未来の人から貰った地球儀

管野月子

今の人

 窓の外には、闇の中に浮かび上がる土色の地球があった。


 地球-月系L5にあたるラグランジュポイントの宇宙コロニー。そのゆっくりと回転する居住区の、アルミシリカガラスと溶融シリカガラスの五層窓の向こうで、母なる涸れた惑星は太陽の燃え残りのようにすら見える。


「眩し……」


 きつい反射光のせいで白茶けた黄土色の星は目に痛い。

 しかも、寝起きには更に辛い。

 反対側のエリアは太陽の直射を受けている頃だろうけれど、遠くにある分、見た目の大きさは直径にして眼前の地球の凡そ四分の一ほど。放射線量は比べるべくもないが、光の強さばかりがかんに障る。

 星々の輝く宇宙空間にあって自己主張の強い土色の星は、食べこぼしの染みのようだ。


「のど……乾いた……」


 寝ぼけた顔で保冷ボックスを開けるもミネラル補水液すら無かった。

 大昔、あの惑星が水の惑星と呼ばれ青かったというのだが、実は捏造された過去、都市伝説なんじゃないかと思うことすらある。

 そんなこともあって、俺の地球への印象はだだ下がり中。

 あぁぁ……来週は、船外活動実習もあるんだった。





 かくのごときテンションでどうにか朝食時間に滑り込み、残り物のモーニングセットを口に運んでいると、食堂を覗き込んだ同じクラスのグラフィーラ、愛称ラフィが俺を見つけたのか駆けこんで来た。

 来週の実習でチームを組むことになった一人だ。


「ちょっ、ユゼフってば、今頃ご飯してて一時限目に間に合うの?」

「俺は身なりに時間をかけないタイプだから、だいじょーぶ」

「いやーん、ちょっとは時間かけようよ。寝癖、カッコイイことになってるよ」

「カッコイイならいいじゃん」


 なんて、軽口をたたいてくるのはこいつぐらい。

 もうすぐ進路決定のピリピリしているところで、クラスの誰もが認める才女様故の余裕か。

 今は軽く結い上げたくすんだ赤毛とそばかす――紫外線対処されたコロニー暮らしでそばかすというのもすごいが、そんなあまりパッとしない容姿でいながら、「昔話にそばかす赤毛はイイ女になるという伝説があるのよ!」と本人は気にしていない。


 その信憑性しんぴょうせいはともかく、先日ラフィが地球にいる母親とのディスプレイコールをチラ見した時はすっげぇ美人だった。

 赤毛には違いないが透明感があって、けれどけばけばしい人工色じゃないプリズムで分散された光の赤にも似た落ち着いた印象だ。そばかすも……残っていたようには見えたが全然目立たなかったし、睫毛なんかもすごく長い。知的な目元のラフィと同じダークグリーンの瞳でほほ笑むのを見ると、あぁ、こいつも将来は美人になりそうだと思ったりもした。


 そんな未来に期待はあっても、目を引くような存在ではないのは俺も同じ。

 とりあえず学力実技は平均点より上に位置し続けているが、上位一けたをキープできるようなランカーでもない。更に言えば皆さんが優雅にリラックスタイムを楽しんでいる時に、こっそり自室で足掻いているだけの結果だったりする。

 このコロニーを卒業する時、将来の選択肢は多く欲しいという、後ろ盾も何もない者の生存本能故だ。


「今日の一限目は座学だから、食べて直ぐだと眠くなるよー」

「食べて直ぐ訓練よかマシだけど」

「んもー! いいからはやくー」

「俺に構わず先に行けよ」

「そうしたら、席、離れちゃうでしょ」


 なに、俺をせかすのってそういう理由?

 確かに来た者順で自由に席は選べるけれどさ。


「なぁ、ひとつ聞いていい?」

「なぁに?」

「どうしてぱっとしない俺にかまうわけ?」


 頭の中身も身体能力も飛びぬけて秀でたものは無い。しかもややハズレの大量生産型デザインベビーだから親もコネも金も無い。自慢できるといえば、健康で、誠実で、真面目なところぐらいだ。

 ところがラフィはきょとんとしてから、一言答えた。


「普通に話せるから」

「え……?」


 そういう理由ですか。


「他の奴らとも普通に話してるじゃん」

「補足、バカなことを普通に話せるから」

「バカですか」

「あと、忍耐強い?」

「何故そこで疑問形」

「まぁ、いいから。ところで誕生日もうすぐでしょ? 何がいい?」

「マルチアミノ酸系ビタミン錠剤」


 あ、にらまれた。

 酸素キューブがよかったか。ミネラル補水液でもいい。

 どちらも生きていくには重要なアイテムだ。


「そうじゃなくて! もっと記憶と感情にインパクトを与えるような物!」

「んーじゃー、土色じゃない地球」


 今度は怪訝けげんな顔をされた。


「土色じゃない地球?」

「んー、あれが窓から見えると憂鬱ゆううつになる」


 ちょっと意地悪なリクエストだったかな、と俺は心の中で苦笑する。

 本当に窓の外を見たくなければシャッターを下ろせばいい。その方がスペースデブリによる窓の損傷も防げるのだから、クラスの中には一度もシャッターを開けたことが無い奴だって多くいる。

 けれど俺は……やっぱり星の瞬く宇宙空間が見たいのだと、どうしようもなく生物としての心理が働く。


 星空に見立てた宇宙空間を窓の外に眺めて、六百ナノメートルほどの波長の淡いオレンジの光源を手元に置くと、やっと一日が終わったという気分になって安心して眠れるのだ。炎の色。これはもう人類が地球に住んでいた頃からの本能なのだから、俺ごときが抵抗できるものじゃない。

 とは言え、さすがにこのリクエストでは「バカなこと言わないで!」と返すかと思ったのだが……ところがラフィは、あぁ、という顔で、窓から見た景色を思い出そうとするかのように頷いた。


「わ、分かったわ。ね!」


 と、硬く拳を握り、決意に瞳を輝かせて食堂を出ていった。

 後に残されたのは俺一人。


「え……えぇぇえーっ?」



 一体、何を思いついたのやら。願わくは、このコロニーを破壊しないような物であることを祈る。






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