第二章

26 『第一王女は子羊の夢を見る』

 暗く湿った空間で、啓太は目を覚ました。


 「……ここは?」


 啓太が寝ていたのは、硬い床の上だった。


 「……っ!」


 状況確認のために上体を起こそうとするも、頭の先からつま先まで軋むような痛みに襲われた体は、身じろぎ一つできなかった。

 辛うじて動く首を回して、室内を確認する。


 ――狭い部屋だった。

 人間一人が、辛うじて横になれる程度の大きさしかない。


 啓太が寝ていた石の床には、申し訳程度薄い布が敷かれていたが、そこからは汚物と汗の混ざったような饐えた臭いが立ち込めてくる。

 壁の代わりに鉄格子が周囲をぐるりと囲んでおり、その外側には分厚い布が掛けられているようだった。


 これは部屋というより――


 「檻か」


 啓太が閉じ込められていたのは、狭く汚い檻の中だった。


 (……どうしてこうなったんだっけ?)


 眼を閉じて、記憶を辿る。

 だが、まるで体が思い出すことを拒否するかのように、啓太の思考は空回りした。


 カツカツ


 「……ん?」


 耳を澄ますと、遠くから人の足音が聞こえてきた。

 高い音と、低い音。

 二人分の足音だ。


 (俺をここに閉じ込めた奴か)


 時々止まりながらも徐々に近づいてくる足音に耳を澄ませながら、啓太は策を練る。


 (とにかくここから逃げ出す必要がある。だが、焦って逃げようとしても上手くはいかないな)


 とにかく情報が必要だ。

 ここがどこで、なぜ啓太は閉じ込められているのか。

 もしあの足音が看守の見回りか何かだとしたら、とにかく会話をしてできる限り情報を引き出そう。


 啓太の中で方針が決まった時――


 「こちらなんていかがでしょう?」


 しわがれた男の声が聞こえてきた。


 (……! 看守か?)


 慌てて耳を澄ます。


 「うーん、ちょっと微妙かな?」


 応えたのは、透き通るような女の声だった。


 「……そうですか」

 

 続いて聞こえるのは、残念そうな男の声。


 「いくら奴隷といっても、私はもう少し知的なのが好みなのよ」

 「……なるほど」

 「ここにいるのは、皆目が死んでるわ。あなたの管理が悪いんじゃないかしら?」


 女の方が、ずいぶんと偉そうだ。


 「とんでもない! 私どもはちゃんと毎日水と食事を与えています。同業他社とは比べ物にならない待遇ですぞ」

 「ふーん……。どうだか」


 二人の足音が、ゆっくりと啓太の檻に近づいてくる。


 「それでは、とっておきのを見せましょう」

 「とっておき?」

 「昨日入荷したばかりなんですがね、若い男です」

 「男はパス」


 男の提案を、女がそっけなく断る。


 「そんなの部屋に置いておいたら、何されるか分からないじゃない」

 「大丈夫ですよ! 契約は絶対、手出しなんかできません」


 男の方の声には、何としても客を逃すまいとする必死さがこもっていた。


 「まだ若いですから、肉体労働に便利です。それに、黒髪ですよ」

 「黒髪? それは興味深いわね……」

 「とにかく、見るだけでも見てってくださいよ。個人的には、結構賢そうな顔をしてると思いますよ」


 二人の声は、今や啓太の檻のすぐ外から聞こえてきていた。

 おそらく、二人が話題にしているのは――


 「どうです?」


 男の言葉と同時に、啓太の檻を覆っていた布がめくられた。

 暗闇に慣れた目に眩しい光が差し込み、思わず目を閉じる。


 「ふーん。あなた、こっちを見なさい」


 耳元で、女の声がする。

 啓太は声のした方へ首を向けると、ゆっくり目を開けた。

 

 松明に照らされて浮かび上がる栗色の髪に、燃えるような紅い眼。

 顔にはまだあどけなさが残る、美しい少女だった。


 少女と目が合った。


 鎧に身を包んでいる少女は、窮屈そうに屈みこんで啓太の顔を覗き込んでいる。

 まるで、啓太の心の奥底を見透かそうとするかのように。

 

