と言うのである。

「フランクの暴虐は地に満ち、我が妹も殺された。このまま奴らに我らの土地と家族を奪われてはならぬ!ケレディギオンは我らカムルの大地。いざ行かん、我らの牙で奪い返せ!」

 数千の人々―各地から終結したカムルの戦士たちは一斉に雄叫びを上げた。

「12世紀のケレディギオン奪還」がここに始まる。








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