第4話 アベルフラウの親子 前編

 険しい岩肌が、遠くアイルランドイウェルドンから寄せる波に洗われる。その赤茶けた岸を縫うように、アベルフラウ川の流れがアングルシーの内陸から下ってきて、様々な形の砂浜を生み、そしてそれらを越え、海に繋がる。海岸の線はカンブリア南部の切り立った崖よりは幾らか緩やかで、漁師たちの仕事をそこまで妨げない。流れをさかのぼれば、川の両岸にカムルのキリスト教会と街並みが広がっている。町の周囲には広大な牧草地があり、家畜が育てられ、燕麦などを育てる農地も耕される。海の青、岩肌と砂浜の褐色、そして緑。カンブリアの他の地には見られぬ美しい濃淡が、グウィネドの首都を彩る。

 その中で、ひと際威容を放つのが、石造りのアベルフラウ城である。矩形に聳える城壁に、四方を一段と高く円形の物見が繋いで、居住空間が内側に設けられている。その様式は、数十年前まで木造で住居を設けてきたグウィネド王家とは全く違い、本来なら彼らの敵が得意とする、フランク様式の石城であった。

 アベルフラウ城をこのように建設させたのは、今や盲目の王となったグリュフド・アプ・カナンである。幼少期から自らの故地を奪われて流浪の時を重ねてきた彼は、フランクの得意とする石造建築を模倣する為、技師を遠く大陸から雇い入れた。アンリ一世との和議以降、グリュフドはフランク様式の技術を、軍事から民事に至るまで、さまざまに研究し、取り入れていったと言われる。おそらくは、和約の頃から、アングル領の実情を調べ、自らの国の様々な遅れに気が付いていたのであろう。

「戦においてもフランクの最新技術を取り入れなければならぬ。武具、防具、騎馬、あらゆる技術を学ぶ必要があろう」

 グリュフドの指示のもと、グウィネド軍の革新は急速に進められていった。良馬が南の大陸から買われ、カンブリアの港を通じ、アベルフラウに届けられた。アングルの海上兵力が得意の海上封鎖をする時代はまだ遠い先のことであり、散発する海賊を除けば、商船の行き来を妨げるものは嵐だけである。幸い、北海や遠洋よりもカンブリアの海は穏やかで、海岸線沿いに船を進めれば、アベルフラウや細いメナイ海峡を挟む対岸のカルナルフォンへの物流は容易であった。

 1136年1月吉日の今日は、薄く雪がアベルフラウの野に積もり、家々が白い煙を上げている。港では、先ほど港に着いた商人たちが奴隷人足をてきぱきと指示し、アベルフラウ城への荷物を荷馬車に乗せている。随分とどっしりとした重さの袋なので、人足たちは額に汗を滲ませた。

「袋を破るなよ!これはグウィネド王に届ける鉄鉱石だ。はるばるビザンツの遠方から届けられた上等品だからな」

 商人の声が甲高く響いた。言葉の訛りから、どうやらフランドルの交易商人のようだ。ビザンツの遠方、ルーシの地では夏に良質の鉄鉱石が採れるという。この時代の鉄鉱石は貴重な商品であった。

「この小国に送るにはかなりの量ですな。アングルの大貴族の買う量とほぼ変わりませんぞ。何に使うのやら」

 荷物の数を数えながら、雇われ船長が商人に問う。

「知らんのか。この間アングルのノルマンディー人がワリアの南でワリア人にこっぴどく敗れたらしい。何でも、何百人と死人が出たんだとよ」

「へえ、そりゃあ驚きだねぇ。ということは、これから戦が続くかもしれんと言うことか」

 船長にしてみれば、アングルのノルマンディー人、ワリアのワリア人など、出てくる人の括りが鬱陶しいのだが、戦でノルマンディー人が負けるというのは、興味をそそる内容であった。ノルマンディーと言えば荒くれ北方人の末裔、尚武の気風あり、その兵はフランク王さえ恐れさせる筈ではなかったか―。

 商人は袋の数を数えて満足そうにうなずき、荷馬車の御者台に駆け上がった。

「続くかも知れんし、続かんかも知れん。とにかく俺たち商人は物要りのところに駆け付けて良い値で売り捌くだけさね。帰りにここで穀物を仕入れるから、船倉の掃除を宜しくな!」

