32 『奴隷商』

 そこからの記憶は、途切れ途切れだった。



 覚えているのは、手首を天井からつるされたまま男に尋問されている光景――


 「――さあ、吐け! あの女はどこへ逃げた!」

 「うぐっ! し、知らない!」


 しわがれた声の男が、容赦なく啓太の体を打ち据える。


 「お前はあの女の仲間なんだろ!」

 「がはっ! そ、そんなわけあるか! 名前も聞いていない!」

 「嘘をつくなよ」

 「……うっぷ、嘘じゃない」


 何度も何度もしこたま鞭で打たれては、意識が飛びそうになると頭に氷水を掛けられる。

 それでも残念ながら、啓太には男を満足させるような情報は無かった。

 逃がした女については、本当に顔しか知らない。


 何時間にもわたる拷問により、次第に自分でも起きているのか気絶しているのか曖昧になっていた。


 (ティア……)


 最後に浮かんだのは、満面の笑みを浮かべたティアの顔だった。


 

 その次の記憶は、二人の男の会話だった。


 「くそっ、あの女に逃げられたのは痛手だったな。あれは高値で売れるはずだったぞ」


 床に這いつくばったままの啓太の耳に、苦々しげなしわがれた声が聞こえてきた。

 様子を窺おうにも、啓太の目は腫れてしまったのか全く開かない。


 「お前のせいだぞ、ヴォイチェフ! せっかく金を払って警備を雇ったのに、肝心な時にいなくなって」

 「お言葉ですがねえ、シモンの旦那。不法入国者ですよ? イーラ様からの緊急の命令を無視はできないでしょう。元々俺たちの本職はあっちですし」


 ヴォイチェフの声には、まったく悪びれたような素振りがない。


 「くっ、それはそうだな……」

 「でしょ? それにこいつを代わりに売ればいいと思いますけどね」

 「……男と女だと価値が違うから、同じ値段では売れないだろうな。だが――」


 ヴォイチェフの言葉に、シモンがわずかに逡巡する。


 「こいつはの荷物からは王国の地図が出てきた。王国民で黒髪なら、上手くやればそこそこの値段で売れるかもな」

 

 シモンが邪悪に笑ったような声でそう呟いたところで、啓太の記憶は再び途切れた。


 そして――

 今――


***


 「決めた! この子にするわ」


 啓太が閉じ込められていた鉄製の檻。その外側には、シモンと見知らぬ少女がいた。


 「さすがヴァーヴロヴァー家のお嬢様、お目が高いですな」

 「ふん、お世辞はいいわ。それよりもシモン、早く儀式を進めてちょうだい」

 「ええ、もちろんです。準備をしますので、お下がりを」


 少女を下がらせると、シモンが啓太の目の前までやってきた。


 (おい! ふざけるな! ここから出せ!)


 啓太は大声を出そうと口を開くが、のどからは乾いた空気しか出てこない。


 「おやおや、生きがいいですね。でも、残念ですが発言は許していないんですよ」


 無駄な抵抗をする啓太の様子を見ながら、シモンはニヤニヤと笑った。


 「そうそう、ガブリエラ様。儀式に使うので、体の一部を頂けますか?」

 「体の一部? どこのことを言っているの?」

 「何でも構いませんよ。血液でも、唾液でも、髪の毛でも」

 「じゃあ、髪の毛ね」


 そう言うと、ガブリエラは無造作に前髪を一本抜いてシモンに手渡した。


 「ありがとうございます」


 シモンは恭しく髪の毛を受け取ると、懐から一本の小瓶を取り出した。


 (な、なんだあれは……)


 小瓶には、粘性のある紫の液体がなみなみと入っていた。見るからに毒々しい。

 シモンは慎重に小瓶の蓋を開くと、そこにガブリエラの髪の毛を入れた。


 瞬間、液体の色が鮮やかな赤に変わる。


 「さすがガブリエラ様。美しい色ですね」

 「余計なことはいいから、早く飲ませてよ」


 ガブリエラにおべっかを一蹴され、シモンが肩をすくめた。


 「わかりましたよ」


 そう言いながら、シモンは鉄格子の隙間から手を入れて、強引に啓太を引き寄せた。


 「さあ、飲みなさい」


 シモンの手によって、小瓶が啓太の口元に乱暴に押し付けられる。


 (こんな怪しい液体、絶対飲むものか……!)


