父と母の応戦

 神殿はひどい惨状であった。


 建物内の壁や床はあちこちが破壊され、天井は崩れて空があらわになっている。外庭も草花は踏み潰され、土が掘り起こされてしまっている。この騒ぎで、普段この神殿で暮らしている者達のほとんどが外へ逃げ出してしまっている。

 代わりに神殿内を闊歩しているのは頭と腕が大きい小人のような真っ黒い肌の二足歩行の生物達。中には鎧を着た者や、ローブと三角帽を身に付けた者など、その姿も三者三様である。どこからか沸いて出てきたこの黒い小人達が神殿内を手当たり次第に暴れまわっているのだ。

 だが、神殿内には戦える者もいる。数は少ないが、残った者達で黒い小人達を討伐してまわっている。そしてこの場にも神殿を取り戻すべく戦っている人の影が二人…。


 「くっ…!一体どうなっているんだ!?この想区で、まさかカオステラーが出現したとでも?」

 「考えたくないけど気配からして可能性はあるわ!でも、反応自体はあまり強くはないわね。ヴィラン達の強さもそれほどでもないし、仮にカオステラーだとしても、大したことのない相手だと思う。」


 黒い小人--ヴィラン--の群れの中、戦ってるのはエクスとレイナ。次々と襲いかかるヴィランを、エクスは手持ちの純白色の剣で両断し、レイナは先端に月と太陽を象った杖を用いた魔法でなぎ払う。それでもヴィラン達の数は減る様子がない。


 ヴィラン---

 

 想区の定めた運命に抗うカオステラーが産み出した混沌の尖兵。カオステラーの混沌の力により、運命を書き換えられた想区の住民の成れの果ての姿でもある。ヴィランとなった者達は、カオステラーの統括の下、手当たり次第にその想区に対して破壊活動を行う。


 だが、このフィーマンの想区は、その特異性からカオステラーが産まれない想区。なにせ、住人のほとんどが運命が記されていない「空白の書」の持ち主達なのだ。はじめから運命を持たないなら、自身の運命に不満を持つなんてできるわけがない。想区の住人をヴィランに変えようにも、何も記されていない運命の書など書き換えようがない。だからこそ、この想区でヴィランが発生しているこの状況は不可解この上ない。

 さらに二人が違和感を感じていることがある。


 「…さっきからこのヴィラン達、神殿の中を暴れてばっかりで、街中へ侵入する様子がないわ。」

 「じゃあはじめから神殿の襲撃が目的だったってこと?」

 「そう考えるのが自然よね。でも一体なんでそんなことを…。」


 ヴィラン達は今、神殿内でのみ発生しているようだ。

 通常、ヴィラン達は特定の範囲のみ発生するということはない。基本的には想区全体に発生するものである。カオステラーの意思で、特定の場所に召集することはあるものの、一部の区域だけ意図的に発生させないということはしない。そもそも想区の運命を壊すことを目的とするカオステラーがそんなことをするメリットはない。

 今この状況は、かつての彼等の旅で蓄積した経験や知識のどれにも当てはまらない。エクスとレイナは互いに頭をひねって考えるも、全く訳がわからない。この不可解な状況は、二人をますます混乱させるばかりである。


 「とにかく、このヴィラン達を差し向けてくる大元をどうにかしないと…。タオとシェインはまだ戻ってこないのかい?」

 「今こっちに向かってると思うけど、持ち場から神殿までは距離があるから、すぐには来れないでしょうね…。」

 「サードやブレーメンの音楽隊も、住人の避難誘導に向かってるし、あと今すぐ動ける人と言ったら…。」


 ドスン!


 「きゃっ!!」


 ドスン!!


 「くっ…またか!?」


 エクスが言い終える前に、大きな地響きのような振動が神殿内に響いた。先程から、床が揺れて、すぐに振動が弱まったかと思えば、さらに強い振動が自分達の足裏から伝わってくる…といった現象が発生しているのだ。それなさながら、何か巨大な生物がこちらに迫っているかのようだ。だが、神殿の中を駆けずり回った限りでは、そんな大きな生物など見かけなかったし、仮にいたとしても建物内に収まるはずがない。

 一体この衝撃音はどこから発生してるのか。その正体はなんなのか。切羽詰まった状況の中で必死に考えてるエクスだが…。


 ドオォォォォォォォォォォォォン!!