 掛け声を上げて荷馬車の手綱を一撓りさせ、商人は雪泥を跳ねて荷馬車を走らせた。船長は人足らに新鮮な水を振舞いつつ、船倉の掃除を命じるのだった。


 アベルフラウ城の広間に、煌々と暖炉の火が灯されている。樫で作られた玉座に座るのは、白く濁った眼を驚きで丸くするグリュフド王であった。

「そうか、ブレイキニオグの戦士達が勝利したか」

 当惑とも取れるその声に、黙して頷く人物が、王の眼前に立っている。眉目が整い、短くワリア風に刈り込んだ髪は枯木の薄い褐色を思わせる。鋭い眼光は王のそれとは違い、薄い緑色を帯びていた。口元に蓄えた髭は濃くはないが、戦士の風格を添えるのに十分である。

「はい、間違いのうございます。某の密偵達働き良く、フランクの騎兵らを誘い出してこれを撃退致しました。ブレイキニオグ王ハイウェル殿、大いに意気を上げられたとの由にございます」

 答える声はやや平坦で熱が欠けているが、淀みがない。淡々と物事を語ることを好む性分が、その語り口からは察せられた。

「わしの世代にはできぬことができるようになったのだな、オワインよ。数百のフランク騎兵を破ること、なんという壮挙よ。なんという…」

 徐々に興奮が訪れてきたのか、グリュフドの頬が上気に染まった。半生を彩った屈辱の過去が彼の盲いた瞼の裏に蘇っているのであろうか。よく見れば、その目頭には感動の涙すら見受けられるようである。

 グリュフドの眼前に立つこの壮年の男の名は、オワインと言う。この年、齢36歳を数える。身分はグウィネド王国第一王子、すなわちグリュフド王の後継者であった。

「カドワロンが生きておれば、きっと自ら兵を率いて真っ向フランク人と刃を交えたであろうが、あやつにはこのような芸当は能わぬであろうな」

 カドワロンとは、オワインの兄で、第一王子 である。もと、というのは、この年に先立つ1133年、隣国ポウィスとの領土紛争で陣没してしまったからであった。血の気の多い長兄は、フランク人を憎むこと甚だしかったが、一方でグウィネド以外のカムル人には見下げた態度を取り、時には戦に訴えて優位を誇示しようとしたのであった。

「あのとき、わしがカドワロンに負けて領土紛争への介入を許してしまったのは、軽挙であったとしか反省できぬ。後始末を付けてくれたのはオワイン、そちであったのう。余には過ぎた息子よ」

「兄上は王族と言うよりもカムルの戦士としての気味が強うございましたから、なるべくしてなったとも言えましょう。御心を安んじ下さいませ。」

 応えるオワインの声に熱はないが、情実の強いグリュフドには、その沈着さが逞しく思える。何しろ、オワインを王位の継承者に据え、最終判断以外の実権を握らせてから、グウィネド王国はグリュフドの時代の蓄積を更に増し、カンブリアの最強国の地位を称するに足るほど精強となっている。

「アングル王の王権に抵触することなく、グウィネドの版図を強かに維持して拡大するというわしの方針を見事成し遂げられているのは、そちの力量じゃ。嬉しいぞ、オワイン」

「勿体無きお言葉にございます。」

 グリュフドは左手で虚空を握った。気づいた侍従が素早くその手に盃を差し出し、静かに白湯を注ぐ。そっとそれを口にして舌を湿らすと、グリュフドは息子の方に向き直った。

「遠方、しかもデハイバースの支配に在るブレイキニオグを動かしてフランク人に一撃を加える、ここまではうまくいったが、これからはどのように事を進めるのか。お主の絵図を教えてはくれぬか」

 静かな問いかけは、先ほどの興奮を帯びた問いとは違い、重く響いた。オワインはしばし目を細め、小さく頷いて息を吐く。

「最終的にはカンブリア全土の戦士を糾合し、フランクと戟を交えることになりましょう。密偵達を駆使し、今は各地の王に呼びかけています。その前に幾らかの戦は避けられぬとは思いますが、細かなことは某にお任せくださいませ」

