第2章

第3話 イギリス上陸

   1

 船がリバプールに到着して本当にルーヴィックはホッとした。あと一日でも長く海の上にいたら気がおかしくなりそうだった。気持ち悪くて一睡も寝れず、船から降りる頃には乗った時よりもゲッソリしていた。

 しかしゆっくりとはしていられない。時間が無いかどうかはわからないが、急ぎの旅なのだ。船の次は休むこともなく、列車に乗り込んだ。

「いや~。よかったですね。この列車を乗り過ごしたら。明日まで無かったですよ」

 列車の二等車。荷物を上の荷台に置き、ルーヴィックの隣に腰を下ろすヘンリーは上着を脱ぎながら言う。ルーヴィックはというと、ようやく揺れから解放されたがどうにも胸がムカムカするので窓の外を眺めていた。

「やはり鉄道はイギリスの誇りですね。技術進歩の象徴です。節操なく、ただ縦横無尽に広げる所とはわけが違います。こういったところでもどこか気品が出てしまうのは、やはりそういった国民性なのでしょうね」

 動き始めた頃、ヘンリーはルーヴィックに口を開いた。

「古臭いだけだろうが。まぁ、こんなビーンズみたいに小さな国じゃ、そのくらいしか自慢できるところもないか」

 だいぶ気分が良くなってきたルーヴィックも負けじと言い返す。

「では聞きますが、あなたの国の国民性とは一体なんですか? 先住民の迫害? 腰に銃をぶら下げて、きっと感傷に浸るということが無いでしょうね。自由の国とは笑えます。規律が無いだけなんじゃないですか?」

「はぁ~! 笑えるね。インドやエジプトの事を差し置いて、俺らの差別を非難するってのかい? さすがは世界一の植民地を持つ大英帝国様だ。まさか話し合いで植民地を増やしたとは言わないよな」

「だいたい自国民同士で血を流し合うとは、争いを好むあなた方らしいです」

「確かに戦争は起きたが、おかげで国は一つになった。我が祖国、アメリカにな。あれ? そちらはどうかな? アイルランドの方が荒れているみたいだが? 確か国の名前はグレート・ブリテン・アンド・アイルランド連合王国だっけ?」

 口調こそ軽いが、重たい内容の悪口に彼らの正面に座っている老夫妻の顔は引きつっていた。言いあいは次第に相手個人に向けられる。

「だいたい、あなたのその白い顔はなんですか! まるで生きる死人です」

「それ矛盾してるだろ。生きてれば死んでないし、死人なら生きてない」

「言葉のあやです。それ以上やつれたら、この世界から消えてしまいますよ。準備がいいですね。ハロウィンには全然、早いですよ」

「お前こそ、いる場所間違えてるんじゃないか? ハーレムの方がお似合いだね」

 すでに彼らの会話に耐え切れず老夫婦は移動していた。ヘンリーは少し汚らわしいと言わんばかりに、ムッとして顔をそむけてしまう。しかし、ようやく話が本題に入れる。

「それで? ロンドンに着く前にお前の調べたことと俺が調べたことを合わせとくぞ」

 船ではろくに話し合いもできなかった。だが、人前でベラベラと話していいようなことでもない。周囲に人がいなくなるのを二人とも待っていたのだ。ヘンリーは自分が今までに調べ上げたことを話し始める。

 ヘンリーの話をまとめる頃にはすでに窓の外は暗くなっていた。中は暗くなり薄らとそこここから寝息が聞こえてくる。ルーヴィックは僅かな月明かりを頼りにメモした紙を見ながら、これまでの流れを整理し考えていた。

 結局、考えると言ってもリチャード・カーター教授に会ってみないことには、この事件とのかかわりを判断できない。よっておのずと、やはりと言うべきか、天使の死について考えてしまう。

