第1章3

「次はあたしにやらせて」

 長い行列の先頭に、少年、いや男装の少女が突然割り込んできた。次の番だった男の唇に指を当て、にっこりと微笑み言葉を封じる。

 するりと対戦ゲーム台の椅子に腰を下ろし、こちらの綾に向かって楽しげに手を振ってきた。新たなイベントを期待して、血走った行列の連中も文句を言わず順番を譲る。

 少女はなぜだか学ラン姿で男装している。サイズが合っていなくて、ぶかぶかだ。

 綾よりも一回り小さな背格好から見るに、歳の頃は十代半ばぐらい、綾と同年代か少し下。透き通るような肌に細身の華奢な体つき。それだけ見るとか弱そうなのに、柔らかくうねる軽やかな黒髪のせいか、妙に明るく楽しげな印象だ。額の上には透き通ったカチューシャをはめている。

 少女は高らかに宣言した。

「あたしが倒します! そしてこの子はもらっていきます! この子はあたしのものです!」

 ギャラリーが大きくどよめき、沸きかえった。

「倒せ! 倒せ! 倒せッ!」

「た、お、せ! た、お、せ! た、お、せ!」

 一斉コールで場内が満ちる。

 にこにこと一礼してから対戦ゲーム台の向こうに消えた少女へ、ともかく綾は感謝した。

 世の中、親切な人もいるものだ。ありがたいことに、この子がゲームセンターから連れ出してくれるらしい。これでご飯も食べられる。

 綾の期待はあっさり打ち砕かれた。

 少女はあまりにも下手だった。ボタンの意味を知っているかも疑わしいときては、八百長するにもほどがある。懸命に負けようとした綾だが、露骨に負けては暴動になりかねない。苦心のあげく、一ラウンド目は結局勝ってしまった。

 少女の悔しそうな顔を見て、綾は激しく頭が痛くなる。どうやら彼女は真剣だったらしい。

 このゲームは三ラウンド制、二本先取で勝利となる。次の勝負はどうしても負けなければ。

「ちょっと待ってください!」

 少女がいきなり立ち上がった。こうやって見上げてみると、ずいぶん背がすらりとしていてスタイルがいい。ダンサーといっても通用するだろう。行動がなんだか間抜けでさえなければ。

「勝利の儀式を忘れてました」

 少女はにっこり笑い、楽しげに歌い始めた。

〈花咲ける 鳥歌う〉

〈群れなして舞え ジギタリスの人〉

〈幸運は待つよ あの子と踊って〉

祝福妖精よシーリー・コート 我が元に来たれ〉

 周囲はあっけに取られてしまった。彼女の言葉がなにを言っているか分からなかったからだ。

 綾はぽかんとしていた。彼女の歌が、特別な言葉で詠われたからだ。人や物から聞き取ることができる真の言葉、それを他人が使っているのは綾にとって初めてのことだった。

 彼女の着ている学ランが金色に光り輝き、煌くような歌声が響き始める。綾は数十以上もの気配を彼女の服から感じた。服の中からではない。服そのものに、それは依りついている。

 男たちには、それが見えず、聞こえてもいないらしい。

 綾は目と耳を疑う。まさかそれを呼び出し、共に詠うことのできる人がいるなんて。

「お待たせしました。さあ、いきますよぉ!」

 彼女は一方的に宣言して、二ラウンド目を開始した。彼女はまるで金色のオーラに包まれているかのように見える。もう時間は残り少なく、彼女は相変わらず適当に操作しているだけだ。だが、その動きは完璧だった。

 綾は、彼女の服に依りついているそれを知っていた。自分にしか見えない、小さな隣人、善き人たちの存在を。

 物に宿っている真の言葉を使いこなせるのが自分だけなのと同様、小さな隣人たちを見ることができるのも自分だけ。父に喜んで話したときの哀れみに満ちたまなざしを、綾は忘れることができない。綾はそれのことを二度と他人に話さなくなった。

