落ち葉の頃

 サク。


 サク、サク。


 サク、サク、サク、サク。


 幼い頃、落ち葉を踏むのが大好きだった。

 踏んだ時に鳴るあのサクっていう乾いた音が心地よくって。綺麗に鳴るのはどの落ち葉も一度きりで、その儚さというか潔さも好きだった。


 でも今は、落ち葉を見ても踏まずに避けて歩くことが多い。秋の終わりのあの日のことを思い出してしまうから。




 高校最後の文化祭は僕にとって特別だった。

 クラスで男女一人ずつ選出される文化祭実行委員に、僕と僕の好きだった子とが選ばれたからだ。

 それまで接点を作ることがまったく出来ないでいた彼女と時々、一緒に帰れたりもした……まあ、二人きりではなかったけれどね。

 そのうち、お弁当を実行委員で集まって食べるようになり、自然に話せるようになり、廊下で会っても立ち止まってくれるようになったりして、僕は幸せだった。

 彼女とはたくさんの言葉を交わした。文化祭のことだけじゃない。好きなマンガとか、一押しお菓子はなんだとか、出身中学の面白い人の話とか、田舎はどこだとか、趣味のこととか、家族やペットのことなんかまで。

 文化祭の直前あたりには、お互いを呼び捨てしあうくらいに距離が縮まっていた。



 そうして迎えた文化祭最終日だったけれど、僕は焦っていた。

 こんなに仲良くなれた彼女と、文化祭が終わってしまったら接点がなくなるんじゃないかって。また話せなくなっちゃうかもしれないって。

 時間は無情にも過ぎてゆく。

 僕の中には不安が溜まってゆく。

 溜まった不安は僕をどんどん息苦しくさせてゆく。この文化祭が終わる時、僕の幸せも尽きるんだ……スパイ映画の水責めみたいに、僕は自分で作り出した不安処刑装置の中で、勝手に自滅しかけていた。

 そんな僕に、声をかけてくれた人がいた。幸せなことにそれは彼女だった。


「ねぇ、なんか具合でも悪いの? 今日はなんか変だよ」


 彼女に声をかけられた嬉しさと、心配される喜び、そして心配かけてしまったことへの罪悪感、それでもなお溜まり続ける明日以降への不安。そんな複雑な気持ちがからまって、どうにもうまく喋れない。


「ごめん。大丈夫だよ」


 ようやく返せた僕の言葉は、彼女を少し安心させることが出来たようだ。


「今日に向けて頑張ってたものね。でも、いざとなったらちゃんと保険室に行ってね」


「ありがとう」


 ああ、彼女の笑顔はとても素敵だ。

 なんていうか素敵だ。

 そんな風にそわそわしているうちに文化祭は本当に終わってしまう。片付けもそこそこに、クラスの皆は打ち上げ会場のファミレスへと移動し始める。ただ僕と彼女だけはまだ教室に残っていた。これから二人で実行委員会本部への報告があるからだ。

 報告そのものは費用とか来客数とかの数字を伝えるだけの簡単なお仕事。それなのに僕は妙に緊張していた。さっきまであんなに賑やかだった空間に、今はほとんど人が残っていない。これはもしかして告白するチャンスかも。

 ああ、チャンスかもって考えただけでドキドキする。

 心臓がまるで喉にあって、つっかえてるみたいに、ドキドキがいつもより大きいし、声も出てこない。


 人通りがほとんどなくなった廊下を、彼女と並んで、実行委員会本部へと向かう。

 彼女も無言で、僕も無言。

 こうやって一緒に歩けるのも今日までなのかな、なんて考えてしまったら、もうそれだけで涙がこみあげてきそうになる。

 泣いているところ見られたら、引かれちゃうかな。いや、彼女はそんなことで引くような人じゃない。でもものすごく心配かけちゃうかも。それはいやだな。彼女の今日という思い出の一ページに、そんな残り方をしたくない。


「あのさ……今日……思ったより、人、来たね」


 思い切って話しかけてみる。


「だね! 頑張って良かったね!」


 彼女の笑顔が僕に幸せをくれる。僕はこの笑顔に応えたい……泣いてしまわないよう、つとめて日常的な会話を、面白い話を、明るい話題を、なんとかつないで、報告を済ませ、教室に鞄を取りに戻り、下駄箱へと向かい、靴を履き替え、校舎を出てしまった。

 ああ、自分はヘタレだなぁ、なんて心の中ではもう既に泣き始めていた時、足元で音がした。


 サク。


 あ、僕の好きな音だ。

 心の中に閉じこもりかけていた僕は、ようやく現実に目を向けた。


 校舎から校門へと続く道。グラウンド横のこの道はイチョウ並木で、散った落ち葉が一面を覆っている。しかもグラウンド越しに夕陽の暖かい光が差していて、とってもキラキラしていた。


