第2話

 打ち合わせが終わった後、私はカフェに一人でぼんやりと過ごしていた。コーヒーを口に運ぶ。外を眺める。それらを作業的に繰り返す。

 私が幼い頃、といっても高校生くらいの頃だったが、当時住んでいた実家の洗面所で泣きわめいたことがあった。風呂場と隣接したその部屋は薄黄色のベージュっぽい床でひんやりとしていて、私は半狂乱で、素っ裸で、ただ延々と泣いていた。両親はその時リビングにいて、聞こえていただろうが彼らが来ることはなかった。悪い人たちじゃない、だがそういう親だった。

 穏やかな気持ちに包まれる、全てが過去で今はもう許されている。そんな気分になる陽気。

 外を歩く人たちは呑気でなんの害もなさそうに見える。だが事実は違う。人は意外と簡単に凶器を振り回す。

 ナイフ。ドラッグ。監禁。太陽。暖かさ。それらは一緒に生きてる。

 三年前テレビニュースで知った、ずっと監禁された19歳の少女はそのまま死んでしまったらしい。死んじゃった彼女が生涯かけて見れなかった景色を街行く人は簡単に見てる。私は彼女が生涯かけても口にすることができなかったコーヒーを飲む。皆んな、そんな女の子がいたことを知らない。

 でも、私は、許したい。忘れちゃう皆んなも、私も。彼女が恨んだかもしれない世界を、許したかもしれない世界も、洗面所の床の冷たさも。

 ここ最近で一番穏やかな時間だった。打ち合わせした内容もほとんど頭に入っていなかった。コーヒー。ガラス。影。ここには私しかいなかった。

(そうだもう一度彼に会いに行こう。)

 今だったら、今まで嫌っていた愛も恋も人々の幸せまでも願える。幸福と春風の隙間で揺れる。

 彼と出会ったのは大学生になったばかりの頃だった。高校生の時は不登校気味だった私は大学生になって、ようやく友人を作り、バイトを始めた。初めてのバイトで悪戦している私に親身にしてくれたのが彼だった。その時から情緒が不安定だった私を支えてくれ、今月で付き合って3年目になる。

 彼はギターを弾いた。私の頭を撫でた。抱きしめた。友人ができ、大好きな彼氏ができ、幸せだった。電車に揺られている、ふかふかの緑の座席に座る。人は少ない。ごとん。と揺られる。後ろから暖かな日差しを受けて。光が四角の形に床を照らす。眠くなるような陽気。友人と彼氏のことを考える。

(ああ、幸せだ。)

皆んなの普通が私には幸せで嬉しくて嬉しくて。ぽろ。と涙が出た。

 

 

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