赤い人

鮭B

第1話

 私は盲目だ。それは現実的な意味ではなく、精神的な意味で、だ。私は見たいものしか見ない、見えない、見えないふりをする。初めは中学生の頃か、いや、小学生の頃からすでに始まっていたのかもしれない。その精神的盲目は私を楽にさせ、殺し、いや、事実生かし…

 そこまで書いて私はパソコンのキーボードから手を離した。物心ついた頃からコンプレックスのつり気味の目が薄らと画面に反射して見える。今日はここまでにしようとファイルを閉じて”エッセイ”のフォルダにそれを放り込む。度々文章を書いて自分を整理することを私はした。そうすることで比較的、客観的に自分を見たり、気持ちを吐き出すことができた。できている、と、思う。

 ふー。と息をついて時計を見ると針は夜中の3時をさしていた。随分とゆっくりしてしまったみたいだった。

(仕事に行かなくては。)

手頃なタオルをあちこちに山を作っている衣類から適当に取り、風呂に向かった。風呂場のタイルから感じるヒタヒタとした感覚はいつも私をゾッとさせ、吐き気をわずかに催させる。だから、私は風呂が嫌いで、最低限出かける時、人に会う前のみ入るようにしていた。

 シャワーを浴びている時、私は倒錯的な気分になることがあった。水しぶき。湯気。それがまた私を風呂から遠ざける要因となった。水しぶき。湯気。髪。皮膚。濡れる。水。げんがはじける。

ビーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。ばちっ。

(残るのは無様なギター。)

 私はさっさとシャツとズボンを履くとグレープフルーツとマルメロの甘い香りの香水を手首と首に2回ずつかけた。自分と違う匂いを纏うと少し落ち着く。それは私をまともで、なんの問題もなく正常な人間であると思わせてくれたし、まともであるということは、私をひどく安心させた。

 バックに手をかけた時、ふいに思い出す。そう、私は子供の頃普通に憧れていた。何よりも難しい。まともであること。普遍的であること。正しさ。日常。

(そしてそれはもう永遠に手に入ることはない。)

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