 基本的には天使と悪魔は死なない。この世界で体が滅んだ所で、奴らの肉体は器に過ぎず、それは実態ではない。それゆえ、肉体の崩壊後は各々の住処に落ちたり、戻ったりするのだ。ルーヴィック自身、何度も悪魔達と戦いその肉体を葬ってきたが、殺したわけではない。地獄へ送り返したにすぎないのだ。それが今まで一般的な流れだった。実際、ルーヴィックも天使や悪魔を殺せるかと言われても、術が簡単には思い浮かばない。人間ではほぼ不可能だろう。天使と悪魔を殺せるのは、やはり天使と悪魔なのだ。その天使は悪魔に殺された。天国へ強制的に送り戻されたのでもない、殺されたのだ。事故では済まない。相手は確実にモルエルを殺す気で殺した。それは間違いなく、モルエルが掴んだであろう「ある事」のせいだ。あの夜、ルーヴィックはそれを聞きに行く予定だった。珍しく、モルエルはルーヴィックに会いに来た時、モルエルは決断に迫られていたのだと思う。それは表情でそう感じただけに過ぎない。モルエルは悩んでいた。それは掴んだ事柄についてなのか、人間である自分に話すべきなのかは分からない。ただ、時間が欲しいと言った。ルーヴィックに話す前にすべきことがあると。そう言って、後で会うことにし、見送った。

 その時は、まさかこのような結果になるとは夢にも思っていなかった。いや、可能性として考えられなかったわけではない。モルエルの張りつめたような表情からは、事の重大さが読み取れていたはずだ。見落としたのではない。見過ごしたわけでもない。ただ、気付かぬふりをしたのだ。

 ルーヴィックにはそれが悔やまれてならない。

「あなたは、寝ないんですか?」

 隣で眠っていたヘンリーはウトウトしながらルーヴィックに聞いた。

「寝ないと体にさわりますよ」

「眠くなったら、自然と寝るさ」

「自身の体を傷つけてまで、どうして頑張るんですか?」

「やるべきことをしてるだけだ。誰かが代わりにしてくれるなら、代わってやる」

「世界がみんな、あなたのような方だったらいいのに」

「いい結果は見えないな」

「時々、思います。人は助けるに値するのかと。自分を傷つけてまで救う価値があるのかと。人は醜く、愚かな時がある。あなたの言っていた悪口は否定できません」

「いつだっていいことばかりじゃない。悪いことだってあるし、起こる。お前がそれに耐えられないのならば、無理をして救ってやる必要はない」

「それこそ無理ですよ。私が止めて苦しむのはあなたのような方です。なぜあなたは続けてられるんですか? コツは?」

「……目の前の事件に集中する。解決したら、休む間もなく事件が現れる。それだけ」

「辛くはない……」

 ルーヴィックに問いかけようとするヘンリーだったが、彼はヘンリーに人差し指をたて、ただシーと質問を止めさせただけ。彼はメモに視線を戻し、考えの中へと戻っていってしまった。

 ヘンリーはそんなルーヴィックを見ながら、再度眠りについた。

 ルーヴィックは答えの出ない考え事を適当な所で切り上げた後、ヘンリーが持っていたリチャード・カーター教授の著書を読んだ。まだ手に入れてない本だったので目を通すことにしたのだ。夜通し読み続けた結果、ルーヴィックは一睡もできなかった。


   2

 その夜、ロンドンのある教会に一人の男が訪ねた。

 立派な教会だが、特殊な場所のため訪問者は少ない場所だ。特に日が暮れてからの訪問者は珍しかった。

 戸の叩かれる音に気付いたシスターのユリアは明かりを手にしながら、扉に付いた小さな小窓を開き、外を確かめる。

 そこには眼鏡を掛けた壮年の男性がいた。怯えている様子で、せわしなく周囲を見渡しながら立っている。ヨレヨレのコートにシワの付いたシャツを見ると、身だしなみに気をつけるタイプに人物ではないらしい。ただ着ている物自体は上質な物のようで、不労者ではないことは分かる。

