第2章2

 その日の夕方、新体制説明のためにケイオスループ社の幹部が集合した。万塔の姿はない。アルバイトである綾と悠理が上座に並べられて、下座にくたびれた社員が並んでいるのが異様だ。

 幹部の中に直木先輩の姿も並んでいる。すっぴんの顔には他の社員と同様に生気が見えなかった。

 相変わらず、行進曲らしき音楽がかすかに流れている。

 机の中心には缶ジュースやコーヒーが用意してあり、悠理は缶コーヒーを手に取ったが、売れたのはその一本だけだった。

 万塔から説明係に命じられていた直木先輩は、綾と悠理がプランナーになることを告げた。意外なことに、ほっとしたような空気が辺りを包む。

 自分のようなアルバイトがプランナーなどという重要な業務をやるなど仕事を馬鹿にするにも程があると綾は思うのだが、後で聞いた話によると万塔による人事は以前が以前だったらしい。

 固定観念に縛られていないプランナーとの名目で、ゲームを触ったこともない喜寿のお婆ちゃんがプランナーになったりもしたという。お婆ちゃんに理解できない要素が次々と消されていったあげく、いつまでたっても発売できないのに業を煮やした販売会社の手によって、最終的にはパッケージの中にお手玉だけが二個納められて発売された。昔ながらの暖かい味わいがこもった遊びと宣伝されて、あろうことかヒットしてしまったのがさらに開発者たちの心を打ち砕いた。

 そんなにひどいなら辞めてしまえばよさそうなものだけど、あんまりな状況が続きすぎて、自ら行動する気力はもう残っていないらしい。

「では、改めてチームの構成を説明します」

 先輩がホワイトボードに構成図を書き始めた。

「まず、万塔総監督…… 失礼、万塔クリエイター…… つまり全権をお持ちの万塔氏がいらっしゃいます」

 つまり神様ということだな、と悠理は納得する。

「以前はプロデューサーの下に開発現場の責任者であるディレクターがいらっしゃったのですが、それは省略しまして」

 前作『ペイガン・ゴッド』を開発し、ヒットさせたはずのディレクターもクビになったことを綾は直感し、いっそう気が重くなった。

「さらにその下には、プログラムを書くプログラムセクション、絵を描くデザインセクション、仕様を決めるプランセクション、音楽を作るサウンドセクションに分かれます。セクションにはそれぞれセクションリーダーがいますが、デザインとサウンドについては万塔氏がリーダーを兼ねていらっしゃいます」

 ずいぶんクビにしたものだと、呆れるというより悠理は感心する。綾はもう聞いているだけでもつらかった。

「なお、あの、プランセクションですが、要求された成果を達成できないことが、その明らかになりましたので―― 本日をもって…… これまでのメンバーは全員解雇と…… なります…… 解雇に不満がある場合は―― 契約書第二条を参照せよ、訴えても無駄とのことです……」

 さすがに、その場にいる者たちの息が一瞬止まった。プランナーらしき数人が席を立って、のろのろと荷物を片付けに行く。

 苦労のあげく突然解雇される彼らの気持ちを思うと、綾の目には涙がにじんできた。悠理のほうは、解雇の様を興味深げに観察していたが。

「プログラムセクションのリーダーは、引き続き小林一佐が担当します」

 精悍な男性が立ち上がり、きっちり体を前方に十度傾けて敬礼した。挙手はしない。本物の敬礼作法では無帽のときに挙手はしないというウンチクを悠理は思い出して、内心で面白がった。どうやら本物の軍人上がりだ。

 男は悠理たちのほうを向いて、

「自分がプログラム開発を指揮する小林だ。作戦成功はわが隊の健闘にかかっている。民間にはまだなじんでいないところもあるが、よろしく頼む」

 静かな会社に小林一佐の大声が轟き渡った。ガラス窓が震える。歳は三十代後半ぐらいだろうか。筋肉の張り詰めた体でビジネススーツは破れんばかり、短く刈り込まれた頭に鷹のような鋭い目。命令一下どんな無理難題であろうと突撃し、部下がいくら倒れてもくじけることのない鋼鉄の精神力。この地獄のような職場で生き残るにふさわしい戦士だった。退官して今はもちろん一佐ではないのだが、その呼び名こそが彼にもっとも似合っている。

「ここまでの説明で、なにか質問はありますか?」

「はあい!」

 悠理が元気に手を上げる。

「それでなんのゲームを作ってるんでしょう?」

「地球からは見えないもうひとつの月、朔月テイアを舞台にした、朔月物語のゲームです」

 それぐらい知っていると言いたげな顔で悠理は、

「じゃあ、それはつまりどんなゲームなんです?」

 答えようとした先輩をさし置いて小林一佐が、

「恋愛格闘育成SF歴史建築ファンタジーロールプレイングアドベンチャーンシューティングパズルレースだ」

「はい?」

「恋愛SF格闘建築歴史育成ロールプレイングパズルシューティングレースアドベンチャーファンタジーだったかな」

 先輩が書類を確認して、深呼吸してから、

「いえ―― 正しくは育成SF格闘建築歴史恋愛アドベンチャーファンタジーレースロールプレイングパズル―― です」

 意味が分からない。いや、分かりたくない。綾はそんなものを作らされてきたチームの人々の気持ちを思い、ここに来た自分の運命を呪った。行進曲がはっきりと鳴り響き始める。綾は確信した。この曲は、父がとりつかれてしまったあの曲だ。四方八方から聞こえてくるこの曲は、いったいなにが鳴らしているのだろう。スピーカーの類も見当たらないのに。

