第4章3

 塔之原市の翠ヶ丘公園。

 深夜ともなると人通りも絶え、綾と悠理の足音以外には虫の声だけ。治安の良い街だけあって、夜遊びする者もいないようだ。

 かすかに歌が聞こえてくる。儚げで美しい、月の光を称える歌。中央の丘に近づいていくと、歌ははっきりと聞こえてきた。

 丘の上に、輝く小さな姿があった。両足を投げ出して座り、月を見上げて詠っている。

 妖精カグヤは銀髪に翠の瞳、静かに近づいていく綾も銀髪に翠の瞳。

 気配を感じて、妖精の歌声が止んだ。おそるおそる見回し、綾が視界に入る。

「出た!」

 驚きで飛び上がる。逃げようとする。だが後ろの悠理を見てから、かろうじて踏みとどまった。

「あれ、ユーリ様……?」

 妖精カグヤは、目を大きく見開き、顔からは油汗、瞳孔も開きかかっている。このあたりはずいぶんと人間的、もしくは動物的だ。全身が強く明滅していることを除けば。

「あうう……」

 カグヤにとって理解できない圧倒的な存在が近づいてくる。銀色の髪に翠色の瞳、カグヤに似ていないこともなく、姿かたちは人間の少女。しかし、この少女の周囲には言霊が渦巻いている。

 妖精たちの体は言霊、魂は物語で成り立っているのだ。言霊の渦に巻き込まれたら、存在できなくなるかもしれない。

 少女は人にして妖精。言霊でつづられた物語にして肉体を持つ人。ユーリ様もまた言霊をその身としているが、それは本体が別にあるからできること。こんな存在はありえないはずなのだ。かつていた、ただひとつの存在を除いては。

「まさか…… まさか、なのです」

 綾はゆっくりと静かに近づいていく。

 妖精とは生きた物語、息づく詩。

 今ならば。この妖精が愛する丘、月光の下ならば。この妖精、カグヤの魂を、言霊を詠むことができる。入り込むことができる。

 綾の胸にかかった焔水晶のネックレスが輝く。綾とカグヤの姿は月光に透き通っていく。


 緑なす丘。優しく吹き渡る風。妖精境の純粋にして美しき大地と空。

 しかし、いまや虫食いのように狭間の領域が侵食している。この妖精境の月そのものが狭間へと完全に飲み込まれてしまうまで間もないだろう。

 丘の上には妖精と人が集っている。

 人の娘が、妖精王の腕に抱かれていた。赤い髪と金の瞳を持つその娘は胸を魔槍に貫かれ、放たれた無数の棘で全身に傷を負っている。娘は微笑んでいた。

「……王さまに抱いてもらえて…… うれしい…… です……」

 妖精王は翠の瞳から涙を落とし、娘の顔を濡らす。

 狭間の領域から襲来した常若の国の者共に対し、娘は災厄の杖を振るって戦った。彼らが本来襲うべきは人界、青き大地。しかし妖精王はそのしろしめす妖精境を人界の盾としたのだ。

 人界の属する青き大地は、はるかな太古から、その世界が進む行く手に狭間の領域が待ち受けていた。青き大地はいずれ狭間の領域に飲み込まれるのが世界の誓言であった。

 妖精王はその力をもって妖精境の属する月を動かし、青き大地の軌道に干渉した。青き大地は狭間の領域への突入軌道から外れ、消滅を免れた。しかし誓言を破れば相応の代償を支払うのが世界の掟。妖精境の月は代わりに狭間へと突き進むことになった。

 それが妖精王のなした選択。

 迫る狭間の領域からは、妖精境の者たちを逃がさぬために常若の国の住人が放たれた。

 妖精王の愛し子は、常若の国の英雄から妖精王を守る盾となり、相打ちとなって倒れた。

 これが妖精王の選択した結果。誰であろうと、誓言を破りし報いは免れることかなわず。

 魔槍で致命の傷を負った娘は、しかし満足げに、自分を抱く妖精王へと語る。

「な、泣いちゃだめ…… いつか…… タリエシンが語ってくれた物語…… 王さまがわたしのお姉様になってくれていて…… わたしの瞳は金色ではなく…… お姉様と同じ翠色で…… わたしはお姉様に尽くす…… お姉様の作るご飯は本当に本当においしくて…… そこでは…… お姉様はわたしのことをミナカと呼ぶの…… 次はそんな物語に…… ふたりで…… 生きるの……」