 綾はそれを妖精と呼んでいる。

 これまで妖精を間近で見たことはない。なにせ綾が近づけば妖精は逃げてしまうのだ。昔話に出てくる祝福妖精はさまざまな幸せをもたらしてくれるが、目の前のこれこそが妖精の祝福による幸運というものなのだろうか。

 避ける、当たる。あらゆる運を味方に彼女は二ラウンド目を取り、三ラウンド目はちょっと本気を出してみた綾までをも沈めたのだった。

「勝った! 勝ちました!」

 苦労して敗北をつかみ疲れきっている綾を尻目に、彼女は嬉々として、

「あたしは勝ちました! この子はあたしのものです!」

 拳を天に突き上げて高らかに宣言、

「そうだ、お前のものだ!」

 群衆が叫び応える。

 彼女は勝ち誇り、拍手の嵐に送られながらゲームセンターの外へと勝利の花道を歩む。綾も袋いっぱいの百円玉を抱え、ついて行く。ようやくご飯にありつけるのだ。

 それがあまりにもすてきな生活へのヴァージンロードであることに、ご飯で頭がいっぱいの綾は気付く由もなかった。


 夜の公園にたたずむ少女、文原綾は懸命に熱いお握りをほおばっていた。

 炊きたてご飯のお握り屋とは、なんて素晴らしい存在なのだろう。じっくり、ばくばくと幸せをかみ締める。

 お握りを五つほどいただいて人心地がようやくついた綾は、彼女を楽しげに見つめ続けている存在に改めて頭を下げた。

「ありがとう。本当に助かりました。このお礼は――」

「いいんですいいんです。だってですね……」

 頭を下げられた側、ゲームセンターで綾を助けた学ラン姿の少女は、にこにこしながら小さく手を振った。

 ふわりとした黒髪に漆黒の瞳、額の上には透き通ったカチューシャ。綾よりも華奢な見た目で少し幼い体つきだが、なぜか年齢はもっと上のようにも感じる。目つきが大人びているのだろうか。柔和な顔つきは感情を隠し、なにを考えているのやら見えにくい。儚げなのに存在感があるのは、ぶかぶかの学ランに包まれているせいか。とにかく楽しげであった。背中には大きな革製の鞄を背負っている。

 綾はペットボトルのお茶を飲み、一息ついてから、

「あの、名前は」

「あたしは悠理。あなたは?」

「私は綾」

「やっぱり。じゃあ文原綾、今からあなたはあたしのもの」

「!」

 綾は驚きのあまり、大事な六個目のお握りを危うく取り落とすところだった。

 一歩、二歩と後ずさる。やっぱりってなんだ。

「なぜフルネームまで知っている!」

「あなたの描いた絵、気に入ったんですよね。なのでこちらから出向いてきました」

「まさか、まさかブローカーのツクヨミって」

 悠理はうれしそうに笑った。

「そう、綾はやっぱり勘がいいですね。あなたの絵を買ったブローカーはあたし、月弓つくよみの悠理。誓言どおり、あなたはもう悠理のもの」

「そんなことは誓っていない!」

 悠理と名乗った少女は相変わらずにこにこしながら、

「あたしは宣言して、綾は受け入れました。これが誓言ゲッシュ

「……ゲッシュ?」

「物とお話できるのなら、一度発した言葉を守る大事さはよく分かってますよね」

「なんでそれを!」

 綾は震えた。

「綾ったら、ゲームの言霊と話してたじゃないですか。そうでしょ、言霊使いなんでしょ」

 少女、悠理が言う言霊とは、綾にとっての真の言葉を示しているらしかった。

 今日の勝負で圧勝できたのは、綾がもともとゲームが得意だからでもあるが、ゲームの言葉を聞き取って戦い方を知り尽くしたのが大きかった。

 便利に使える力ではあるけれども、そこにはひとつ絶対の掟がある。言葉を絶対に違えてはならない。絶対的真実が宿された言葉を言葉で裏切ればどうなるのか。よくは分からないが、二度と真の言葉を聞けなくなることだけは理解している。