「あらゆるジャンルを網羅し、あらゆるジャンルを超えるんですね。ジャンルに縛られないゲームなんですね。さすが万塔さま!」

「うむ、その通りだ」

 小林一佐はうなずいてから、豪快に笑った。この墓場のような空間で笑いは浮きまくっているが、そんなことに躊躇しているようでは立派な軍人にはなれない。

「……それは結局どんなゲームなんでしょう?」

 聞きたくないが、ここで聞いておかなければ流されるままになると覚悟した綾は、思い切って質問した。しばらく沈黙が続く。だが、答えられないからではなかった。小林一佐は不思議そうな目で綾を眺めていた。やがてゆっくりと口を開き、怪訝そうに言った。

「それを決めるのが貴君らの任務だろう?」


「先輩、いくらなんでもデタラメです」

 会議が終わった後、憤った綾は直木先輩の机に押しかけてきた。声を震わせ、涙目だ。先輩は疲れた声で、

「せっかくだし…… プランナーになったことを前向きに捉えたらいいと思うわよ」

 そういう問題ではないだろう。無責任にもほどがあるではないか。苦労してきたであろうプランナーたちにあんまりな仕打ちだ。綾の握りこぶしに力が入る。

「先輩だって本当は分かっているんでしょう! このままじゃいつまでたってもゲームは完成したりしないって! 銀の弾丸が手に入ったりはしないって!」

 先輩がなだめようとしたとき、綾が叫んだ。言霊を震わせて、あまりにも強く。

「目を開けて見てください! 本当の姿を見てください!」

〈汝 真実の眼をもって見よ 見よ 見よ!〉


 次の瞬間、先輩はわが目を疑った。

 ――目の前には広大な光景が広がっていた。さっきまでいた会社の面影はどこにもない。そこは土造りの建物が並び、人々の雑踏でひしめいていた。日差しがきつくて、熱気が肌を焼く。

「こ、これは……?」

 綾と悠理の姿も見当たらない。

 天から聞こえてくる行進曲に、先輩は頭を上げた。山ほどもあろうかという巨大な塔が、目の前にそびえ立っていた。あまりに巨大で、ぐるりと見回さねば視界には収められない。

 塔の上部は雲をも突き抜けていた。塔は建造中で、骨のような内部構造が露出している。無数の人々が工具や建材を抱えて階段を登っていく。

 先輩はのろのろと進む行列に加わった。行列の先では人々が土砂をどけ、石を砕いている。やがてレンガが焼かれ、積み重ねる作業が始まった。行列は行進曲に乗って進む。

 ああ、そうだ。塔を建てるのだ。永遠に。果てしなく。

 先輩もレンガを運び、積み重ねる。重ね、重ねて、塔は少しずつ高くなっていく。なんのために塔は作られるのだろう。ふと浮かんだ疑問は無限に繰り返される作業の中に埋没していく。

 塔は高く、より高くなっていき、いつしか先輩もはるか雲の上にまで登ってきていた。高空で普通に呼吸できている不思議にも先輩の考えはおよばない。ただ、天空に見えてきた狭間が心を捉えていた。空に泡のごとく狭間が浮かんでおり、狭間からは別の世界が覗き見える。ずっと聞こえている行進曲は、狭間の向こうから鳴り響いていた。

 この塔が目指すのはあそこだ。おそらく大地と狭間をつなげるのが塔の役割なのだ。

 狭間から、塔にも匹敵するほどの巨大な存在が姿を現そうとしている。薄暗くぼんやりして雲のようでもあり、しかし緩くもひとつの形をなしていた。

 それは腕だった。腕は塔に手を伸ばそうとしている。ゆっくりと形を変えながら手の指を形作り、人差し指が塔の頂上へと迫る。頂上には女が一人立っていた。おぼろげだが、それは確かに万塔祀だと先輩は直感した。天からの指先を見上げていた万塔は、いきなり視線を直木先輩へと向けた。

「ああああッ!」

 視線が突き刺さり、頭を強く殴られたかのように体ごと吹き飛ばされる。足元から階段がなくなった。先輩の体は遥かな高みから落ちていく。だが、先輩を支配しているのは落下の恐怖ではなかった。

 目が! あの人の目が! 人間ではない目が!