 そして――


 「決めた! この子にするわ」


 そう言って、少女は立ち上がった。


 (ああ、俺はどうなってしまうんだ……)


 そんな少女の様子をぼーっと眺めながらも、啓太の頭は少しずつ回り始めてきた。

 こんな状況に陥った原因が、少しずつ思い出される。


 (たしかあれは――)


***


 その日啓太達の屋敷には、フィルマン商会から子羊が届けられた。

 

 「うわぁあ! ケータ、見てみて! なんてつぶらな瞳なの!」


 子羊の周りを飛び跳ねながら、ティアが興奮した声を上げる。

 羊が届いてから、ずっとあの調子だった。


 そもそもこの子羊は、帝国との一件で八面六臂の活躍をしたティアへのご褒美だった。

 デニスと初めて会った時から熱烈な羊フリークとなったティアは、王都から屋敷に戻ってきて以降ずっと、文字通り首を長くして羊の到着を待ち続けた。


 『ケータ! 羊はまだかしら?』

 『昨日ポールをラグランジュ商会に送ったばかりだろ? 羊の在庫なんて抱えているわけないし、もう少し待て』

 

 『ケータ! あの地平線に見える陰はポールの馬車じゃないかしら? 羊を連れてきたのね!』

 『……いや、あれはどう見てもただの木の影だろ』


 とまあ、そんな会話を日に何度もしながら待ちわびた羊がついに来たのだ。

 ティアのあのはしゃぎっぷりも頷ける。


 「て、ティア様! 私にも触らせてください!」

 「シルヴィ、ずるいですわ! 私も触りたいです!」


 シルヴィとクロエも、子羊を一目見るなりティアと同様に羊を取り囲んでそわそわしていた。

 ポールが連れ帰ってきた子羊は啓太の眼から見ても庇護欲をそそり、一発で二人を堕としたようだ。


 「……その次は私」


 少し離れたところからそんな声が聞こえてくる。

 ついでに、ニーナもやられたようだった。


 「ティア、はしゃぐのはいいが、世話はできるのか?」

 「もちろんよ! 私がちゃんと立派に育てるわ!」


 子羊の毛にうずめた顔を上げて、ティアが言い張る。

 

 「わ、私もお世話します!」

 「私も!」


 なぜかシルヴィとクロエも、手を挙げてお世話係に立候補した。

 ……まあこの分なら世話の方は大丈夫だろう。


 「そういえば、名前は決めたのか?」


 再び羊毛に頭を突っ込み、足をパタパタさせているティアに尋ねる。


 「そうね……。ヒータってのはどうかしら?」


 なんだその他意しかない名前は。

 というか『ヒ』ってまさか羊の『ひ』か?


 だとすると、壊滅的なネーミングセンスだった。


 「ヒータ……、いい名前ですね!」

 「ヒータちゃん、こっちを向いてください!」


 以外にも、シルヴィとクロエには大好評のようだ。


 「めぇ~」


 名前を呼ばれた子羊は、それが自分のことだとわかっているかのように楽しそうに鳴いた。


 (これはもう、今さら名前を変えられないな)


 啓太は深いため息をつくと、肩をすくめた。


 「ティア、名前を付けたからにはちゃんと責任をもって最後までお世話するんだぞ!」

 「はーい! 任せてちょうだい」


 元気よく、ティアが手を挙げた。

 そのまま、首をひねる。


 「それにしても、羊って何を食べるのかしら?」


 ……そこからかよ!