「うまくいくのか。アングル国は広い。兵も多いぞ」

「アングル国は割れております、父上。アンリ一世亡き後の顛末たるや、散々でございます」

 オワインの声に初めて、冷笑の熱がこもった。

 即位した王エティエンヌは、アングル領内の大貴族たちに恩賞を乱発して味方に引き込もうとしているが、その恩賞を担保する国庫は無尽蔵ではない。竹馬の友であるボーモン主家の双子を重用し、ノルマン辺境伯らはエティエンヌにかしづいて何とか自己の権益を認めさせようと躍起になっている。一方で先王の庶子グロスター伯がマティルダと先王の孫アンリの陣営に流れそうな気配もあるという。ノルマンディーの貴族たちも、エティエンヌにつくか、それともマティルダにつくか、去就を定めかねている。このような状態で、アングル国が大量にカンブリアに兵力を投入することは不可能である。滔々と滑らかに説明をオワインから受けながら、グリュフドは大きな吐息をついた。

「アンリ一世はまことに征服王の後継者として有能であった。かのエティエンヌとかいう新たなアングル王がその血を引いていたとして、能力まで同じとは言えぬであろうな。ましてそのように国内を割ってでも王位に就くというのであっては」

 オワインは短く頷いた。

「征服王の曾孫、皇妃マティルダの子息にして継承権を持つアンリとやらが長じるまでにはまだたっぷり10年以上はありましょう。その間に我々カムルは力を示し、あわよくばカムルだけでも統一を為さねばならぬと存じます。その大業を為す一助を某が担えれば、光栄の極み」

 グリュフドは深く、自分を納得させるように何度も頷いた。

「あるいは、お主にはやり遂げられるかも知れぬな。カドワルドルと共に今後もグウィネドとカムルの将来を宜しく頼むぞ」

 オワインは目を閉じて一礼を施した。と、広間の扉が叩かれ、商人の来訪が告げられる。第一王子の注文した大陸の鉄鉱石が届いたようであった。辞去の旨を告げ、彼は足早に広間を去っていった。


 広間を出ると、侍従が差し出した商人の商品目録を記した羊皮紙をざっと眺めながら、オワインは回廊を歩いていく。と、回廊の影に人影が揺らめいた。

「いるのか、獅子」

 オワインの声に応じ、人影が回廊の表に歩み出た。黒い衣に身を包んでいるが、体躯は驚くほど大きい。身の丈は後世の度量衡で6フィートに届こうかという体躯である。よくもその長身を回廊の間に隠していたものだが、身体には無駄な贅肉がなく、鍛え上げられた筋肉がその動きを可能にしているようであった。瞳は青く、頭髪は晴れた日に揺らぐ麦の照り返す光の如き黄金色をしている。

「ワーウィック伯の使いがスウォンジーよりロンドンに発ちました。おそらく二月にはロンドンにおいて騒ぎが起きましょう。その後、辺境伯を領土に連れ戻すよう誘い水を流せそうにございます」

 オワインよりも更に沈着な声で、獅子と呼ばれた男は具申した。オワインはこの日初めて、口元に笑みを湛えた。

「エティエンヌの動静はどうか」

「デハイバース王グリュフド陛下にロンドンへ伺候するように使者を出しましたが、王はこれを拒絶されたとの由。デハイバースの各地でも、ブレイキニオグ王の捷報が伝わり、反フランクの意気が高まりつつあります」

 オワインは静かに、幾度となく頷いた。新王エティエンヌはどうやらカムルの事情に詳しくはなさそうである。デハイバースは確かにアングル国の辺境領と密接に接し、かつ相争っているが、兵力や国富の点で見れば、現在優勢なのはグウィネドであった。召還をかけて陣営に引き込む上で先に声をかけて懐柔するべき国はグウィネドの方である。それしきのことも判断できぬのは、カンブリア事情に明るくないこと、そして辺境領主の密集する南カンブリアの意見に流されていることを意味する。

「よろしい。今後のことはまた今宵余の室で計画する。ひとまずは下がれ」

 答えなく、獅子は回廊の影に消え、やがて気配も消えた。オワインは羊皮紙を強く握り締め、大きく息を吸い込むと、足を踏み鳴らして商人の待つ城門へ向かった。














 

 

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