 再び衝撃が神殿を襲った。だが先程から伝わっているものよりも遥かに強い衝撃であり、まるで爆弾でも落ちたかのような規模であった。神殿全体が大きく揺れる。次第に壁や天井にヒビが入り…。


 「…レイナ!危ない!!」

 「え?きゃっ!」


 突如、神殿の壁が崩れ、瓦礫がレイナの方へ崩れてきた。エクスがレイナを自分の体に引き寄せ、抱き止めたことでなんとか巻き込まれずに済んだ。


 「あ…ありがと…。」

 「危なかった…。ん?」


 エクスの大胆な行動のせいか、顔がほんのり赤く染まるレイナ。だがエクスの視線はレイナではなく、崩れた壁の先に向かれた。

 壁の向こう側には神殿の中庭がちらっと見えた。神殿の中庭は思いの外広く、中心には調律の巫女達の住居となる大きめな木造の家が建てられている。だが、崩れた壁から廊下にかけて、見慣れない影が侵入していた。傾いてきてる太陽の光に当てられて長く伸びているが、その形から、辛うじて人の影だと予測できた。

 嫌な予感を感じたエクスはすぐさま中庭に飛び出した。傾きはじめている日の光が射し込み、思わず目を細めるが、次第に慣れ、影の主の全貌を捉えることができた。


 影の主は予測通り、人の形をしていた。


 だが、それはただの人ではなく、巨人であった。

 影の正体を見たエクスは、ただ驚愕し、その場から動けなかった。巨人のその姿は、相対した者を絶望へと叩き落とすには十分すぎるであろう。

 だが、エクスが立ち竦んだのは、恐怖からではなく…。


 「なぜ…豆の木の巨人がこの想区に存在しているんだ!!!」


 その姿に、エクスは見覚えがあった。

 影の主は太陽にじっくり焼かれたかのような黒い肌に、重厚な肩当て、貴金属や大型の動物の角などで飾りあげた腰巻き、熊の足のような形状をした漆黒のブーツを履き、顔は何本もの角の装飾をあしらった銀の仮面で覆われている。その仮面の下の顔は狂暴そうな顔つきをしており、その口からは大きな犬歯がはみ出ている。さらにその手には所有者の身の丈に近いサイズの巨大な棍棒を携えている。


 その巨人の名は、豆の木の巨人。世界に語られた伝承の一つ「ジャックと豆の木」に名を残す巨人だ。「調律の巫女一行」の一員として旅をしていた頃に、エクス達が出会った姿と全く同じである。見間違うはずがない。

 その巨人が今、エクス達の住居があったはずの、中庭中心に鎮座している。おそらく巨人が破壊してしまったのだろう。

 だが、この想区は「ジャックと豆の木」の伝承とは無関係のはずだ。本来なら、この巨人が存在していいはずがない。このあり得ない状況に困惑しながらも、エクスは巨人に怯むことなく対峙する。

 その声に答えるかのように、巨人ははじめて口を開く。


 「…来たか。」


 その声色はひどく低く、重厚で、しかし空気が振動していると錯覚するほど周囲に響き渡る。そんな声だった。

 エクスは巨人から目を反らすことなく、畳み掛けるように問いかける。


 「お前は、この想区にいるはずがない!どうやって侵入した!!この神殿を襲って何をするつもりだ!!何が目的なんだ!!」


 矢継ぎ早に荒げた声を放つ。だが、巨人は感情のこもらない声でただ告げる。

 

 「答える義理はない。」

 「この…!」


 言葉の通り、何も話す気がない巨人。その態度にエクスもしびれを切らし、自身の運命の書に手を掛けた。

 

 「どうなってるの、これ…!」


 そこにレイナが遅れて合流した。目の前の参上を前にして、やはりエクスと同じく、目を丸くして立ち尽くす。だがすぐに目尻を上げ、険しい顔つきになる。


 「この気配…。」

 「レイナ?…まさか!」


 レイナが目の前の巨人からなにかを感じ取ったようだ。彼女はかつて「調律の巫女」と呼ばれ、数多の想区を修復してきた女性だ。そんな彼女が感じ取る気配など、一つしかない。


 「なぜ、この想区にカオステラーが…!!」


 次の瞬間には、巨人はその手に携えた棍棒を二人に向けて振り下ろしていた。








 イノセ、ルゼ、キュベリエの三人は、突然感じた強い混沌の気配を追って、街の関所にたどり着いていた。今彼らの目の前にあるのは、見上げる程に大きな門。この門を開くと、街と神殿を繋ぐ大橋が目前に現れる。その先に、イノセとルゼの家でもある「調律の神殿」が存在する。