「ああ、ふたりで生きよう! ふたりの世界、ふたりの物語だ!」

 妖精王は娘をかき抱く。

 妖精境に住まう人の子、災厄のレーヴァテインの使い手、妖精王に愛されし娘は息絶えんとしている。

「……その物語の…… 名前は…… お姉様の名前が…… いいな…… そしたら…… 迷わずに……」

 言葉は止まった。永遠に。

 妖精王は涙をぬぐいもせず、天を仰ぎ、魂を吐き出すように告げた。

「――タリエシンよ…… 我が名を採りてティターニアと名づけよう、その物語を」

「その名をもって語り、語られることでしょう」

 傍らに控える吟遊詩人マビノグが応えた。

 泣くなと望みしとおり、愛し子を失いし我の涙は涸れよう。妖精王は呟く。

 空の狭間から、巨大な存在が姿を現そうとしている。巨人フォモール族が妖精境を蹂躙し尽くすために狭間から降臨するのだ。

 妖精王は、黒き衣で身を包んだ守語者たちを前に語る。

「妖精境は終わる。しかし物語は始まりのために終わるのが定め。終わらねば、狭間の彼方、常若の国のごとく、始まりもなければ終わりもない闇の闇に沈むであろう」

 守語者志願のまだ幼い少女が、王に問う。

「王よ、さだめどおり人界の青き大地こそが狭間にのみこまれるべきだったのでは」

 王の代わりに、吟遊詩人マビノグが少女の肩を抱きつつ、

「妖精境を失えば、人界は新たな軌道を進むことになる。つまり人界は生まれ変わり、新たな定めがなされるのよ、瑞希」

「ようせいきょうは生まれ変わらないの? タリエシン師姉さま」

 妖精王はミナカをそっと丘に横たえて、立ち上がった。

「守語者たちよ。人界に戻りて、言霊を慈しみ世界の守語を」

 守語者たちは頭をたれる。

「我が妖精たちよ。いつかその時が来たるまで」

 妖精たちはさざめき、去っていく。ある者は人界へ、ある者はうたに戻り、そしてある者は守語者たちの精典リア・ファイルへと。

「タリエシン、いつかまた言霊から世界が生じて新たな妖精境に至ろうとするとき、物語が道に迷うことがあれば導いてやってくれ」

「その依頼、しかと承りまして」

 吟遊詩人マビノグ、タリエシンは深く一礼した。

「王はどうなさるのです」

 守語者たちの問いに、

「私が終わらねば、妖精境は終わらぬ」

「それは!」

「私自身が狭間に堕ちれば、妖精境は永遠に呪われよう」

 妖精王は輝く両翼を広げ、その手に銀色の月弓を取った。

 吟遊詩人マビノグは妖精王の手を握り、

「妖精王、王の物語を詠うのはとても楽しかったよ」

「善き友、タリエシンよ。あなたは実に愉快だった。実はもうひとつ願いがある」

「なんなりと」

「妖精境を失えば、妖精と人の絆も絶えていくであろう。人界には妖精と人の絆を結びなおす役が必要だ。それはタリエシンにこそふさわしい。頼んだぞ」

 それだけ言い残して、妖精王は大空へと舞う。巨人フォモール族が大地に降り立とうとしているのだ。戦いに散るのが英雄妖精の定め。

 守語者たちが一人、また一人と世界の扉を開けて人界へと渡っていく。

 吟遊詩人マビノグと幼い守語者志願の二人が残された。

「ずいぶんと大役を授かっちゃいました」

 タリエシンの呟きに、

「いくよ、タリエシン師姉さま! もうじかんがないってば!」

 守語者志願の幼い少女が、あせってタリエシンを引っ張る。

「さっき、瑞希のした質問。妖精境が生まれ変わるかって。答えは是よ。でもね、ひとつ条件があります」