「先輩!」

「直木さん、直木さん―― 傷は浅いぞ、しっかりしなさい。肉体損傷なし、脈拍正常、呼吸正常、瞳孔は…… おっと、意識は戻ったようだ。気を確かに。活を入れて差し上げましょうか」

 小林一佐が上から先輩を覗き込んでいた。そこはいつもの会社、自分の机だった。綾も青い顔をして側にいる。

「――あ、あれ……?」

 さきほどまでの痕跡はどこもなかった。

 今まで見ていたのはなんだったろう。果てしなく終わらない繰り返し、自分はその一部となっていたような。

「す、すみません。貧血かしら。――顔でも洗ってきます」

 先輩は席を立った。小さく恐怖の叫び声を上げてぐらつき、綾と小林一佐から支えられる。大きく禍々しい眼が自分を呑み込もうと迫ってきているように感じたのだ。もちろん、そんなものはない。気を取り直そうとする先輩の視界に、出社してきた万塔が入った。

 今度は声もなく、先輩は失神した。


「綾ったら、やりすぎですよね」

 ここは悠理が住居兼事務所に使っている、アパートの一室。ほかほか炊きたてご飯をおひつに移しながら、綾は涙目だった。

「先輩にひどいことをしてしまった……」

「そうですよね。うんうん、言霊使いは言葉に気を付けないと。綾はおいしそうにご飯炊きますねえ」

 ちゃぶ台を前にかしこまって座り、悠理はわくわくしながら待っている。ホタテのスープに、豚肉と夏ナスの甜麺醤炒め、ヒラメの中華風蒸し物が湯気を立てていた。

「あの会社がどんなにひどいかを伝えようとしただけなのに……」

 綾はご飯をよそって、茶碗を悠理に渡した。

「言霊っていうのは、魂を動かすほどの大きな力があるんだから気を付けないとですね。正しい言葉が良き言霊とは限らないんです。正しさを貫けば、多くの犠牲が出ます。本当に大切なものを失ったりもするんですから」

「え? 犠牲って」

 悠理の言葉が引っかかった。なぜか胸が痛くなる。

「いただきまあす! ――綾は料理作るのもうまいですね! うん、最高!」

 綾の疑問は、悠理に間を外されてしまった。

 綾の料理がうまいのは、母が亡くなってからずっと父のために料理をしてきたからだ。父に愛してもらいたくて、懸命に腕を磨いた。それでも父と心の通じ合う日は来なかった。ようやく父が心を開きかけた頃に、あの曲が始まったのだ。

「働いている人たちがかわいそうすぎる。あれじゃあ、月まで歩いて行けって言ってるようなものだ。永遠にたどりつける訳がない」

 とてもよく炊けたというのに、今日の有様がひどすぎて綾は思いっきり味わうことができない。

「だいたいあの会社が流しているあの変な行進曲はなんなんだ。聞いているだけで嫌になってくる」

 悠理は礼儀正しく両手でお椀を持ち上げ、うっとりと唇を付けてかぐわしいスープを一口いただく。芳醇な液体がのどをごくりと鳴らして通り過ぎる。余韻をしばし楽しんでから悠理は、

「やっぱりあの行進曲が聞こえるんですねえ。まあ、言霊とお話できるんだから当然かな」

 綾は箸を置いた。

「……あれって、普通の人には聞こえないの? 父はあれを演奏していた」

 綾の料理に父がようやく微笑を見せかけた頃、あれは始まった。ごくかすかに聞こえてくる行進曲。どこからともなく響いてくるそれは、作曲用の防音室に逃げ込んですら耳から離れなかった。やがて父はその曲にとりつかれ、作曲しなくなってしまった。父は表情を失い、機械のように行進曲をひたすらピアノで演奏し続けた。父を救おうとして綾がピアノと父を言霊で操り、演奏を無理やりにでも止めさせたとき、父は綾を化け物呼ばわりして家を出て行った。

「聞こえないけど、魂を縛られます。あれは死の行進曲デスマーチといって、呪縛を受けたところに鳴り響く曲なんですよね」

「どうやったら止められるんだ」

「銀の弾丸がないと難しいのよね」

「――ちょっと、そこに正座しなさい」

 綾がにらみつける。

「座ってますってば。う~ん、この炒め物最高! うちの台所からこんな料理ができてくるなんて信じらんないです」

「今回の仕事について説明しなさい。ただのアルバイトじゃないのは分かりました」

 丁寧な言い方が怖い。それはそれとして、お米の粒がそろっているとご飯とはここまで美味なのか。悠理はひとしきり堪能してから、

「万塔さまのプロジェクトを終わらせてゲームを完成させる。それだけですよ。ちょっと呪縛されてて、ちょっと死の行進曲が聞こえちゃってるだけ」

「そのちょっとを説明しろ!」

 綾は、その繊細な見た目にまるであわない怒鳴り声を上げた。悠理は困り顔で

「ほら、ご飯とってもおいしいですよ。怒ってるとよく味わえないですからね。綾は怒りっぽすぎるんじゃないかな。帰ってきて仕事の話は止めましょうよね。あ、今日は遅くなりそうだし泊まってくでしょ。二人ぐらいなら眠る場所ありますよ」

「泊まらん!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る