 「本当に神殿から気配を感じるのよね?」

 「うん。だけど、あのコインの放ってた気配よりも段違いに強い。それに…。」

 「…それに?」


 ルゼとキュベリエがイノセの顔を覗きながら問いかける。彼の顔色は優れない。恐ろしいものを感じたかのように真っ青だ。大量の冷や汗をかいている彼を二人は心配そうに見つめるが、イノセは言葉を振り絞る。


 「だんだん、強くなってきている感じがする。近づいているのもあるけど、気配そのものが大きくなってきている。」


 そう言った直後、また地響きが鳴り響いた。だが、今度の地響きは今までとは比べ物にならないほど強烈なものであった。まるで、大型の爆弾でも降ってきたかのような。

 

 「きゃあぁぁぁぁ!!」

 「まただ…早く開けてください!」


 関守にすぐさま伝えて、目の前の門を開けてもらう。一刻も早く神殿へ戻らなければ。

 門が開くと、完全に開くのを待たずに三人は門をくぐり抜け、先へと駆ける。

 門を通った先に見えたのは、三人が横に並び腕を目一杯広げてもなお届かない程の幅の大きな石造りの橋。広く、長い橋のその先には調律の神殿がそびえ立つ。それだけなら姉弟にとっては見慣れた光景であっただろう。

 しかし、その神殿の場所と同じ位置に人の形をしたものが動いている。しかも、神殿の一部を破壊して、無理やり中に入り込んだようにも見える。

 「それ」は大きな雄叫びをあげた後、片手で何か武器のようなものを持ち上げ、そのまま振り下ろす。その瞬間、橋を大きな振動が襲った。

 今まで起きていた地響きの原因は、間違いなくあれの仕業だということは、すぐに理解できた。同時に、イノセの顔から血の気が引き、ルゼが怒りで拳を強く握る。


 「誰なのかは知らないけど…冗談じゃないわ!!!!」

 「二人とも!!急ごう!!!」


 姉弟が叫ぶと、なりふり構わず神殿へ向かって走る。

 

 「わ~!待ってください二人とも~!」


 その後に続いてキュベリエもどこか気の抜ける声をあげながらついていった。










 中庭では神殿を蹂躙せんと暴れる豆の木の巨人と、それに抗う二人の人影による激戦が繰り広げられていた。

 白と紅に彩られたドレス姿のレイナが杖をふるい、巨人の足元に眩い光を生み出す。その光は瞬く間に巨人の体を焼き、その痛みに苦痛の呻き声をあげる。


 「…小癪!」


 だがそれでも巨人は攻撃の手を緩めない。痛みに歯を食い縛りながら耐え、手に持ってる棍棒をレイナに向かって振り下ろす。

 棍棒が地面に到達し、地面が砕ける。こんな一撃をまともに受ければ、目の前の彼女は人の形を崩され、肉片が辺りに散らばるだろう。だが、巨人の手には人を叩き潰した感覚は伝わってこなかった。


 「こっちだ。」

 

 突然背後から男の声が聞こえてきて、背中に激痛が走る。


 「ぐおぉぉ!」


 痛みに耐えながらも背後を見ると、そこには先程まで影も形もなかった男がレイナを抱えていた。

 その男は黒いシルクハット、さらに黒いスーツにブーツを着用し、その下に着ている白と青のYシャツの首もとに赤いネクタイを締めている。片目にモノクルをかけているその姿は、紛うことない紳士だが、どこか妖しい雰囲気を醸し出す。

 突然現れ、助けられたことにはレイナも理解した。だがあまりに突然の出来事に、本人もその紳士の姿を見ながら、ポカンとした顔を浮かべる以外に。

 その紳士は、宝石でも扱うようにレイナを優しく降ろし、巨人を睨み付ける。


 「僕の妻に何をする。」


 その言葉を聞いて、レイナはその紳士の正体が分かったようだ。未だ動揺を隠しきれないが、すぐさま紳士に問いかける。


 「え…あ!あなたエクスなの!?あれ!?でも栞はイノセに渡したはずじゃ!?ちょっとどういうこと!?」

 「落ち着いて、レイナ。今使っているのはルゼに渡したのと同じ物。フォルテム学院から譲り受けた複製品だよ。本物には及ばないけど、無いよりはマシでしょ?」

 「そ…そうだったの…。」


 ようやくこの状況が飲み込めたようで、落ち着きを取り戻したレイナ。そう。今レイナに寄り添っているのは、他ならない彼女の夫。稀代の大泥棒「アルセーヌ・ルパン」にコネクトしたエクス本人であった。