 幼い少女はきょとんと吟遊詩人マビノグを眺める。

「瑞希。物語は最後まで語られないと、次を始めることはできないのよね。これはあたしの役です」

「師姉さま!」

 タリエシンはすばやくその手から焔水晶の指輪を抜き取って少女の手のひらに載せ、両手でしっかり包んだ。

「欲しがってたでしょ、瑞希。しっかり持ってなさい。落としちゃだめよ」

「でも、この指輪はなにより師姉さまが大事にしてた、わっ!」

 タリエシンの手で扉の彼方へと少女は突き落とされ、人界へと落ちていく。少女はなにか叫んでいるが、もう聞こえはしない。彼女の瞳から撒き散らされる光の滴が、吟遊詩人マビノグには愛おしい。

 妖精王は巨人フォモール族と戦っている。タリエシンはそれを詠う。

 傷だらけとなった翼をそれでも輝かせ、妖精王は無数の巨人に挑む。

 王は叫ぶ。

「妖精王はここにいる!」

 吟遊詩人マビノグは詠う。

しろがねの髪 翠の瞳〉

〈風と笑い 焔と詠う〉

〈水と踊り 大地を愛す〉

〈巨人を倒せし勲の王よ〉

〈丘に踊りし妖精の王よ〉

〈汝去りし 文の原 綾の果て〉

〈いつか還らん 約束の空に〉

 妖精境はそのほとんどを狭間に侵食され、消えゆこうとしている。

 タリエシンの詠う妖精王の詩は、小さな妖精の輝きを生み出した。タリエシンは生まれたばかりの輝きに、

〈汝 月を追放される者 輝かしき夜の記憶を抱きて 青き大地に詠う者〉

〈ゆえに今名づけよう 詠詩系妖精『輝夜かぐや』 あたしの代わりに瑞希のことをよろしくね〉

 カグヤと名づけられた輝きは宙を飛び、少女を追って人界へと落ちていく。

「さて、吟遊詩人マビノグのタリエシンもこれにて一巻の終わり。次の物語、次の役はなんと名乗ろうか」

 天空の妖精王から最後の声が届く。

 悠理。悠久なることわりをもって妖精を守る者。月弓をもって妖精を解放する者。

 気に入りましたよ、ちょっと重いけど。狭間から戻ることができたら、そのときには使わせてもらいます。

 タリエシンは呟き、そして始まりの終わりを詠んだ。

〈そして巨人を屠りし王は 去りし妖精王は 取替えっチェンジリングとなりて 大地に降り立て〉

〈我が落ちよう 狭間へと行こう 代償となりて 取り替えられよう〉

〈王よ還れ 我らが歌へと 新たな物語へと 終わりて始まる我らの歌よ〉

 天から妖精王の月弓が落ちてきた。タリエシンは血に塗れた月弓をその胸に抱く。大地は消え、虚無へと落ちていく。

〈月の地に 見えない月がかかるとき 妖精境は還らん〉

 かくて妖精境の物語は終わりぬ。


 虚ろな空間に、言霊が激流となって渦巻いている。気が付いたとき、綾はひとりその中を進んでいた。荒れ狂う言霊で足が取られそうになるのを、懸命に踏みしめて歩む。さきほどまで読み取っていた妖精境の様相は既になかった。妖精境の物語は終わったはずなのに、その言霊から抜け出ることができない。

 歩みながら、渦巻く言霊を読み取る。それは苦しみに満ちていた。この流れは、妖精境で倒れし者たちを語る言霊。受け止める者とてなく、終わることも始まることもできずに荒れ狂う。綾はどこにも届かない叫び声を上げた。

「どうして! 妖精境の物語は終わったんじゃないの!」

 激流に逆らう綾の足元から、苦痛に満ちた音が、声が発せられ響く。声は連なり、死の行進曲デスマーチとなる。綾は慄いた。死の行進曲デスマーチとは、踏みしだかれた言霊の上げる苦悶の歌だった。言霊たちを苦しめているのは自分自身だ。