 「うーん……。俺も詳しいわけじゃないが、大人の羊は草を食べるイメージだな」


 そう言いながら、啓太はヒータの方を見た。

 まだ毛もそこまで長くなっていないヒータは、子犬ほどの大きさしかない。


 「……もしかしたら、まだ乳離れしていないのかもな」


 そうだとすると、羊用のミルクを用意しなくてはいけない。


 「そういうことなら任せなさい! 私がちゃんとお乳を上げるわ!」

 「ちょ、ティア様何をしているんですか!」


 何を思ったのか服を脱ぎだしたティアを、クロエが慌てて止めた。

 自分で授乳する気だったようだ。


 「何してるんだよ……。羊のミルクなら食糧庫にストックがある。しばらくはそれを飲ませれば大丈夫だろう」

 「えー……。こういうのはお母さんの仕事なのに……」


 残念そうに口をとがらせるティア。

 相変わらず、変なところで母性本能を発揮するティアだった。



 結局その日、ティア達は夜が深まるまでずっとヒータに構い続けた。

 代わる代わるにヒータを撫で、抱き、そして可愛さに悶えるティア達よりも、いやな顔一つせずにおとなしくしているヒータの方がよっぽど大人に見えたのは、啓太の心の中だけにしまっておこう。


 そして翌朝。


 「ヒータ! ヒータ! こっちよ!」


 ティアは朝食の後ヒータを屋敷の庭に連れ出すと、一緒になって走り回っていた。


 「めぇ~」


 ヒータも小さな手足をいっぱいに伸ばして、楽しそうに庭を掛ける。


 「転ぶなよー!」

 「大丈夫ー!」


 そんな一人と一匹の様子を、啓太はベンチに座って眺めていた。


 「平和ですね」

 「そうだな」


 いつの間にか隣に座っていたクロエが、声を掛けてきた。


 「もう一週間ですか。あっという間ですね」

 「……早いな」


 帝国との一件を片付けて屋敷に戻ってきてから、すでに一週間が経過していた。

 王都から帰還してきたポールに事情を聞いた限り、今のところ例の条約施行の準備は滞りなく進んでいるらしい。


 ヘリアンサス王国を立て直す道のりとしてはまだ半ばだが、一つ大きな山場を越えたのも事実だった。


 「そろそろ十分に休んだ頃だし、また動き出さないとな」

 「次は何をすればいいんでしょう」


 そう尋ねられ、啓太は腕組みをして考えた。

 王国が抱えていた喫緊の課題、財政破綻はひとまず回避されたといっていいだろう。

 

 (そうなると、次は成長戦略か)


 会社を立て直すときも同じだが、傾きかけている組織を立て直すには、まず収支のバランスを整えるのが第一だ。

 破綻しかかっている組織にはそもそも投資のための現金が無いため、まずはキャッシュを生み出すことに注力する。


 だが、改革は財政改善が達成されれば終わりというわけにはいかない。

 今後ヘリアンサス王国が長期的に成長していくためにも、新たな成長の種を撒く必要がある。


 「そうだな……。なにか、この国独自の産業を興せれば一番いいんだが――」


 思わず空を見上げながら啓太がそう呟いた時、


 「ケータ殿!」


 野太い声が、庭に鳴り響いた。屋敷の門に、手を振る影がいる。


 「ギュスターヴ! 久しぶりだな!」

 「ケータ殿も、元気そうでよかった」


 訪問者は、王国近衛隊隊長のギュスターウ・チュレンヌだった。


 「ギュスターヴ、どうしたの?」


 ギュスターヴの来訪に気付いたティアが、ヒータを抱きしめたままやってきた。


 「これは殿下! ……その生き物は?」

 「ヒータよ!」

 「ひーた……?」


 満面の笑みでそう答えるティアに、ギュスターヴが頭を抱えた。


 (あのティアのことだ、これまで何回もこうやってギュスターヴを困らせてきたに違いない)


 これまでのギュスターヴの苦労が浮かばれる。


 「ギュスターヴ、用事があって来たんだろ?」

 

 羊の名前程度で頭を悩まさせられたギュスターヴがあまりに不憫なので、啓太が助け舟を出した。


 「あ、ああ! そうだった!」


 そう言うと、ギュスターヴは啓太の隣にいるクロエの方を向いた。


 「わ、私に用ですか?」

 「そうだ、クロエ殿」


 ギュスターヴはいつになく真剣な表情で頷くと、こう続けた。


 「ミアレ村の住人を連れ去ったやつらの手掛かりが見つかった」

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