 せめてもの抵抗にと口を堅く閉じるも、弱り切った啓太の口はあっさりシモンにこじ開けられた。


 「……!」


 瓶の口を突っ込まれ、そのまま液体がのどに流し込まれる。


 「げほっ、ごほっ」


 焼けるような喉の感触に、思わず咽てしまった。

 喉だけではない。液体が通り抜けた瞬間に、体の中心に火ごてを差し込まれたような灼熱が走った。


 (熱い熱い熱い熱いっ!)


 頭の先からつま先まで、全身が燃えるように熱い。


 「さあ、ガブリエラさん」

 「わかったわ」


 シモンの言葉に、ガブリエラが右手を鉄格子の中に入れた。


 (な、なにをする気――)


 「苦しそうね……。大丈夫?」


 ガブリエルが、場違いなほど優しい声を掛ける。

 


 そして――

 ガブリエラのひんやりとした手が額に当てられたところで、啓太は三度意識を手放した。


***


 啓太がシモンに捕まった頃――


 ナジャ法国首都の首都アルコ、その中心に位置する王城では、宰相オリヴェル・イーラが怒鳴り散らしていた。


 「どういうことだ! 取り逃がしたって!」


 王城の最上階、黄金をちりばめられた豪華な玉座に座ったまま、イーラが大声を上げる。

 その足元では、一人の男が震えながらこうべを垂れていた。


 「お、恐れながらイーラ様。エレナ様の護衛をしていた一人が、手に負えないほど強かったのです」

 「エレナだなんて呼ぶな!」


 震えながらも気丈に顔を上げて報告した男に、イーラが畳みかけた。


 「たった一人強い護衛がいた程度で引くとは腑抜けにもほどがあるぞ! 何のための隠密部隊なんだ!」

 「も、申し訳ございません」

 「いいか? あいつが生きている限り俺の権力が脅かされているんだぞ!」


 そう言いながらイーラは玉座から立ち上がると、そのままいらいらと部屋を歩き回った。


 「クソッ、せっかく尻尾をつかんだと思ったのにアダム以外に護衛がいたとはな……」

 

 親指の爪を噛みながら、イーラがぶつぶつと呟いた。


 「ただでさえ、最近はレジスタンス共の活動が活発になっているんだ。もしエレナが入国したら、良い神輿に担ぎあげられるぞ!」


 イーラが権力を握ってから三年。

 いまだに旧王家への忠誠を誓う国民は多く、その一部が地下で政権打倒をもくろんでいるという情報が入ってきたのはつい最近のことだった。


 「は、はい」


 男は額を地面にこすりつけながら、嵐が過ぎ去るのを待つ。

 イーラは無慈悲な独裁者であり、気に入らない部下は容赦なく粛清してきた。

 隠密部隊はイーラのクーデター以降懐刀として可愛がられてきていたが、それでも今後身の安全が保障されるというわけではない。


 「いいか? 今度見つけたら確実に始末しろよ? もし失敗したら、その時はお前たち全員家族もろとも処刑してやる!」

 