 この相手は、綾が言霊使いとやらであることを知り、どうやってか綾を探し当てて向こうからやってきた。そして、綾は自分のものだという。綾は、はっとした。

「これは、罠だ!」

 悠理はぽんと手を打つ。

「本当に勘がいい!」

「あの男たちを言葉で操って、ああいう展開になるよう仕向けたんだ!」

「や、やだなあ、ちょっと言霊で勢いを増してあげただけですってば」

「私を罠にはめた!」

「でも、誓言は誓言なんです」

 悠理はにこやかだが、まったく譲るつもりはないようだった。

「……私をどうするつもりだ」

 綾は覚悟を決めて問いかける。こうなったら、全力で正面突破してやる。一線を越えたんだから、もうニ線だって三線だってなんでも来いだ。

 と、その気合をそらすように悠理は小さな両手で綾の手をひょいと握り、顔を間近に寄せて、

「言霊使いの文原綾に仕事を頼みたいんです。いい仕事ですよ」

 まっすぐ自分を見てくる悠理の瞳に綾はとまどうが、目をそらせない。

「し、仕事?」

「綾が知りたいことに近づくことができるし、ご飯をおなかいっぱい食べられるぐらい稼げるお仕事ですよ。ご飯食べたいですよね」

 見つめ続けられて、綾の白い頬が赤く染まる。

「ご飯よりもまず絵を返せ。話はそれからだ」

「うんうん」

 悠理は背中から大きな革の鞄を下ろした。開くとその中には丁寧に包まれた三枚の油絵が収まっていた。綾はそっと受け取り、包みを開いた。絵の中の少女が笑いかけてくる。綾はにじんでくる涙を懸命にこらえた。泣かない。私は泣かないんだ。

 綾は気を取り直して、悠理をきっとにらむ。

「ご飯だけじゃだめだ。学費も稼げないと」

 悠理は大きくうなずく。

「大丈夫大丈夫」

 軽く請合うのが、かえって心配だ。

「本当だろうな!」

「あたしは月弓の悠理。特別な力を持つ者たちに、ふさわしい場所を紹介するのが仕事なの。あたし、一流なんですよ」

 綾よりも背の低い悠理は、爪先立ちしてさらに顔を寄せる。距離に反比例して綾の肌もより赤く染まっていく。

「わ、分かった。仕事の話は聞く。聞くから離れろってば」

 互いの息がかかるほどに近づく。漆黒だった悠理の瞳はいつの間にか銀色に輝いている。気のせいか、風もないのに悠理の黒髪が浮き上がって見えた。

「月弓の悠理を無理やりの人買いと思われちゃ困るんです。だから先に報酬を教えてあげます。さあ、あたしを見て…… あたしを聞いて」

 瞳の向こうに無数の生きた言葉、言霊が見える。感じられる。

「人なのに……」

 綾が呟く。人に無数の言霊が宿っているなんて。

「もっとよ。もっと近づいて」

 悠理が迫る。綾はおそるおそる瞳を覗き込む。

 悠理は、額の上のカチューシャを外した。それは実在していないかのごとく透き通っていたが、その表面にはかすかに銀色の輝きがあった。悠理はカチューシャを、そっと綾の銀髪にはめる。

 銀色の光が広がり、綾を包みこんでいった。


 青い光の降り注ぐ夜、花が咲き乱れる緑の丘。そこかしこで緑草が大地に円を描いている。心地よい風が肌をなで、光が宙を舞う。

 そこに綾はいた。

 綾が風の中に手を伸ばすと、光るものが指先に集まって舞い踊る。よく見るとそれは小さな人のようだ。背には光が翼となっている。妖精……? 私の側に来てくれる……? また、会えた……?