 あの流れは、カグヤだった言霊。言霊に依って生み出された体を激流に砕かれ、渦となっている。

 遥か下に見える大きな流れは、朔月テイアの言霊。多くの者が犠牲となって倒れていく。その上を自分は踏みしだき歩んでいる。

 この大きな乱渦流を生み出しているのは、綾自身だった。

 妖精王は青き大地を救わんがために己が身を犠牲にした。それは正しき選択だったのかもしれない。しかし犠牲は犠牲を生む。正しさを貫けば、魂を踏みしだく。幕を閉じられたはずだった妖精境の物語は、いまだ終わらずに犠牲を生み続けている。

 自分は妖精王の言霊を継ぎ、タリエシンをその引き換えに取替えっチェンジリングとして大地に降り立った者。それは事実。銀の髪、翠の瞳はその証。なのに、自分は何者で、どこから来てどこに行くべき存在なのかが分からない。だから終わるべき物語が終わらず、始まるべき歌が始まらない。

 死の行進曲デスマーチが空間を満たしていく。綾はもはや歩むことができず、頭をたれて膝を着いた。このまま自分が狭間の領域へと消え去れば、少なくともこの死の行進曲デスマーチは止まるだろう。自分のせいで新たな犠牲を生むこともなくなる。すぐ側に狭間を感じた。近づいてくる。呼び寄せている。このままいれば、自分は狭間へと消え去るだろう。体から力が失われていく。全てが灰色に染め上げられていく。これは、正しい、選択だ。意識が虚ろとなっていく。

 今、狭間の領域が到達しようとしている。狭間と綾の死の行進曲デスマーチが共鳴する。狭間から発せられる圧迫感が、綾を踏みしだく。狭間には万塔祀の存在があった。万塔祀の言霊が死の停滞を高らかに歌い上げている。お前たちは劣っている。お前たちは間違っている。お前たちには資格がない。力がない。勝てない。才能がない。意味がない。作れない。創れない。犠牲しか生み出せない。故に停滞せよ。それこそが幸せ。万塔の正しさが綾の魂をひしぎ、押し潰す。

 綾を構成する言霊が、意味が、ひとつまたひとつと失われる。文原家の娘。塔之原高校の一年生。ケイオスループ社のアルバイト。十六歳。銀髪に翠の瞳。妖精王の言霊を継ぐ者。

 綾が潰え去ろうとしたそのとき。あらゆるものを諦めたとき。そこには小さな光だけが残っていた。綾は最後にその光を、自分自身の魂の核を覗き込んだ。

 遥かな太古。人類がまだ言葉も持たず、ただ大地を這いずっていた時代。原初なる人類の少女がひとり、天から降り注ぐ光に心を惹かれ、初めて夜空を仰いだ。それまで人の誰もが見向きもしなかったそこには無数の星々が瞬き、そして月が煌々と輝いていた。少女はただ見ていたのではなかった。自らの内に月を捉えていた。月光は少女の心を震わせた。天の彼方で静かに輝く月の存在は、あまりにも大きく、少女の心の中にあふれた。それまでただ生きるために生きていた少女は、人類の誰も知ることのなかった衝動に突き動かされた。知らず、口が動き、声が放たれていた。光! 光が、在る! それは月への思いを表現しようとする声。それは人類初めての歌。歌の届いた同胞たちは、空を見上げず、月も見なかったのに、彼らの内に見えない月と少女を宿らせた。それは人類初めての言霊。そのとき妖精は生まれ、人を祝福したのだ。ここに人類は人となり、人は妖精と、妖精は人と歩み、世界を創り上げてきた。

 私は月の光に導かれてあの言霊から生まれた。原初の叫びが我が魂。伝えたい。表現したい。創りたい!

 あらゆる言霊を失ってなお、私に残っているものがある。いかなる力が私を押し潰そうとしても、なにもかも奪い取ろうとしても、それは決して最後にまで至ることはできない。人の奥底にあるものは、尽きることのない創造への思いなのだから。私の中に世界があり、そこに皆が生きているのだから。皆の世界とつながっているのだから。

 綾はゆっくりと頭を上げた。その瞳は銀色の輝きを放った。なにもかも捨てたからこそ、気付くことがある。魂の奥底から放たれる真の言霊。間違っていようと、無意味だろうと、私は創る!