 だがゆっくり話している暇はもうない。相対してる巨人は体をひねり。渾身の力を込めてその棍棒で目の前の二人に向かって薙ぐ。


 「私を前にして雑談とは。舐められたものだ。」


 巨人の薙ぎ払いの衝撃で周囲が破壊され、崩れていく。だが、またしても二人の姿は見当たらない。


 「これは失礼。お詫びとして次は本気をみせよう」


 声が聞こえたのは巨人の頭上。見上げると、そこにはまたしてもレイナを抱えた男―――ルパンの姿を借りたエクス―――の姿。

 ルパンは懐から複数のカードを取り出し、それを巨人に向けて投げつける。カードが巨人の体のあちこちに突き刺さった。

 次の瞬間、巨人に刺さったカード達が次々と爆発を起こした。それぞれ異なるカラフルな色の爆風は、瞬く間に巨人を包み込む。

 

 「ぐ…ぐおぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


 巨人の苦痛の叫びが辺りに響き渡る。空を揺るがすような、鼓膜を破りかねない声に、ルパンは顔をしかめる。

 爆風が晴れ、姿を表したのは爆発によって肌や服を黒く焦がした満身創痍の巨人だった。討伐とまではいかなかったものの、相当のダメージはあったようだ。膝をつきながらその手の棍棒を地面に突き立て、体を預けているその姿から、今の一撃でだいぶ消耗したことを確信するエクス。


 「お楽しみいただけたかな?」

 「よもやここまでとは…やってくれる…。」


 してやったりと言いたげなエクスの笑みを見て、腹立だしそうにしかめ面になる巨人。


 「さて…カオステラー相手なら、そろそろ調律か再編をするところなんだけど…。今の僕達にはその術はないし…どうしたものかな…。」


 そう。「調律」にしろ、「再編」にしろ、行うためには、「箱庭の王国」が必要になってくる。だが、今はもうこの世には存在しないものだ。

 だからといってこのままカオステラーを放っておけば、被害はどんどん広がっていく。今はなぜか神殿内で留まっているが、いつ街にまで被害が及ぶか分からない。仮にカオステラーをこの場に拘束したとしても、ヴィランの発生や想区の崩壊を止められるわけではなく、解決までの時間稼ぎにもならない。

 考えを巡らせているその隣で、怪訝そうな顔をしているレイナに気付いたエクス。心配になって声をかけようとしたが、その前にレイナの口が開かれる。


 「どういうことかしら…?」

 「どうしたのさ?レイナ。」

 「少し前から、カオステラーの気配がおかしいの。目の前の巨人から感じる気配は変わらないんだけど…。」


 目の前の巨人は既に満身創痍のはずなのに、なぜか釈然としないレイナ。


 「なんだか…気配が一つじゃないような…。」

 「一つじゃない…?まさか、カオステラーが一人じゃないっていうこと?」


 信じられないことに、彼女の口から発せられたのは、感じられる気配が複数あるということ。

 カオステラーは一つの想区に一人しか発生しない。その力を他者に分け与えたりすることは多少できるものの、本体と全く同じ強さの気配を纏うことまではできない。

 だが、今までの旅の最中にも、こちらの予想を裏切られたことなどいくらでもあった。警戒は解くべきではないだろう。

 加えてエクスは、目の前の巨人に対して、拭いきれない違和感を感じていた。


 (でも、確かに変だ。レイナの言うこともそうだけど、あまりにも呆気なさすぎる気がする…。いくらなんでも、元々強い上に、カオステラーになった豆の木の巨人が、こんなに簡単に倒せるわけが…?)


 その時、またしても妙な違和感をエクスは感じた。


 足元の芝生がガサガサとざわついている…?…風か?いや、今は風は吹いていないし、風に吹かれたざわつき方とは違う気がする。

 ん?巨人の足元の地面が…膨らんでいる?気のせいか?…いや、気のせいじゃない…!どんどん膨らみが大きくなっている!!


 「…エクス?」

 「レイナ!!逃げ…!!」


 顔を真っ青にして、急いでレイナに駆け寄るエクス。

 膨らんだ地面が破裂するかのように砕けて、そこから天へと昇る巨大な蔦が伸び、神殿の中庭を埋め尽くしたのは、その直後のことであった…。

 

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