 ただ、ただ懐かしい。ああ、私は還ってきたのだ。

 丘の上に立つ者がいる。その者はゆっくり歩み寄り、綾をかき抱いた。腕に強く力がこめられる。綾の身動きがとれないのは、しかし力のせいではない。心臓の脈動はその者にもはっきり分かるほどに激しく、全身に送られる熱い血潮が綾の頬を、全身を赤く染める。

「……さま もう永遠に会えないのかと……」

 唇が、綾の首筋を走る。

「や……」

 顔が向かい合う。綾は震え、目がうるんでいる。

「取り戻した……」

 その者が呟きながら、顔を近づけてくる。

「私も…… もう…… 二度と、離さない!」

 綾が息を吐き出すように小さく叫ぶ。そのときだった。


 我に帰ると、綾は悠理をきつく抱きしめていた。悠理も腕を回している。唇と唇は今にも触れ合わんばかり。

「うひゃああああッ!」

 綾は慌てて悠理を突き飛ばした。悠理はいつの間にか、綾の額にあったカチューシャを手に取り戻している。悠理はにやにやしながら、

「綾ったら、ほんとかわいいですよね」

「な、な、なにをした!」

 悠理は小首をかしげ、カチューシャを掲げて、

「この月弓を使って、綾が失ったものを見せてあげただけ」

 悠理はカチューシャを月弓と呼んだ。言われてみれば、確かにそれは弓の形をしている。弦を張る折り返しが両端にあり、中央部には矢を支えるためのくぼみもある。しかし、カチューシャ代わりに使われている以上当然だが、弦が張られていないから矢を射ることはできない。あまりにも透き通っていて実在感がないのに、月光を受けて、表面には銀色の輝きがちろちろと走っていた。

「妖精王の創りし月弓を持つ者は、この世にあたしのみ」

 悠理は額上に、月弓と呼ぶカチューシャをはめ直した。

「綾は、なんでゲームのキャラと自分の絵がそっくりなのか知りたいですよね、取り戻したいですよね」

「取り戻す……?」

「自分自身を。生まれ出でたときに欠けてしまったものを」

 綾は生まれたときから銀髪に翠色の瞳、しかし両親は黒髪に黒い瞳の日本人だ。

 疑った父は綾に遺伝子鑑定を受けさせたが、間違いなく実子という結論だった。それでも父は、育つほどに似なくなっていく綾をわが子とは信じることができなかった。

 皮肉にも綾の誕生とあわせて父の仕事である作曲は評価が急上昇し、父は仕事に多く時間を取られるようになって、それがいっそう親子の間を遠ざけた。

 綾にしか見ることができない妖精たちも、彼女の友達にはなってくれなかった。彼女が近づくと妖精は逃げ惑うのだ。これがまた、彼女にしか分からない問題を引き起こしていた。

 祝福妖精シーリー・コートが住みついていると、そこには祝福が与えられるものらしい。商売であればなぜだか幸運が続き、繁盛するという訳だ。ところが綾はこの妖精を追い払ってしまう。幸運もそこでおしまいだ。学校でもアルバイト先でも、そんなことが続けば、綾が不幸を呼んでいるということになる。結果、アルバイトはどこでもすぐクビになり、学校でもうまくいきはしない。

 綾はずっと知りたかった。自分はなぜこのような姿なのか。なぜ言葉たちと語らうことができるのか。どうして妖精は自分を嫌うのか。自分は何者で、どこから来てどこに行くべき存在なのか。

「仕事はやる。だから教えろ」

「うんうん、いいお仕事を紹介しますからね」

「教えるって約束は!」

「蒼天に誓って。さあ、これで誓言成立ですね!」

 悠理は背筋を伸ばしてすっくと立った。学ランの袖をめくり、腕を綾に向かって差し出す。綾はしばし躊躇してから、ためらいがちに握手しようとして、しかし手が止まった。握るべき手が見当たらない。ぶかぶかの学ランに隠されているのかと思いきや、袖は捲られているではないか。

「あ、ごめんなさい。ちょっと力を使いすぎたかな」

 悠理はいったん腕を引っ込めて、学ランの袖を下ろしてから口の中でもごもごと呟いた。

「さあ、もう一度!」

 悠理がまた袖をめくると、そこには白くか細い手があった。透き通るように血の気のない肌だ。綾は、さきほどのは何かの見間違いだと自分に言い聞かせてから悠理の手を取り、おずおずと握手を交わす。悠理の姿は月の光で透けそうなほど儚いのに、その小さな手は力強く暖かかった。

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