 歌が聞こえた。終わらず始まらない永遠の停滞、狭間の領域から、歌が響いてくる。銀の弾丸のごとく、歌は綾を貫いた。悠理だ。悠理が狭間の底で歌っているのだ。

 死の行進曲デスマーチではない。赤い髪、翠の瞳の少女を語る歌。力強く、燃えるような生命に満ち溢れた歌。悠理の歌声。

 彼方に闘うミナカの姿が、綾の瞳に映った。ミナカは正しいことのために闘っているのではない。皆を好きだからだ。傷付き血を流し、それでも皆の歌を信じて立ち上がるのだ。それがミナカ。だから妖精王は彼女を愛した。

 悠理は歌い続けている。何者も還ってこれない狭間の底で。

 悠理は私に仕事を依頼されたと言った。導きを頼んだのは、この私。私は悠理を信じ、悠理はそれに応えた。誰一人戻ることの無かった狭間の領域から還って来た。いや、あそこから還れないのは世界の掟、誰にも破ることはできない。今もなお、彼女の体は狭間にあり、永遠の停滞に呪縛されているのだ。では今、青き大地にあるあの姿は、悠理が狭間にて歌った彼女の言霊、彼女の歌。彼女の、願い。それだけが世界を超えて還って来た。あれは言霊のみで織り成された仮初めの身。そして悠理はなおも狭間で独り歌い続けている。私が還って来た代償に。

 ミナカは私を信じている。悠理は私を信じている。だから未来を私に託した。

 自分は何者で、どこから来てどこに行くべき存在なのか。それは綾には分からない。でも、綾には分かることがある。自分が行きたいところ、詠いたい歌。

 綾は立ち上がる。その口からは歌声が流れる。それは死の行進曲デスマーチをかき消す妖精の歌。荒れ狂い渦巻いていた言霊が、ひとつの流れとなっていく。綾と共に流れ始める。脈打ち、歌と共に踊る。


 月光の下、丘の上。

 妖精カグヤは綾を見つめ、綾はカグヤを見つめる。優しき風が吹き渡る。

 綾は知った。自分が多くの犠牲の上にあることを。

 自分さえ傷つけばいいと思っている者は、周りにも犠牲を強いる。正しいことを貫くために、犠牲はどうしても出てしまうのかもしれない。でも、人の痛みを感じず他人を踏みしめる傲慢さは、死の道へと続く。死の歌を呼ぶ。

 私は自分の破滅を覚悟して戦い、皆を犠牲にした。そして今もなお、新たな妖精境となるべきだったはずの朔月テイアは犠牲を生み続けている。死の行進曲デスマーチを生み出していたのは、万塔祀だけではなかった。自分もその一部だった。

 だから私の家には死の行進曲デスマーチが流れていたのだ。

 だからまた自分を犠牲にしようとしたとき、私は朔月テイアから青き大地へと追い返されたのだ。

 私が始めた物語は、まだ終わっていない。今度こそ終わらさねばならない。

 命じる言葉による支配ではなく、連なる言霊の歌を。

 自らの依るところを知り、依るところの自らを知ろう。

 妖精境を犠牲にし、森の屋敷を犠牲にし、悠理に苦難を押し付け、人々を傷付け、妖精を脅かしてきた。

 また犠牲は出てしまうのかもしれない。でも、私はもう、犠牲の上に立ちはしない。

 私はミナカたちと共に進む。どんなに遠くても、月までも歩む。

 綾はカグヤに己自身を告げた。

「我が名は文原綾。文原綾はここにいる」

 カグヤは頭をたれる。

「お還りなさい。カグヤはあなたの詩です」

 風のシルヴァが、大気のエアリアルが喜びに踊る。カグヤは綾の肩に載って詠う。

 綾は今、自分がいるべき場所にいることを知った。

「ただいま、みんな。ただいま…… 悠理」

 綾の手を悠理が両手で握る。綾がしっかり握り返す。

 文原綾は帰還した。

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