 その黄金世界の真ん中に、彼女の後ろ姿があった。


「どうしたの?」


 彼女が急に立ち止まって僕の方へと振り返る。


「え?」


 思わず、そんな情けない声が僕の口から洩れる。

 僕は彼女に見とれていた。黄金の輝きの中を、彼女が歩いていて、その神々しさと、彼女の普段の天使っぷりとが重なって、僕は歩くのも忘れ見入っていたみたい。


「足音が突然、止まったからさ」


「あ、えーと」


 言い訳を探そうとするけれど、彼女に見とれていた事実に気付いてしまった僕の脳は真っ赤にヒートアップしちゃってて、ちゃんと働いてくれない。


「落ち葉がね」


 その後が出てこない。綺麗だったから、って言いたいのに、彼女へ向けて言うわけでもないのに、「綺麗」という単語を口から出すのが、自分でもびっくりするくらい恥ずかしい。


「落ち葉……そうそう! 私さ、実は落ち葉を踏むこのサクッサクッて音がすごく好きなんだよね。だからこういう落ち葉道を歩くときはいつも自然と耳を澄ましててね……だから足音止まったのにも気づいたっていうかさ……あは。子どもっぽいかな」


 なんて可愛い照れ顔で微笑むのだろうか。しかも落ち葉踏むの、彼女も好きだなんて!

 この場に共有できるものが出現したことで、僕の中に勇気が湧いてくる……今なら言えるかもしれない。


「ぼ、僕もだよ。小さな頃から落ち葉みるともう突進してって踏みまくって。この音たまんなく好きなんだよね」


「じゃあ私たち、子どもっぽい仲間だね」


「うんうん」


「あ、立ち止まったのってもしかして……走り回って踏みまくる準備?」


 彼女は無邪気に笑い続ける。涙が出てきそうなくらい可愛い。もっとずっとずっとこの笑顔を見ていたい……でも、文化祭は終わっちゃった。僕の中で幸せと不安とがものすごい勢いで入れ替わってゆく。


「ねぇ? やっぱり今日は変だよ。本当に具合悪かったりしない?」


 サクッ、サクッ、サクッ。


 彼女が近づいてきて、僕のすぐ目の前まで来る。

 落ち葉を踏みしめるその音よりも、僕の心臓の音の方が大きく聞こえて、とても恥ずかしくなる。

 彼女が心配している。何か言わなくちゃ。でも、言葉が出てこない。

 不自然に口を開きかけたり閉じたりしている僕を、彼女はずっと見守ってくれている。

 待たせちゃってる。待ってくれている。応えなきゃ。僕は……僕は。

 想いがこみ上げてきて、その想いが僕の外側へこぼれ落ちた。頬が熱くなる。恥ずかしい。とうとう泣いちゃった。うわ、止まらない。泣いている自分を冷静に見ている自分が居る。ああ、でも、もうこれ以上恥ずかしいことなんてないんじゃないかな。そんな風に冷静に見ている自分が、僕の中に溜まり続けていた彼女への想いを、今度は口から、少しずつ外へと出しはじめた。


 何を言ったのか、細かいことまでは覚えていない。でも、気が付いたら、僕は彼女のハンカチで頬を拭いていた。

 告白は止まったのに、涙は止まらないままだった。

 彼女はずっと謝り続けている。他の学校に彼氏が居て、だからダメなのであって、それは僕がダメだというわけではなくて、と。なんだか一生懸命フォローしてくれている。

 そんな彼女を見ていると、振られた直後だってのに、この人を好きになって良かったなぁ、なんて思えたりして。

 そしていつの間にか、黄金の道から光が去りかけていた。


「あ、もうこんな時間」


 僕は慌てて時計を見る。何時だなんて頭には入ってきてはいなかったけれど、話題を変えたくてそう言った。彼女が何かを言い出す前に僕は続ける。


「教室に忘れ物したの思い出しちゃった。すぐ取ってくるから先に行ってて」


 そうして久しぶりに見た彼女の顔。彼女の瞳がうるんでいて、僕の胸はまたいっぱいになる。しばらく見つめあったあと、彼女は静かにうなずいて再び校門へと向き直る。


「先に、行ってるね」


 サク、サク、サクッ。


 彼女と、彼女が落ち葉を踏む音とが、ゆっくりと遠ざかってゆく。


 サクッ、サクッ、サクッ。


 僕はしばらくその景色を眺めていた。


 サクッ、サクッ。


 遠ざかる彼女の足音に合わせて、僕も足元の落ち葉を踏んでみた。でも、切なくなって、落ち葉を踏むのをやめたんだ。

 それ以来ずっと、できる限り落ち葉を踏まないで歩くようになった。


 サクッ、サク。


 彼女が戻ってきたのかと校門の方を見るけれど、誰もいない。


 サク、サク、サク。


 あれ。踏むのをやめたのに、どうして。


 サク、サク、サク、サク。


 目を開いた……真っ暗だ…………夢か。


 サクッ、サク。


 乾いた音は耳の奥から聞こえてくる。これか。この音のせいであんな夢を。耳掃除を長らくサボっていたのが原因だなんて、夢の中の彼女に対してものすごく申し訳ない。


 サク。


「おい、この人間、起きてるぞ」


 そんな声が聞こえた気がして、そのあと耳が急に痒くなる。反射的に小指を耳につっこんでかいてみたものの、もちろん奥までなんて届かない。とにかく耳かきを探さなきゃ、と部屋の電気をつけた。

 ふと小指の先を見ると、指と爪との間に、乾いた耳垢に紛れて小さな小さな靴が挟まっていた。




<終>

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