「何の用でしょうか?」

 恐る恐る尋ねるユリアに、男は「神父様にお会いしたい」と短く答える。

「申し訳ございませんが、神父様は本日、別の用事で外へ出ておられます」

 外にいる男性に見えたかは分からないが、扉の内側で頭を下げるユリア。「お引き取りください」と小窓を閉じようとするが、男性は慌てて口を開く。

「待ってくれ、では何か・・・・・・何か・・・・・・」

 最後の方は口ごもっていて聞き取れない。

「悪魔を寄せ付けなくする物をいただけないだろうか?」

 ユリアが聞き返すと、男は言いづらそうに話した。この教会の神父はエクソシストとして有名なのだ。そしてこの教会自体、エクソシストを育成する場所だった。

「悪魔ですか?」

 ユリアは閉じようとした小窓を勢いよく開け、食い気味で問い掛ける。それに少し驚きながらも、男は額の汗をハンカチで拭いながら頷く。

「ちょっと待っててくださいね!」

 ユリアは、なぜか声を弾ませながら扉を開く。年端もいかない少女のようなユリアの姿に、男はさらに驚くが促されるまま教会の中へと入った。

 頭巾を外した頭から流れる白っぽいプラチナブランドが美しい少女。

 それがユリアの第一印象だろう。あまり発育のしていな体つきは、ダボ付いたシスター服ごしでは一層目立ち、幼さに拍車を掛ける。とはいえ、今年で十五。子供ではない。

「まずは事情をお聞きしますね!」

 イスに腰を掛ける男に話しかける。教会に入ったことで、少し落ち着いたようだ。

「えぇ、他の方は?」

 男は戸惑ったように尋ねるが、ユリアは適当に誤魔化した。今この教会にユリアしかいないと知ったらさぞ驚くことだろう。エクソシストは特殊な技能のため、誰でもここで学べばいいわけではない。そのため時期によって、この教会に所属する人数は変わる。今は神父とシスターのユリアだけだった。

 しかし、悪魔祓いの修行は積むものの、実際の現場には連れて行ってもらったことがない(むしろ神父が意図的に遠ざけている)。神父のいない今の状況は、本来であれば再度尋ねてきてもらうべきだ。しかし、悪魔に関わる出来事に触れられる機会に、不謹慎ではあったが、興味があった。

 恐らく神父がこのことを知れば「なんと危険なことを」と激怒するだろう。

「まぁまぁ、取り敢えずお話を聞きますよ」

 コクコクと頷くような仕草をしながら話しかけるユリアに、その男性はリチャード・カーターと名乗った。大学で教鞭を振るう先生だそうだ。言われてみれば知的な顔をしているような気がすると漠然と思った。

 彼は言った。悪魔の欲しがる物を持っている。だから狙われている、と。何を持っているか、なぜ狙われることにあるのか、詳しいことまでは話してくれなかった。神父に直接言うと頑なだった。

 深刻な顔つきに、ただ事ではないことだけは分かる。

「神父様はいつ戻られるか分かりませんが、ここは聖なる場所。悪魔も簡単には近づけないでしょうから、ここで神父様をお待ちになるのがいいと思います」

 さすがに好奇心だけで、首を突っ込んでいい物かどうかは分かる。これは、自分の手に負えないかもと、怒られるのを覚悟して帰ってくる神父に任せることにした。

「ありがとう、シスター。だが、神父様は待てない。息子の所へ行かなければいけないから」

 落ち着きを取り戻したカーター教授は静かに話すと、悪魔を近づけないようにできる物はないか再度尋ねる。息子の所へ行き、またここまで戻ってくると言う。

「狙われていると分かっているのでしたら、あえて危険を冒さなくても・・・・・・」

「いえ、このままでは息子まで危険なんです。行かなければいけませんから」

 なぜかまでは分からなかったが、カーター教授の決意は固かった。ユリアは少し考え、自室へ戻って護符を持ってきた。

「神父様がお作りになった物ほどではないでしょうが、これがあなたを悪しき者の攻撃から守ってくれるでしょう」

 それを渡すときの彼女は、先ほどまでの幼さは薄れ、毅然とし、相手の不安を取り除いてくれるほど力強い印象を与えるものに変わっていた。経験が無いとはいえ、彼女もエクソシストなのだ。対策は分かっているし、相手を安心させられるだけの力はあるつもりだ。

 それを受け取り、カーター教授は一瞬不安げな表情になったが、彼女の変わりように納得したように頷き、少しホッとしたように笑みを浮かべた。ここに来て、初めての笑顔だ。

 ユリアは少し胸に暖かなものを感じながら、カーター教授に祝福の言葉をかけた。これで護符に守護の効果が付加されたはずだ。

 カーター教授は、ゆっくりと立ち上がり、用事を済ませてから神父に会いに来ると残して、教会を出ていった。

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