 唾を飛ばして床を踏み鳴らしながら、イーラががなった。

 だが、処刑をちらつかせたのは、男にとって良い兆候だった。

 本当に粛清するときは有無を言わせずに実行するイーラのことだ。

 『処刑』というワードを脅しに使ったということは、今回は死を免れることができそうだ――



 「失礼します! イーラ様!」


 不意に扉がノックされ、一人の兵士が入って来た。

 兵士は、そのまま入口で直立不動の姿勢をとる。


 「どうした?」

 「はい、ご報告いたします! マルゴー大森林の西方で、不法入国者を発見しました」

 「捕らえたのか?」

 「い、いえ。相手に手練れがおり、取り逃がしました。一人は崖から落ちたので生きてはいないと思いますが……」

 「またか!」


 一度は消えかけたイーラの怒りが再燃した。


 「こいつにも言ったが、お前らは法国最強の隠密部隊だろ!? 相手の強さは言い訳にはならないぞ!」

 「も、申し訳ございません」


 兵士も、男と同様に床に這いつくばった。


 「それで、逃げた入国者の特徴は?」

 「は、はい、全部で七名でした。男が二人に女が五名です」

 「女の特徴は?」

 「確か、金髪が一人、褐色二人に黒髪が二人――」


 イーラが目を見開いた。


 「黒髪!? どんな風貌だ?」 

 「ひ、一人はおそらく成人していました。もう一人はまだ子供のような――」

 「黒髪の子供だと!」

 「は、はい」


 返答を聞いたイーラは、頭に手を当てたまま押し黙った。

 次に口を開いたとき、男たちに処分が言い渡されるのだろう。


 「恐らく、それはエレナだろうな」


 ぼそっと、男が呟いた。

 男と兵士の話のタイミング、両方に共通する隠密部隊でもかなわないという手練れの存在。


 「間違いない、アダムとエレナが帰ってきたきた」


 そう呟きながら、イーラは自分を納得させるかのように頷いた。


 「よし、今すぐ全隠密部隊に連絡しろ! 不法入国者共を捕まえるためにマルゴー大森林全体を大捜索だ!」

 「「はい!」」

 「黒髪の女は殺さずに捕まえろ。それ以外は、抵抗するようならその場で切り捨てるように! 行け!」


 その言葉を合図に、男と兵士ははじけるように立ち上がり、部屋を飛び出していった。

 

 「クソッ、エレナの奴め……」

 

 一人部屋に残ったイーラは吐き捨てるようにそう呟くと、右手の中指にはまった指輪を撫でるのだった。


***


 目が覚めたのは、明るい陽光の差し込む、知らない天井の下だった。

 啓太の全身は溶かされたように重く、指一本動かせなかった。


 (俺はどうなった……?)


 唯一動かせる目線を動かすと、視界の端に人影が見えた。


 「あら、おはよう」


 まだ意識がはっきりしない啓太の耳に、甘い少女の声が聞こえてくる。


 「意識ははっきりしているみたいね」

 「……!」


 シモンの檻の中で見た少女が、啓太を見下ろしていた。

 その紅い眼は、明るい日光が差し込むこの部屋でも鮮やかに輝いている。


 改めて見ると、整った顔立ちをした少女だった。


 (ぱっと見、ティアより少し年上か……?)


 少女の顔には、不思議と大人びた雰囲気が備わっていた。

 啓太はシモンと少女の会話を思い出す。


 確か名前は――


 「ガブリエラよ。よろしくね」


 ガブリエラは啓太の心を読んだかのように自己紹介をすると、柔和にほほ笑んだ。


 「……!」


 返答しようと開いた口からは、相変わらず空気しか漏れない。

 

 「あ、そういえば発言を許可し忘れていたわね。しゃべっていいわよ」

 「ぷはっ!」


 ガブリエラがそう言った瞬間、唐突に声が出るようになった。


 「お、俺は、どうなったんだ?」


 久しぶりに発する言葉を、啓太はつっかえながら紡ぐ。


 「ああ、シモンに聞かされていなかったのね? 確かにシモンも捕まえたばかりと言っていたけど……」


 頬に指をあてたガブリエルは、困ったような表情を浮かべた。


 「うーん、ちょっとショックを受けるかもしれないけど――」


 そう言って、ガブリエルがいたずらっぽく微笑む。



 「あなたは今日から私の奴隷になったのよ」

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